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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第2集 からくれないに しづく
12/40

12. ちぢに物こそ悲しけれ

 柚月の所属する保健委員会の顧問は、いい加減だ。

 医療道具や健康に関することを扱うため、顧問は当然のように養護教諭。

 その養護教諭、大谷静人は仕事こそできるが言動が適当なのだ。


「委員長~、書類整理お願い」


 大谷は保健委員長の柚月のことを“委員長”と呼ぶ。

 肩書きで呼ばれるのは好きではない。最初は名前で呼ぶよう、逐一訂正していた。しかしいつまで経っても姿勢を変えない大谷を最近はもう、受け入れつつある。

 

「こんなに貯まる前に処理すれば良いことじゃないですか。大谷先生が顧問になってから保健委員らしい仕事した覚えがないんですけど」


 机に積まれた山のような書類の束を前に柚月がぼやいた。

 大谷に嫌味を言ったところで聞かないことはわかっているが、言わずにはいられない。


「してるじゃん、保健室当番」


 大谷がクルッと椅子ごと振り向いた。


「それ以外にもあるでしょう。最近保健だよりとかの広報活動が出来てません」

「あーそれねー。教頭にも言われてるんだよね。めんどくさ」


 それまで文句を言いつつも動いていた柚月の手がピタリと止まった。


「めんどくさ?」

「あ、やべ」


 大谷が慌てて口に手を当てた。


「先生、今小さく“めんどくさ”って言いましたね?」


 大谷は尚もシラを切るが、柚月のマシンガントークが始まった。


「月に一度しかない定例委員会には5月の2回目以降全然出てこないし、ここでコーヒー飲んでる暇があるなら書類の整理くらいパパっと済ませられますよねぇ?」


 ここまで息継ぎもせず言い切った。

 しばらく眺めていた大谷がぽつりと言った。


「俺、委員長みたいにテキパキ動けない」


 ピキッ。

 何かが切れた音がした。


「こうやってる間に手を動かせばいいんですよ!」


 バンッ!

 持っていたファイルを机に叩きつける。


「働き者だよね、委員長」


 一人ヒートアップしている柚月をよそに、大谷は高みの見物を決め込むように頬杖をついて足を組む。


「先生が動かないから嫌でも動くしかなくなるんです!」


 どんなに怒っても、大谷は平然と柚月の様子を窺っているだけ。

 怒りの矛先をなんとか書類に向けるよう努力してみる。


「委員長」

「なんですか」

「怒ってばっかだとシワ増えるよ。ほら笑って笑って」


 振り向くと大谷は自分の顔の両端を指でつまんで左右に広げている。

 この養護教諭は人の神経を逆撫でするのが上手いようだ。


「大谷先生!」

「ほら、委員長が好きな紅茶入れたからこれ飲んで落ち着いて」


 いつの間にか用意されていたマグカップを渋々受け取り、一口飲んだ。


「おいし……」


 思わず零れた一言に大谷がニヤリと得意気に笑った。


「俺腕上がったと思わない?」

「まだまだです」

「委員長厳しい」


 大谷が口を尖らせる。大人らしくない振る舞いに度々呆れる。


「優秀なバリスタは何年も何年も修行するんですよ。あ、紅茶だからバリスタじゃないか。ティーマイスター?」

「はいはい。委員長専属のティーマイスターになる為に精進致します」


 不本意そうに紅茶を飲む大谷を見ると、笑いが零れた。

 親友から少し前に告白された秘密は“教師の日下匡と付き合ってる”という事実。

 エイプリルフールだとしてもとっくに過ぎているし、冗談にしては下手だと思った。けれども麻琴の目は真剣だった。

 日下のことを嬉しそうに笑って話す彼女を見て、誰が嘘をついていると思うだろう。

 それが嘘なら相当の役者か悪者かのどちらかだ。麻琴の性格は理解しているつもりでいた。

 いつか大人になるのは当たり前だし、自分にもいずれ近づいていくる。一番身近な大人である両親は多少面倒なところもあるが尊敬はしている。

 通っている高校の教師は癖のある人たちばかりだが、同じ人間なのだと思うようになってからは多少親近感を持てるようになった。

 それでも教師に恋をする感覚が柚月にはわからなかった。

 自分よりいくつも年が離れている。1対1で真剣に話してくれると思って話したことがない。

 どうせ私たちを見下している。

 そう思って今までを過ごしてきた。


                   *


 2年生になって最初のHRで委員が決まった。

 委員会の数は限られているがクラスの中で所属しなくてもいい人数はせいぜい5、6人程度。それなら余ったところに入れられるより、多少希望が通った方が後味がいいというものだ。

