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IONシリーズ外伝三  作者: EVI
一二人の円卓の騎士達
8/9

一二人の円卓の騎士達 上

一二勇将物語。

 ――「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。 草は枯れ、花は散る。 しかし、主の御言葉はとこしえに残る」――


 これは亡国の物語である。


 ……いつからこのような名称が付いたのか、誰にも分からない。

『一二勇将』――クリスタニア王国を大国に成り上がらせた一二人の英雄(ヒーロー)達の総称だ。




 「この男を殺してもらいたい」

差し出された写真の人物を見て、イヴァンは依頼された事に素直に納得した。

人物の名前をグレゴワール・モントバン。別名を『鉄血宰相』。ここ数十年急速的に成長を遂げている列強諸国最強の国、クリスタニア王国の宰相だったからだ。この男は庶民の出で、貴族とは対立している上に、クリスタニア王国を列強諸国最強にのし上げるために辣腕を振るっていたから、別に暗殺が依頼されるのはおかしくはない、むしろ敵が多い分、当然だ。

貧民街の安いパブは、壊れかけたスピーカーから調子外れの音楽を流している。

「代金は先払いだが良いか?」イヴァンは訊ねた。

「勿論だとも」と依頼人は言った。「お前の腕は聞いている。 だが、この話は内密に願う。 絶対にだ」

「分かっている」イヴァンは安い酒をあおった。「万が一失敗した場合には自殺するから心配するな」

「それは頼もしい」依頼人はご機嫌である。「あの生意気な卑しい男が死ぬ日を、心待ちにしているぞ」

依頼人の素性は下手くそな変装で隠していたが殺し屋のイヴァンには一目で分かっていた。サー・バーナード・ウィクリフ。クリスタニア王国屈指の大貴族で、世界的な大富豪だったから。恐らく暗殺を依頼した動機は、グレゴワールがこの前貴族に対する徴税の額を上げたから、もしくは日頃の不満が溜まっていたから、だろう。クリスタニア王国の貴族は国家をむしばむガンのような存在で、私利私欲でしか動かない、と言うのは有名だった。国家のダニ、寄生虫とまで庶民にはこっぴどく言われていた。だが、イヴァンにはそんな事は関係無かった。ただ依頼通りに殺す、それだけだ。機械的にそうしていくだけだ。

イヴァンは依頼人をパブの外まで送った。依頼人は車に乗り込む、その間際に不安そうに言った。

「くれぐれも頼んだぞ? 『殺し屋』イヴァン・アセンの腕を信用していない訳ではないが……何でもあの男達には得体の知れない何かが憑いているらしいのだ。 それに惑わされぬように、な」

「人を殺すのなんて作業だ、銃に弾を込めて狙って引き金を引けば良い」

イヴァンは淡々と答える。その態度も言動も、殺し屋としてぴったりだった。

「そうか、ならば良い。 ならば、な……」依頼人は取りあえず安心したようだ。

バーナード・ウィクリフが乗り込んだ車が発進する。遠ざかっていく車を見つめながらイヴァンは呟いた。

「そう、作業だ……ただの作業だ。 殺した者は殺される、それだってただの結末だ」


 グレゴワールの予定(スケジュール)をイヴァンは調べ上げた。探偵を使ったのだ。そして、毎日一二時きっかりに王宮近くの小さな庶民向けレストラン『デカルト』の窓際の席で食事を摂る事が分かった。グレゴワールは権力者の癖に贅沢とはほとんど無縁の生活を送っていて、レストランの安い日替わり定食をいつも食べていた。着ている服は宮中に相応しいきちんとしたものだが衣装道楽では無かったし、権力を振りかざして女をたからせる事も無かった。むしろかつての聖職者のように、よく耐えられるなと感心するほど禁欲的な生活を送っていた。速やかに暗殺するならこの機会しか無さそうだ。彼は自ら現地調査に踏み切って、レストランの周りの地理を頭に叩きこんだ。幸い近くに空きビルがあって、そこの屋上からレストランの窓際がよく見えた。

彼は遠距離狙撃用のライフル銃をこっそりその屋上まで運んで、時を待った。レストランにいつものように一二時きっかりにグレゴワールがやって来て、いつものようにいつもの席に着くと、日替わり定食を頼む。その様子を双眼鏡で観察して、それから双眼鏡を置いてイヴァンは狙撃銃のスコープをのぞき込む。一発で頭を撃ち抜くのだ。

「――」

イヴァンは引き金に指をかけた。すう、と息を吸って、溜めると、引き金を引いた――、

『わああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!』

その瞬間だった、背後からいきなり絶叫が上がって仰天したイヴァンが振り返った、その頭にハンマーが振り下ろされた。気絶する寸前にイヴァンが見た光景は、黄金の肌のたくましい男が震えつつもぜえはあぜえはあと荒い息をしている、何とも奇妙なものだった。


 ……目が覚めると、イヴァンは縛られて猿ぐつわまでされて、牢獄の床に転がされていた。彼はしくじったのだ。とすると、もうじき尋問・拷問の時間がやって来るだろう、それまでに彼は死ななければならない。依頼人の情報を垂れ流すなど殺し屋として失格だからだ。だが、手足を拘束され、口も舌を噛み切れないように猿ぐつわが噛まされていては、それもままならない。こうなったら拷問の最中に隙を突いて死ななければ。近付いてくる足音が遠くから響いてきた時、彼はその決意を固めた。

だが、現れた人間を見て、彼はぎょっとした。それは彼が殺すよう依頼された人物――『鉄血宰相』と呼ばれる、稀代の政治家、グレゴワール・モントバン張本人だったからである。

 クリスタニア王国。現在、発展と隆盛を極めており、列強諸国の中でも最強と呼ばれているこの国の、王に最も近しい権力者。それがグレゴワールであった。血まで鉄で出来ていると噂されるほどの堅物で、また『優秀すぎる』政治家であった。出身が貴族ではなく平民であり、クリスタニア王国を列強諸国最強にまで導いたため、敵は数多い。

「……ふむ」とグレゴワールは彼をじっと見た。「良い目だ。 良い目をしている」

「?」イヴァンは不思議に思った。どうせ殺す相手に、何を言っているのだろう?

