23. ゆくへも知らぬ
「細かい役割も決まったことだし、各自準備に取り掛かってね」
「終業式前の委員会で進捗状況確認するからな。年明けてまだ時間あると思って油断してたら失敗するぞ」
期末テスト後の保健委員会はイベントの詳細な役割決めとやることリストの作成で閉会した。
柚月と佐渡。二人とも委員長、副委員長としての自信が湧いてきたのか様になってきた。もう肩書きだけの存在ではない。
割り振られた仕事は滞りなく進み、終業式を迎えた。
*
実際のウォークラリーのコースの確認は時間の取りやすい冬休みに試すことにした。
開催を予定しているのは学校から歩いて15分の運動公園。
ウォークラリーは景観を楽しみながら歩くことを目的とし、自然の多い郊外で行われることが多い。しかし準備に割ける時間と安全面を第一に考え、そこに決めた。
公園内にあるウォーキングコースのゴール目安時間はミッションをクリアしながら約1時間30分。生徒会と合わせて参加主要メンバーは12名。2名ずつのペアに分かれ、5分置きでスタートの間隔をあけることにした。
ここで確認することはスタートからゴールまでの総時間、総歩数。あわせて危険な場所はないか。
「ウォーキングコースがあるのは知ってたけど来たことなかった」
「俺もです」
くじ引きで決まった柚月の相手は深山だ。
大谷に指摘された歩数計はスマートフォンに無料のアプリを入れることで解決した。個人ではなくチーム参加イベントなので得点もチームごとの計算。誰か1台スマートフォンを持っていれば事足りる。
「問題を解きながらとは言え、全部で1時間半となるとそこそこの距離ですよね」
深山が歩数計アプリを見ながら予想をつける。
年末近くなり冷えが一段と強くなった気がする。
――開催時期の2月は更に寒いんだろうな。
考えるだけで寒気がして、柚月は両腕で抱きしめるようにして身を縮めた。
「そう言えばどうして急にイベントしようなんて言い出したの?」
「前に言ったじゃないですか」
「ちゃんとした理由が聞きたいの」
「真面目に答えたのに。きっかけはつまらなかったからです」
仕事に新鮮味がない、と深山は以前言っていた。
「ただでさえ店の修行で忙しいっていうのになんでこんな面倒なことしなきゃいけないってずっと思ってました」
深山はスマートフォンをコートのポケットに入れると柚月の持つストップウォッチの時間をちらりと見た。数字は“15:05:48”を示している。
「誰もが仕事はするけど全然楽しくない。どうせ同じ仕事なら楽しくやりたいでしょ?」
「文化祭の時のメイド喫茶のお手伝いも楽しそうにしてたね」
「あれは……まぁ自分の得意なことで先輩のお役に立てるならと思って」
柚月が思い出し笑いをすると、深山が横を向いて、決まりが悪そうにぶつぶつ言った。
「先輩、最近紅茶淹れてくれなくなりましたね」
深山が寂しそうな表情をする。
「保健室当番のときも暇さえあればイベントの準備って感じだからね」
やることは本当に多かった。柚月たちがイベントを一から作ることに慣れていないというのもある。生徒会のアドバイスを受けながらでもきびきびと動けないのはもどかしくて仕方がなかった。
「それでも休憩するときはいつも淹れてくれたじゃないですか。何よりも小薗先輩の最優先事項だと思ってましたけど俺」
「この橋腐ってる」
不自然なかわし方だと思う。だけど深山に追求されると嘘も言えない。
知ってか知らずか彼も柚月の視線を追い掛けた。
「ほんとだ。別のコースにするか橋に代わるものを用意した方がいいかもしれませんね。あー無理か? って何してんすか先輩」
小さな川に架かったそれが崩れそうなのは誰の目にも明らかだった。その腐りかけた木製の橋に柚月が片足を乗せた。
「いや、ほんとにこれ渡れないのかなーと思って……っ」
すかさず柚月の手をつかんで引き寄せる。柚月は尻もちをついたがバランスを崩しただけでケガはないようだ。
一瞬の沈黙の後、怒号が降ってきた。
「何やってるんですか! 少しは考えてください!」
「ごめん」
すぐに返ってきた柚月の声に無事がわかると、深山はぐったりうなだれた。掴んだ柚月の手に力を込めた。
「先輩、目の前で危ないことしないでください。俺の心臓マジでもたないから……」
掴まれた手の力強さから深山の気持ちが痛いほど伝わった。
自分ばかりが傷ついていると思ったらエゴだ。世界はちゃんと機能していて自分もちゃんと組み込まれている。
深山の手に自分のそれを重ねて、ポンポンとゆっくりと二回叩いた。
