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IONシリーズ外伝三  作者: EVI
INTEGRATION 亡国の離別
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INTEGRATION 亡国の離別 【ACT六】 崩壊の終曲(フィナーレ)

 「おいマクレーン!」と例のごとく馬鹿でかい声でオリエル元帥は言う。「お前、魔族じゃあるまいな?」

年齢不明の美女マダム・マクレーンは豪華な扇で口元を覆い、

「いやねぇ、オリエルってばデリカシィが無いんですものぅ。 勿論違いますわよぅ? それよりも娘さんのご機嫌はいかがぁ?」

途端に、青菜に塩、ならぬナメクジに塩のようにオリエル元帥は委縮した。

「ワシの顔も見たくないと言って面会拒絶中だ……」

「だって貴方、デリカシィが致命的に無いんですもの。 そりゃ初潮を迎えたからってそれをお披露目するための大宴会を開くような変態には二度と会いたくは無いでしょうねぇ」

「……」オリエル元帥は可哀想になっている。

「そ、それは引きます。 どん引きします。 それは離婚もされますね……」

Dr.シザーハンドが顔をしかめた。しかし、マダム・マクレーンは首を横に振り、

「それだけなら良かったのよぅ、それだけならぁ」と言った。

えっ、とDr.シザーハンドらが目を丸くした。それだけなら、とは、まさか!

「何と、娘さん達に彼氏が出来たら出来たで、そのデートの時に特殊部隊使って尾行・包囲したのよぅ。 お手々繋いで遊園地に行っただけなのに、その遊園地が軍隊で埋め尽くされる地獄の戦場と化したのよぅ……。 当然彼氏は逃げたわぁ。 私だって逃げますものぅ。 それが繰り返される事五回。 ついに娘さんの一人が自殺未遂で、奥様大激怒。 それで離婚されたのよぅ」

「これほど同情の余地が無いのも珍しい……」アンデルセンが呆れ果てた声で言った。

「許せん変態だ。 とんでもない変態だ。 凄まじく変態だ。 大事な事なので三回言った」ユースタスが呟いた。

このユースタスはオリエルとは対照的に、妻娘や娘婿とは大変に仲が良い。

「……」元帥はもの凄く可哀想になっている。

「そう言えば貴方は士官学校を最底辺の成績で卒業されたそうですが、それはそのデリカシーの欠如が原因なのでは……?」ランディーが言う。

「……そこはな、ランディー」消え入りそうな小声でオリエルは言った。「ワシが軍の指揮官としては非凡すぎたから、あの士官学校の教官共には理解できなかったと言ってくれ……」

「そう言いたいのですけれど、貴方は人間性が……」ランディーがそこで口をつぐんだ。オリエルは完全に可哀想になっていた。

「軍人としては優秀だが人間としては大失格だな」グレゴワールがきっちりとトドメを刺してから、「では会議を始めるとしよう」

 一二勇将は円卓を囲んで現状の問題を話し合い、対策を練り、ああでもないこうでもないと討論した。白熱した場合、取っ組み合いの大ゲンカになる事もあるのだが、今日は幸いそこまでは行かずに終わり、その結果を報告するべくグレゴワールが国王クレーマンス七世の所へ向かう。


 クレーマンス七世は、グレゴワールからの報告を聞いてから、言い出した。

「実は、私は、この国の体制を変えたいと思っているのですよ」

「体制を、変える……とおっしゃいますと?」

「今この国の絶対的支配者は私、すなわち国王です。 絶対王権です。 ですがね……」国王は苦々しい顔をして、「私の馬鹿息子のアルベールが後を継いだが最後、あの子はあなた方を迫害するでしょう、王の権力を使って。 貴族と仲良しですからね、あの子は。 それを避けるために、体制を移行したいのです。 立憲君主制にしたいのです。 立憲君主制にして、この国の繁栄を少しでも長引かせたいのです」

「それが陛下のご意志ならば、私は反対しません」

「おや」と国王ははげかかった頭を撫でて、「てっきりハルトリャス海戦のように大反対されると思ったのですが……」

その時は一二勇将が猛反対したのだが、国王は彼らを疎んじて貴族の言うがままに戦争をし、そしてものの見事に敗北した。

「あれは、一〇〇の確率で勝てる戦争ではなかったからです。 戦争とは確実に勝てるものしかやってはならないのです」

「なるほど」クレーマンス七世は納得した。「では、新体制樹立のためにあなた方に勅令を下します。 立憲君主制のための新しい憲法を作って下さい。 私がそれに承認を下せば、グレゴワール、後は貴方達一二勇将がこの国を進むべき方へ導いてくれる。 私がいなくなっても、安心です」とクレーマンス七世は穏やかに笑った。

「陛下」グレゴワールはきっぱりと、「まだまだ陛下にはしぶとく生きていただかねばなりません。 とても死んでいる暇などございません。 それをどうぞお忘れなく」

「ほっほっほっほっほっ」とクレーマンス七世は笑って、それからしっかりと頷いた。

 この二人の間には史上最強の信頼関係があった。その信頼こそが礎となり、一二勇将が形成され、クリスタニアを一列強諸国から世界的大国までのし上げたのだ。世界最強の主従であり、史上最高の親友であり、唯一無二の最大の理解者。二人は互いにお互いをそう認識していて、その認識もぴったりと、一切のずれなく合致していた。この二人が出会った瞬間は、まるで一生涯の伴侶を得た瞬間に匹敵しただろう。何しろ、今やお互いがお互いなくしては生きてはいけないのだ。


 「へえ」とチャーリーは朝のコーヒーを飲みながら新聞をめくって、声を上げた。「立憲君主制か。 事実上の民主制だな。 まあ聖教機構も万魔殿も似たようなモンだ。 ようやくそれに追いつくのか……」

「ふうん。 でも、そんな事をしたら、貴族から大反対が起きるんじゃない?」モニカは朝の一服をしながら言う。「だって、貴族やアルベール王太子は、いずれ自分達こそが権力を握ったら、って考えているそうじゃない」

「アルベール王太子に貴族か。 アイツらの良い噂を聞いた事が無いなあ。 そんな連中にこの国の権力を委ねてたまるかってクレーマンス七世は思ったんじゃないかな」

「自分の息子より国を選ぶなんて、名君ねえ……」

「だからこそこの国は発展したんだろうよ。 一二勇将の力と、クレーマンス七世の庇護があったから」


 その頃、一二勇将やギー達は大忙しであった。特にマルバスとランディーが血眼になっていた。マルバスは諜報活動が得意な(正確にはそれの他に特技が無い)悪魔であったので、必ずや反対してくるであろう貴族達の動向を見張っていたし、ランディーは新憲法に何を盛り込むかでてんてこまいだった。だが、彼らは己の職務に誇りを持っていたし、何よりやりがいがあって楽しかった。

