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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第2集 からくれないに しづく
20/40

20. くだけてものを 思ふころかな

 好きになりたくてなったわけじゃない。


「先生、お茶入りました」

「ありがと」


 紅茶を淹れても大谷は口にしない。自分で淹れたコーヒーを飲む。それでも紅茶を淹れ続けた。

 後ろめたい理由のせいで、当番でない日は保健室に行くのが気が引けてすぐに下校した。

 家で淹れたお茶をマグボトルに入れて持ってこようとも思った。けれど保温性の高い鉄製ボトルでは紅茶が酸化して味が渋くなってしまう。

 大谷が好きな味は“彼女が保健室で淹れた”紅茶なのだ。それならなるべく近い条件で淹れなくては意味がない。

 大谷に聞けばきっと答えてはくれるだろう。でも聞きたくない。自分と関係ない思い出を聞くのはきっと耐えられない。


                   *


 毎日家に帰ると、着替えもそこそこに柚月はキッチンにこもる。

 電気ポットに水を入れ、スイッチを押す。待っている間にカップ2つとティーポットを机に並べる。

 淹れたお茶が冷めないよう、お湯が沸いたらティーポットとカップに入れて温める。温まったら一度お湯を捨てティーポットに二人分の茶葉を掬い入れ、お湯を注ぎ入れる。お湯は茶葉が対流で上下によく動くくらい勢い良く。すぐに蓋をして3分蒸らす。

 おまじないのようにポットの中をスプーンで軽く一度だけかきまぜたら濃さが均一になるようにカップへ少しずつ交互に注ぐ。最後の一滴、ベストドロップまでゆっくりと。

 自分だけの味見なのにカップを2つ用意したのは大谷と飲むことを想定してのことだ。

 手順は大谷に教えたことと何も変わらない。

 ――先生、何やってるんですか?

 ――効率的に紅茶を淹れてる。

 彼は右手にポット左手に茶こしを持ちそのままカップへ注ぐという荒技(良く言えば効率的な方法)をやってのけていた。

 ――それじゃ茶葉がジャンピングしないじゃないですか。

 ――それで何か変わるの?

 ――当たり前です!

 ――いいじゃん、お茶が飲めるなら。

 その様子を思い出してふふっと笑いが込み上げた。その笑いはそのまま寂しい笑いへと変わっていく。

 自分は何をやっているのだろう。

 ここまでやって“その味”を出せたとして。その先にある結末はただ大谷の彼女への気持ちを再確認するだけなのではないか。

 ポタッ。

 テーブルについていた手に何か落ちた。透明な小さな雫。


 それはどんどん大きくなって手から零れあふれて床に落ちた。


“風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな”


 どんなに大きな波でも岩に当たればすぐに砕け散ってく。一方的なこの気持ちは先生には絶対に届かない。


「深山の言う通り、意味あるのかな……」


                   *


 保健室に入るとお湯を沸かすのが最近の日課になった。

 仕事が始まる30分前には保健室へ来て紅茶を淹れる。大谷は用事が校内なら鍵をかけずに出ていく。当番の保健委員が来る頃には戻ってくるが、それまで誰もいない。

 たまにケガ人が押し寄せてくることもある。大谷には何度も早めに保健室へ戻ってきてほしいと注意しているのだが大谷は自分のルーティンを変えることはなかった。


 ガラッ。

 ちょうど紅茶が入ったところで深山が到着した。


「ラッキー。それもらっていいですか?」


 柚月の持つカップの1つを指差した。


「いいよ」


 ちゃっかりとテーブルについた彼の前にカップを置いた。


「美味しいです。先輩のおかげで俺、ここ以外で紅茶飲めなくなっちゃったんですよ?」

「おおげさ」


 柚月が笑う。


「俺、店に行ったらコーヒーよりも圧倒的に紅茶頼む方が多くなりました。ミルクを入れることもありますけどだいたいストレートで」

「へぇ、ほんとに好きなんだね」


 柚月も何も入れない紅茶が好きだ。紅茶の香りが一番わかるから。

 内蓋を沈めるタイプのティーポットは茶葉を取り出すことができないため二杯目の紅茶は渋くなってしまう。そのときはミルクを入れて飲んでいた。


「先輩ほどじゃないですけど、先輩がこだわって紅茶を淹れてるのは知ってますよ」

「そう言ってもらえると淹れ甲斐がある」

「大谷先生、飲んでませんよね? 最近」


 柚月は静かにカップを傾けて紅茶を口に入れた。


「そこまでして、何か意味があるんですか?」

「わかんない」

 柚月はカップに視線を落としたまま答える。

 ポタッ。白い机の上に小さな水のレンズができた。こうなるから練習は家でやっていたのだ。


「俺、ずっと考えてたんですけど」


 深山が机の端にあったティッシュの箱を柚月の前にそっと置いた。


「イベントやりませんか? 保健委員会と生徒会主催で」


 ズズッ。静かに鼻をかむつもりが驚いて気が削がれた。

 深山が必死に笑いをこらえながら続きを話し始めた。


「こないだ輪転機借りるときに生徒会室に行ったら役員の人たちがぼやいてたんですよ。自治性ってなんだろうって。基本的に生徒の自主性に任せてはもらえるけど多くの制約がついてくる。やりがいがないって」


 鼻が詰まって声が出せなかったので顔だけ深山に向けた。


「俺らの仕事も外に向かって発信するものって今は保健だよりだけでしょ? それだって今はパッとしない。あとは受け身の仕事ばかり。単なる流れ作業で新鮮味がないんですよね」


 あまりにも多い仕事量を毎日減らすことしか柚月は考えたことがなかった。


「で、考えたのがウォークラリーです」


 何故そういう結論に至るのかがわからなくて深山をじっと見た。けれど深山は得意げに語り始めた。


「まず第一関門は生徒主体でやるイベントをいかに学校側からの許可をもらうか。それには説得力があればいいんですよ、イベントをやることに対してのね」

「ああ、目的と成果の明確化?」


 楽しそうに話す深山を見ていたら落ち込んでいた気持ちはどっかに飛んでいた。


「そうです。さすが保健委員会委員長」


 何かを企むようににやりと深山が笑った。


「大谷先生にも……ってだめか」

「あくまで俺ら主催、ですからね」


 深山が残っていた紅茶を飲み干した。


「活動時間の延長許可は生徒会から下りてます。さ、委員長何から始めますか?」


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