だが、その直後の爆弾発言に、イヴァンは人生最大の混乱(パニック)に陥るのである。

「我々の仲間にならないか」


 天地がひっくり返っても、イヴァンはこれほど混乱しなかっただろう。殺そうとした相手に、何を言っているのだ!?正気か!?だがグレゴワールは淡々と言う、

「お前は、殺し屋で人生を終わらせるつもりか。 ただのただの殺し屋で人生を終えたいか。 そんなつまらない人生で本当に満足しているか?」

「……」

つまらない人生。グレゴワールの言葉には、馬鹿にするような響きは無くて、むしろずばりと核心を突かれた気がした。心臓のど真ん中を射抜かれた気がした。混乱している頭の中で、今までの彼の人生が思い出された。

 ――彼は貧しさのあまりに親に売られた子供だった。売られた先は大富豪だったのだが、彼はそこでありとあらゆる虐待を受けて育った。彼はなすがままにされるオモチャだったのだ。しかし、ある日、彼は震えつつカミソリを手にして、隣で寝ていた大富豪のでっぷりと肥えた首筋に、切りつけた。

どうしてそうしたのか。

それは、一緒に虐待を受けていた仲間の少女が、ついに大富豪によって惨く殺されたからだった。大富豪には殺すつもりは無くて、首を絞めて遊んでいたら死んでしまった、くらいの認識だった。だが、それが彼には許せなかった。殺した者は殺されるのだ。その絶対的な、神でも覆せない認識が彼を支配していた。だから、彼は殺した。殺して、逃げた。……それから彼は殺し屋になって、そう生きてきた。

「……」

「人は満足を求める。 満足のために生きている。 渇きを潤したいと願う。 私もそうだ。 それが何のための満足であるか。 私の場合はただ国王陛下のためだ。 愛国心のようなご大層な理由では、無い」

グレゴワールの言葉には、まるで敬虔な信者のような堅実さがあった。まるで家を建てるために一つずつレンガを地道に積み重ねて行くような着実さと確実さがあった。それは恐らく彼の実体験から来ているのだろう。経験は人を鍛錬させ、過去を学ばせる。開眼した者にだけ知りうる真実を伝える。

じゃあ俺は、とイヴァンは思った。何のためだった?

「……」

何のためでも無かった。彼はまるで機械のように生きてきた。目的も満足も無かった。彼は、突然苦しさを感じた。どうしようもない苦しさを感じた。彼には無かった。何も無かったのだ!彼は機械のように生きてきたが人間だった。熱い血の通う人間だった。その隠そうとしていた、隠してきていた真実をえぐり出されて、それは猛烈な苦しさとなってイヴァンを襲った。人として生存する確固たる理由が欲しかった。彼は今渇いて、渇ききっていて、それを潤す冷たい水が欲しかった。

 ……数人の足音が慌ただしく近付いてきて、見れば男女の混ざった集団がやって来たのだった。

「おいグレゴワール! 貴様何をやっている!」

馬鹿でかい声の男――クリスタニア、いや、恐らくは世界最強の戦略家にして軍人、『常勝将軍』オリエル大将だ――が怒鳴った。

「相手は殺し屋ですわよ! 貴方まさか――!」短髪の女が叫ぶ。異名を『カミソリ』、外交戦略の鬼と呼ばれるアナベラだ。文字通りカミソリのように鋭くきわどい外交戦を繰り広げるためにそう呼ばれている。

「貴方、馬鹿なのぅ、それとも無謀なのぅ?」毒舌なのは『毒殺貴婦人』マダム・マクレーンだ。美女だが諜報活動の悪魔である。ついでに愛した男を次から次へと毒殺すると言うとんでもない趣味の持ち主である。「死にたいならせめて他人に迷惑をかけずにお死になさい。 貴方が今死ぬと凄い迷惑が私達にかかるのよぅ?」

他の面々も、いずれもクリスタニア王国の近年の発展と強大化を支え、主導してきた人間達だ。

「分かっている。 だが、この男、見所がある」とグレゴワールは言った。

「見所も何もグレゴワール、コイツはお前を殺そうとしたんだぞ!?」

オリエル大将はただでさえ馬鹿でかい声をいっそう張り上げた。

「暗殺が恐ろしくて政治家をやっていられるか」

グレゴワールはそう言うなり、イヴァンを見つめて、言った。

「お前も『何か』が欲しいだろう? 『何か』のために人生を費やして、満足を得たいだろう? 大義名分のような建前では無く、性癖のようなどうしようもないものでも無く、もっと中身のある、それのためには命を捨てても良い『何か』のために」

「……」混乱も静まり、冷静になったイヴァンは、頷いた。今まで生きてきた時に、感じた事の無いものを感じたい。心底彼はそう思った。目的が無くても人生は送れる。食べて眠って排泄してそれで一生を終える事も出来る。だが、それでは何のための人生だ!彼は機械では無かった。殺し屋だったが、人間だった。人間とは何かのために生きたがるものだった。何かのために死にたがるものだった。『何か』。自分よりも素晴らしい『何か』のために。まるで火が燃え上がる時のように、己を焼かせて火がいっそう輝くのを感じるために。己の身を燃やしたい、と心底彼は思った。燃やして、鮮やかな炎を感じたい。それは火に飛び込む虫のような儚い自己犠牲的なものでは無く、誰に知られずに終わったとしても、永遠の彼方にあり続けるような美しくも素晴らしいものだった。

「……」

グレゴワールへの殺意はもう無かった。そもそも彼は殺意で動いていたのでは無い。ただ金のために、何となく殺してきただけだった。殺されるのを覚悟の上で。拳銃の引き金を引くように、持っていたナイフを機械的に突き刺す事は可能だったが、そのスイッチがもう入らなかった。

「鍵を開けて拘束をほどいてやれ」と、グレゴワールは言った。

「「グレゴワール!!!」」

周りの総反対の中、グレゴワールは牢番に命令して、イヴァンを解放した。

「名乗っていなかったな。 私はグレゴワール。 グレゴワール・モントバンだ」

「……イヴァン・アセンだ」

「ではイヴァン、我々の仲間になるかどうか、明日の夜一二時まで私は待とう。 私を殺すかどうか、それまでに決めておくが良い。 良い返事を期待している。 さあ、行くが良い」