ランディーにギーはこき使われたが、彼も同時にこの国の新しい夜明けを迎えられると言う確信があって、やはり嬉しかった。


 だが、この国の滅亡の始まりは、この時からであった。


 『うーん』と週末にギーとチャーリーがバーで酒を飲んでいる所に登場した黒い子ヤギの魔王が、言った。『飽きた。 俺、お前さん達を観察するのにも飽きちゃった。 俺様、また世界を放浪するわ。 んじゃーなー』

「そうか、元気でな」ギーはちょっとつまらなさそうに言った。

『元気もクソも俺様は死ねないんだよ』

「そっかー、魔王にも悩みはあるんだな。 まあ、頑張れよ」

そう言ったチャーリーに、魔王はぱたぱたと耳を動かし、

『善処するさ、じゃあな、お前らも精々生き延びろよー』

消えた。


 ――最初悪魔なんて空想上の生き物だとギーは思っていたが、実在した。この悪魔マルバスは必死に諜報活動を行い、どのくらい必死かと言うと過労で倒れた事もあるくらいだった、主に『反一二勇将派』の動向をつぶさに彼らに報告していた。悪魔と言うからには性格も悪魔的なのだろうかとギーは思ったが、『この世を謳歌したい』と言う目的がある以外は案外普通の男だった。話してみると、相当長い悪魔生を送っているらしく、話題が豊富で面白かった。

異界(ゲヘナ)と言うものがあるのですよ』

「へえ」

『帝国の支配者女帝が生み出した世界なのですが、地獄とは違って死人がのんびり喋っているのですよ。 まったりまったりと』

「行ってみたいですね」

『行きますか、人間は戻れないですけど』

「……止めておきます。 ところで地獄も本当にあるのですか?」

『……あった、と言う方が正しいですね。 何せ門番の大天使(ラブ・マラキム)ウリエルが死んだので大混乱、秩序もへったくれも無くなった状態らしいんです。 まあでも大天使達がいる限り維持されては行くでしょうが……』

「大天使――?」

『聖典にこそ書かれてはいませんが、と言うかあれは改ざんされまくっていてあんまりあてにはならないのですが、かつてこの世を支配しようとした悪の化身みたいな機械仕掛けの(ヤルダバオト)。 その手下です。 残忍で鬼畜で超怖かったのです、そりゃあマダム・マクレーンをしのぐほど』

「ええええッ!?」

『一番恐ろしかったのはサタナエルと言う大天使でしてね。 あれがあのままだったら、世界は無慈悲な機械仕掛けの神のものに成り果てていたでしょうよ……』

と、マルバスは遠い目をして言うのだった。

とにかく、悪魔の癖に思っていたより悪魔らしくないマルバスと、ギーはそれなりに仲が良かった。

 しょっちゅうマダム・マクレーンに騙されて毒を飲まされて悶え苦しんでいるマルバスを、ギーは慰めたりしてやったが、マルバスはめそめそと泣くかあるいはしくしくと嘆くかを繰り返していて何も事態を解決も改善もしようとはせず、まるでマダム・マクレーンとマルバスのこの二人は共依存関係のようだった。

(実際共依存関係なのだろうな)とギーは思う。(何でも悪魔は取り憑いた人間の魂を得るまで離れられないそうじゃないか)

だが、その依存関係のおかげでギー達は利益を得ている。

 不思議なものだな、とギーは思った。


 クレーマンス七世が、グレゴワールに一度だけこぼした事があった。

「もしも馬鹿息子が、ギー坊やのように賢かったら」と。「せめてギー坊やのように優しさを持っていたら」と。

だが、それは夢のまた夢であった。哀しい現実をクレーマンス七世は見つめなければならなかった。

「……」

クレーマンス七世は寝台の上で趣味のジグソーパズルに没頭している。国王の権限が制限される事となる新体制樹立まで、彼はそうやって時間を潰していた。

グレゴワール達に権力を与えたのは彼である。だから、その責任を取るのも彼である。グレゴワール達は本当に良くやってくれた。この国を世界的大国にしてくれた。新体制が樹立したら、と彼は続けて思う。もう、自分は死んでも良い。これで心残りはもう無い。若くして亡くなった王妃アンリエッタも自分を待っているだろうし……。

「ふう……」

彼は不意に強烈な眠気を感じた。彼はジグソーパズルの最後の一ピースを握りしめて、寝台に横たわった。彼はゆっくりと目を閉じた。早く新体制樹立の瞬間を迎えたいなあと思いつつ。

 ――二度と目覚めないとも、知らないで。


 『うぴゃああああああああああああああああああああ』

マルバスがけったいな悲鳴を上げながら、寝ているマダム・マクレーンに飛びついて、揺さぶり起こした。

「何!? 何事なの!?」マダム・マクレーンは飛び起きる。

マルバスはもう天地がひっくり返ったくらいに動転していた。

『くくくくくくクレーマンス七世が! 国王が! あばばばばばばばばばばば! 息! 息していないんです! 完成間近のジグソーパズルほったらかして寝てて、変だなーと思ったら、息が!』

すぐさまDr.シザーハンドが駆けつけた。だが、もう、手遅れだった。

 ――稀代の名君、クレーマンス七世、崩御。


 マルバスは諜報活動にいそしんでいた。新体制樹立の話を聞いて貴族が暗躍しないはずが無いのだ。下手をすれば暗殺組織に一二勇将の暗殺を依頼する事くらいはやらかすだろう。

彼は夜中に大貴族、サー・ヒュー・アワバックの館に潜入しようとした。

その彼の目の前に、にゅうっと美青年が現れたものだから、彼はびっくりした。

『あ、アスモデウス殿!』

『こんばんはマルバス殿。 ご機嫌はいかがかな?』と美青年は優雅に言った。

『びっくりして心臓がばくばく言っています。 じゃなくて! 何故、何故貴方がここにいるのですか!?』

確かこの悪魔アスモデウスは、万魔殿に味方している悪魔である。それがここに、いる、と言う事は――。

『――まさか』マルバスは青ざめた。とんでもない事態が思い浮かんだのだ。『貴族連中、国を裏切って、万魔殿と組んだのですか!?』

『知らんぞそんな事は。 我はただ散歩のついでにここにふらりと立ち寄ったに過ぎん』

『でしたら』マルバスはビビリたいのを必死に我慢して言った。『そこを退いては頂けませんか』

『断る。 どうだ、酒の一杯でも――?』

『今は仕事中なんです。 飲んでいたらぶっ殺されます。 ……そこを退いて下さい』

『断る。 どうしても通りたいのならば――』

アスモデウスの全身に殺気が満ちた。マルバスはびくっと震えてしまった。彼はあまり戦闘が得意ではない。おまけにアスモデウスの方が長く生きている、手練れである。良くて相打ち、悪ければマルバスが殺されるだろう。だとしたら、彼は、すぐにこの情報をマダム・マクレーン達に生きて告げなければならない。貴族が万魔殿と組んだかも知れない、と。

