艦艇公開・その5
フィクションです!
階段の踊場から、01甲板にある医務室の出入り口前に立つ、高校生位の女性。
彼女は後ろを振り向くと、嬉しそうな顔をする。
この彼女は“しらせ”のスコドロキャップを被っているのだが、そのキャップの横にお土産で買ったのか、”しらせ”のピンバッジを数種類付けている。
そして帽子のツバには国際信号旗【U】と【W】のピンバッジもついている。
【UW】は2枚の旗で意味をなす2字信号で、『御安航を』や『航海の安全を祈る』という意味がある。
(へぇ、今回はこっちに行けるのかぁ。医務室の中は見られないけど、呉での公開だからかな?それにしても、珍しいなぁ?外にはあんなに人がいたのに、中はこんなに少ないなんて・・・)
人の少ない状態について不思議に思いながらも、示された順路に従い歩いていく。
これは彼女の知らないことだが、この直前に甲板でふざけて遊んでいた小学生位の男の子が転倒し捻挫、同時に甲板の突起物で足に切り傷を作ってしまい、医務室に運び込まれたのだが、その際に順路表示を退けてしまったために誤表示となってしまったのである。
そんな事とは思っていない女性は、何も知らずに表示に従い歩いていく。
曲がってすぐの右側に上に向かうラッタルと、その左側の下に向かうラッタルが見えたのだが、どうやら上下だけでなく、真っ直ぐにも行けるようである。
どちらに行って良いのか順路の表示を探すが、どこにも見当たらない。
疑問に思いつつ、もう少し先に行けば自衛官に会えるだろうと、とりあえず真っ直ぐ行くためにラッタルから離れる。
(あれ?やっぱり、なんか変?・・・違ったかな?ここまで順路の表示がないし、黄色と黒の・・・トラテープって言ったっけ?それも貼ってないし、人気も無いし・・・一旦医務室のとこまで戻った方が良いのかな?)
見学ルートにしては、危険な箇所に貼られているはずのトラテープや、出っ張りに貼られているクッションらしき物も見当たらず、先程まで通ってきたルートと雰囲気が違う様子に、一旦医務室前まで戻る事を決める。
途中でラッタルを登る、自衛官らしき人の足が見えたのだが、前回の公開の時にはいたのだから、今回も戻っているだろうと医務室前に戻るべく通り過ぎ、左に曲がると目の前の光景に足を止める。
「あれぇ?」
さっき通ってきたはずの医務室前の通路が、『立入禁止』と表示されていて封鎖され、通ってきた時同様、自衛官は誰も立っていない。
すぐさま、ラッタルの上に向かって「すみませーん!」と声をかける。
左側に行きかけていた自衛官が、声に気づいたらしく自分の方を見てくる。
自分と同じ、“しらせ”のスコドロキャップを被ってメガネをかけた女性自衛官は、驚いたような顔をして見下ろしてくる。
その表情に、やはり立ち入り禁止区域に入ってしまったのかと、少し早口で現状を謝罪しながら説明する。
「申し訳ありません!見学順路通りに歩いていたんですが、途中で順路が無くなってしまって、戻ったら立ち入り禁止になっちゃってて!」
言い終わると、緊張していたこともあって、少し荒くなった息を整えようとする。
「えっ!?そ、そうなのかい!ど、どういう事なんだろうねぇ!?」
相手の自衛官は、しどろもどろで返事を返してくる。
その自衛官は、少し身を乗り出して自分を見ているために両肩が見え、1等海尉の乙階級章が認識できる。
よほどビックリさせてしまったようだ、とは思ったのだが、順路を聞こうと言葉を続ける。
「あの!申し訳ありませんが1尉さん、順路を教えてもらえますか!?」
その言葉を発した瞬間、1尉は目を見開き、酷く驚いているように見える。
(あれ?私、階級章見間違えたかな?でもあの方、太線2本だからどう見ても1尉さん・・・のはずだよね?2尉さんは細太の2本だし、3佐さんは太細太の3本だし・・・どうしたんだろう?)