イヴァンは黙って歩き出した。どうしようもない苦しさと、それをどうしたら良いのかさっぱり分からない困惑を抱えて。


 イヴァンは考えた。こんなに悩むのは初めてだと言うくらい悩んだ。考えすぎて熱が出たくらいだった。彼は安い酒をパブであおりながら苦しんだ。苦しみに潰されそうになった。人間として生きたい。機械のようには、もう戻れない。だが、彼は依頼を受けている。殺し屋としての義務と人間としての熱情が、彼を両ばさみにして天使と悪魔の囁きをした。

彼は迷った。心底迷った。けれど、彼は――もう人間の血の熱さを知ってしまっていた。渇きを満たされたい人間の、ごく自然な摂理に体が向いていた。もう、戻れない。知ってしまったらもう戻れない。知ってしまって気付いてしまったが最後、彼はもう――。

それに気付いた途端、彼ははっとした。悩みの雲がすっきりと晴れて、青空になった。彼はパブから出て、安宿に行った。そこでたらふく飯をかっ込んだ後に六時間眠ると、酔いも醒めて冷静になった。

 真夜中に彼はサー・バーナード・ウィクリフの邸宅に向かった。彼は邸宅内に召使いのふりをしてするりと侵入すると、バーナードの寝室に向かった。寝ているバーナードとその愛人を一べつすると、そっとバーナードの唇のすき間に一滴の毒薬を垂らした。眠りながら死んだバーナードに向けて、彼は心中で呟いた。裏切ってすまない、と。だが彼には裏切ってでも満たされたい『何か』を切実に求めていたのだ。名声ではない。名誉でもない。権力でもない。力でもない。金でもない。命でもない。もっと鮮やかで輝かしい『何か』を。命がけでのみ得られる、『何か』を。それをグレゴワールなら与えてくれる、否、己の手で勝ち取る方法を教えてくれそうな気がしたのだ。

 彼は邸宅から抜け出すと、そのままグレゴワールの執務室に向かった。


 ――グレゴワールは起きていた。机に向かって書類に何か書いていた。

彼が気配を出すと、グレゴワールは顔を上げる。

「来たか。 ……ふむ、どうやら私を殺しに来たようでは無さそうだな」

「……どうすれば満足できる」とイヴァンは言った。

「やりたい事をやった時に人は満足できる。 成し遂げる事に潤される。 一つお前に頼みたい仕事があるのだが、やってみないか。 これをやる事で、お前はただの殺し屋から脱するだろう」とグレゴワールは一枚の書類を取りだして、言った。

「……何だ?」

「紳士的な脅迫だ」グレゴワールは書類を差し出す。「お前にしか出来ない仕事だ」

 書類には、国家的機密が書かれていた――資源豊かなレマニア鉱山の支配権を巡っての、クリスタニア王国とカルバリア共和国との緊迫した関係に、聖教機構(ヴァルハルラ)がついに軍事介入しようとしていた。

この世界には魔族と言う特殊能力を持った存在がいる。聖教機構はそれを人間の支配下に組み込んでいる世界的巨大勢力だ。クリスタニア王国は強大化を続けていて、このままでは己に牙を剥く存在になると聖教機構は恐れていた。強大な力を持つ聖教機構に軍事介入されれば、クリスタニア王国は引き下がるしかない。まだ戦力ではクリスタニア王国は列強諸国最強とは言え、聖教機構には敵わないのだ。カルバリアの大統領はそれを見越して非常に強硬な態度を取っている。

イヴァンの役目は、聖教機構に介入させずにレマニア鉱山の支配権をスムーズに移譲するように大統領を脅して、そうし向けさせる事だった。

イヴァンは何だか子供のようにワクワクしてくるのを感じた。頭はこれ以上なく冷静で澄み渡っているのに、静かな興奮が彼を包んでいた。面白そうだ。凄く面白そうだ。

「……良いだろう。 やってやろうじゃないか」

書類を返して、イヴァンはにやりと笑った。


 カルバリア共和国大統領はその日も普通にベッドの上で目が覚めて、起き上がって、そして何気なく枕の方を見て、悲鳴を上げてベッドから転がり落ちた。

枕元に紙切れが鋭いナイフで突き刺されていて、その紙切れには「レマニア鉱山から手を引け、二度目は無い」と書かれていたのだ。慌てて警備の者に確認したが誰も不審者など通していないと言った。大統領は恐怖に震え上がった。わざと、だ。わざと彼を殺さなかったのだ。いつでも殺せるから殺さなかったのだ。二度目は無い。確かに人は魂を一つしか持っていない!

 大統領は全閣僚の大反対を押し切って、その日の内にレマニア鉱山の支配権をクリスタニア王国に移譲する事を決めてしまった。これが原因で彼は議会により罷免されるが、その顔には何故か安どの表情が浮かんでいたと言う。


 「よくやってくれた」グレゴワールはそう言って、イヴァンの手を強く握った。「これでこの国はもっと強くなれる。 国王陛下が喜んで下さる。 ありがとう」

だが、イヴァンはしかめっ面をした。

「……どうしたのだ?」手を強く握りすぎたか?グレゴワールは戸惑った。

「……いや。 今まで仕事をやってありがとうだなんて言われた事が無いから、どんな顔をすれば良いのか分からない」

仏頂面で言うものだから、グレゴワールは苦笑して、

「素直に喜べ。 お前はそれだけの事をやってくれた」

「……」イヴァンは内心では凄く嬉しいのに、それを顔に出す方法がまだ分からなかった。何だかむずがゆくさえなってきて、イヴァンは嬉しい癖に困ったのだった。


 ……イヴァンは円卓の一席で縮こまっている。彼を含めて合計一二人が座っている円卓の席で、彼はらしくもなく委縮していた。居並ぶ面々が面々だったのだ。鉄血宰相グレゴワール、常勝将軍オリエル、金融王ユースタス……などなど、クリスタニア王国を支える屋台骨のような権力者達が集っていたのだ。

「ワシは反対だ」とオリエルが相変わらずの大声で言う。「こんな殺し屋上がりを仲間だとは認めんぞ!」

「まあまあ」と『大判官』クロードがなだめる。彼は官憲のトップに立っている男である。誰も公言こそしないが、彼のかつらの不自然さは自然と本人から目を逸らさせるくらいであった。「綺麗事だけで国は動かしてはいけない。 汚れ仕事を担当するヤツだって必要なのさ」