『アスモデウス殿』彼は捨て台詞をはいて逃げた。『裏切り者共と手を組ませるのはお止めさせなさい! 裏切り者はいつだって何度でも裏切る! 何らあなた方のためにはなりません!』

『だから、我はただ散歩のついでにここにふらりと立ち寄ったに過ぎんよ』

アスモデウスは、マルバスの姿が見えなくなった途端に、ふう、とため息をついた。

『噂には聞いていたものの、まさかマルバスが来るとはな。 だが――』

ぎらり、と彼の目が輝いた。

『カールがこの国にいるならば、よしんば裏切り者とでも手を組む利が我らにはあると言うものだ』


 チャーリーはご機嫌であった。テッドのベビーシッターとアドルノの面倒を見るバイトは、実に楽な仕事であった。テッドは年の割には賢いし、アドルノは彼に懐いている。一緒にふざけたり遊んだりして、怪我をさせないように注意していればよかった。

その帰路、彼は市民バスに乗りながら、窓から外の景色を見ていた。バスは交差点の信号が赤に変わったので停まる。その時、彼は誰かからの視線を感じた。

「?」

周囲を見ても、誰も彼を見てなどいない。気の所為か、と彼は思い、すぐに忘れてしまった。


 ――バスが去った後、その進路と交錯する側の道路の信号機の上に謎の美青年が現れて、その顔は驚愕に歪んでいた。

『か、カール! 生きていたのか! この国にいたのか! こ、これは大変だ!』


 チャーリーはマンションに帰って、人の気配がするものだから、てっきりモニカがいつもより早く帰ってきたのだと思った。

「モニカー? 珍しいな、お前が先に帰ってくるなんてよ」

そう言いながらリビングの扉を開けた彼は、硬直した。

『我だ』

さっきの美青年が、いたのである。

「アスモ、デウス……!」

つい、言ってしまった。

『生きていたのだなカールよ』美青年は、呟いた。

「違う! 俺はチャーリーだ! チャーリー・レインズだ!」

『そんなに戦争が嫌だったのか。 クリスタニアに亡命していたとはまさか思わなかった。 国の体制が変わると言うので様子見に来てみたら……』

「止めてくれ!」チャーリーは激しく頭を横に振った。「俺はチャーリー・レインズだ!」

『オディールがお前を待っている。 まだ待っている。 それより、どうやって亡命したのだ?』

「どうだって良いだろ! 関係ない! もう関係ない! 俺はチャーリー・レインズだ! オディールなんか知らない!」

『お前が心底戦争を嫌がっていたのは知っておる。 だからか? だから全てを捨てて平穏な生活を望んだのか?』美青年は部屋を見回して、『……気性の荒い女のようだな、だが愛しているのか』

「そうだ! だから、だからもう――」

『そうは行かん、と言っておるだろう。 我は帰ってこの事を「彼女達」に伝えよう。 お前をどうするかは「彼女達」次第だ』

「止めろ」ぞっとするほどの殺意が、チャーリー・レインズの目に浮かんだ。「止めろ。 さもなくば俺はお前を、お前であろうと殺す!」

『出来んさ』だが、美青年は鼻で笑っただけだった。『お前は優しすぎる男だ。 我を殺す事など不可能だ』

「『彼女達』は、まさか――」チャーリー・レインズは青ざめる。

『まさかも起こりうるかも知れんな。 お前が、寵児ゆえに』

「止めてくれ! 俺は、俺は――」

『万魔殿に戻ってくるのだ、カール。 これが最後通牒だ。 我とてお前を悪いようにはしない。 誰もがお前が帰還すれば、喜ぶだろう』

「俺は!」彼は悪魔の誘惑に、絶叫した。「チャーリー・レインズだ!」

『……そうか。 残念だ、カール』

美青年は姿を消した。チャーリーは、その場にうずくまった。


 ……モニカが帰ってきた時、基本的にタバコ臭いはずの家中が酒臭かった。

「ちょっと、何ぐでんぐでんになっているのよ!?」

リビングのソファに、チャーリーがひっくり返っていて、その片手には酒瓶があった。モニカがやって来るのを見ると、起き上がって、ぼろぼろと泣き出した。幼い子供のようにわんわんと泣き出した。

「えッ!? ど、どうしたのよ!?」

「モニカ、モニカ、モニカ、うう、俺、俺――もうお終いだあ、もうお終いだあ!」泣き喚いて話にならない。

「何、アンタ、殺人でもやらかしたの!?」

「違うー! でも、俺もうお終いなんだ! アスモデウスなら俺とギーの関係にもすぐにたどり着く、そうしたら――俺は、うわああああああああああああん……」

「何があったのか知らないけれど」モニカはこつんとチャーリーの額を小突いて言った。「アンタが法律違反を犯していない限り、この国は、いいえ私がアンタを守るわよ」

「……!」チャーリーは、モニカにしがみついた。「モニカ、俺、俺――愛してる! 世界で一番お前を愛している!」

その脳天にモニカはひじを落として、「うるさいから泣くんじゃねえ」


 「ごめんマジごめん、アスモデウスに俺の居場所がばれた……」

『確か、お前の知り合いの悪魔、だったな』

「うん……ごめん……もしかしたら万魔殿が動くかも……」

『気にするな。 お前はクリスタニアに亡命した。 亡命者を引き渡すなんて事は、絶対にありえない事だ』

「でも、ごめん、先に謝らせてくれ。 俺、整形手術しておけば良かったよ……」

『分かった分かった。 気にしなくて良い』

「ありがとうな……」


 王太子アルベールは、ギーの事が大嫌いだった。

まず、身分出自が卑しいのに、『一二勇将』の誰彼からも可愛がられている。

次に、見た目。アルベールの外見は、はっきり言って不細工だった。なのにギーと来たら男でも惚れそうな美青年である。しかも美女と結婚した。

その次に、学歴。アルベールは運悪く馬鹿に生まれついた。その馬鹿は高慢ちきな馬鹿だった。自分はクリスタニア王国で二番目に偉いのに、どうして勉強が出来ないのだ、と言う努力もしなかった癖に甘ったれた馬鹿であった。その点ギーは最難関大学クリスタニア国立大学を……。

最後に、性格。アルベールは臆病で妬み深く疑い深い性格をしていた。こんな性格をしていて女に受けるはずが無いのに、いや、受け入れてくれた女もいたのに、疑い深いアルベールは残忍にも捨てていた。そして自分より弱い者を虐待するのが大好きであった。その点ギーは勇敢で、ウィットとジョークを使い分けられる男だった。当然、女受けも男受けも良い。と言うかギーに欠点があるとすれば身分と目で、そのコンプレックスすら逆にギーを魅力的にしているのだから敵うはずが無かった。でもギーは一度もアルベールを馬鹿にした事は一度も無く、むしろ殿下殿下と敬意を持って接していた。それがかえってアルベールの自尊心を害していたとは、全く知らないで。

