32. 恋ぞつもりて
じんわりとうだるような暑さ。汗と一緒にまとわりついた空気は少し動いただけでは離れない。
夏休みのそんなある日。
柚月は保健委員会の仕事で学校に来ていた。
――去年まではこんなにアクティブに動く委員会じゃなかったのに。
会議の中休みで人がいない会議室で柚月は一人ごちた。
今年度、副委員長が深山になったおかげもあり委員会の活動は活発だ。……やり甲斐はあるけど少しうんざりする程度に。
「修学旅行、京都でしたっけ」
ジュースを2本抱えて深山が戻ってきた。
「柚月先輩はこれでしたよね」とミルクティーの缶を柚月の傍に置く。
「うん。他のみんなは?」
「時間までまだあるしコンビニまで出掛けてるみたいですよ。先輩も気分転換に出れば良かったのに」
「やだ。どうせ帰りに嫌でも汗かくんだから出たくない」
やっと汗が引いてクーラーで快適なのだ。不快な思いはなるべく控えたい。
これ以上機嫌を損ねてはこの後の会議に響く。深山は苦笑するだけにとどめて話題を戻した。
「お土産期待してますね」
「いいのが見つかったらね」
「こないだ水族館連れてってあげたのに」
「それは深山へのご褒美でしょ」
「俺なんで先輩の下なんだろ」
ぐうの音も出なくなった深山は不満をこぼした。
「そんなに京都行きたかったの?」
深山の真意に気付かない柚月は勝手に考えを巡らす。
「そっかそっか。かわいいところあるわね、深山。お土産何がいい?」
全身から力が抜けたように深山が項垂れた。
「先輩、国語の読解問題苦手でしょ」
「現代文はいつもクラストップよ」
やがてにぎやかな声が廊下から聞こえてきた。
「プリン買ってきたけどいる人ー!」
そのままの流れで会議も再開された。
深山は柚月の誤解を解くことはできなかった。
「だったら俺の気持ちもわかるでしょーが……」
*
良いことがあってもなくても変わらず日々は過ぎていく。
夏休みと新学期が始まってから修学旅行当日までの期間。
生徒たちの準備はかなり進んだようだった。普通なら修学とは名ばかりの観光や遊びの旅行の学校が多い中、この学校はあくまで進学校として姿勢を崩さなかった。
教師の立場からはしっかりやれよとしか言えないが内心では不憫に思えた。まぁ、当日を目一杯楽しむためにやってきたのかもしれないが。
「櫻井ちゃんについてかないの?」
「動き回るのは性に合いませんね。それに彼女には彼がいますから安心です」
いつからか大谷の中で定着した麻琴の呼称への苦言を飲み下しつつ、日下は麻琴たちの班を見やった。
全部で4日間ある行程の内3分の2はレポート作成のための班行動になる。
その間、教師たちは見回りする者と拠点で連絡を受けるために待機する者とに分かれることになっている。引率者の一人としてついてきた大谷も日下と同じ待機組だ。
正直面倒だが動き回らなくて良い分マシかと思い直す。
「いいの? それで」
生徒たちを見送り終わると大谷が蒸し返す。
「同じ立場の方が彼女が辛い思いをしなくて済むなら、僕はそれで構いません」
図らずも以前渡り廊下で聞かれてしまった言葉は確かに願望だ。だからと言って越えられないものを。
「オレ、うちの保健委員長のこと話したっけ?」
「櫻井さんから間接的に」
大谷が気まずそうに頭をかく。
何かあるまでひたすら待機するだけの時間。
持て余していたのか二人だけの仕事に気が緩んだのか、珍しく大谷が自分のことを話し始めた。
「本当はお前らみたいに付き合っていけるかなって思ってた。でもオレの場合、職務上どうしても生徒とフレンドリーにしなきゃいけないでしょ。それをしながら隠していく自信がなかったんだ。俺自制心ないしね!」
「仮にも教師が自信を持っていいところじゃありません」
最後は冗談なのか本気なのか定かではない。それでも日下はドライに突っ込みを入れる。
「まぁ、それは冗談じゃないんだけどさ」
「否定してください」
ふざけてはいるが大谷に余裕がないことだけはわかる。話し始めてからずっと視点が定まらない。
「委員長にも嫌な思いいっぱいさせると思ってさ。離れてたら執着しなくて済むでしょ? 付き合ってると独占欲が強くなるし、どの生徒にも平等になんでできないからさ」
「離れてたからといって、執着がなくなるわけじゃありませんけどね」
――その証拠に自分の傍に置いてるじゃないですか。
喉まで出かかったその言葉を抑え込み、別の言葉にかえた。
「それを伝えてあげれば小薗さんも安心するんじゃないですか?」
「この期に及んでって気もするけどな」
――女子生徒が1名行方不明。
日下の携帯に連絡が入ったのは日も暮れかけた夕方のことだった。