「だが――」

「グレゴワール、彼は信頼できるのかね?」発明家のアルトゥールがオリエルの反対をさえぎって問うた。「仲間云々以前に、それが問題だ」

「出来る」断言である。鋼の一言である。「現にイヴァンは行動してくれた。 レマニア鉱山の件はイヴァンのおかげで解決したようなものだ」

「貴方がそう言うのなら……」『殺人博士』Dr.シザーハンド、もはや人間離れした手術の天才だが、恋人を殺して食べてしまったと言う経歴を持つ男が、渋々と言った感じで引き下がる。

「それよりも、聖教機構との軋轢が問題です」アナベラが話題を変えた。「このままですと五年以内には必ず戦争になります」

「五年か。 どうしてだ?」『名内相』アンデルセンが訊ねた。担当分野が違うため、事情がよく分からないのである。内政と外交と。

「現在クリスタニア王国は急速に発展しています。 強大化しています。 我々を支配したがる聖教機構にしてみれば、それはとても見過ごせないものでしょう。 ですが聖教機構の精神的支配下から私達は脱しなければならない。 そうしなければこの国は所詮列強諸国止まりです。 間違いなく戦争は起こります。 この国が世界的勢力になれるか否かの戦争です。 私は戦争は嫌いです。 わざわざ戦争を起こすくらいなら別の手段を探します。 しかしこれだけは避けられない。 いかなる手段を以てしてもこれだけは戦うしか無いのです。 五年と言ったのは、現在のクリスタニア王国の国力が辛うじて聖教機構に匹敵しうるのが、およそ五年後だからです」

「……なるほど、な」アンデルセンは難しい顔をして、黙り込んだ。

「マルバス!」とマダム・マクレーンが呼んだ。のそのそと彼女の背後から、イヴァンを殴って気絶させたあの黄金の肌の男が現れて、イヴァンはぎょっとして思わず叫んだ。

「……な、何だその男は! どこから入ってきた!?」

『ヒャア!』と男はイヴァンの叫びにびっくりして飛び上がった。『私ですか!? 私は悪魔ですよ』

「……悪魔?」

それは、伝説上の生き物では無いのか……?

『そうです、異界(ゲヘナ)に住んでいる悪魔です、エッヘン!』と男は無駄に胸を張った。『諜報活動が得意なんですよ! 凄いでしょう?』

「貴方の得意なのはお漏らしと泣きべそでなくってぇ?」

マダム・マクレーンの毒舌に男は風船がしぼむようにしぼんだ。

『いえ、その……シクシク』しおれてから、泣き出した。

 イヴァンはもう色々と訳が判らなくなってきた。悪魔がまず実在した事。その悪魔により自分は捕らわれた事。悪魔の特技が諜報活動であると言う事。だとしたら己が捕まった事にも、マダム・マクレーンが諜報活動の悪魔と呼ばれている事にも納得が行く。何しろ悪魔と手を組んでいるのだから。納得が行くのだが、それでも混乱してしまう。何しろ、初めて知ったのだから。

「それでマルバス、聖教機構の方針はどうなのぅ?」

『シクシク……ほとんどアナベラさんの言っている事と一致していますよ。 出来るだけ早く叩き潰しちゃおうって、雑草はまだ幼いうちに引っこ抜こうって、着々と準備をしています。 聖教機構十八番(おはこ)の無差別絨毯爆撃を今にも実行しかねない雰囲気でしたよ』

「噂のあれか。 対万魔殿(パンテオン)にやるならともかく、同じ人間の上にも爆弾の雨を降らせるとは……!」オリエルが渋い顔をしている。

万魔殿とは、人が魔族を支配する聖教機構と正面激突している、魔族が人を支配する巨大組織だ。この両者はもう何百年も世界戦争を繰り広げている。だが、戦争状況は一進一退で、そのパワーバランスはどうしようも無いくらいにかちこちに固まっている。局地戦での勝った負けたはあるのだが、どちらも決め手に欠けているのだ。

「五年……後二年くれないか」アルトゥールがいきなり言い出した。「後二年あれば、その十八番を封じる手だてが完成する」

「それは何だ?」ユースタスが訊ねると、アルトゥールはにやりと笑って、

「――最新兵器『空中戦艦』だ」

「「!」」グレゴワール達の間に驚きが走った。

「こちらで作れるものは向こうでも作れるだろう。 だが、最初の一歩を踏み出したのが誰かと言うのが一番の肝心だ。 向こうの出鼻をくじくくらいの役目は出来るだろう」アルトゥールはそう言った。

「出鼻をくじく? とんでもないぞ。 それが出来れば一気にたたみ掛ける事が出来る!」オリエルがどんと拳で円卓を叩いた。「勝てるぞ! 否、勝ってみせる!」

「待て! 更なる研究費を何とかして捻出するから、その完成を一秒でも良いから早めろ!」

ユースタスが慌ててソロバンを取りだして何か計算を始めた。

「おお、ケチなお前が大盤振る舞いとは!」アルトゥールは万歳をした。その目つきたるや、マッドサイエンティストのそれだった。正気の目つきでは無かった。「研究、研究だ! 研究と開発が出来るぞ、ヒャッハハハハハハー!」

「馬鹿。 大馬鹿。 大馬鹿野郎。 大事な事だから三回言ったが、私が普段ケチなのはこう言う時のためだ!」ユースタスはソロバンから顔を上げずに言った。

「二年か。 それまで何としても開戦は引き延ばさなければならんな。 アナベラ、出来るか?」

グレゴワールの問いに、彼女はしっかりと頷いた。

「『空中戦艦』が実用に耐えうるようになるまで、聖教機構の動きを止めるべくワイロをまき散らします。 出来ればもっと激しい混乱を起こしたいのですが……」とアナベラはイヴァンの方をちらりと見たが、すぐに首を左右に振った。「……いえ、ワイロで充分でしょう、現時点では」