だったら別の所で――例えば父王クレーマンス七世の後を継いで名君になるとか――これは実は難しくなかった。『一二勇将』を重用すれば、彼らはその恩義に成果を持って報いるだろう。

だが、アルベールは己の素行、いや悪行を厳しく怒鳴りつけてくるグレゴワールや、ああだこうだといちいちとつべこべ進言してくる『一二勇将』の面々が大嫌いであった。それよりも彼は彼を王太子だからとちやほやしてくれる貴族の方が大好きだった。

 「立憲君主制だと……!?」

女を抱きながら、アルベールは顔を歪めた。彼は薬で眠らせた女を抱くのが大好きで、その女は主にサー・ヒュー・アワバックが斡旋してくれていた。女と言っても、まだ児童と表現した方が適切な年齢の女である。

「ええ。 もっぱらの噂です。 王太子殿下、お伺いしたいのですが、賛成ですか反対ですか?」

そのサー・ヒュー・アワバックと仲良く女を分かち合いながら、彼らは密談している。

「反対に決まっている! 何だ、何で国王の権限が制限されなければならんのだ!」

「全ては『一二勇将』がこの国を我が物にせんがため。 殿下が反対されると聞いて安心しました」

「今度ばかりは我が父と言えどその臣下と言えどもはや許せん……! 何か、何か良い方法は無いものか! ……そうだ」

にんまりと、アルベールは顔を歪めた。そして、サー・ヒュー・アワバックの耳元で何か囁いた。彼も笑う。とても、とても醜い笑顔で。

「それは大変よろしゅうございます」


 万魔殿からクリスタニア王国のアルベール王太子に、内密に連絡が入った。それはある男を差し出させる代わりに彼らにありとあらゆる協力を惜しまない、と言うとんでもないものだった。

 万魔殿の大使を招いた――青髪の美しい女と美青年だった――会合がサー・ヒュー・アワバックの館で開かれた。主な大貴族が集合し、現国王への不満と『一二勇将』への怨嗟と呪詛の声で満ちあふれた。『一二勇将』の活躍とは裏腹に冷遇されてきた貴族達である。彼らを見渡して、アルベール王太子は言った。

「最大にして最悪の邪魔者は殺してしまえば良い、そうでは無いか?」

しん、と辺りが静まりかえった。それは、つまり――。

「もしも」と万魔殿の大使が言う。「誰もがそのおつもりでしたら、私達が手を下しましょう、直ちに」

「その後はどうなる……?」誰かが言った。

「決まった事です」サー・ヒュー・アワバックが言った。「アルベール王太子が後を継がれ、我らが栄華の時代が訪れる! この肥沃で偉大な国を、我らの意のままに出来るのですよ!」

「素晴らしいわ!」ベル・ド・カロールが叫んだ。誰もの顔に笑みが浮かぶ。それを見渡して、万魔殿の大使はぱちりと指を鳴らした。

「アスモデウス。 お願いするわ」

『オディール。 では行ってくるとしよう……』

 美青年は姿を消した。


 ――偉大であった主君の死を知って、グレゴワールは、言った。

「皆。 今すぐ大事な人を亡命させるのだ」

「「!」」一二勇将の間に動揺が走る。

「新体制が樹立せずに陛下がお亡くなりあそばされた今。 アルベール王太子殿下が後を継げば、我々は間違いなく迫害されるだろう。 そうなる前に、大事な人を亡命させるのだ。 ギー」と彼は、いつになく優しい目でギーを見つめた。「お前も逃げなさい」

「嫌です!」ギーは叫んだ、「俺は貴方の息子だ! どこまでもご一緒します!」

「……そうか。 ではお前の大事な人は、逃げさせてやれ」

「……はい」

だが、そのイズーも逃げる事を拒んだ。

 「私は貴方と一緒にいる。 最期までいる」

「イズー、駄目だ、頼むから逃げてくれ!」ギーは土下座せんばかりに言った。「モンマルトルのジュリア・ノースと連絡を取ってある! あそこに行けば大丈夫だ、安全だ、だから――」

「私は」イズーは穏やかに、だが絶対的に決定的に言った。「貴方と一緒にいる。 そう決めたの。 テッドだけ逃げさせてやって」

「僕もママンと一緒にいる!」とテッドは叫んだ。

「あのね、テッド」とイズーは優しい声で言った。「貴方は生きなきゃいけないの。 貴方はこれから幸せにならなきゃいけないの。 それがママとの最期の約束。 良い?」

「やだ! やだ、やだ、やだやだやだやだ!」

テッドは泣きじゃくって、話にならない。ギーは言った、

「……じゃあせめてチャーリーの所にいろ。 アイツならお前達を守れる」


 クリスタニア王国首都クリスタニアンが喪の黒一色に包まれる、

 「なあモニカ」

その暗い街並みの中を歩きながら、チャーリーは言った。

「お前は、何があっても死ぬんじゃないぜ」

「当たり前よ。 石にかじりついてだって、生きてやるわ」

例のごとく周囲に毒煙を吐き出しながら、モニカは宣言した。本当に石にかじりつきそうな気配であった。

「そうそう、そう来なくちゃ。 ――お前さんのそういう所、俺は好きだぜ」

「……この、馬鹿が」彼女が赤くなって呟いた時である、

 「カール!」

呼び止められた声を聞いた途端、チャーリーは真っ青になった。振り返って、呼び止めた人を見るなり、悲鳴のような声で言う。

「オディール! 何でお前がここに!?」

彼を呼び止めた女は、磨き抜かれた刃のように鋭い印象の美女であった。

「やっぱりアスモデウスの言う通りに生きていたのね――死んだものだとばかり、この数年、思っていたわ」

「何の話?」モニカが口を挟んだが、無視された。

「そうだ、カール・フォン・ホーエンフルトは死んだんだ! だから――もう関わるな! 俺はチャーリー・レインズだ!」

「何故? 婚約までしたのに――私は貴方を愛している」

「俺は――平和な今の暮らしを維持したいだけの、ちっぽけな男なんだ、お前達とはもう無関係なんだ! それに俺はお前なんか愛していない! だから、だからもう止めてくれ!」