「深山、ごめん」
「先輩は俺がどれだけ先輩のこと気に掛けてるかわかってないです」
柚月がそっと深山の腕を外した。
「深山、」
「先輩。俺ならこうやって手を差し出して助けてあげられるよ」
「……深山のこと大切だと思ってるよ。でも私は助けられるよりも自分で立ちたいの」
「無理した結果がこれでしょ」
柚月の足元に点々と雫が落ちた。
深山が柚月の手を離した。そして手のひらを返してもう1度手を伸ばす。困ったような顔で。
手のひらをじっと眺めてから深山に視線を移すと早く手を取れと深山が無言の催促をした。
柚月は手のひらに指先を乗せると崩れた橋をまたぐのを待ってから深山が歩き出した。
「さっきの答えはまた今度聞きます。ほら、まだコースが残ってます。この分じゃ後ろの班に追い付かれます。行きましょう」
チェックシートと地図を片手にコースをひたすら歩いて30分。しばらく無言だった柚月が口を開く。
「大谷先生にはね、振られてるんだ」
「え?」
「好きな人がね、いるんだって。先生の好きな紅茶の味ってのもその人が淹れた味。思わせぶりなことしておいて馬鹿にしてるよね」
柚月がぷりぷり怒ったかと思うとすっと無表情になった。
「なのにまだ好き」
深山は静かに柚月の言葉を待っている。
「私今まで恋愛しても告白したことなんてなかった。先生が初めて。こんな気の強い女なんか好きになる人なんかいないって思って諦めてたから。深山は物好きだよね」
「ぷはっ」
「そこ笑うところじゃないでしょ?」
もう、といじける柚月を深山が微笑んでじっと見つめるので顔を見て話せなくなった。
「適当に入った委員会で勝手に委員長にされてなんなのこいつ! って思ったけど先生は私を本気で馬鹿にすることは絶対になかった。むしろ自分を卑下する私を貶めるなって。そんな先生だから好きになった。もう、どうやって諦めたらいいんだろうね」
そこまで話すと柚月は深く息を吐く。
「俺も小薗先輩のこと、すぐには諦められない。だから気持ちはわかりますよ。なのに時々無性に突っ走りたくなるのは俺が何したって大谷先生に敵うことがないんじゃないかって怖いから」
日頃から意気揚々と立ち回る彼に不安なんてないのだと思っていた。
イベントのことにしたって先頭に立って動く彼から前へ動く強さをもらっていたのだ。
「もし深山が本当にそう思ってるなら大谷先生のことみくびってることになるよ」
深山がきょとんと柚月を見た。
「大谷先生の鼻を明かしてやろうって佐渡くんに言ったのあれ、深山の本音でしょ? 今度のイベントの企画にGOサインを出したのも大谷先生が深山のことを買ってるからだよ」
深山がふーっと溜息をついた。
「小薗先輩には負けますね」
そして戸惑いと優しさが混じったような表情で微笑む。
「このイベント絶対成功させますからね。そのときはデートしてくださいよ、柚月先輩」
名前を呼ばれた驚きと恥ずかしさが同時に込み上げてきて叫んでそれをごまかすしかなかった。
「ちょっとさっき言ったことわかってるの?」
「目の前に人参ぶら下げとくくらい、いいじゃないですか」
コースの下見が終わり、全員がゴール地点に集合した。
集めたチェックシートを見ると柚月たち以外のペアはチェック項目はもちろん、気になった点を事細かに記していた。
柚月たちは時間と歩数チェック項目は検認できていたものの、チェックシートにはあの橋の事以外書かれていない。
仮にも委員長と企画発案者だぞと二人して佐渡からお小言を食らう羽目になった。
*
2月13日ウォークラリー当日。参加者たちの集合時間の30分前。
スタート地点から離れた見回り用の車両の待機場所でイベントスタッフは最後の打ち合わせをしていた。
真っ白な息があちこちで見える。
「ここまでしっかり準備してきたんだから絶対大丈夫。自信を持って」
「自信を持ち過ぎると油断が生まれてミスするけどな」
ウォークラリーに必要な物品とコースの最終確認を終えた後。スタッフを活気づけるための掛け声に大谷が横から茶々を入れる。
「モチベ上げようとしてるのに横から水を差さないでください」
「へーへーそりゃ悪うございました」
悪びれるどころか開き直った大谷をよそに柚月たちは円陣を組んだ。
「準備はいーい?」
柚月がみんなの顔をぐるっと見回す。その声を合図に佐渡が後を追う。
「みんなで成功させるぞ」
勢い良く前に出した佐渡の右手に次々と手が置かれる。
「おー!」
一斉の雄叫びとともに無数の手が空を仰いだ。