口を数回パクパクさせると、やっと言葉を取り戻したかのように、少しおずおずとしたような雰囲気で質問する1尉。
「あ・・・あの・・・君、一般の人だよねぇ?ど、どうして、僕の階級が分かったのかねぇ?」
どうしてそんな事を言われたのか理解できず、返答に少し困るが、見たままを答えることにする。
「えっ?・・・えっと、肩章見て、分かったんです。1尉さんの肩章で間違い・・・ないですよね?」
階上の1尉を見上げながら、人差し指で自分の肩を指し示すと、この1尉は慌てながら左肩を見てから右肩を見る。
「な、なんだぁ、そうだったのか!あはは!あっ、うん、1尉で間違いないよ?でも、君みたいな外の人が、簡単に見分けられるものかねぇ?」
まるで、肩章を付けていることに今気が付いたような、不自然な1尉の様子に、無意識に疑問に思っているような表情になっている。
「えっと、私、海自に入って“しらせ”に乗艦したいので、色々調べてて、階級章も覚えたんです!」
一方で、階下の女性に呼び止められた女性自衛官こと白瀬は、返答を聞きながらも一体どうしたものか、と困っていた。
(乙階級章、横須賀から付けっぱなしだったとは、気付かなかったねぇ。っと、そんな事より、この事態をどうしよう?このまま外の人と接触しているのは、非常にまずいねぇ・・・どうしようかねぇ・・・)
「そ、そうだったのかねぇ?それなら、知っていても不思議ではないねぇ?しかも、ぼ・・・あ、いや、“しらせ”が希望とは、非常に光栄だねぇ!」
(かといって、このまま消える訳にもいかないし・・・でも、彼女とどう接していいのか・・・困ったねぇ、早くどうにかしないと・・・)
見られてしまうようになってから、自衛官達との交流に関しては、元々見慣れていたクルー達だったので、直ぐ慣れた白瀬ではあったが、外の人との交流は、ここまでの間には無く、しかも初めて会った一般の人に、乙階級章を、見て当てられるとも思っていなかったのである。
その理由が分かったとはいえ、まだ動揺もあってか、焦りの表情を浮かべる。
「あの、そう言えば、お急ぎだったですか?」
下から声をかけられ、白瀬は迷いながらも、下に降りることにする。
(もう、こんなに話もしてしまっているんだから、逃げても今更だろうねぇ・・・諦めて下に降りようかねぇ?)
「だ、大丈夫だよ!ちょっと待って、直ぐそっちに行くからねぇ!」
急いでラッタルを降りると、「お待たせして申し訳ないねぇ」と言いながら軽く頭を下げる白瀬。
高校生位の女性も、キャップをとって頭を下げる。
「こちらこそお忙しいところ、ご迷惑おかけして申し訳ありません。私、小谷ナミって言います。」
言い終わると、またキャップを被る小谷。
「小谷ナミ君、だねぇ?僕は白・・・」
ここで、はたと気付く白瀬。このまま名乗れば、階級章に気付いて言い当てた小谷の事である。もしかしたら名前で、艦魂だとばれてしまうのではないか、と。
(ど・・・どうしよう、このまま名乗るわけには・・・えっと・・・えっと・・・なにか別の名前は・・・)
「?・・・あの、どうかされたんですか?」
(・・・えっと・・・あっ!そうだ!黒川君の1字を借りよう!)
「ごめんごめん、ちょっと思い出したことがあってねぇ。大したことじゃないから大丈夫だよ?えっと自己紹介の続きだね?僕は”白川”って言うんだよ。よろしくねぇ。」
綱渡りな状態に冷や冷やしつつ、順路に戻せばすぐに解放されると思い、すぐに案内しようと手を医務室の方に向けようとする白瀬。
「”白川”1尉ですね?よろしくお願いします!あの、歩きながらで良いんですが、いくつかお聞きしても大丈夫でしょうか?」
どうやら小谷は、この機会に色々と聞いておきたい事があるようだ。
白瀬よりも身長があるため、やや視線を下に向けて、白瀬の顔を見る小谷。
「えっ!?あっ・・・僕に答えられる範囲だったら大丈夫だよ?」
(こ、困ったねぇ!?ど、どんな質問なんだろうかねぇ?)
どんな内容の質問が小谷から来るのか分からず、緊張の度合いを1段上げる白瀬。
「あの”白川”1尉は、どういった職種でお仕事されてるんですか?」
(うわぁ・・・そう来たかねぇ!?えっと・・・どうしよう・・・えっと・・・そうだ!航行支援室!ここだったら、防衛機密って事で誤魔化せるかも知れないねぇ?よし!)