「嫌よ。 何が何でも――連れ帰ってみせるわ」

女はそう言うと――くるりと背を翻して、去っていった。

 「一体何があったの、貴方の正体は一体何なの!? あの女は?!」

同棲しているマンションに戻った途端、モニカは問い詰めた。

チャーリーは泣きそうな顔をして、

「俺の本名はカール・フォン・ホーエンフルト。 魔族の『高貴なる血』さ。 万魔殿の幹部をやっていた。 メルトリア戦役の時に、ここクリスタニア王国にこっそり亡命したんだ。 チャーリー・レインズって男になったんだ。 あの女は俺の元婚約者で、オディール・フォン・ホーエンフルト。 同じ万魔殿の幹部なんだよ」

信じられない告白に、彼女は目を剥いた。何かが人と違っていて、どこか変な、でも馬鹿な男だと思っていた。それが――これだ。

「――貴方は私を騙していたのね!?」

彼は俯く。

「ごめん。 でも――こればっかりは知られたく無かった。 だって俺は戦争が嫌いで、逃げ出した裏切り者の臆病者で、平和な今の暮らしを、ずっと続けていきたくて――」

彼女は黙って煙草を吸った。その脳裏には、あのわんわん泣いていた馬鹿な男の姿がある。吸い終わると、言った。

「これだけ聞くわ。 ――貴方、私を愛してる?」

「愛しているから……言えなかった」

彼はとうとうぼろぼろと泣き出した。

「……そう」彼女は、じっとカールを見つめながら言った。「じゃあ、私は貴方をどこまでも信じてあげる」


 今しかない。今が最後だ。

オリエル元帥は、己が手塩にかけてたたき上げて育てた参謀達を集めて、言った。

「亡命しろ」

「「えっ」」

「もうじきワシは政治犯収容所にぶち込まれるだろう。 お前達も連座される可能性がある。 家族を連れて亡命しろ」

「で、ですが――」と参謀の一人が言いかけたのを、

「これは命令だ!」と威圧的に怒鳴ってから、元帥は珍しく優しい顔をした。「最初で最後の軍規違反をしろ」

「どうして元帥も、」と言いかけた別の一人に、彼はまた険しいいつもの顔に戻り、

「ワシはこの国で生まれてこの国のために生きてきた。 ワシにはもう、他の生き方が無いのだ。 それに……」

「それに……?」

「これがワシの、アルベールに対する最小で最大の反撃だ」元帥はにやりと笑い、「それにな、お前達ほどの参謀を失うなんぞ、重大な国損、いや、世界損だ。 亡命費用に困ったらユースタスの所へ行け。 話はもうしてある。 異存は受け付けんぞ、急げ!」


 クレーマンス七世の葬儀は国民の涙の中、粛々と、盛大に行われた。教会の鐘が悲しく打ち鳴らされた。

それから、対照的に華々しくアルベール王太子の戴冠式が行われた。国民のほぼ誰もが、『いくら貴族と親しくても、きっと父王の遺志は継ぐだろう』とアルベール二世の戴冠を祝福した。

そして、事態はグレゴワール達の想像を超えて、最悪の方向へと進行していく。

王位に就いて早々、アルベール二世は『一二勇将』の解散を命じた。『一二勇将』が務めていた地位には、それまで冷遇されていた大貴族達が収まった。

国民は顔色を変えた。これは、政変交代というレベルではない、革命に近しい大事件であった。そして、すぐさま国王を殺害しようとした大罪と、国家反逆罪で、殺し屋イヴァンとオリエル元帥が逮捕され、政治犯収容所の虜となった。国民は震かんした。これはどう見ても無実の罪、えん罪だったからだ。

そんな中、帝国から使者が送られてきた。亡王の弔問と新王の祝福に、ヴィラモヴィッツが送られてきた。

これをアルベール二世は捕らえて、処刑しようとした。残る一二勇将の面々は血相を変えてそれを止めようとし、全員が国家反逆罪で投獄された。アルベール二世は、初めから、これ――一二勇将への濡れ衣こそが目的だったのだ。勿論ギーもだ。

この国王は残酷にも、その目的を遂げたのに、使者を処刑してしまった。


「はあ!?」使者ヴィラモヴィッツ処刑の話を聞いたクセルクセスは一瞬ぽかんとして、それから激怒した。心底激怒した。結婚式で、可愛い姪を奪われた嫌味を散々に言ってやったばかりの相手が、殺されたのである。「一二勇将は何をやっていたのだ!? 条約を更新したばかりの国の、しかも平和目的で派遣したヴィラモを殺すなど! 気が狂ったのか!」

「それが」部下も怒りで震えている。「一二勇将はそれを止めようとして全員投獄されたそうです」

「よろしい! ならばもうためらう必要は無い!」クセルクセスは拳を机に叩きつけた。「戦争だ! 善意を仇で返した裏切り者共を! 赦してなどやれるものか!」


 イズーはこの時恐らくベル・ド・カロールの指示を受けたと思しき手先によって殺されていた。チャーリーが宅配の荷物を受け取りに玄関に出た、その一瞬の隙に殺されたのだ。その傍には、頭を撃ちぬかれたアドルノが転がっていた。宅配の荷物にはこう書かれた紙切れが入っていた。『泥棒猫に天誅を』。

テッドはチャーリーの元に引き取られたのだが、その後数日して姿をどこかに消した。チャーリーは行方を捜したが、見つからなかった。

 それを聞いたギーは、牢獄の中で血が出るほど唇を噛みしめた。


 クリスタニア国立大学法学部名誉教授、サミュエル・グラッジは牢獄のギーへ会いに行った。この男はグレゴワールの友人であり、かつ、ギーの恩師でもあった。世界中から、『クリスタニアの知性』と尊敬を集めていた人間であった。

「ギー」この老人は、ぽろぽろと涙をこぼした。「私が貴族だったならば、ギーをここから出してやれたかも知れないのに」

だが現実はただの平民なのであった。

「教授」ギーは、まるで廃人の様な有様であった。いつも知的な光をたたえていた目は死んでいて、発する声も痛々しく、まとう雰囲気は死人のそれであった。「そのお気持ちだけで十分です」

「ギーは、絶対に今ここで、この国で死んではならない。 お願いだ、生きてくれ」

それはこのサミュエルだけの思いでは無かった。一二勇将の総意であった。

「……教授、俺にはもう何も無いんです」ギーは呆然としつつ言った。「もう、何も……」

愛した女は殺された。最も守りたかったものを、殺された。

「未来がある!」この老人は血相を変えて言った。「ギー、お前には未来があるのだ! それがどんなに過酷であろうと残酷であろうと、お前には進まねばならぬ道があり、やらねばならぬ事がある!」

