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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第2集 からくれないに しづく
25/40

25. 恋ひ恋ひて

「大谷先生」


 振り返ると深山が立っていた。怖い顔をして。


「柚月先輩のこともうこれ以上振り回さないでもらえますか」

「別に振り回してないよ」


 大谷が淡々と答えた。それが気に障ったらしい。深山が更に苛立つのが柚月にも見て取れた。


「先輩を代わりにしないでください」

「代わり?」


 大谷は相変わらず同じ調子で返事をする。


「詳しいことは知らないですけど先輩と賭けをしてるって聞きました」


 深山がちらりと柚月を見た。

 うしろめたいことをしたような気がして、柚月は大谷の顔が見られなくなった。


「俺には大谷先生が有利にしか見えない。そんな賭けってフェアじゃないでしょ? 先生の自己満足じゃないですか」

「そうかもね」


 深山が鼻の先で笑った。


「自分でわかってんなら中途半端に先輩のこと振り回すの、もうやめてください」


 大谷は黙ったままだ。


「自分の為に先輩を利用しようとしてんなら、頼むんで彼女の世界からいなくなってください」


 深山の言う通りだから何も言うことがないのか。違うなら違うとはっきりと否定して欲しい。

 大谷は何も答えない。


「先生にとって私はなんですか?」

「オレにとっての委員長は委員長でしかないよ」


 嫌な予感は当たった。

 先生が彼女を忘れたかったのか悲しい記憶を上書きしたかったのか柚月にはもう知る権利もない。言葉では良いように言っていても中身は他の大人と一緒だ。


「わたし、紅茶が嫌いになりそうです」


 そう、と大谷が続けた。


「仕事以外の頼み事はもうしないから」


 それだけ言い置いて大谷が背を向けた。そのまま車へ向かう大谷を見ながら深山が柚月に謝った。


「口出してすみません」

「いいよ。私も言いたかったことだったから」

「でも、紅茶は嫌いにならないでくださいね」


 深山の言葉に柚月はすぐに“うん”と言えなかった。


 *


 ウォークラリーイベントの1位の景品は巨大アトラクションが立ち並ぶ遊園地のペアチケット3枚。

 チームは恋人同士3組で構成されたものやチャンスを窺っていた男子や女子が目当ての相手を誘ってチームを作ったところが多かったようだ。

 見事1位になったチームは翌日からしばらくの間、学校中の羨望の的になった。


「いいなぁ。私も行きたいディズニーシー」

「この時期、風を遮るものがなくて行ったら地獄よ」

「じゃあなんで景品それにしたの」

「単純に盛り上げるため」

「バレンタインムードを利用したんだと思ってた」


 そう言えば景品の案を出したのは深山だった。こうなることをわかっていたからゴリ押しをしたのだろう。

 予算のことを考えれば無理だと突っぱねる生徒会に最後まで食って掛かっていたのは彼だった。


「景品なんてなくても行けばいいじゃない、二人で」


 ずっと様子のおかしかった麻琴。冬休みが明けてから元気になっていた。

 どうやら日下と仲直りをしたようだ。


「人が多いところには行けないよ」

「あんな人の多い場所で見つからないって。砂漠でごま探すのと一緒」

「何そのたとえ」


 麻琴がクスクスと笑う。


「でも私たちが気づいていなくても誰かに見つかっていたら? 私たちに言わずに先に噂だけが広まったら? 私たちがどんなに否定してもだめな気がする」


 麻琴がとても哀しそうに傷ついた顔をした。

 一番近くて、でも一番遠い不思議な存在。やっと手が届いてもその幸せを守るために我慢しなければいけないものの方がずっとずっと多い。

 麻琴に協力すると言ったが柚月も本質的にはどうしたらいいのかわからない。――大谷の話を聞いてしまうと余計に。


「……早く卒業したいね」

 麻琴がコクンと小さく頷いた。


 *


 イベントが終わっても後処理のための仕事はたくさんあった。

 保健室当番をしながら生徒会とも打ち合わせ。

 当番のシフトは元に戻したが忙しさはさほど変わり映えしなかった。


「ね、先輩。来年はもっとイベント増やしません? もちろん生徒会の皆さんに教えを請いながら」

「そんなこと言ってもクラスが変わったら、また保健委員会に来るかわかんないでしょ」

「俺、来年も保健委員会に入りますよ。だから柚月先輩も一緒にやりましょうよ」

「保健委員会忙しいからな。来年は受験だしどうなるかわからない」

「ああ、そっか。先輩は一つ上なんでしたね」


 ふと口にしてしまったのか深山が慌てて目を反らした。


