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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第3集 さやかに密か
29/40

29. 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば

 D棟手前の渡り廊下は麻琴たちにはすっかり馴染みの場所になってしまった。一般教室とはいささか離れた場所だということ、職員室付近というのが足が遠のく理由なのだろう。いつ来ても人はほとんどいない。

 話すだけならA棟からC棟にも場所は多い。


「今までのはあくまでも噂で止まってたけど今じゃ否定する方が余計だめね」


 腕組みをした柚月の口からどうしようもないという気持ちがこぼれる。

 火のないところに、とはよく言ったものだ。2年生の頃から目立っていた彼らだからなるべくしてなったというか。


「悪い」


 久瀬が頭を下げた。

 彼はD棟への入口を背にして立っていた。誰かきたかすぐにわかるように。そんな風に気遣う彼を柚月は責める気になれない。


「久瀬くんは悪くないよ」


 麻琴の答えも柚月と同じだった。

 久瀬の気持ちなんて誰の目にも明らかだ。だからこんな噂も立つのだろう。

 久瀬が哀れに思うほど、麻琴の目には日下しか見えていない。だからこそ久瀬の行動は純粋に自分を助けてくれていると思っている。


「どうせならこのまま利用すれば」


 しばらく考え込んでいた久瀬が口を開いた。


「久瀬?」


 久瀬の顔は無表情で何を考えてるのか読めない。


「その方があいつとも付き合いやすいんじゃないの?」

「そんなの嫌だ」


 麻琴が強く否定する。


「別に被害は受けてないからだいじょーぶ。お前は自分のことだけ考えてれば。協力するって言ったろ」


 久瀬は淡々と麻琴に言い聞かせた。


「く」

「この話はもう終わり。ほら、次の歴史の準備だろ。 クラス委員長」


 久瀬は自分の言い分を聞く気がないらしい。麻琴は静かにそれに従った。


「……行ってくる」


 下を向いたまま久瀬の横をすっと通り抜けて行った。

 麻琴が去って少しすると柚月が久瀬を小さくなじった。


「被害受けまくりでしょうが」

「は? なんのことだよ」


 会話をする気がないのだろう。ヘッドフォンを手にしている。構わず柚月は続ける。


「シラを切り通すなら私も付き合うけど。あんた一人が苦しい目に合っても麻琴は喜ばないわよ。あの()の性格知ってるでしょ?」


 ヘッドフォンを耳に掛けようとした久瀬の手を止めた。


「櫻井に約束したから」


 ――泣かないように協力するって。

 最後の言葉は聞こえるか聞こえないかのボリュームだった。久瀬を見返したが彼は柚月に気付かないようだった。


                   *


「その地図帳お願いします。部屋の隅に立て掛けてある。そう、それです」


 社会科準備室に来て早々麻琴は仕事を言いつけられた。

 日下に言われた地図帳を探して辺りを見回すと2メートル弱の巻物状の地図帳を見つけた。自分の身長以上のものを一人で抱えていけるだろうか。


「ちょっと大きいですがそんなに重いものではないし、一人でも大丈夫ですよね。いざとなったら久瀬くんに手伝ってもらってください」


 試しに地図帳を持ち上げると両手で持てばなんとかなりそうだった。ただ視界を遮られそうなことは確かだ。


「先生は手伝ってくれないんですか」

「僕が手伝ったらあなたに頼む意味がないでしょう?」


 少し日下に甘えてみただけなのだが、あっけなく却下される。事務的に作業を進める彼はいつものことだ。そう、こんなときも。


「そうでした。失礼します」


 地図帳を手に出ようとすると呼び止められた。


「櫻井さん」

「はい」


 〝やっぱり手伝います〟かなと期待を込めて振り向いた。

 日下の顔は笑っていなかった。淡い期待は嫌な予感に変わる。


「そのストラップしばらく外しておいてくださいね」


 スマートフォンにつけたお揃いのストラップはスカートのポケットからはみ出していた。


「どうしてですか」

「久瀬くんと噂になっているからです」


 なってるから? 


「先生っていつも一方的に押し付けますよね。ストラップは外します。失礼します」


 麻琴のいた場所に柑橘系の香りが残っていた。

 風が吹けばすぅっと消えてしまいそうな、かすかな香り。

 日下は自分の携帯電話についているストラップを外して机の引き出しに仕舞った。


                   


 廊下を歩いている麻琴の手元が急に軽くなった。

 気配を感じて振り返ると久瀬が地図帳を片手で軽々と持っている。


「一人で運べるよ」

「上はしっかり持ってたみたいだけど下引きずって、ほら、見てみろ」


 久瀬は隣に並ぶとひょいと地図帳を担ぎ上げる。麻琴が下にしていた部分、地図帳の左端はしっかり地面と密着している。幸い表面がビニール製だったので中身は破れずに済んだようだ。


「これじゃ運んでるって言わないだろ」

「ごめん。ちょっと持ち辛くて」


 麻琴たちのクラスまであと200メートルほど。二人で歩いていると誰もが好奇の目で見るのは相変わらず。


「外野のことはほっとけ」


 ざわざわとした休み時間。

 麻琴は周囲の喧騒に紛れるくらいの声で久瀬に言った。


「彼氏じゃなかったら人との約束破っていいの?」


 イラっとしたような空気が隣から流れてくる。麻琴も負けずに言い返す。


「久瀬くんにメリットないよ」


 教室に着くと久瀬は地図帳を教壇の右端に立て掛けた。


「メリットなくもないけど」

「メリットってなに?」


 昼休みの間に黒板に誰かが落書きしていたらしい。慌てて消した跡があるがそれをなぞるように白いチョークの粉が薄く広がっている。

 麻琴は二つの黒板消しを手に窓際へ行き、窓を開けた。

 両手にはめた黒板消しを手を合わせるように叩くと白いチョークが舞った。

 ちょうど向かい風が吹き、麻琴の顔を直撃する。

 顔を背けて咳いていると久瀬が来て黒板消しを奪われた。

 

「俺の自己満足だよ」


 久瀬は奪ったその黒板消しを窓の下の壁に叩きつけた。

 麻琴が上手く出来ないことをぶっきらぼうながらも手助けしてくれる彼。 

 邪険に扱うことが麻琴にはどうしてもできなかった。


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