「……充分でなくなったら」イヴァンは、自ら口を開いて、ゆっくりと言った。「俺が聖教機構幹部を暗殺するから心配するな」

「「ッ!」」分かってはいたものの、動揺に包まれる一一人の仲間達に、イヴァンは言った。

「……汚れ仕事は任せてくれ。 罪悪感を覚える必要は無い。 俺はそう言う男だし、何よりお前達が『絶対的正義』のような偽善的なものを持っていなくて、これが正しいのだろうかと常に迷っている、その姿勢である限り、俺はお前達の味方をする」

「……すまない」とグレゴワールはぽつりと言った。


 ――聖教機構がクリスタニア王国に宣戦布告したのは、それから三年目の事だった。第一次ベタニア戦争と呼ばれるこの戦争は、クリスタニア王国にとって今後の命運の全てがかかっていると言っても良いくらいの重大なものだった。ただの列強諸国であり続けるか、そこから一歩高みへと昇るか。

 聖教機構は空軍の大編隊を組織してクリスタニア王国の街に爆弾を降らせるべく進軍した。彼らは勝利を確信していた。だって相手はたかが列強諸国の一つだ。いくら彼らが万魔殿と現在激しく戦っていても、勝てる、と。

 だが、その指揮系統がいきなり混乱する。総指揮官であった聖教機構幹部が、いきなり暗殺されたのである。イヴァンの仕業であった。その直後に、クリスタニア王国空軍は見た事も無い新兵器を戦場に投入した。

 ――その白く優美な空飛ぶ船を、誰が空中戦艦だと思うだろうか。だが、その白い戦艦の群れは瞬く間にその射程圏内まで聖教機構空軍と距離を詰めた。その射程距離は、わずかに聖教機構空軍の攻撃が届かぬ距離だった。そこから、ほぼ一方的に砲弾が放たれた。聖教機構空軍は驚愕して、勢いを失った。出鼻をくじかれた聖教機構空軍のその混乱を突いて、いつの間にか現れたクリスタニア王国軍の戦闘機の群れが、横から猛禽のごとくなだれ込んだ。

『撤退を!』悲鳴のような通信が次々と聖教機構幹部らの元に届いた。『撤退を! 敵は新兵器を導入しました! こちらの勝ち目はありません! ぐ、ぐああああああ!……ザ、ザー、ザー、ザー……』

聖教機構幹部らは屈辱感のあまり顔が真っ青に染まった。世界的勢力である彼らが、たかが列強諸国の一つに、局地戦でとは言え『負けた』のだ。しかも丁度彼らは万魔殿と激しく激突していて、これ以上の戦争継続は不利になる一方だった。そこに、すかさずクリスタニア王国から停戦条約の締結の打診があって、彼らは自分達がとことんクリスタニア王国の手の平の上で踊らされていた事を知る。停戦条約は、勿論クリスタニア王国にとって圧倒的有利になるようなものであり、しかもそれを呑まなければ聖教機構は万魔殿との戦争で劣勢になってしまう、そんな内容だった。

 ……第一次ベタニア戦争はかくして終わった。誰がどう見てもクリスタニア王国の勝ちであった。


 「だが、油断は出来ない」グレゴワールは執務室でひとりごちる。「これからこそが茨の道なのだ」

「……どうしてだ?」

気配を感じさせずに登場したイヴァンに、グレゴワールは背中を向けて言った。

「列強諸国と聖教機構が連携して、また我々に戦争を吹っかけてくるやも知れんからだ」

「……」

「だが我々は勝たねばならん。 勝って、大国に成らねばならん。 それが国王陛下との約束だ」

「……約束? 何の約束だ?」

「……」グレゴワールは少し黙った後、ぽつぽつと言った。「もう昔の事だ。 私は生意気な木っ端役人だった。 上と激突して馘首くびにされかけた。 だがそんな私を見いだして今の地位に就けて下さったのが陛下だった。 陛下は、おっしゃった。 『この国を大国にしてくれませんか?』と。 『豊かな、素晴らしい国にしてくれませんか。 貴方ならそれが出来るような気がするのです』……陛下は私を信じて下さった。 私の可能性を信じて下さった。 だから私はその信頼に応えたい。 約束を果たしたい。 それだけだ」

「……」イヴァンは、『俺もそうしたい』と強く思った。この汚い世の中で、それはとても美しく、尊いものに思えた。仲間のためにそうしたい。そうする事で、彼は満足を得られる気がする。否、満たされる。

だが、グレゴワールは、乾坤一擲の戦争に見事に勝ったと言うのに、意外な事を言った。

「『人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。 草は枯れ、花は散る。 しかし、主の御言葉はとこしえに残る』――この国もそうだ。 いずれは滅ぶ。 いずれは終わる。 この国がいくら繁栄しようと、滅びの要因はあちこちにある」

イヴァンはぎょっとした。国は繁栄する。そしていつかは滅びる。その現実を眼前に突きつけられた気がした。

「グレゴワール! お前はそんな空しいもののために骨身を削って――!」

グレゴワールは首を左右に振った。

「空しい? とんでもない。 私はただ、今、国王陛下が喜んで下さる事が楽しいのだ。 確かに空しい努力だろう。 確かに意味の無い行いだろう。 だが、それでも私はやるのだ。 人の営みはおしなべてみな空しい。 だが、それでも人は営んでいく。 私もその一人だ。 諦めたいなら諦めるが良い。 私は諦めない。 世界が滅びる最後の日の前日になっても、私はリンゴの木を植えるだろう」

「……グレゴワール。 では俺はそのリンゴの木に水をやろう」

イヴァンがそう答えると、グレゴワールが穏やかに笑ったのが気配で感じられた。


 第一次ベタニア戦争から幾星霜が経ったか。誰が言い始めたとも知れないのに、瞬く間にその名称は世界に広まった。

 『一二勇将』

クリスタニア王国を支え、成り上げさせている一二人の英雄達の事を。貴族と平民の垣根を越えて生み出された、王宮の円卓を囲む一二人の仲間達の事を。クリスタニア王国を世界的勢力にまでした、漢達の事を。

「何だかケツがむずがゆくなるような名称だな」とオリエルはぼやく。「ワシは出来れば智将と呼ばれたいぞ、勇将はいかん、ああ言う熱血漢は兵を無駄死にさせるだけだ。 戦場に熱血漢は要るだけ邪魔だ。 必要なのは怠け者で狡猾な、ただし軍紀を守る兵士だ」