「え、それどういう意味? 先輩って思わずに先輩って言ってたの?」


 不自然な振る舞いに柚月がかみつく。


「いや、思ってます思ってます。心の底から思ってます」


 両手を前に出して早口でまくしたてる。それが不自然さに輪をかける。


「目が嘘ついてる」


 未だ目の合わない後輩の目を追い掛けてじっと見つめる。

 深山は尚も目を反らそうとした。が、しつこい追求に耐えられなくなり、白旗を挙げた。


「すいません、ほんとは年上に思えません」

「子どもっぽいと? これでも頼れるってよく言われるんだけどなー」


 むくれる先輩に笑いを堪らえつつ、理由を話し始めた。


「頼れるのと子どもっぽいは違います。俺は子どもっぽいって悪い意味じゃないと思いますよ。先輩見てると。純粋な気持ちを持つ人はいつまでも子どもですよ」


 深山の言い分は理解できる。言葉のニュアンスから褒められているのだともわかる。それでも釈然としないものがあった。


「なんか上手くはぐらかされた気がする」

「そのままはぐらかされといてくれると助かります」


 バンと深山の腕を思い切り叩いた。深山は叩かれた腕をさすりながら急に真面目な顔をする。


「だから先輩。頑張ったこと諦めないでくださいね」


 にこっと笑った深山の表情に少し違和感を覚えた。

 彼の言った言葉の意味が飲み込めないまま仕事を続けた。一段落したところで保健室の戸が開いた。


「今日はもう帰っていいよ。二人ともお疲れ様」

「はい」


 大谷の呼び掛けに柚月と深山が同時に返事をした。柚月は広げたイベント資料をまとめファイルに入れる。深山は救急箱と日報を棚に収めて鍵を掛けた。

 深山が鍵を大谷に預けると鞄を手に入口へ向かった。柚月もすぐに後を追う。


「あ、委員長。来年のことで話があるからちょっと残って。深山おつかれ」


 深山が口を開きかけて何も言えずまた閉じた。そして柚月をちらりと見ると“失礼します”と出ていった。

 急に二人きりにされ、部屋に沈黙が流れた。

 一向に用件を言わない大谷にしびれを切らした。


「なんの御用でしょうか」


 大谷は黙って流しへ向かい、電気ポットに水を入れ始めた。


「先生。用がないなら帰ります」


 キュ。

 蛇口を閉めると電気ポットを台にセットしてスイッチを押す。すぐにゴーという水を沸かす音が聞こえてきた。


「紅茶淹れて」

「は!?」


 驚き呆れた。


「こないだ頼んだじゃん」


 空気を察するのが仕事だろうに目の前の養護教諭は飄々と答える。


「保健委員の仕事以外のことはもう頼まないんじゃなかったんですか」


 紅茶を淹れることが今の自分にとってどれだけ不愉快なことか。

 大谷の傍の湧いたお湯を掛けてやりたいという恐ろしい衝動がなかなか引っ込まない。


「じゃあ、来年も保健委員長やって」


 返事をしない柚月に大谷が更に提案をした。棚から出したカップをコトンとテーブルに置く。


「先生が何を考えてるのかわかりません」

「ああ、そっか。そう言えばまだ伝えてなかったんだった」


 わけのわからないことの上にもっとわからないことを積まれた。

 大谷が柚月をまじまじと見つめる。


「オレ、委員長のこと好きだよ」


 つぅっと涙が一筋、柚月の頬を流れた。


「冗談でもそんな言葉口に出さないでください。失礼します」

「待って」


 すぐにグッと腕を掴まれて動こうにも動けない。腕を振り払おうとするのに大谷の手がそれを阻む。


「冗談じゃないよ」


 大谷にはこれまで散々振り回されてきた。彼の思惑通りに動く自分はさぞおかしかったことだろう。

 もうこれ以上言いなりになんてなるもんか。


「信じられません」

「泣いてるのに?」


 掴んだ腕はそのままに柚月の頬に手を当てる。

 その手はパシッと小気味いい音を立てて落とされる。


「びっくりしただけです」


 顔に手が触れると意識したくなくても意識してしまう。やり過ぎたかと思ったが悪いとは思わなかった。


「オレさ、とっくに彼女の紅茶の味なんて忘れてたよ」

「え?」


 それまで反発していた力がふっと抜けた。その隙を狙って大谷がぐっと引き寄せると柚月を自分の目の前の椅子に座らせた。

 逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。

 でも言葉の先が気になって柚月はそのまま鞄を机の上に置いた。落ち着いた柚月を見て大谷が話を続ける。


「思いって一方的に終わると行き場がなくなっちゃうんだよね。オレがこの仕事続けてるのも彼女と繋がってる気がするからかも知れない。でも紅茶の味は委員長のを飲んでるうちにわかんなくなってきた」

