35. 乱れそめにし
「最近仲いいね、深山と委員長」
大谷が紅茶の入ったマグカップを二つ保健室中央のテーブルに置いた。
柚月とこれから来る深山の分。大谷の分は自席の机にある。
「好きにすれば、って言ったのそっちじゃないですか。私は好きにしているだけです。付き合ってもいないのに束縛ですか」
カップを片手に柚月は不満そうな顔をする。
手に持ったカップからはホカホカと湯気の立ちのぼる。
「そういうこと言うと可愛い顔台無しだよ、委員長」
不意打ちの褒め言葉。
いつものからかいだとわかっていても柚月は顔が綻んでしまいそうになる。
「可愛くなくて結構です」
「かわいーのに」
不服そうに言葉を繰り返しているが、机に向かったままの大谷の表情は柚月から見えない。
やっとの思いで気持ちが落ち着くように心構えを変えたというのに。
大谷の一言でころっと変わってしまいそうな自分に腹が立つ。
「そういうことを軽率に言わないでください」
「なんで?」
「なんでって」
大谷が椅子を半回転させた。柚月をじっと見つめて言う。
「オレがそう思ったんだからそうなの」
ガラッ。
タイミング良く保健室の戸が開いた。
「お疲れ様でーす。あ、このお茶俺のですか?」
深山は鞄をソファに置き、テーブルの上のお茶を見つけて手に取る。
「そろそろ来ると思って淹れたけど冷めてたらごめんね」
深山が一口飲んだ。
「大丈夫です。ちょうどいい温度ですよ」
「そ、良かった」
紅茶を飲み終わると各自仕事を始めた。
それから数日後の放課後。
備品を取りに行った後輩委員が席を外していたので、保健室には大谷と深山の二人だけだった。
大谷が保健室で日報を書いている傍で深山はファイル整理をしている。
「深山、今週当番2回めじゃない?」
「佐々木さん、今日5時間目の英語が当たってるの忘れてたらしくて。代わってくれって頼まれて変わりました」
深山の表情におかしなところはない。でも何かがおかしい。
「そう。俺らが旅行行ってる間変わったことなかった?」
もう少し踏み込んで探りを入れた。
「ありませんでしたよ」
深山は微笑みを浮かべて答える。
「ならいいけど。お前さ、こないだの委員会での妙な空気気づいてる?」
「妙?」
深山が手を止とめて大谷の目をじっと見据える。何か文句でもあるのかと言いたげだ。
「他の委員にやる気が感じられないこと」
深山がとぼけているようでもない。大谷は思ったままのことを伝えた。
先日行われた委員会は表面上何の問題もなく進んだ。大谷が気になったのは深山たち以外の委員の表情だ。
去年のウォークラリーイベントの成功で自信がついたらしい深山。ウォークラリーイベントの他にも何かできないか動いていることは施設許可願を見て知っていた。
委員長と副委員長は去年からの持ち上がりだし、特に自分が出る幕ではないと様子見をしていたが。
「夏休みからずっとイベント準備してるんで疲れてるのかも知れませんね」
「たぶん委員長も気づいてるよ」
深山の肩がピクリと動いた。
深山は悪い生徒じゃない。
仕事はできるし、人当たりも良い。成績も悪い方ではないらしい。だからこんなリスクだらけの自分よりも委員長と上手く行けばいいとも思うようになっていた。
柚月に傍にいて、といったのはあくまで自分のわがままだ。自分に向いている彼女の気持ちを利用した。
柚月のことを気になるのは確かだが、大谷にはまだ引っかかっているものがあった。
「振り回すだけなら柚月先輩の世界からいなくなって欲しいとの頼んだの、覚えてますか」
心を見透かすように、深山が大谷を睨みつける。視線を合わせないのが深山を相手していないように見えたらしい。
深山がさらに噛み付く。
「でも先輩があなたを必要とするからそうもいかない。あなたの、」
「何もわかってねーガキが」
感情的な深山の放言を威圧的な雑言で遮った。
勢いを殺された深山は一瞬毒気を抜かれたような顔になったがすぐに牙をむく。
「なんですか」
「そういうところがガキだっつってんの」
一呼吸置いて大谷が続けた。
自分の気持ちを優先させている内に周囲の反応に気づかない振りをする。大事の前の小事だと言い聞かせながら。
「お前の気持ちはわからなくもないよ。これでもいろんな相談受けるから」
「だったら!」
深山が声を荒げて大谷に詰め寄っていった。その勢いにも大谷は全く動じていない。
「でもお前みたいに八つ当たりはしない」
「八つ当たり?」
「自分がアクション起こせば委員長が振り向くっていう自信の名のもとに動いてるんだろうけど、オレが動くと負けるから牽制してるんだろ」
「そうやってムキになるのはガキじゃないっていうんですか」
核心をつかれたのか幾分控えめな反撃だ。
「オレも同じだよ。だから似てるお前にイラつくの」
深山は大谷に背を向けると鞄を引っ掴んだ。
「もう一度みんなと話します。失礼しました」
そのまま何も言わず出ていくと思っていたので思わず笑いが零れる。
バカにされたと思ったのだろう。入口に立っている深山が嫌悪感をあらわにした顔を大谷に向けた。
「やり方はちょっと間違ってたけど基本的には好きだよ、深山のこと」
「失礼します!」
勢い良く閉められた戸に呟いた。
「からかい過ぎたかな」
たぶん、羨ましかったんだ。あいつが。