「……」しかし、今のギーには、未来と言われても何も具体像が浮かばない。精神が歪みそうな、悪夢じみたものしか見えてこないのだ。

「ギーや」サミュエルは感情を抑えて言った。「お前は、絶対に、今、ここで死んではならないのだよ」

そう言った途端に彼はどうしようもなく泣けてきた。その涙の源はアルベール二世に対する激しい怒りよりも、強い無力感と悲しみであった。


 「……お前が私に会いに来るとは意外だな」とグレゴワールは言った。強化ガラスの向こうには、サミュエルがいる。

サミュエルはクリスタニアの政治に政治家として関与しようとした事は一度も無かった。ただ、一二勇将のやり方ややった事について論評したり、批評したり、分析したりと、むしろ学者的な切り口でグレゴワールの対極に立っていた。誰も気付かなかったが、二人はクリスタニア国立大学法学部の同窓生であった。ただ、サミュエルは教授からも将来を嘱望され可愛がられる優等生であったが、グレゴワールはいつも単位ぎりぎりの劣等生であった。二人は全く別の道を歩んだかのように見えていたが、実は近しい所にいた。

「ギーについてだ。 私もどうしてもあの子を死なせたくないのだ。 グレゴワール、お前達が何らかの手立てを取っていないとは思えん。 もしも私にも手伝える事ならば、何でも助力しよう」

「……聖教機構」と黙りに黙った末、グレゴワールは言った。「我らの最期の望みは、もはや聖教機構しか無いのだ」

「分かった」サミュエルは言葉少ない中に、グレゴワールらの真意を悟って、頷いた。「私も努力する。 ……では、な。 さようならだグレゴワール」

「ああ。 さらばだ」

サミュエルはふと、面会室を出る間際に振り返った。


 老いた男の痩せた後姿が、収容所のドアの向こうに消えて行った。


 この男がかつてはクリスタニア王国を大国にのし上げた英雄達の筆頭に立っていたのだ。そして、己の主君と何よりも強い絆で結ばれていた。

ああ。サミュエルのしなびた頬を涙が伝った。クレーマンス七世よ、貴方はもう少し、もう少しの間、死んではならなかったのだ!


 ……悲劇的であったのはユースタス・メディチ夫妻であった。

 ユースタスは今でこそ名だたるメディチ財閥の当主であったが、元々は親の借金のかたに富豪メディチ家に売られてきた召使の子供であった。当時の当主ファビオ・メディチは成金富豪として貴族に馬鹿にされていた。

ユースタスの才能を開花させたのが、メディチ家の令嬢カロリーナだった。何の事は無い、ユースタスと恋仲になってしまったのだ。だがファビオは彼女をいずれは貴族に嫁がせようと考えていた。

 ファビオは考えて、ユースタスに口止め料を与えて、二人の関係を終わらせようとした。だがユースタスは金を三倍にして返してきて、どうかカロリーナを下さいと言った。ファビオは更なる金で黙らせたが、五倍の金が戻ってきた。ここで彼はふと思うのである、これはもしかしたら金の卵を産む鶏かも知れないと。それで、彼は大金を与えて、様子を見た。ユースタスは金を一〇倍にし、土下座して、カロリーナをと必死に頼んだ。

 ファビオは考えた。そして、カロリーナを与えた。クリスタニア一の富豪と言う地位がまずやって来たが、何より可愛らしい女孫が二人と、仲睦まじい娘夫婦の姿が彼の目に映った。

 ファビオの没後もそれは変わらなかった。ユースタス夫妻は週末にはデートに出かけ、観劇し、サロンを開いて文化人や教養人との交流を楽しみにした。だから彼らは財界のみならず芸能界や学界においても非常に影響があった。彼らの娘はいずれも母親に似て美人になり、父親に似た賢い男を捕まえて結婚した。ついに孫の顔を見たユースタスは有頂天になりすぎておかしくなり、真夜中にカメラ屋にカメラを売れと怒鳴り込み、妻に引っぱたかれた事もあった。

 ……今、女婿のグラートは、泣きじゃくって、見るも哀れを誘う義理の母親と、それを強化ガラスの向こうから必死に慰める義理の父親を見る。

 幸せ、だった。この夫婦が喧嘩をしたところを見た事は滅多に無かった。いつも二人はより添っていた。それを素直に羨ましいと思ったし、こんな夫婦になりたくて生きてきた。グラート自身は孤児だったから、余計にこの幸せが欲しかった。それがこの手に得られたと思った、だから次は維持したいと必死に、何よりも思っていた。

そうやって目指していた『夫婦』の仲が、今、引き裂かれるのだ。

「あのう、面会時間が……」と言ってきた看守にカロリーナは金貨を嫌味なくらいに投げつけてから、強化ガラスにほとんどすがりつくように、

「どうしてユースタス、どうしてよ! お願いだから一緒に逃げましょう!」

「……ごめんな、ごめんな、ごめんな、カロリーナ。 だが私はアイツらを見捨てられん」

「――!」声も無く泣きじゃくるカロリーナから、ユースタスはグラートに目を移し、

「すまんな、連れて行ってやってくれないか。 どうか頼んだよ」

孤児だからと差別された事は一度も無い。才能や実績を何度も誉めてくれた。認められて、愛されて、幸せ、だった。グラートは同じ女婿、義理の弟のグエルリーノが、ユースタスが逮捕されると言う事への憤まんのあまり、アルベールと刺し違えるとまで言っていた時、初めて彼を殴ったユースタスの姿を思い出す。悲しそうな、何よりも悲しそうな顔をして殴ったのだ。彼の義理の父親は、本当に優しい人間であった。

「……」グラートは、歯を食いしばってから、精一杯微笑んで、一礼した。「今までありがとうございました、お父さん」


 それに比べてアナベラとその恋人リサはあっさりとしていた。

「ゲルマニクス王国に逃げるわね。 今までありがとう」とリサは淡々と言った。「勿論、あの花も持って逃げるわ。 落ち着いたら、貴方の墓に供えてあげる」

「そうね、そうしてちょうだい。 ありがとう」

アナベラはにこっと微笑んでから、ちょっと遠い目をして、

「貴方と結婚なんかしなくて正解だったわね」と言った。

結婚をしなかったのは、アナベラが外での仕事は恐ろしく出来るが、家では怠け者そのもので掃除も洗濯も何もしようとせず、それでしょっちゅう二人は喧嘩をしていたからである。最悪、家では下着のみでだらしなく寝そべっている事もあるアナベラに対して、リサはしっかり者で綺麗好きで、そう言う所を心底嫌っていた。

