34. 見ずは恋しと
束の間の自由時間。
最終日を前にお土産物色を兼ねて柚月と二人、河原町通りを散策していた。
平日の昼間だというのに多くの人で賑わっている。日本人と外国人と半々くらいだろうか。
「4日もあったのに自由時間が今日と合わせて5時間だけってどういうことよ! 東福寺や醍醐寺や南禅寺に行きたかった~! 醍醐寺のあの赤い橋!」
方向音痴の麻琴でもわかるくらい、位置関係がバラバラだ。
そんなことを気にする余裕もないほど荒れている柚月。ここで言い掛かりをつけると文句が増えそうなのでなだめる方にまわる。
「……紅葉にはまだ少し早いから醍醐寺の赤い橋ともみじとのコラボは見られないと思うよ?」
「それでもいい……」
河原町通りからたい焼き屋の匂いにつられて西に行くと車がやっと履行できる幅の通りに出た。
新しいビルが立ち並ぶ河原町通りとは一転懐かしい雰囲気が漂う。
通りの両側には雑貨屋と土産物屋と食べ物屋が並んでいるが求めているものとは違う。
しばらく歩くと頭上に“新京極”と大きな看板が見えてきた。
左右に広がる通りにぶつかると柚月に尋ねた。たぶんどちらも縦の通りにぶつかるまで道は続いている。
「どっち行く?」
「このまま真っ直ぐ」
躊躇なく柚月は左右に広がる通りをわきめも振らず横切り、細い路地へ入っていく。
路地を抜けると新たな通りに出た。
「柚月って何故か細い路地に入るよね、猫みたい」
「なんかありそうでわくわくするじゃん」
普段決定的な理由がないと動かない柚月。
こうして初めての場所を歩く時だけ勝手気ままに歩くのでついていく方はたまに不安になる。迷子騒ぎを起こした自分に反論する権利はないので黙ってついていく。
「そんなビクビクしなくてもわかって歩いてるから大丈夫よ」
麻琴の不安が伝わったのか柚月が安心させるように言った。
「柚月は何買うの?」
「後輩たちへのお土産と家へのお土産」
わかりやすい観光客向けの店が通りの両端に軒を寄せ合う。
土地柄なのか数珠の店や古書店もたまに混じる。
「抹茶味のバウムクーヘンだって。これは?」
店先に並べてある顔ほどもあるバウムクーヘン。売れ筋なのか大量に平積みされている。
「分けられないからだめ」
柚月が手にしたのは旅行先でよく見かける“~行ってきましたシリーズ”のお菓子の京都バージョン。
「合理的といえば聞こえは良いけど……」
「あら、こういうのは買う人が多いから味も良いのよ」
「なんか味気ないなぁ……私あっち見てくるね」
その箱を抱えて続けて物色する柚月に声を掛けて店を出る。
視線の先に見たことのある姿を見つけた。
向こうはこちらに気づくこともなく歩を進める。慌てて麻琴もその後を追った。
小さなお寺の前で立ち止まる。ゆっくりと近づいていくとその人物が振り向いた。
「すみません、邪魔しましたか?」
「いえ」
日下が一言返してまた視線を戻した。
「たこやくし?」
首を傾げる麻琴を日下が声を掛けた。
「中、入りますか?」
麻琴は無言で小さく頷き、日下の後をついていく。
「ここは一歩中に入るだけでも蛸薬師如来のご加護が得られるそうですよ。病気平癒のご利益があると言われていて昔から信仰のあるお寺です」
とてもリアルに再現された木製の蛸がなんなのかわからなくてじっと見つめた。
「このなで薬師を左手でなでるとすべての病気が治るそうです」
「へー」
なで薬師と呼ばれる蛸はあまりにリアルで見るだけにしようと思った。でもそう言われると触れずにはいられない。
恐る恐る手を出して触った。多くの人が触っているからだろう。触れると存外にすべすべして本来の目的を忘れて感触を楽しむ。
「いくら撫でても方向音痴は治りませんよ」
日下の声で我に返り、すぐさま手を引っ込める。
照れ隠しに言い返した。
「そのへらず口も治りません」
「別に構いません。これは僕の性格です」
「いい性格ですよね」
「そちらこそ」
ちょっと悪態をつくと必ず返ってくる。日下と話すといつもこうだ。冷静に見えて日下も負けず嫌いなのだろう。
「ここで言い争いをしていたらばちが当たりますね」
いつまでも終わりそうのない言葉争いは日下が止めた。
――最初に始めたのはそっちなのに。
入口から見えていた部分だけの広さだと思っていた敷地は更に奥に続いていた。
ひと一人通れるほどの狭い通路。入口にあったものと同じ赤いのぼりが並んでいてそれは奥の阿弥陀堂まで続いている。
その間を縫うように壁に用意されたホワイトボードにはたくさんのメッセージが書かれている。
「願い事いっぱいだ。先生は書いていかないんですか?」
話題作りに聞いてみる。
「僕はいいです」
「どうしてですか?」
返ってきた返事は麻琴にとって意外なものだった。
「他人任せにしていたら自分で努力することを忘れてしまうので、願い事をしたことがありません」
「初詣でもお願い事はしないんですか?」
麻琴も頻繁に願掛けする方ではない。けれど初詣には一年間無事に過ごせるようにと毎年祈っている。
「挨拶には行きますよ」
日下らしいと思ったが気を張ってばかりで疲れないのだろうか。
「先生と一緒にいたら大変そうですね」
「そうかもしれませんね。そろそろ行きましょうか」
思わず口をついた感想は日下の機嫌を損ねてしまったのかもしれない。蛸薬師堂を出るまで一言も話さなかった。
通りに出ると柚月から電話が入る。
「もしかして迷子?」
「ごめん、別の場所見てた」
「そこまで行くから待ってなさい。LINEで位置送って」
そう言うと電話は切れた。
日下は麻琴の電話が終わるのを待ってくれていたらしく、終わると同時に口を開いた。
「僕もそろそろ戻らないといけないので行きますね。くれぐれも迷子にならないように」
麻琴の返事も聞かずまたへらず口を叩いて去った。
――それだけを言うために待ってたなら行ってくれてもいいのに。
言うだけ言ってさっさと去る背中に毒づいた。
少しして柚月が呆れ顔で到着した。
「意外と近いとこにいた。また迷子になったのかと思った。何してたの?」
「ちょっとタコ撫でに行ってた」
「タコ?」
不思議がる柚月を横目に麻琴がクスクスと笑う。
自由行動の終了時刻が迫り、河原町通りに向かって歩き始める。
もちろんナビは柚月。言われるがままについていく。
「ねぇ、柚月は神社やお寺に行ったらお願い事する?」
先程の日下の言葉が気になっていた。柚月は考えながら言葉を出していく。
「したりしなかったり。神様にお願いしたところで最後になんとかするのは自分だし。お願いは気休めかな」
「柚月らしいね。強いなぁ」
「強くないよ。弱いから頼ることに慣れたくないだけ」
堅苦しいと思った日下も言い方は違うだけでもしかしたら柚月と同じなのかもしれない。
“石上布留の中道なかなかに 見ずは恋しと思わましやは”
――中途半端にあなたを知ったりしなければ。恋しいと思わなかったのに。もう頑張るのをやめようと思っているのに。




