26. われても末に 逢はんとぞ思ふ
――私のカッコ悪い恋バナ聞いてくれる?
そう柚月から電話が掛かってきたのは春休みのある日だった。
“どこで会う?”と聞けば“麻琴の家がいい”と言うので大急ぎで部屋を片付けた。
ピンポーン。
家の中へ迎え入れた柚月は笑いたいような情けないような複雑な顔をしていた。
“大谷に告白して想いが叶った。でも付き合うのは卒業後”
「え!? うそっ!」
話し終わってすぐに柚月は耳を塞いだ。だがその抵抗もむなしく叫び声は耳栓を突破した。
麻琴が口をパクパクさせる。
どこから驚いたらいいのか。そもそも柚月が大谷に想いを寄せていたことを知らない。
「あんたは絶対大声出すと思った。やっぱここに来て正解だったわ」
「だったら柚月の家でも良かったじゃん。そしたら部屋片付けることもなかったのに」
ごにょごにょとぼやく。
「私の部屋で大声叫ばれたら家中の迷惑どころかご近所迷惑よ。それに散らかりっぱなしの部屋が片付いたことに感謝なさい」
縋り付くような電話の声に驚いて慌てて準備をしたというのに。でも、これだけの憎まれ口を叩けるなら心配はなさそうだ。
「どうして現在進行形じゃないの?」
「いろいろ理由があってね。高校卒業したら教えてあげる」
「あと1年もある」
「正確には1年切ってるからすぐよ。すぐ」
麻琴が頬を膨らませて、柚月が苦笑する。
「一つだけ言うと、私を守るためなんだって」
「あ」
――早く卒業したいね。
あの言葉は柚月にも掛かっていた。
「そもそも先生の勝手な言い分だから反対したいのはやまやまなんだけどね。先生の立場や気持ちを考えたら何も言えなかった」
“今はこれだけで勘弁してね”と柚月に念押しされた。
しっくりこないが麻琴はそれ以上追求するのはやめた。
以前より少しだけ刺々しさのなくなった親友。それを見てその約束に付き合うことにした。
「これで麻琴も秘密の共有者ね」
そう言った柚月の顔は見たことのない女の子の顔だった。
*
「先生は知ってました? 柚月と大谷先生のこと」
4月になり3年生になった。担任はなんと日下だ。
久瀬と柚月は彼が手を回して担任になったのだと主張している。
この1年で日下のしたたかさを知った麻琴にはそうじゃないとはっきりと否定できなかった。
「静人から聞いてたわけではありませんが、なんとなくそうだと思ってましたよ」
「教えてくれてもいいのにー」
日下が担任になったことで接する機会が増えた。クラス委員としてこの社会科準備室にも来やすくなった。そうしてやっと話せる時間が増えたというのに、自分だけが取り残されていたようで寂しい。
そんな麻琴に日下は正論を返す。
「そもそも確定的でないあやふやなことにツッコミようがないでしょう?」
「そうですけど……」
納得できないと引かない麻琴。日下はパタンとノートパソコンを閉じた。
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」
突然のことに麻琴がきょとんとする。その表情がおかしくて日下が笑った。
「今は二つに別れている道ですが最後にはまた一つに合流するという意味です。あの二人なら別れていても障害を乗り越えて幸せになれますよ」
「そうですよね!」
途端に麻琴の顔がぱぁっと明るくなる。
「まぁ静人が離さないでしょうけど」
「え?」
日下が小さく呟いた声は麻琴には聞こえなかったようだ。
何か日下だけが知っていることがありそうなことは明白なのに、聞き返しても教えてくれないだろう。
麻琴は別の話題を振る。
「先生、歴史より古典の方が得意そう」
「元々は国語教師になりたかったんですよ。古典好きが転じて今は歴史の教師です。実際は地理も勉強しなくてはいけなかったのでそれが苦痛でしたが」
彼にも苦手なものがあるのだと知れて麻琴はなんとなく嬉しくなる。日下の完全無欠ではない部分がどんどん見えてきて楽しい。
「あ、だめだ」
「何がです?」
「先生が国語の教師だったら私がしゃべるだけですぐ『文法間違ってます』って嫌味言われそう」
「櫻井さんの僕に対するイメージがよーくわかりました」
何の裏もなく自分の正直な気持ちを言っただけ。なのに日下の顔は何故か引きつっている。
「ごめんなさい先生、言葉の綾です!」
麻琴はちゃっかり鞄を手に後退りをする。
「日本語は正しく使ってくださいね、櫻井さん」
「すいませんでした!」
麻琴に逃げられた日下は小さな溜息をついた。