「あらぁ」とマダム・マクレーンが扇で口元を隠しながら、「じゃあ私は美将が良いわぁ」

『貴方の場合は毒将でしょう』余計な事を言ったマルバスが彼女に睨まれて、ひゃあっと飛び上がった。『じょ、冗談ですよ、冗談!』

「人を不愉快にさせて何が冗談なのかしらぁ? マルバス、貴方は後でお仕置きよぅ?」

『助けてえええええ!』マルバスはマダム・マクレーンから飛び退いてDr.シザーハンドの背後に隠れた。『殺される!』

「……そう言えば私は悪魔を解剖した事が無いんですよねえ」そのDr.シザーハンドは鬼畜のような発言をした。満面の笑顔で。「悪魔の場合どんな臓器があるので」と言いかけた所でマルバスは這いずるようにしてグレゴワールの背後に隠れた。

『助けて下さい殺される!!!』

「……お前達」とグレゴワールはため息をついて言った。「本気で言うな」

「ううむ」と『法大家』ランディーが首をひねって、「確かクリスタニア王国の憲法では悪魔には人権が無かったな。 そもそも悪魔なぞいないと言う定義になっている。 と言う事は別に何をしてもとがめる法律も無いと言う事だ」

「そうだな」クロードも言う。「別に殺『人』未遂でもない。 逮捕する事も出来んな」

『うわあああああああああああああん……』マルバスはついに泣き出した。『何で私はこんな恐ろしい人に憑いてしまったのだろう……主よお助け!』

「……悪魔が主とか言うのか?」イヴァンは疑問を感じた。「悪魔なのにか?」

『救世主は別に悪魔を差別したりしていませんでしたからね。 あの人滅茶苦茶良い人でしたよ。 魔族ですら赦したんですから。 可哀想に弟子に裏切られて殺されちゃったけれど、私あの人嫌いじゃないです』

マルバスは、悪魔の癖に信じられない事を言い出した。

「マルバスは救世主に会った事があるのですか!?」びっくりした顔のアナベラに誇らしげに、

『そりゃあもう! 一時期は真剣に私も教徒になろうかと思ったくらいですよ。 でもあの人、崇められるのは苦手だとかおっしゃっていたっけ……』

「何だか聖典に書いてある事と矛盾が多すぎるのだが」オリエルがぼそりと言った。

『だって聖典は滅茶苦茶改ざんされていますからね! 言っちゃ悪いですがあれはパチモンです。 聖教機構や、その前身だった教国(ヴァティカン)によって、かなり書き換えられていますから。 教えを直に、生身で聞いた身としては、何だかなあって感じですよ』

「五〇〇年前ならばマルバス、そんな事を言ったが最後、お前は焚刑だったぞ」ランディーがぶるぶるとわざとらしく震えた。「まあ、悪魔と付き合っている我々も同罪だがな」


 そのマルバスがある日、王宮の片隅で血反吐を吐いて悶え苦しんでいた。発見したイヴァンは一体何がどうしたんだと思って、介抱してやりながら質問した。

「……何がどうして悪魔が血反吐を吐いて悶えているんだ」

『げ、げぼぁ……マダム・マクレーンに毒を……ゲホッゲホッ、これで三七回目です……』

「……」

流石は毒殺貴婦人、やる事がえげつない。可哀想になってイヴァンはマルバスが落ち着くまで世話してやった。落ち着くなりマルバスは泣き出した。全然落ち着いていない。

『シクシク私が毒程度では死なないからってあの人いつも非道い事をシクシク……』

イヴァンは、あの、最初に出会った時、いきなり殴られた恨みも忘れて励ました。

「……頑張れ。 明日にはきっと良い事があるから」

『シクシク励ましありがとうございますシクシク……』

涙もろい悪魔だなとイヴァンは思った。悪魔と言えば『悪魔』をイメージするのだが、マルバスはその点全然悪魔らしくない。むしろマダム・マクレーンの方が悪魔的である。そう言えば救世主の信徒になりたいとか言っていたな、とイヴァンは思い出した。悪魔にも色々な種類がいるようだ。

「……悪魔にも色々といるようだな」

『そりゃあ魔王から私のような木っ端悪魔まで色々いますよ!』とマルバスは胸を張った。何のために胸を張るんだ?とイヴァンは思ったが、突っ込まないでおいた。

「……魔王……と言うと?」

『サタン様ですね』マルバスは遠い目をして語る。『もう凄まじいの何の。 あれは、あの力は、正に魔王のそれですよ。 あの御方が本気を出せば、ありとあらゆる国もこの星も根こそぎ滅ぶでしょう』

「……それは怖いな」と言ったもののイヴァンは想像が出来なくて、漠然とそう感じた。この星が滅ぶと言われてもどうもそれは具体性に欠けるような気がした。ただ、曖昧に怖いと感じただけだ。マルバスは思い出しつつ語る、

『でもあの御方は哀れです。 「(アガペー)が分からない、愛を認識できない」、そのために異界で安らぐ事も出来ずにずうっとこの世を彷徨っているそうなので……』

「……愛か」

『救世主が一番伝えようとしたものです。 哀しいこの世界のたった一つの救い。 私はあの御言葉にぞくぞくしましたよ。 愛だけがこの世界を救う、と断言されたのですから。 このどうしようもない残酷な世界を』

「……神が救うのでは無いのか?」

神と言う単語を耳にした途端に、マルバスは目を見開いた。

『神! 神なんか! あんな残酷な神なんか冗談じゃありませんよ! あんな神が生きていたら、この世界は今頃とんでもない世界になっています!』

イヴァンは混乱した。「……神と救世主は同じ存在では無いのか?」

『全然違います。 それ聖典の書き方が悪いんです。 えーと』と頭をひねって、『神は二種類いるんですよ、真なる神と残酷な神と。 真なる神が救世主を遣わした方で、残酷な神はこの世界を創造した方です。 だからこの世界は不完全でろくでもない。 おまけに残酷な神が支配しようとしていたものですから、酷かった。 無慈悲だった。 それを見るに見かねた真なる神が救世主を派遣されたんです。 これ聖教機構のトップシークレットですよ? でも通説です。 真実です。 私も見てきたんですから、間違いない』