適当に思い付いた設定に、小谷に申し訳なく思いつつ、会話を続ける。
「せ、船務士で航行支援室にいるんだよねぇ。だ、だから詳細はあまり言えないんだよ、ごめんねぇ?」
「すみません、”白川”1尉?あの、『航行支援室』というのは、どこの事ですか?」
聞き慣れない単語に小首を傾げる小谷。どうやら、そこまでは調べきれていないらしい。
「航行支援室はねぇ、護衛艦で言うところのCIC、つまり戦闘指揮所の部分なんだけどねぇ、僕・・・じゃなかった、2代目“しらせ”から名前が変わったんだよねぇ。そんな訳だから言えない事が・・・」
そこまで言いかけた時、小谷が目を輝かせるように、自分を見ている事に気付いた白瀬、少したじろぐ。
(な、何だろうか!?僕は何か、触雷するような事を言ってしまったのかねぇ!?何がいけなかったのかねぇ!?)
自分の発言のどこに、小谷の琴線に触れる部分があったのかが分からず、思考が止まりそうになる。
「ほ、本当ですか!?あ、あの!私、”しらせ”の2分隊でCIC勤務を希望してるんです!船務士って事は、私の上司になるかもしれないんですよね!?あの、握手して下さい!お願いします!」
小谷の勢いに押され気味の白瀬は、困った表情を浮かべつつも、差し出された手をとり握手する。
すると、小谷は感激のあまりか、両手で少し強めに握手してくる。
(どうしよう・・・本当にどうしよう・・・これ以上何か言ったら、更に深い墓穴を掘りそうだねぇ?・・・入隊した小谷君になら、本当の事を言えるんだろうけども・・・本当にどうしよう・・・でも・・・)
引きつった顔になっているのを自覚しつつ、それでもこの事態をどう乗り切っていくかを考える白瀬。
しかし同時に、こんなに熱心な小谷への興味も湧いてきてしまい、自分からも話をしてみたいとも思い始めてしまう。
その瀬戸際で心が揺れ始めたとき、頭に一つの言葉が浮かぶ白瀬。
(好奇心は猫をも殺す・・・あれは確か、イギリスのことわざだったねぇ・・・今の僕にぴったりの言葉、かもしれないねぇ・・・)
自身の好奇心の強さに半ば呆れ気味の白瀬だが、当初見せていた逃げの姿勢もいつの間にか、薄くなっている。
(そうだ!こんな機会はもう無いのだろうし、折角僕を見に、ここまで来てもらったんだ・・・)
何かを思いついた白瀬は、目線を合わせるため少しだけ上を向き微笑む。
「小谷君に時間があるなら、こんな所で立ち話するより、今空いてる部屋があるんだけど、そこで僕と話でもいかがかねぇ?」
白瀬の突然の提案に、一瞬喜びの表情を浮かべるが、すぐに不安そうな表情に変わり、握手していた手を離す小谷。
白瀬は、何か気に障るような事でも言ってしまったのかと思い、謝ろうと口を開きかけるが、小谷の方が先に言葉を口にする。
「あの、“白川”1尉も公開中でお忙しいでしょうに、わざわざ私のためにお時間をあけていただくのは、その、申し訳ないというか、なんというか・・・」
その言葉に、白瀬は納得したような顔をする。
「気にすることはないよ、小谷君?僕は今、特にする事もない状態でねぇ。どうだろうか?」
「でも、あの、“白川1尉”が休憩中なのでしたら・・・」
小谷は自分が思っていなかった展開になってしまい、少し戸惑っているようだ。
「その辺は気にすることはないよ、小谷君?僕の時間だから、何をしようと僕の自由だよねぇ?」
「えっと・・・“白川”1尉がよろしいのでしたら、その・・・、よろしくお願いします!」
白瀬は左手で上りのラッタルを示すと、「どうぞ」と登るように促す。
小谷は促されるままに登ると、白瀬が登って来るのを待つ。
白瀬は到着すると、「ここが空いているから」と、目の前の部屋に案内する。
小谷は、部屋に入ると辺りを見回す。
普段公開される事がない、女性自衛官が使う事になっている部屋であるが、現在この部屋はまだ予定であり、特に何もない殺風景な部屋の状態である。
白瀬はすぐに戻るからと、小谷に言うと、部屋を出てから扉を閉め、外に出るやその場から姿を消して、副長達のいる航行支援室に姿を現す。
「うわぁっ!?」
「副ちょ・・・び、びっくりしたぁ!!白瀬1尉、脅かさないでくださいよ!」
たまたま話し中だった副長は、突然船務士の後ろに現れた白瀬に驚き、持っていた書類を落としてしてしまう。