なので、二人は恋人のままでいよう、とお互いに話し合って決めていたのだ。

「そうね。 結婚していたら悲しくて後追い自殺していたものね」

「自殺だなんて恐ろしいわね。 全く貴方は」アナベラはもう一度、微笑んだ。「……でも、これで良かったのよ」

「そうね。 そうよ。 じゃあ、さようなら」と、リサは席を立った。

 彼女達は泣かなかった。泣いても、それは自己満足に過ぎないと分かっていたからだ。


 『ギー坊や』

マルバスの方がもらい泣きしてしまって、顔が大変な事になっていた。

『何でギー坊や達がこんな目に遭わなければならないんですか、あんまりだ、あんまりだ!』と号泣する。慰める言葉も無いほど哀しくて、悔しかった。

「……この国の未来はどうなりそうですか」ギーは、分かり切っている事だが、訊ねてみた。

『使者を殺された帝国は激怒、おまけにクリスタニア王国軍と万魔殿軍はハルトリャス海峡を軍事占拠するつもりです! あのクセルクセスが怒髪天。 いえ、ほとんど全ての帝国貴族が激怒しています。 第二次ハルトリャス海戦は確実に起こるでしょう。 ジュナイナ・ガルダイア太守にして帝国海軍提督のクセルクセス。 その姉にして帝国枢密司主席のエリシャ。 彼が、彼女らが激怒してこの国が無事で済むとは到底思えません。 ……万魔殿がいるとは言え、敗戦は必至でしょう』

「『一二勇将』の皆様は?」

『幸い、遺書を書く事は許されていますから……ああ、死後は心配なく、私が確実に異界へとお連れします。 だから、ですから――』とぼろぼろと涙をこぼす。悪魔の癖に人間よりも泣く。『国のため国のためと骨身を必死に削ってきた人達の末路がこれとは、この世界は残酷すぎる!』

「そんな有様だと死んでもマダム・マクレーンの言いなりですよ、マルバス」ギーは苦笑した。「――うん?」

そこに、足音が近付いてきた。マルバスは姿を隠す。

「サー・ヒュー・アワバック……!」現れた人影に、ギーは低い声で言った。「今更何の用だ?」

「口の利き方には気を付けてもらいたいものだな、ギー・ド・クロワズノワ?」アワバックは見下した目でギーを見た。「貴様らの生殺与奪は今や私の手中にあるのだから。 そうそう、陸軍出の貴様だが第二次ハルトリャス海戦に出る気は無いか? 今志願兵を募っているのだ」

「俺が出ようと誰が出ようと、負けるものは負ける。 無意味な戦争をやるな、サー・ヒュー・アワバック! 今ならまだ間に合う!」

「前回は負けたが今度は違う、万魔殿が付いている! 勝てる、勝つとも。 それに――」と、この大貴族の男はいやらしい目でギーを見た。「貴様が出れば、『一二勇将』は特別に恩赦してやろうとの陛下のお達しだ」

「!」ギーの表情が変わる。

『いけません、ヤツは嘘を吐いている!』マルバスが悲しく囁いた。引き受ける事しかもうギーには選べない――それを知っての囁きだった。

「……良いだろう、出よう」

 彼は――とうとう自分の死を覚悟した。

 だが、彼が所属することとなった前線部隊にチャーリーが紛れ込んでいることを知った時、彼は驚いた。心底驚いた。

「どうしてお前が?! あれほど戦争は嫌だと言っていただろう!?」

「お前一人を行かせられるかよ。 モニカに土下座して出てきた」

ギーは絶句した。

そして、すまない、としぼり出すような声で言った。


 約束通り、『一二勇将』は解放された。

彼らは、騙されている事を悟っていて、だから、死に瀕しても見苦しい行動は取らなかった。

釈放された彼らを囲んでいたものは、無数の銃口であった。

「約束通り、この世から解放してやるわ!」

彼らにはそう言って笑う王の――一匹の暴君と化した男の姿が見えるようであった。

 『一二勇将』処刑の話を聞いたギーは、もう耐えられず、男泣きに泣いた。

彼らの誰一人として、クリスタニアを思わない人間はいなかった。人生を国のために捧げない人間はいなかった。彼らの結束はその忠誠心と同じくらい堅かった。それなのに――それなのに!


 帝国軍の中でも最強と呼ばれている、ジュナイナ・ガルダイア海軍に向けてクセルクセスは演説をした。彼は一度感情的になると、とことん感情で突っ走る男だった。特にそれが『怒り』になると、もはや誰にも止められなかった。

 「――ヴィラモヴィッツはジュナイナ・ガルダイア屈指の外交官だった。 彼はジュナイナ・ガルダイアのために、帝国のために働いた。 彼がどれだけ職務に忠実だったかは、貴方達の方が良く知っているだろう。 だが彼は殺された! 暴君のために……! あの男は帝国の善意を、好意を、信頼を、裏切った! 恩を仇で返した! 否、あの男は一二勇将が築き上げてきた信義と忠義を踏みにじり、一二勇将を処刑したに治まらず、ついにはこの戦争をも起こした! 貴方達にはそれが許せるか! あの男が壊したものは、世界で最も壊してはならないものだったのだ! 地道に築き上げてきたそれを、それを、あの男は一瞬のためらいもなく土足で踏みにじった! 許してはならない! 裏切り者には絶対応報を下さねばならない! ヴィラモヴィッツの仇を取れ! ヴィラモヴィッツが何をしたか! 彼はただ平和目的の、親善交流のために派遣された! 帝国の善意を、帝国とクリスタニア王国の友好を信じて代表して征った。 それを殺したのだあの男共は! 貴方達は許せるか? 帝国の御支配者たる女帝陛下の元に集う同胞を無惨に殺されて許せるか? 貴方達の記憶には、ボールを追いかけて共に遊んだクリスタニアの捕虜の海兵の姿もあるだろう。 だがその姿は偽りにされた。 あの男共の所為で! 全てあの男共の所為で、クリスタニア王国は滅びるだろう! いいや違う! 滅ぼすのだ! 絶対応報の運命が!」


 モニカはじっと唇を噛んで堪えていた。

彼の恋人が、戦地に行ってしまったのである。戦争を何よりも嫌がっていた、馬鹿な男であった。それでも、彼女の何より愛しい男であった。

どうか無事に帰ってくるように――祈る。あれほど中毒になっていた煙草も止めた。一本も吸わないでいたら、無事に帰ってくる気がして。

不意に玄関に気配がして、彼女ははっとして拳銃を構えた。

そこには――どうやってここを見つけたのだろうか、オディールが立っていた。

「カール・フォン・ホーエンフルトは?」

冷たい声で、そう言った。

「チャーリーなら、ハルトリャスの戦場に行ったわ」

「――そう。 では邪魔者の貴方を殺すだけね」

ぴしり、と女達の間に殺気が走った。

「ただで殺される私じゃないわよ!」

モニカは拳銃を素早く抜いて、撃った。だが――全て、オディールの影がまるで生き物のように動いて、銃弾を食い止めた。

「!?」

「ただの人間が『影操者(ナハツェーラー)』に勝てるものか!」

 次の瞬間、影は一本の鋭い槍になり、モニカの胸を貫いた。


 万魔殿の海軍は、クリスタニア王国海軍を裏切った。

彼らは最初から、同じ魔族が支配する国である帝国の海軍と戦うつもりはなかったのである。そして彼らは裏切った所で何ら良心の呵責に襲われなかった。何故なら、彼らが裏切ったのは、裏切り者だからである。