悪魔に聖典を語らせるとは、とイヴァンは思った。だが、マルバスは嘘をついているようには見えなかった。救世主について語る時にとても懐かしそうに目を細めている姿は、悪魔の癖に酷く人間らしかった。

「……そうか。 ちなみにお前は悪魔の中ではどんな悪魔なんだ?」

『……』マルバスは落ち込んだ。いじいじと床にのの字を描いている。『悪魔一もろい男と呼ばれています……』

「……何がもろいんだ」

『涙腺と……膀胱です』

「……漏らすのか」いい年こいた、と言うか、もう数百年と生きているだろうに漏らすのか。イヴァンは呆れた。

『漏らしますよ、ええ!』やけくそ気味にマルバスは叫んだ。『怖すぎると漏らしますよ! ですのでいつも着替えを引っさげているんです! 悪いですか!』

「……いや、別に」とイヴァンは目を逸らして言った。それが彼に出来る精一杯の気遣いだった。


 オリエルに自分は嫌われているようだとイヴァンは感じていた。オリエルは良くも悪くも軍人の武人であり、殺し屋の事を嫌っているらしい。同じ人殺しでも、戦争で人を殺すのと金で人を殺す違いがある、と言う事だ。実際は『殺人』は『殺人』で、そこにどんな理由が付こうと変わらないのだが。それにイヴァンは元々はグレゴワールを暗殺しようとしていた。信用が置けない、と言う敵意のこもった視線にも、イヴァンはすぐに慣れてしまい受け流すのだった。オリエルの性格上、陰湿な嫌がらせなどは無かったし、特にイヴァンは傷付いたりもしなかった。まあ無理も無いだろうな、くらいに思っていた。

 ある日イヴァンはちょっと変装して、ちょっと遠くまで散策に出かけようとクリスタニア王国首都クリスタニアンの地下鉄に乗った。運悪く地下鉄は満員に近い状態で、人がすし詰めされていた。イヴァンは、そこで、痴漢に襲われている若い女を見つけた。可哀想に真っ青になって震えている。壁際に追いつめられて、逃げようにも逃げられない。イヴァンは地下鉄が駅に止まって乗客が乗降を始めた瞬間、人をかき分けて痴漢に近付いた。近付くと、彼はぽんと痴漢の肩を叩いた。はっと痴漢が振り返ったその顔面に拳がめり込む。痴漢はぎゃあと悲鳴を上げて、いっせいに乗客が何事だと視線を向けた。

「……もう大丈夫ですよ」イヴァンは穏やかに女に話しかけた。それから乗客に向かって、「痴漢です、この男!」と叫んだ。

鉄道警察に次の駅で男を突きだし、女は何度もイヴァンにお礼を言った。美人で芯が強そうな顔をしていた。着ている服は品の良いカジュアルなもので、きっとそれなりに裕福で育ちの良い平民なのだろう。言葉の端々に貴族のような偉ぶった口調は無かった。彼女はこの駅で待ち合わせをしていると言い、もうすぐその相手、婚約者が来ると言った。イヴァンは凄く嫌な予感がした。

「……」

「……」

婚約者が到着した途端、気まずいなんて段階(レベル)の話ではない重たい空気が流れる。

「ねえヴァレリー!」とその空気をまだ読んでいない女がにこにこして言った。「この方、私を痴漢から助けて下さったの、どうかこの親切な方に貴方もお礼を――」

「……いえ、結構です」イヴァンは消えてしまいたい衝動に駆られた。彼の変装は本当にちょっとしたもので、彼を良く知る人間ならば一目で見破れるものだった。「……オリエル。 お前婚約していたのか」

ヴァレリー・ド・オリエル。グレゴワールの仲間達の一人である。だがイヴァンと彼は水と油の関係だった。

「……成人が婚約してはならんと言う法律はこの国には無いぞ」

「……それはそうだが」

だが、ちょっとデリカシーに欠ける所のあるオリエルが、婚約までこぎ着けていたなんて、意外も意外、想定外だった。多分、恋は盲目と言うヤツだろうとイヴァンは女に同情した。

開眼して、恋の夢が覚めたら、自分の選択を彼女は間違いなく後悔するだろう。オリエルは軍人としては優秀そのものだが、人間としては微妙な所がある。デリカシーに致命的に欠けている所があるのだ。

「あら!」と女は嬉しそうに言う。「貴方、ヴァレリーのお知り合いだったのね!」

「……ええ、まあ、はい」イヴァンは返答に困った。確かに知り合いである。だが、仲良しではない。一緒にいてもどう会話したら良いのか全く分からなくなる関係である。

「……まあ、な」オリエルも困っている。

「奇縁だわ! 本当に良かった!」女だけがまだ空気を読んでいない。

「……後の事はワシに任せて、お前は先に帰れ」オリエルはいつになく小さな声で言った。

「はーい!」と女は何度もお礼を言いながら、去っていった。

「……」

「……」

騒がしい駅にて、重苦しさのあまりに窒息死しそうな雰囲気の中で、二人は、沈黙している。

「……礼は言わんぞ」とオリエルは言った。

「……それで良い」イヴァンはぼそりと返事した。


 Dr.シザーハンドは殺人博士と呼ばれている。手術の天才でありながら、恋人を殺して食べてしまったと言うおぞましい過去を持っている。それで刑務所に入れられたのを、国王が特別に恩赦して、一二勇将の一員となった。

 グレゴワールが発作的に自殺未遂をしたのがそもそもの原因であった。国王クレーマンス七世に王妃アンリエッタとの密通を疑われたショックで、発作的に自分の胸を拳銃で撃ちぬいたのだ。その『密通』は、王妃が国王の浮気癖のあまりの酷さをグレゴワールに思わず愚痴っていた、と言うのが真相であった。国王は慌てふためき真っ青になり、王妃には平手をくらった。しかもグレゴワールの自殺未遂が狂言で無かった証拠に、銃弾は心臓の厄介な位置に食い込んでおり、並大抵の医師では取り出せない、と言う状況であった。だが、あのシザーハンドならば出来ると医療関係者の誰もが言ったため、国王は急いで恩赦したのだ。

Dr.シザーハンドは主に国王や一二勇将の健康を維持していた。物腰の穏やかな紳士であり、優しそうな眼鏡の奥の目を見ていると、とてもこの男があんな所業をしたとはとても思えないだろう。