話し相手である船務士も、副長の視線の先を追って振り返り、肩をビクつかせる。
驚きのあまり数秒固まるが、書類を拾う副長を手伝うため、その場にしゃがみ、そこに白瀬も加わる。
「いやぁ、急いで副長に許可をとろうと思ってねぇ?・・・はい、どうぞ。・・・いやぁ、申し訳ないねぇ!」
集めた書類を副長に手渡しながら、軽く謝罪する。
受け取りながら 副長は「許可?」と白瀬に聞き返す。
「3つあってねぇ。」
言いながら、指を3本立てる白瀬に、副長と船務士は首を傾げる。
「1つ、艦艇公開中は僕のことを、船務士の“白川”1尉と呼んで欲しい事なんだよねぇ。2つ、・・・」
言いかけたところで、副長が右手を突き出し白瀬を止める。
「ちょっと待ってくれ!?急にどういう事だ!?説明してくれ!?」
白瀬は小谷の事も含めて経緯を説明すると、副長は顎に右手を当てしばし考え込む。
「・・・白瀬、悪いが少し待ってくれ。船務士、すまないが艦長を至急呼び出してくれ。」
そばにいた船務士が、艦内電話で航行支援室に来るように連絡を入れる。
その間白瀬は、副長に残り2つの要望も伝え、一旦小谷の所へ戻ることにする。
部屋に入ると、話せる部分だけを小谷に伝える。
「許可、ですか?あの、やっぱりご迷惑をおかけ・・・」
「小谷君?事が大きくなったからって、せっかくの“しらせ”見学のチャンスを逃すつもりかねぇ?まぁ結論は待ってほしいねぇ。と、艦長に聞いてこなくちゃ。もうちょっとだけ待っててねぇ?」
そう言い残すと、すぐさま部屋を出て航行支援室に向かう。
航行支援室の扉前に姿を現すと、ノックをする白瀬。
中からノックが帰ってきてから、もう一度ノックする白瀬は、自分で5秒カウントするとその場から姿を消し、次の瞬間には副長達の前に現れる。
2人に挙手敬礼すると、2人はそれに応じて答礼する。
「これならびっくりさせることも無いねぇ。で、艦長に副長、結果は?」
艦長と副長は一瞬目線をあわせ、副長が説明を始める。
「1つ目は許可するが、周知に時間がかかる。時間を引き延ばしてくれ。2つ目はわざわざ許可なんかいらないぞ?好きにしてもらって大丈夫だ。ただ、TPOはわきまえてくれよ?最後は艦長から説明していただくから。」
「ありがとう、副長!で、3つ目は、艦長?」
「3つ目は、残念ながら絶対に許可できない。これは、例えこの“しらせ”乗員であっても、担当以外はこれに従ってもらう。白瀬1尉、君だけが例外中の例外だ。」
「せっかく未来の自衛官が、僕に憧れて入隊したいと言ってるのに?」
「陸自、空自、それに同じ海上自衛隊の仲間であろうが、誰であろうが、上から許可が無い以上、駄目だ。ましてや、その子は高校生だろ?」
白瀬は分かっていたことだったらしく、特に大きく落胆する事もなく、小さくため息をつくと、「まぁ、しょうがないねぇ」とつぶやく。
「諦めてくれ、横地隊の砕氷艦“しらせ”」
「艦長?僕は極地研の南極観測船なんだけどねぇ?」
「自衛艦旗掲揚してるんだ。誰が何と言おうと、君は”砕氷艦”であり、自覚して欲しい、白瀬1尉。それに例の件以降、我々にも厳しい目が向けられている。君も“いずも”達から聞いたと、自分で言っていただろう?」
白瀬は艦長の言葉に、片眉をピクリとさせるが、それ以上は表面上何ともないように振る舞う。
「申し訳ないが、君がその制服に袖を通している以上、我々は砕氷艦“しらせ”として、“白瀬1尉”と呼ばせてもらう。」
「了解しました、艦長!制服に袖を通している時は、海上自衛官として恥ずかしくない行動を心がけます!」
いつもの飄々とした雰囲気から一転して、白瀬よりも真面目に、白瀬1尉よりも落ち着いた雰囲気に変えて、挙手敬礼しながら返答する。
突然のことに当惑する艦長と副長だが、しっかりと答礼をする。
白瀬は「失礼しました!」と言うと、航行支援室を後にする。
「今回の艦長は土佐君並だねぇ・・・。まぁ“3個目”が無理なのは、最初から承知だったんだけどねぇ・・・せっかく来てくれたのに・・・」
艦内通路に出るとそう寂しそうにつぶやき、一旦自室に向かってから、小谷のいる部屋の近くの艦内通路に姿を現す。
(屁理屈の一つも言いたくなるねぇ・・・と、2つ目は好きにしていいって言われたから、好きにさせてもらうからねぇ?)
