13. わが身ひとつの 秋にはあらねど
「柚月……どうしようバレちゃった」
「誰に!?」
麻琴と日下の秘密は柚月に告げられた後すぐ、バレたらしい。同じクラスの久瀬圭吾に。
授業中以外はヘッドフォンで耳を覆い、何か聞いている久瀬。
彼が誰かと親しげに話しているのを、柚月は見たことがない。
「あいつが誰かにチクるとは思わないし、このまま様子見てみよ」
「うん……」
顔が真っ青な麻琴を落ち着かせる為に言ってはみたが、正直わからない。
柚月も久瀬と同じクラスになるのは初めてだ。
自分たちが話していた近くでたまたま久瀬が聞いていた。その話を耳にした時は自分を責めたくなった。注意が低下している麻琴のことをわかっていたはずなのに。周囲に気を配れていなかった。
「先生に相談してみたら?」
「昨日の今日でできないよ」
そうだろうな。秘密が周囲にバレてしまうことも怖いが、日下に幻滅されてしまうことも麻琴は恐れているのだろう。
柚月は久瀬の動きを見張ることにした。
幸い、柚月の席は久瀬と同じ並びの最後尾の席で端にある。注視していてもすぐに気づかれることはないだろう。
なんであたしここまでしてるんだろう。別に好きな相手でもないのに。そう不平を言いたくなる自分を戒める。
日下のことを一途に想う麻琴が羨ましかった。麻琴が日下をずっと好きなのは知っていた。
相手がどんな人物であれ、麻琴にはずっと幸せでいてほしい。
見張るとは言っても久瀬は授業中はほとんど机に突っ伏してることが多い。それがわかってからは休み時間の行動だけを気にすることにした。と言ってもやっぱり寝ているのだけど。
違いと言えばヘッドフォンをつけているかいないかだけ。
「久瀬のこと、気にする必要ないよ。あいつ他の人間と喋ってる様子ないし、たまにトイレ行くだけだから」
「……柚月あれからずっと見てたの?」
麻琴が少し引いているのがわかった。目を丸くして口の端が少し引きつっている。
「麻琴の為にね」
「ありがとう」
“麻琴の為”と強調することで自分の威厳を保つ。
久瀬の様子を伝えれば安心すると思ったのにそれほど効き目はなかった。
*
翌日登校してきた麻琴の顔からは更に笑顔が消えていた。目が赤い。
「麻琴、大丈夫?」
「うんだいじょぶ」
今すぐ鏡を見てこいと言いたいほど、決して平気ではない表情。
やがて1時限目の教師が到着した為、心配なまま麻琴から離れるしかなかった。
授業が終わっても麻琴の様子は相変わらず。
そんな麻琴から2時限目の授業中に手紙が回ってきた。
――久瀬くんのことならもう大丈夫だよ。私たちのこと秘密にするって約束してくれた。私たちの味方になってくれるんだって。
味方というのはどういうことだろう。
クラスメイトとはいえ話したこともない人間を信用するほど柚月はお人好しにはできていない。
麻琴本人がそう信じるなら自分だけが気をつけていればいいか。騒ぎ立てることで秘密そのものが広まってしまうことは避けたい。そう柚月は考えていた。
だが昼休みになると、もう麻琴の顔色は放っておけないほど悪くなっていた。
「保健室行くわよ」
力なく抵抗する麻琴を半ば引きずりながら保健室へ連れて行く。
中にいるのがあの養護教諭だと思うと一気に疲れるがここは目をつぶろう。
「失礼します。大谷先生いますか?」
保健室の引戸の前でいなければいいのに、と一縷の望みをかけて確認をする。しかしそれはすぐにうち砕かれた。
「保健委員長どうしたの?」
「わざわざ肩書きで呼ばなくていいです。彼女が体調悪いようなのでベッドで休ませてもらっていいですか?」
「いいよ」
ぐったりしている麻琴をひとまず椅子に座らせた。
「熱はないみたいだね。委員長、彼女の代わりに来訪者ノート書いといて」
何度繰り返したかわからないルーティンワークはもう体に染み付いてしまった。
その間、大谷が麻琴をベッドへ誘導する。
「櫻井さん? 大丈夫? 一人で歩ける?」
その声に手を止め、麻琴の様子を窺う柚月。麻琴は柚月に向かって一度だけ頷いた。
麻琴がベッドへ辿り着いたのを確認してから柚月は保健室を出ていった。
あんなやつだが腐っても養護教諭だ。
あとの気掛かりはただ一つ。
「久瀬、ちょっと話があるんだけどいい?」
D棟手前の渡り廊下。柚月が麻琴に日下のことを告白された場所。
目の前の男はダルそうに渡り廊下の壁にもたれていた。
「麻琴から話聞いた。あんた麻琴たちの秘密知ってるのほんと?」
ほとんど初対面のような相手に不躾だとは思ったが、麻琴の為だ。
久瀬は柚月の物言いに嫌な顔せず答えた。
「ああ、日下と付き合ってるって話? 知ってる」
“明日の天気? 晴れなんじゃない?”くらい軽い。
「麻琴は心配ないって言ってるけど私はまだ信じられないのよね。あんたが何かするんじゃないかって思ってる」
柚月に攻撃されたとわかった久瀬は、柚月を真っ直ぐ見て言った。
「やったところで俺にメリットねーし。面倒なだけだろ」
「面倒かどうかは私にはわからないけど、広めて楽しむやつにとっては関係ないでしょうね」
柚月が久瀬を睨み返した。
「言っておくと、櫻井たちのことを誰かに言うつもりも広めるつもりもないよ。ただ、この先どうなるか面白そうだから」
柚月には久瀬の言っていることがよく理解できなかったが、一つだけ確かなことがある。
「とにかくバラさないってことね?」
「やんねーよ」
重要なことだけ念押しをして去ろうとした柚月を久瀬が呼び止めた。
「小薗は好きな人いんの?」
久瀬の唐突な質問に柚月は第一声を張り上げた。
「は? いない」
「そ」
それだけ言うと久瀬はヘッドフォンを耳に当てた。
わけの分からない質問だけ残して久瀬との話は終わった。
*
「あっつ。ね、もう9月だよ? 彼岸も近いのになんでまだ暑いんだろ」
「白衣脱いだらいいんじゃないですか? 少しは風通し良くなりますよ」
「俺のトレードマークなくなっちゃうじゃん」
「そうですか」
バカなことを言いながらTシャツの襟元から風を送る大谷。
暑さ寒さも彼岸まで、とは言うがこの気温と蒸し暑さではそれも疑わしくなる。
「先生は今度の体育祭の競技、何か出るんですか?」
気を紛らわせる為に大谷に雑談を振った。別段興味があるわけではない。
「出ないよ」
大谷が一言で済ませる。
「先生方も何か一つ出場しなければいけなかったはずですけど……いいんですか?」
「うん、救護班隊長がケガしたら元も子もないからって校長にも伝えてある」
――大物だわ、この人。
強気で少々無作法に思える発言を繰り返すが驚くことに、敵はいない。自由奔放な性格に生徒たちは惹かれるし教師たちも発言の正当性を認めて反論できないらしい。
そんな人物とあと半年も付き合わなければいけないのか。柚月はうんざりした。
“月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど”
私だけに秋が来たわけじゃない。なのに、色々考えてたらなんだか憂鬱になってきた。




