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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第1集 香 ほのめく
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2. ものや思ふと

「失礼しまーす」


 ノックもなしに不躾(ぶしつけ)に社会科準備室の戸が開いた。

 テスト期間以外の来訪は麻琴以外めったにいない。

 日下はパソコンの画面から入口の方へ視線を移した。


「珍しいですね。いつも僕の授業は睡眠時間に()てている久瀬圭吾くん」

「そっちこそ、授業の時と違ってずいぶん嫌味な言い方するんですね日下先生」


 後ろ手で扉を閉めながら久瀬が挑戦的な視線をこちらに送ってくる。


「事実ですからね」

「生徒のやる気をそぎますよ」


 一応敬語を使ってはいるが、語気の中には敬う気持ちなど込められていないのはわかる。最初から。

 日下は仕事の手を止め、くるりと椅子を反転させた。


「ここへ勉強を聞きに来たわけじゃないでしょう? で、何の用ですか?」

「櫻井麻琴のこと」


 意識してしまう単語が出てきて驚いたが、日下は言葉を選んで話を続けた。


「……櫻井さんがどうかしましたか?」

「鉄仮面みたいな先生も櫻井のこととなると顔色変わるんですね」


 楽しそうに久瀬が日下の様子を窺う。


「用がないなら早く教室へ戻りなさい。そろそろ5時限目が始まりますよ」


 そう言って日下は窓際へ移動した。

 コーヒーメーカーからカップに注ぎ、溢れないように机に置く。少し入れ過ぎたようで、カップの中のコーヒーが波打っていた。

 久瀬は苦手なタイプの生徒だ。どこか自分と似ていて。


「俺知ってるんです。先生と櫻井のこと。付き合ってるんですよね?」


 日下がゆっくりと声のする方へ振り向く。そこには、確認というより絶対の自信を持つ眼差しの久瀬がいた。


「嘘をついたところで騙されてくれなさそうですね、その目は」


 溜まっていた息を吐いて日下が言葉を繋げる。


「彼女から聞いたんですか?」


 麻琴の話した相手が彼だとは意外だった。

 てっきりいつも一緒にいる小薗柚月(こぞのゆづき)に話すのだと思っていた。


「まぁ」


 歯切れの悪い返事に日下は少し疑問を持った。さっきまでの自信とは違う。

 彼に何か思惑があるとしても、高校生に負けるほど無駄に年を取ってはいない。


「で、何か?」


 有無を言わせない空気に久瀬が一瞬(ひる)んだのがわかった。

 しかしすぐに日下を睨みつけるように言った。


「それだけです。本当かどうか確認したかっただけなんで。失礼しました」


 久瀬は想像よりもあっさり部屋を出ていった。

 彼が出て行った後も机の上のコーヒーは減ることなく冷めていった。


 *


「やっぱり顔色悪い。保健室行くわよ」


 昼休み。しびれを切らしたように柚月が言った。

 大丈夫と抵抗しても柚月は麻琴の言葉を聞かない。渋々麻琴は保健室に連れて来られた。


「失礼します。大谷先生いますか?」


 柚月に名前を呼ばれた人物は椅子に座ったままクルッと半回転させた。

 英語が書かれたオレンジ色のTシャツに白衣を引っ掛けた養護教諭。 

 麻琴は柚月にすぐ近くの椅子に座るように促される。座ると一気に体が重くなった。


「保健委員長どしたの?」


 かなりラフな格好の上に白衣をまとった男性。

 何度か会ってはいるが、養護教諭らしくない軽さが麻琴にいくらか不安を抱かせる。


「わざわざ肩書で呼ばなくていいです。彼女が体調悪いようなので、ベッドで休ませてもらってもいいですか?」

「いいよ」


 大谷が麻琴に近付き額に手を当てる。その手はひんやりして少し安心できた。

 ――手の冷たい人は優しいってほんとなのかな。

 そんなことをぼんやり考えた。


「熱はないみたいだね。委員長、彼女の代わりに来訪者ノート書いといて」


 既に柚月は大谷の机に置かれたノートを開き、記入している。


「さすが仕事の早いこと。えっと……櫻井さん? 大丈夫? 1人で歩ける?」


 大谷はノートで名前を確認しながら麻琴に容態を確認する。


「大丈夫です」


 少しふらつくがベッドまで距離もないことだし、問題ないだろう。麻琴はそう判断して答えた。


「じゃあ大谷先生よろしくお願いしますね。あとで様子見に来るね」


 手を振る柚月に麻琴も弱々しく手を振り返した。


「ベッドはそのカーテンの向こうだから奥のベッド使うと良いよ。その方が気が楽でしょ」


 麻琴はフラフラと立ち上がり、大谷の示したベッドまで移動する。

 一度力の抜けてしまった体は重い。バランスの取りづらい体を支えながらベッドまで辿(たど)り着くとカーテンを閉める。そして上履きを脱いでベッドに体を投げ出した。

 落ち着くと少し開いた窓の隙間から生徒たちの声とボールを蹴る音が聞こえてきた。どこかのクラスが体育の授業中だろうか。

 聞こえてくる音をBGMにうつらうつらと意識を手放した。


 *


 静かに保健室の戸が開く音がする。


「どした?」


 大谷が振り向かずに入口へ声を飛ばす。


「櫻井麻琴が保健室で休んでいると聞いたので」


 声も音も小さく日下が答える。


「受け持ちの生徒?」

「ええまぁ」


 曖昧な返事に反応しない大谷に日下は少しホッとした。


「今向こうで寝てる。寝不足だったみたいね」

「そうですか」


 それまで張っていた気が一気に抜けて椅子に座り込む。パイプ椅子がギシッと軋んだ。


「お前さ、なんでそんなに疲れてんの」