白瀬は航行支援室での一件を思い出して、少し暗い気分になりながらも、自身の束ねた髪の毛に1度軽くふれてから、扉に手をかけ入っていく。
「いやいや申し訳ないねぇ!お待たせして!結局許可がおりなくてねぇ!」
と、マットレスだけのベットに腰掛け、隣に座るよう小谷を見上げながら左手でマットレスを3回ほど軽く叩く。
小谷は、戸惑いながらも隣に座る。
「失礼します。あの・・・“白川”1尉、どうして私服に着替えたんですか?」
「えっ?あぁ、せっかく呉での休みだから、着替えてみたんだよ。似合う・・・かねぇ?」
白瀬は黒に近い紺色のジーパンに、やや薄いオレンジ色のブラウスへと着替えていた。
また、髪は黒の髪ゴムで1つに纏められていて、左手には薄水色のシュシュを腕時計のようにつけている。
「悪くないと思いますが・・・どうしてシュシュを左手に?髪につけないんですか?」
「シュシュ?・・・もしかして、これの事かねぇ?可愛いと思って、着けてみたんだよねぇ。使い方、間違ったかねぇ?」
腕時計を見るようにシュシュを見る白瀬の顔は、疑問に満ちている。
「”白川”1尉、それ貸していただけますか?それから、扉の方を見ててもらいたいんですが。」
「いいよ?でも、どうするんだい?」
手首からシュシュを外すと小谷に渡し、言われたように扉側を見る。
小谷は、「ちょっと失礼しますね?」と言って髪ゴムをとく。手を離すと、肩の辺りに届く位のミディアムヘアだとわかる。
小谷は髪をまとめると、ポニーテールにしようとするが、手を止め少し考えてから手を左側にずらし、白瀬の左耳の斜め上辺りで纏めた髪を髪ゴムでとめる。
次に預かったシュシュの布を寄せ、中のゴムを半周分露出させ、二重にして髪ゴムを隠すように巻く。しかし、少し余っているようで動いてしまう。
小谷は自分のバッグからヘアピンを取り出すと、シュシュを固定するようにつけると、声をかける。
「サイドテールにしてみました。もう少し、あと10か20cm位長ければ、左肩にかけられるんですけどね?」
と、白瀬の左側から、二つ折りの小さな鏡を手渡す。
それを見て白瀬は、はっと息をのむ。
今までに見たことがない自身の姿に驚いているのが、鏡越しに白瀬の顔を見た小谷にも伝わる。
「こ、これが・・・シュシュの使い方なのかねぇ?」
「はい、そうです!後でご自分でできるようにお教えしますよ?」
「あ・・・あ・・・」
言葉の続かない白瀬に、不安になる小谷であったが、自分に向いた顔を見てそれは払拭される。
「ありがとう!小谷君!!こんなに自分が変わるなんて、思いもしなかったよ!!」
小谷の両手をとると大袈裟に振りながら、喜色満面の顔を向ける。突然の出来事に、呆然としながら白瀬に手を振られるがままになっている。
「あの、“白川”1尉、私は大したことしてませんよ?あの、その、髪型変えただけなので・・・」
「そんなこと無いよ、小谷君!僕にとっては大したことなんだよねぇ!!実は、この服とかシュシュは、横須賀でプレゼントされたものでねぇ!“いずも”の衛生の人達にもらったんだよ!これ、野原君や黒川君達に早く見せたいなぁ!」
いつの間にか1人盛り上がっている白瀬に、子供っぽさを感じてクスっと笑う。
「あれ?僕は何か、可笑しい事言ったかねぇ?」
「あ、ごめんなさい!“白川”1尉がちょっと子供ぽくって、可愛いなぁって思っちゃって・・・その・・・すみません。」
「別に構わないから、気にしないで大丈夫だよ?」
「あの、お化粧されていないようですが、少しだけ、うすぅくされても、また雰囲気変わりますよ?」