彼はある日、イヴァンの身体改造手術を提案した。加齢によりおとろえていく体を、機械化により補強しようと言うのだ。イヴァンは二つ返事で承諾した、のだが、

「……食べたりするなよ?」急に不安になって彼は念を押した。「俺は食べてもそんなに美味しくない、と思う」

「食べませんよ」とDr.シザーハンドは呆れたように言った。「私が彼女を食べたのは、恋しかったからです」

「……食べてしまいたいくらい可愛かったのか?」

「そうですねえ、そのくらい恋しかったのは確かです」彼はふと哀しそうな顔をした。「彼女は精神を病んでいたのです。 生きる事が何よりも苦痛だといつもいつも言っていました。 生きてくれと頼んでも、どうして生きなければならないの、と返されまして。 私のために生きてくれと説得したのですが……彼女は何度も自殺未遂を繰り返した。 彼女の手首は傷痕だらけでした。 私も彼女を治すつもりが病んでいったのかも知れません。 気付いたら彼女を殺すために、治すためではなく、メスを手にしていました」

「……」イヴァンは黙って聞いている。

「でも、好きだったんですよ。 死んでも相変わらず。 愛しくて愛しくて、気付いたら食べていました。 食べてしまっていました。 とろりとした眼球の味を私はまだ覚えています。 美味しいとは思いませんでした。 ただただ愛おしかった。 ……彼女を食べる事で、寂しがり屋だった彼女を一人にはしないようにしたかったのかも知れません。 だから私は反省していません。 後悔もしていません。 でも、もう二度と彼女のように誰かを愛せる事は無いでしょう」

「……それでも」イヴァンは口を開いた。「殺人は殺人だ。 殺した者はいずれ殺される」

「分かっていますよ、ええ」

Dr.シザーハンドは何もかも呑みこんだ顔で、頷いた。

「だからこそ私は今こうやって働いているのです。 義務を果たすために。 この義務さえ果たせたらもう心残りは無い。 私は、いつ死んでも構わないのです」

「……そうか」とイヴァンは不思議な共感を覚えた。彼もまた殺してしまった人間だからである。いずれ殺し返される事を理解している人間だからである。因果の絶対応報を分かっていて、だからこそ今を生きようとしている。イヴァンはグレゴワールの言葉を思い出した。『私はリンゴの木を植えるだろう』――それにイヴァンは水をやる。だとしたらDr.シザーハンドは肥料を用意するだろう。一二勇将はみんな、そんな人間だ。イヴァンはその一人になれた事を心底運命の女神に感謝した。滅びない『何か』のために生きられる事を、本当に嬉しく楽しく思った。


 クリスタニア王国国王クレーマンス七世は一二勇将を率いている。クリスタニア王国では国王の権力こそが絶対であり、抗う事が出来る者はいないほどである。彼こそがこのクリスタニアで唯一の絶対的権力の持ち主なのだった。

 稀代の名君と呼ばれても、クレーマンス七世も人の子であった。非常に人間らしい人間だった。普段は温厚な男だが、貴族におだてられれば調子に乗り、グレゴワールらに説教されればしゅんとなる。美女を見れば食指が動き、王妃に尻をつねられれば悲鳴を上げる。美食と美酒には目が無くて、Dr.シザーハンドに血糖値の事で脅される。趣味はジグソーパズルの制作で、五〇〇〇ピースもの大作を仕上げて自慢して悦に入る。彼は、そして、自分に政治的能力が無い事、統治者としては駄目な方である事を自覚していた。敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言うが、彼は自分に政治家としての才能がほとんどない事を知っていた。だからこそグレゴワールを見出し、登用したのだ。そのグレゴワールがきっかけとなって、一二勇将が生み出された。

クレーマンス七世はいわば無能な名君であった。己が無能だと分かっているからこそ名君になれたのだ。一二勇将を彼は信じ、信じられていた。だがその一方で一二勇将はほぼ国王の権力に依存しており、国王の一言に左右される不安定な存在でもあった。貴族のように独自の権力基盤を持っていなかったのだ。


 ……かつて、このクリスタニア王国の若き国王クレーマンス七世は、どん底に落ちていた。先代国王からの対外戦争にはことごとく敗北、政治的には貴族の言いなり、領土は減る、国民も減る、増えるは負債と絶望のみ、と言う状態であった。

 そんなある日、クレーマンス七世はグレゴワールと出会うのである。この時、実はクレーマンス七世は自殺を考えていた。当時列強諸国最強と呼ばれていたアルビオン王国軍が、クリスタニア王国首都クリスタニアンを陥落させるべく進軍してきていたのである。その防衛戦にも負け続け、クリスタニアン陥落まで間もない、と言う時に彼は、上司とソリが合わずに首にされたグレゴワールに出会ったのである。

ここから全てが始まった。

……お互いにお互いが、必要不可欠な状態であった。グレゴワールを取り立てたおかげでクレーマンス七世はクリスタニアン防衛戦に勝利できた。グレゴワールが、軍隊一の変人と呼ばれていたオリエル大佐を、防衛戦の総指揮官に任命したからである。クレーマンス七世は泣いて喜んだ。一方グレゴワールは感激していた。出会ったばかりの自分に大役を任せてくれた国王に、自分を信じてくれた国王に、完全に心酔してしまった。彼はこの国王のために生きようと誓った。彼は国王のために、このクリスタニア王国を繁栄させてほしいと言った男のために、命を投げ出す事を決めた。彼は、自己犠牲などと言う大層なものではなく、その方が楽しい事間違いなしの人生になると確信したのだ。

 一人、二人と仲間を増やし、グレゴワール達は活躍した。貴族達は当然ながら彼らを良くは思わず、クレーマンス七世に色々と吹き込んだ。クレーマンス七世は、だが、一切グレゴワール達の中傷誹謗に耳を貸さなかった。クレーマンス七世は無能な男だったが、信じる強さを持っていたのだ。それは何よりも崇高で、気高く、素晴らしいものだった。グレゴワール達はそれに応えた。これほどの信頼に、応えなければつまらない。彼らはそう思っていた。だって、その方が楽しいじゃあないか。

――そしてクリスタニア王国は、今に至る。


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