15. あさぢふの小野の篠原 忍ぶれど
体育祭が終わって少しすると文化祭が待ち構えている。
各クラス2名ずつ選出される実行委員は麻琴と久瀬に決まった。
麻琴はなかなか決まらないことに業を煮やして。久瀬は推薦によって指名され、その後多数決にて決定。
明らかに周囲が面白がっているとしか思えない状況に柚月はモヤモヤする。
「災難ね、麻琴」
麻琴を気に掛けつつ様子を窺う。
ところが柚月の予想に反する強気な答えが返ってきた。
「誰も手挙げなかったら話が進まないじゃん」
麻琴が頬を膨らませて怒っている。
「責任から来るものなのかせっかちなのか」
「もちろんクラス委員のプライド」
放っておけない、というのが麻琴のスタンス。
自分が一番辛い状況に立たされるはずなのに、それよりも全体のことを考える。
いや、もしかしたら自分が気に食わない状況を動かそうとする結果なのかもしれない。そう言えば彼女はかなり頑固だ。
「はいはい。けど久瀬と一緒で大丈夫? 代わってもいいよ」
いつもなら自分の興味ないことには関わらない。ただ、そのことが麻琴に負担を掛けるように思えた。
「柚月は保健委員の仕事忙しいでしょ。気にしないで。久瀬くん見た目ほど悪い人じゃないよ」
「見た目は悪い人で悪かったな」
噂をすれば影。
柚月は嫌味を込めた言葉で久瀬を迎えた。
「立ち聞きが趣味とは良いご趣味をお持ちで」
「勝手に聞こえてきたんだよ。櫻井、これから委員会だってさ」
ダルそうに柚月の嫌味に反論する久瀬。どうやらさほどダメージを受けていないようだ。
「はーい。じゃ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
柚月は連れ立って歩く2人の姿をぼーっと眺めて見送った。
*
文化祭の準備は想像以上のものだった。誰だよ、メイド喫茶なんて言い出したヤツ。
賛同した自分がいるのだから表立って文句は言えない。
「委員長のクラス、何するの」
放課後の保健室当番。
二学期からは引き継ぎも兼ねて上級生と下級生のコンビでシフトを組むことになっている。
柚月は1年生の深山准と組むことになった。
体育祭で自分たちが抜けた後の救護班のフォローを立派にやり遂げた深山。彼なら頼りになるし教え甲斐もある。
「メイド喫茶です」
柚月の返答に2人が喜々として訪問の声を上げる。
「へぇ、委員長もヒラヒラメイド服着るの? オレいこっかな」
「あ、俺も!」
先程まで背中を向けていた大谷が椅子を反転させ、深山は元気よく手を挙げた。
そんな2人を一瞥すると愛想のない答えを返す。
「クラシカルなメイド服を想定しているのでご期待には添えないかと」
「それでも普段の委員長とは違うもの見れそうで面白そう」
「大谷先生、オヤジくせー」
洗ったばかりの包帯を巻きながら深山が大谷の期待に苦言を呈した。
「お前だって同じようなものだろうが、深山」
「そんな欲望丸出しの先生とは違いますよ、俺」
どちらもさほど変わらないのだから、その押し付け合いに意味などない。
柚月は無言で日報を書いている。
「喫茶店なら委員長の例の奥義使えるね」
柚月から流れてくる冷ややかな空気を感じ取ったらしい。大谷が話題を変えた。
「人の特技をゲームの必殺技のように言わないでもらえませんか」
「オレ好きだよ。委員長の淹れたお茶」
ニコニコとこちらに向ける笑顔を直視できず、柚月は慌てて顔を背けた。
「そうやって持ち上げて淹れさせようとしてもダメです」
「バレたか」
大谷がいたづらっ子のように舌を出した。
柚月は日報を書く手を止めて席を立つ。
「あれ、もしかして淹れてくれるの?」
「喉が渇いたので。深山も飲むよね?」