「本当かねぇ!?僕は1度も化粧というものを、した事が無いんだよねぇ。どんな風になるんだろう?やってみたいねぇ!」
「えっ!?そうなんですか!?そっかぁ、”白川”1尉はそれだけ、防大に入るために頑張られたんですね?大変なんだなぁ・・・」
白瀬がそれを聞いて、反論しようと両手を軽く振っていると、扉がノックされる。
「失礼します!機関の森士長です!”白川”1尉はおられますか?」
「いるよ、森士長!どうぞ!」
扉が開くと、3種夏服でスラックスの女性海士長が、スコドロを取って2歩入室してくる。
「“白川”1尉、副長より伝達です。まず、R作業終了したとのことで、“白川”1尉の上陸も可能となったそうです。」
「ちょ、森士長、ちょっと良いかねぇ?小谷君ちょっとごめんねぇ?」
白瀬は小谷に頭を下げると、森に近付き小声で小谷に聞かれないように話す。
「R作業は僕のことを“白川”って呼ぶ事の周知徹底というのは聞いていたけど、上陸可能ってどういう事なのかねぇ?」
「そこにいる自衛官志望者さんの水先案内人されるんですよね?艦長が3つ目の代わりだとのことで、今日公開されてる、すずなみ、さみだれ、くにさき、はちじょう、各艦に“白川1尉”が案内しに行くかもしれない旨を連絡したとのことです。各舷門で一声かけていただければ、多少は便宜をはかると、各艦より回答いただいています。」
「い、いいのかねぇ?自艦はともかく、僚艦にまで迷惑かけることになるとは・・・」
後ろの小谷に聞かれないよう、さらに小さく森の耳元で囁く白瀬。
「あくまでも、他の方々とちょっと違うルートが見られるだけですので、『航行支援室の時のように、僚艦でCICが見たいとごねないで欲しい』、と艦長が”白川”1尉に釘を刺しておりました。」
苦笑いを浮かべて、森から少し体を離す白瀬。
「了解したよ。それから他には?」
「はい、“しらせ”での特典として、隊員食堂での1尉との会食が出来るように、準備を進めています。早い時間で良かったですね。給養員長はここの所、港に寄る度に大きな変更が多かったんで、計算が面倒だと嘆いてたって、給養の杉田1士が教えてくれました。」
「迷惑かけるねぇ、給養員長にも後でお詫びとお礼をしなきゃかねぇ?」
「その格好で行ってみてはどうでしょう?お似合いですよ?」
それを聞き少し頬を赤らめ、それをごまかすように小谷の方に向くと、食事にアレルギーなどの制限がないか確認すると、森はそれを伝えに一旦出て行く。
白瀬は小谷の隣に座ると、会話を続ける。
○輸送艦くにさき 多目的区画
砕氷艦“しらせ”の、桟橋はさんで向かい側にいる”LST4003 くにさき”の多目的区画は見学ルートから外れているのだが、偶然にも電気系統に不具合が発生し、乗員や修理の関係者以外の立ち入りが、公開が終わる翌日の1600iまで予定通り制限されている。
そんな多目的区画の中では、LCAC2105・2106が元気に走り回り、親潮と剣龍がその遊びに付き合っている。
出入り口のそばに、テーブルが二台と椅子が十数脚置かれている以外は、全て片付けられていて、柱が立っているものの、それでも広々とした印象を受ける。
そのテーブルにつく国東は、憂鬱そうな、あるいは眠そうな目でLCAC姉妹の動きを、頬杖をつきながら追っている。
「大隅姉さんのとこの01ちゃんは外の人と接触しちゃうし、05ちゃんと06ちゃんはずっとあの調子だし・・・下北姉さんと岩代のとこはどうなってるかしら・・・はぁ・・・」
「はい国東さん。コーヒー、乗員さんからです。それから、他の皆さんの分もいただきましたよ。」