 反応しなくてもいいところに反応する。相変わらず面倒な奴だ。

 大谷静人(おおたにしずと)は昔からこういう男だった。

 臨床心理士の資格を持つ彼は、昔から人間観察に長けていた。全部見透かされているのではないかと、日下はたまに思うことがある。


「いいじゃないですか。保健室だし」

「悪いとは言ってないよ。鬱陶しいだけ」


 日報を書き終えた大谷が日下に向き直った。


「変わってませんよね、学生の頃から」


 思わず声が高くなった日下を大谷が人差し指を唇に軽く当てた。

 日下はカーテンの閉まっている空間に視線をやり、


「学生の頃からほんといい性格してますね」


 とひっそり毒づいた。


「お前のその二面性もな」


 それと同じようなことをつい最近も言われたと思い出し、日下は更にうなだれた。


「で、何があったの」


 少し離れた自席で足を組む大谷。

 疑問を投げられた当事者は返事をしなかった。


「黙っててもどうせわかるんだからさっさと白状しちゃいな」


 嫌な予感は見事に的中し、日下は観念して言い辛そうに言葉を紡ぎ始める。


「付き合ってる人がいます」

「へ~。俺の知ってるヤツ?」


 大谷の返事はまだ普通だ。単なる興味があるだけの顔。


「まぁ、知っていると言えば知ってるでしょうね」

「大学時代の同級生?」


 はっきりしない日下を横目に大谷が少し間を空けて答えた。

 日下が首を振る。


「職場恋愛か? あ、佐藤先生? 涼しい顔してやーるー」


 大谷が職員の間でアイドル的存在の女性教諭を引き合いに出しながら単調な声で冷やかした。

 しかし日下は黙ったまま、まったく反応しない。


「……一人で喋ってる俺がバカみたいじゃん。はよ、話せ」


 意を決して日下が口を開いた。


「2年6組の櫻井麻琴です」

「…………ごめん、聞こえなかった。モッカイ言って?」


 予想通りの反応だ。日下は更に肯定の言葉を続ける。


「だからそこのベッドで眠っている櫻井麻琴という生徒です」


 口に出してから自分の顔が熱くなっていることに気付く。大谷にもわかるぐらいに赤いのだろう。


「……やーるー」


 言葉の雰囲気とは反対に抑揚のない返事。大谷の目は冷ややかだ。


「他に言うことないんですか」


 いっそ茶化してくれた方が楽だと大谷を(あお)った。けれどすぐに思いがけない返事が返ってきた。


「いいんじゃねぇの」


 にやりと笑う大谷を日下が驚いた様子で見つめた。

 大谷は視線を日下から日下の背後に移す。


「あのコでしょ、毎日社会科準備室に来てた生徒」


 大谷が奥のベッドへ顎をしゃくった。


「そう、です」


 日下が顔を背けて眼鏡のブリッジを抑える。


「いろいろ問題があるのはひとまず置いといて。お前に好きな人が出来たっていうのは喜ばしいことでしょ。応援するよ」


 いつになく真剣な言葉を臆面もなく言う大谷に日下が苦笑する。軽蔑されるのではないかという不安はどこかへ消えていた。


「それなら別に落ち込むことないんじゃねぇの?」

「……ちょっと面倒なことになりそうで」

「へぇ。なになに」


 大谷が興味深そうに身を乗り出してくる。口元には何かを企むような笑みを浮かべて。


「一番気乗りしている返答なのは気のせいですか」

「気のせーだ」


 大谷が席を立ち、流し台へ向かった。

 あからさまな誤魔化しだが日下は気にせず話を続けた。


「僕たちが付き合うことで一番辛い思いをするのは彼女です。だから、一人だけなら僕たちのことを話して誰か頼れる相手ができたらいいと。その相手が男子生徒でした」

「で、落ち込んでんの。ざまーみろ」


 大谷が電気ポットに水をセットし、スイッチを押した。


「相談に乗る気ありませんよね?」


 平然と言う大谷に日下が非難する。


「いーから続けて」


 まーまーと両手を前に出し、日下をなだめる。

 ポーズだけだとわかっているが話が進まないので日下は大谷に従った振りをした。


「彼女が彼に話したとは思えないんですよね。接点がない」

「お前が知らないだけじゃないの?」

「そうかも知れませんが」


 麻琴から聞いたのかと確認した時の久瀬の返答の仕方に日下はずっと引っ掛かっていた。


「考えすぎるのは()()の悪い癖だねぇ」


 カチッ。

 お湯の沸いた合図で大谷がカップを二つ並べる。それからドリップ式のコーヒーの袋を開けてそれぞれのカップにセットする。そして大胆にも電気ポットから直接カップへお湯を注ぎ入れた。香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。

 そんな勢いで注いだらカップからすぐに溢れ出してしまいそう――彼にコーヒーを淹れてもらうときはいつもそう思うのだが不思議とコーヒーはカップに収まる。大雑把なようだが意外と計算されているのだろう。


「それよりも考えなきゃいけないのは、来たるべき体育祭じゃないの」


 大谷は机にコーヒーを置くと、一つを日下に示し自分も手に取りコーヒーをすする。


「今年もあるんですか」


 日下がマグカップを傾けた。


「行事予定は既に決まってるんだから腹くくれ。教師の運動不足解消とかなんか校長が張り切ってるし、()()()人気の種目みたいだから」


 大谷が再度奥のベッドを見やる。


「何か不安抱えてんじゃないの? 俺これから出掛けるから聞いてやったら」

「まだ授業があるので終わったらまた来ます」

「ほいほい」


 保健室の奥を気にしながら日下は保健室の戸を閉めた。


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