 保健委員の立候補は柚月の他にはおらず、男子は最終的にくじ引きで決まった。

 友人の麻琴はクラス委員。驚くことに立候補だ。彼女に言わせれば去年もやったことだから楽だという。彼女の言う“楽”は“新しく仕事を覚えなくていい“楽だ。

 保健委員はやることが多い。年一回行われる健康診断の補助に各種検診の補助、クラスの健康管理(欠席者の把握と救急処置)、教室の環境管理。

 それだけでも細々したことが多いのに、委員会全体とし校内への広報活動やイベント時の救護班、保健室当番。学校内で一番忙しいであろう生徒会と拘束時間は同じかも知れない。

 放課後の空き教室を使って開かれた、顔見せの保健委員会。

 どこのクラスも渋々引き受けたかくじ引きで決まったところが多いようで、全員、一様に煩わしそうな表情で椅子に座っていた。

 教壇に立った養護教諭は教室全体を見渡して言った。


「保健委員会の顧問になった大谷静人です。まずは委員長と副委員長決めてそれから各分担を決めよう」


 そして続けてとんでもないことを言い放った。


「どうせ責任のなすりつけ合いになるのがわかってるから俺が指名する。そこの2-6の女子。君が委員長ね。で、副委員長は2-3の男子」


 委員長を命じられたのは柚月だった。


「なっ……!」


 柚月の言葉を遮り、大谷は何食わぬ顔で会を進める。


「苦情は後で受け付けるから、はい次の分担決めるよー」


 そんな風に次々と係は決まった。



「はい、どうぞ」


 保健室の真ん中に置かれたテーブルセットの1つに柚月は座っていた。

 目の前にはほかほかと湯気が立ち上るコーヒーが1つ。香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっている。

 副保健委員長になった男子は今更撤回出来ないと思ったのか、何も言わず帰った。

 委員会後に大谷に食って掛かったのは、柚月だけだった。


「すみません、私コーヒー飲めないんです」

「あら、そなの。じゃあ紅茶は?」

「それでお願いします」


 大谷が電気ポットを持って流しへ向かった。

 いろんなところで転ぶ麻琴と違って、保健室に縁のなかった柚月。それまで中に入ったことがなかった。

 壁に沿って置いてある3つの棚の内2つは、ファイルと本で埋め尽くされている。ファイルの背表紙にはただ日付が書かれていた。何かの記録だろうか。あとは何か難しそうな心理学の本に、健康と体についての本が並んでいる。

 後の1つには鍵がかかっており、絆創膏や消毒液、鎮痛剤などの薬が並んでいる。


「何か面白いものでも見つけた?」


 柚月の目の前にマグカップが置かれる。


「ありがとうございます。先生ちゃんと仕事してるんだなぁと」

「俺サボってるつもりないけど」


 大谷は自分の椅子に座り直してコーヒーをすすった。


「普段の行いのせいです。いただきます」


 カップを口につけてすぐ柚月が感想を述べた。


「渋」


 カップを持ったまま顔をしかめている。


「え?」


 柚月の持つカップを取り大谷も一口含む。


「ほんとだ。ちゃんと入れたつもりなのに何がだめなんだろ」


 首を傾げながら大谷が柚月にカップを戻した。

 柚月は目の前のカップを自分から少し遠ざけながら質問した。


「先生、ティーポットにお湯入れてから何分置きました?」

「さぁ。色が濃くなった方が美味しいかなーって時間」


 柚月は呆れ気味に返す。


「日本茶でも濃いお茶は渋くなるじゃないですか」

「そういえばそうね。委員長、頭いい」


 大谷は名案でも浮かんだとばかりに、声を弾ませた。


「……普通のことです」

「じゃあさ。俺は委員長の仕事教えるから、委員長は俺に紅茶の淹れ方教えてよ」


 それが始まりだった。

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