トレイを持った八丈が、国東の正面にコーヒーを差し出す。
鼻先に漂うコーヒーの香りに、夢現の状態だった国東は、少しだけ意識をコーヒーに向けて、一口啜るとまたテーブルに置く。
今日は艦艇公開に人手がとられてしまい、自衛官側から国東達に給仕する担当が付けられなかった。
そのため、国東はいつも通りにホストとして動き回る事を決めていたのだが、ここ1週間位、LCAC姉妹に振り回されっぱなしによる疲労のためか、目の下に隈を作っているのを親潮や八丈達に見咎められ、休憩するように命令されてしまった。
最初のうちは時間も0200i頃だったため散歩がてら、人気のない桟橋を歩いたり、くにさきの後ろでメザシ係留されている、桟橋側の”さみだれ”とEバース側の”すずなみ”の所を訪問したりして、気分転換をしていた。
ただ、日の出位になって、アレイからすこじま公園に複数の人がいるのを発見、自分の所に直接戻って今に至っている。
「少し寝てきな?自分の状態、ちゃんと把握出来てるの、それで?」
いつの間にか背後に回っていた親潮が、国東に声をかける。
一瞬体をビクつかせ、ゆっくり振り向いて親潮を見るや、安堵感に包まれた国東は大きくため息をつき、親潮や八丈達は不安感に襲われる。
「八丈、悪いけどLCAC姉妹の事は私達に任せて、どっかの空き部屋に連れてって、休ませてあげて。」
「了解しました、親潮海将。」
「それから・・・ちょっといい?」
八丈は親潮に手招きされ、そのまま国東から離れる2人。
「国東の愚痴でも聞いてあげてくんないかな?それからついでに、自分の愚痴も聞いてもらいな?」
「えっ?」
驚く八丈に、親潮は人差し指で右耳をトントンと叩き、ニヤリと笑う。
「私が知らないとでも?練習潜水艦に転属になったからって、ソーナーが悪くなる訳じゃ無いからな、八丈?ほら、行ってきな。」
10度の敬礼すると、国東と共に八丈は部屋を出る。
それを見送ると、親潮は剣龍とLCAC姉妹の方を見て腕組みをする。
(それにしても・・・LCAC姉妹といい、人間に見える事といい、対潜哨戒機に対潜哨戒ヘリ達に、噂じゃ陸自に空自もって聞いたなぁ・・・。鞍馬は徹底的に海自以外から隠れろって言ってきたけど、個人的には無理だろうって思うんだよなぁ・・・)
親潮は潜水艦隊の司令として、幕長の鞍馬、護衛艦隊司令の旗風、掃海隊司令の八丈達と、どう連携をとっていくかに頭を悩ませる。
(今は緊急事態って事で、鞍馬のごり押しでどうにかなってるけど・・・これ、絶対意見まとまらないだろうな・・・例の一件が無けりゃ、もうちょっと寛容だったかもなぁ・・・)
テーブルに移動すると、ミルクや砂糖を入れずに、立ったままコーヒーを飲み始める親潮。
それに気付いた3人はテーブルに近づき、剣龍はコーヒーを、LCAC姉妹はコップに入ったオレンジジュースを、それぞれ手に取り親潮の真似をして立ったまま飲み始める。
(たらればを言い出したらきりが無いけどさぁ・・・潜水艦隊はどうすっかなぁ・・・後で1潜隊の満潮と5潜隊の蒼龍に相談するかぁ・・・早く帰ってこないかなぁ・・・あぁ、頭が痛い・・・)
艦魂達にとっても自衛官にとっても、この状況発生に頭を悩ませる事に、変わりはなかった。
艦艇公開中の“くにさき”。
露天甲板の賑やかで楽しい雰囲気の足下で、親潮が今後についてを思い、深く潜航していく気分を浮上させるべく、剣龍と共に飲み終わって遊び始めたLCAC姉妹と、一緒に遊び始めるのであった。
その5をお読みいただきありがとうございます!
追記:
白瀬さんのサイドテールを左に変更の他、加筆修正があります。