「お願いします」
電気ポットに水を入れて台にセットし、持ち手の根本のスイッチをカチッと押す。
その間に棚からマグカップを3つ机に並べる。
~♪~♪
柚月から聞こえてきたメロディーに大谷と深山が声を抑えながら笑う。
保健室いっぱいに紅茶の香りが漂ってくるとメロディーは止まった。
「小薗先輩ってほんとに紅茶が好きなんですね」
「え?」
柚月がマグカップ3つが乗った小さなトレイをコトンと置いた。
お礼を述べながら各自がカップを一つずつ手に取った。
「だって淹れながら鼻歌歌ってたから」
みるみるうちに柚月の顔が赤くなる。
「うそ」
小さく呟いた彼女に2人が楽しそうに顔を見合わせる。
「嘘じゃないですよ。大谷先生にも聞こえてましたよね?」
「邪魔しちゃいけないと思って笑い声抑えるの大変だったよな、深山」
やりどころのない羞恥の感情を紛らわすために柚月が話し始めた。
「昔から嬉しいことや楽しいことをしている時は歌っているみたいで。無意識でやってるんですよね……」
言い訳を話し終えると両手でカップを持ち、紅茶を飲み干した。
「あつっ」
吹き出しはしなかったがあまりの熱さにその場で飛び上がる。
トン。
いつの間に入れたのか深山が目の前に水の入ったコップを置いた。
「さっき淹れたばっかのやつを一気に飲むんだもん。熱いに決まってるでしょ。ほら、飲んで」
水を一息に喉に流し込むと熱さと痛みが静まった。
「委員長にもそんな可愛いところあったのね」
「意外ですよね」
2人のからかいに柚月の怒号はしばらく響いた。
*
文化祭当日の忙しさはそれまでの準備など比ではなかった。
クラス全員が学校を回れるように組んだシフトも今や意味を成していない。
「どうしたの深山」
裏の仕事から表の仕事に交代した頃、深山が入口に立っていた。
深山は柚月の姿を見つけると残念そうな顔をした。
「どうしたのって小薗先輩のメイド服見に来たのに、先輩メイド姿じゃな……ッテ!」
言い終える前に柚月が深山の腕を叩いた。
柚月としては軽く叩いたつもりだが、深山は腕を抑えてしばらくその場でうずくまっている。
「バカなこと言ってないの。暇ならうちの店手伝ってってよ。深山のお家、お店やってるし慣れてるでしょ?」
「慣れてるって言ったってうちは居酒屋ですよ。勝手が違います」
柚月の申し出に深山は必死に否定をする。
話の途中なのにも構わず柚月は深山をバックヤードに連れて行く。
間仕切りのカーテンの先にいたクラスメイトたちに紹介をする。
「聞いて聞いて強力助っ人登場ー」
「ちょっ、せんぱいずるいっす!」
「このコ料理上手だし厨房任せて大丈夫だから」
柚月の強引な振る舞いにこれ以上逆らっても無駄だと思ったらしい。
深山は両手を軽く上げ白旗を揚げた。
「……わかりました。俺で良ければ手伝います」
彼の手さばきは見事だった。
慣れている人間の効率的な動きを教えてもらうつもりで引っ張ってきたのだが、10分後に厨房スタッフに指示出しをしている深山。
「自分で引き込んでなんだけど、深山の腕があれば女の子はすぐに落ちるわよ」
白いお皿に綺麗にシフォンケーキを盛り付ける彼の手元を感心しながら柚月が傍で眺める。
「……誤解されるような言い回しで人を褒めるのはやめてもらえますか」
エプロンの端で手を拭きながら深山がげんなりした顔を柚月に向けた。
「あら、ごめん。手放しに褒めてるつもりなんだけど。でも本当にモテると思う」
「本命にそう思ってもらわなきゃなんの意味もないですけどね」
更にからかおうと思ったが、本気の気持ちをからかうのは気が引ける。
柚月は黙って流れるような彼の手元を見ていた。