『カール・フォン・ホーエンフルトを渡さなければ、攻撃する』

そう言われたものの上からの通達が無かったため何の事やら分からず、クリスタニア海軍は戸惑った。

万魔殿との矢面に立たされているのは、ギー達の部隊であった。

「俺をそんなに連れもどしたいのか!」

チャーリーは甲板で怒鳴った。その時、対峙する万魔殿の中から一機の小さな軍事ヘリが近付いてきたのである。

「カール、迎えに参りましたわ」

そこから身を乗り出したのは、オディールであった。

「俺は行かない、ここで戦う!」

「――もう、帰っても、貴方を待っている人は、おりませんのよ」

そう言うと、オディールは一房にまとめられた髪の毛を放った。

チャーリーはそれを手に取って、真っ青になった。


 かすかに煙草臭い、それは。


 「チャーリー、どうしたんだ? ――!」

ギーが甲板へと姿を見せた。そして自らを狙うヘリの機関銃と、真っ青な顔をして立っているチャーリーを見つけたのである。

オディールは苛立たしげに言った。

「こちらにいらして頂けないと言うのでしたら、貴方の戦友も殺しますよ」

それを聞いた時、チャーリーが動いた。ヘリの方へと。

「ギー、俺は……」

言いかけたのを遮って、ギーは咄嗟に叫んだ。

「馬鹿、俺の命なんか気にするな! お前は――お前の意志に従え!」

「――なあ、ギー」

彼は振り返って弱々しく笑った。ひどく痛々しい笑みであった。最愛の女を永遠の虚無に奪われた男の絶望の笑みだった。

「きっと、生きていれば、俺達、また会えるよな? 満ちない月は無い、そうだろう?」

その瞬間、二人の間に小さな稲妻が落ちたかのようだった。沈黙と、了解が二人を支配した。運命的な瞬間でもあった。

「チャーリー……約束だ。 月は必ず満ちる。 必ず、生きて、また会おう」

「おう。 ――必ず、だぞ」


 遠ざかっていく軍事ヘリと万魔殿の海軍を見送りながら、すまない、とギーは呟いた。

「お前との約束、守りたいが、守れそうにない」

もうじき、帝国海軍がやって来る。そうすれば激戦となり――前線に立たされる彼が生きている確率は、途方もなく低くなるだろう。限りなく〇に近くなる。そしてギーには、自分だけが生き残るために卑怯な真似をする、と言う事がこの段階に至っても出来ないのだった。

「本当に、すまない――」


 帝国海軍の勇姿が、海の果てに見え始めた時だった。レーダーが何かを感知した。

そして、すぐさま雲を割って、巨大な空中戦艦の群れが姿を現した。

 『――こちらは聖教機構の最新空中艦隊の旗艦アニケトゥス。 クリスタニア王国海軍の皆様への敵意ならびに戦闘意志はございませんのでご安心を。 ギー・ド・クロワズノワ様をお迎えに参上いたしました――ただし、大人しく引き渡して頂けない場合に備えまして、こちらの艦隊は戦術核ミサイルを一〇発ほど搭載しております』

 空中戦艦の一つに迎え入れられて、ギーは叫んだ。

空中戦艦の群れは、戦場から悠然と立ち去っていく。

「何故――俺を迎えに来た?!」

スーツを着た年配の女が、答えた。

彼女がどうやらこの艦隊で一番立場が高い人物らしかった。

「グレゴワール殿達の遺志でございます。 正確に申しますと、一二勇将の最後の依願をこちらで数週間かけて吟味した結果、貴方様は我々聖教機構に迎え入れるに相応しい方だと、決議が一致いたしました」

ギーは泣きたくなった。彼は、最後まで、最期まで、一二勇将に愛されていたのだ!

「俺は、だが、国を守ると忠誠を――」

「ですが、その国の王はあなた方を裏切った。 あなた方の忠誠をも裏切った。 今や貴方は国からも王からも必要とされていない。 もはや忠誠を誓わずとも、貴方を悪く言う者は誰もいないでしょう。 それに――」

と女はにこりともせずに言ったのである。

「帝国を完璧に怒らせたのです、地道に築き上げてきた人々の信念・忠義をも裏切ったのです、滅ぼしてはならないものを滅ぼしたのです、滅ぶべくしてクリスタニア王国は滅びます」


 第二次ハルトリャス海戦は、クリスタニア王国軍の惨敗に終わった。振り下ろされた鉄槌が、粉々に石を砕くかのようであった。


 だが、帝国軍の勢いはそれでも止まらなかった。

 怒濤の勢いでクリスタニア王国の領地に進軍し、早くも二月後には首都クリスタニアンを陥落させたのである。

万魔殿も、聖教機構も、絶対に助けようとはしなかった。そして自己保身にばかり走る貴族達は、何の役にも立たないどころか、むしろ事態を悪化させる行動ばかりを取った。慌てて国王が救援を求めた先の周辺諸国、特に列強諸国は帝国軍の恐ろしさを知って、助けようなどとは誰も絶対にしなかった。アルベール二世の亡命すらも受け入れなかった。

 その全ての陣頭指揮を執ったクセルクセスは、王宮から逃げだそうとしたアルベール二世の残り少ない髪を掴んで引きずり倒し、最高に屈辱的な内容の敗戦条約に調印させた。クセルクセスは、これ以来『ハルトリャスの魔王』として恐れられるようになる。

 帝国との戦争が終わるや否や、その力を失ったクリスタニア王国は、まるで膨らんでいた風船がしぼむように、クリスタニア王国のちょう落を今か今かと待ち構えて狙っていた周囲の列強諸国の牙にかかって、次々に領土を分割され、わずか十数年後には地図上から消失した。アナベラを無くしたこの国は、外交戦で敗北し続けた。オリエルのいない軍隊はもはやただの武装した烏合の集団であった。ユースタスを殺したため経済界は新国王にそっぽを向いた。アンデルセンを殺したために内政はまともに機能しなかった。クロードがいないために官憲は腐り果てた。そしてグレゴワールを失ったクリスタニア王国は、ただの放置された丸々と肥え太った豚と同じであった。一二勇将が生きていれば、生かしておけば、このような最悪の事態は避けられただろう。だがもう遅かった。遅すぎた。

空前の繁栄を遂げたクリスタニア王国は、こうして夢幻のごとく滅びた。


 後の人々は、かつてのクリスタニア王国について語る時、こう冒頭に付けたすようになったのである――『これは亡国の物語である』と。


 ――この亡国の運命に引き裂かれた二人の若者が、いずれ世界の運命をも動かす存在になろうとは、この時は彼ら自身も思ってはいない。







END

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