「ならどうして」


 ――あんなこと言ったんですか。

 続く言葉は声にならなかった。


「文化祭のときに委員長の紅茶飲んであれ? って思った。そう言えば彼女の淹れてくれたお茶の味ってどんなだったっけ? って」


 バンッ。

 柚月が机に手を叩きつけた。じんじんと手のひらが熱い。

 それでも気にせず机を叩き続けた。


「なにそれ。なにそれなにそれなにそれ! 私本気で頑張ったのに!」


 大谷は尚も不愉快なことを続ける。


「紅茶を淹れるのが上手な委員長なら俺が好きになる味出せるかなって思ったのと、どっかで匙投げて諦めてくんねぇかなって希望」


 柚月は叩いていた手を止めた。


「ずっる……!」

「うん、ズルいよ。強くないもん。強くないから駆け引きしたり小狡い手を使ったりするの。それが嫌ならもうやめる?」


 柚月を見つめる大谷を睨み返した。


「やめない」


 大谷がかすかに微笑んだ。


「賭けはオレの負けね」

「え?」


 そもそも成立していたかどうかもあやふやなもの。まだ続いていたのか。

 大谷が柚月の隣にゆっくり座って頬杖をついた。


「委員長のこと好きになったから」


 柚月を見つめる表情はすごくすごく甘い。

 それでも確認せずにはいられない。


「私でいいんですか?」

「お前がいいんじゃない?」


 大谷は優しく笑うと柚月に近づいた。ギュッと目をつぶるとフフッと笑い声が聞こえた。

 少し間が空いておでこに柔らかいものが当たる。片目を開けると意地悪そうな顔が見えた。


「ちゃんとしたのはまた今度ね」


 やっぱり大人はズルい。


「まだ付き合えないから」


 自分をからかうためだと思ったおでこへのキス。その行為の意味はすぐに反転した。

 呆れると同時に柚月の何かが切れた。


「上げておいて落とすわけですか。すごいですね、先生。感心します。それともまだ彼女が忘れられませんか?」

「柚月。お願いだから聞いて」


 初めて名前を呼ばれた驚きよりも、苛立ちが先に来て立ち上がる柚月。大谷に先手を打たれて強い力で両腕を押さえられる。


「意味が、わからないんですけど」

「柚月を失いたくないのよ」


 自分は彼女のようにいなくなるつもりなどこれっぽっちもない。

 大谷も柚月の言わんとすることはわかったようだ。軽く頷く。


「彼女のように突然いなくなるようなことがなくても。どうしてもオレにはリスクを犯してまで一緒にいる理由がわからない。このまま続けて壊れるくらいなら」


 ――このまま付き合うのは最善じゃない。

 次々と目元に溜まってくる涙。流したら終わりだと必死にせきとめようと試みた。でも感情に逆らうのはもはや無駄で。あとからあとから溢れてくる。


「柚月が卒業するまで」

「え?」

「卒業するまではこのまま。でもそれまで何の接点もないのが嫌だから委員長としてオレの傍にいて欲しい」


 自分勝手だ。

 惚れた弱みに浸け込んでとんでもないことを言う。


「どんなことがあっても守る覚悟はある。でも1度噂が広がると傷つくのは柚月だから。それで失うのが怖いくらいにはお前が好きなの」


 突然息が苦しくなって、耳元で声がした。


「卒業したら手加減しないから覚えとけよ」

「覚悟しておきます」


 大谷の背中に腕を回してギュっと抱き締めた。

 もう少しだけなら振り回されてやってもいい。この人になら。


 “麻琴に話してもいいですか”と大谷に尋ねると“いいよ”と顔をクシャッとさせた。 


 “恋ひ恋ひて あへる時だに愛しき事つくしては 長くと思はば”


 好きだと思っててもなかなか会えない。会える時くらいは好きだよくらいは言ってくださいね。

 この恋を長く続けたいと思ってくれているなら。


 第2集 からくれないに しづく 終わり

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[読んだよ!(web拍手)]  良かったらぽちっと。
― 新着の感想 ―
ここまで読ませていただきました! タイトルどおりに密かな恋模様がさやかに綴られる青春ダイアリー的な雰囲気にキュンキュンして読ませていただきました。 教師と恋愛をするヒロイン二人のお話ですが、禁断の関係…
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