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IONシリーズ外伝三  作者: EVI
INTEGRATION 亡国の離別
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INTEGRATION 亡国の離別 【ACT五】 崩壊の序曲(プレリュード)

 不機嫌そのものの態度でヴィラモヴィッツ・レーは窓――壁全面が強化ガラスによる窓であった――からクリスタニアンの眩い夜景を見下ろしていた。

たかが人間の分際で、と彼は思う。ワイングラスを片手に、彼は血のように赤いワインの匂いに包まれていたが、酔ってはいなかった。我らが『帝国』と対等に渡り合おうとは、身の程知らずにも程度がある、と。

クリスタニアンを見下ろす摩天楼(スカイスクレーパー)、通称『クリスタニアン・タワー』。そこの最上階の王室御用達レストラン『ハイデッガー』にて、彼は今、盛大な饗応を受けていた。

「ヴィラモヴィッツ殿」きちんとしたスーツで武装したアナベラが言う。「お味はいかがでしょうか」

「良くも悪くも珍しい味だ、とだけお答えしましょう」彼はやや高慢にそう言った。「我らが『帝国』ではこのような料理は出てこないので」

「そうですか……」アナベラはその『珍味ではあるが美味では無い』と言う嫌味に気づいていたが、あえてそ知らぬふりをして、「ところで、そちらのおっしゃる条約の更新内容は、こちらからお支払する通行料を年率〇、二%値上げ、で間違いないのですね?」

「全て書類通りです。 それともクセルクセス様の書いた書類に不備や文句がありますかな?」

「いいえ。 一切ありません」きびきびと彼女は答える。「予想通りの変更内容で安心しただけです。 これが〇、五%を超えたならば再びハルトリャス海戦となったでしょうが、〇、二%ならばそのような事態は一切発生いたしません」

「……たかが新興国クリスタニアが、我らが『帝国』に勝つおつもりか? ジュナイナ・ガルダイア海軍提督のクセルクセス様が腹を抱えて笑うでしょうね」

不快感を丸出しに、ヴィラモヴィッツは嘲るように言った。

「ええ、勝つ事は不可能でしょう、ですがそのクセルクセス殿を捕虜にする事は不可能では無いでしょう」とアナベラは言い切った。


 実際オリエルは言っていた、『ワシが指揮するならばクセルクセスを捕虜には出来るぞ、ただ、その分、こちらの代償もな……。 何も戦争をおっ始めずとも金で何とかなる問題なんだろう、アナベラ? と言う事で、頼んだ』

そしてその金を司っているユースタスも、

『戦争!? 冗談じゃないぞ! 勝ったとしても、戦争でドンパチやらかしている間の貿易の損失の方がとんでもない額になる! そもそも帝国にちょっとの金さえ払っていればこんなに(と具体的なグラフまで引っ張り出し)儲かるんだ。 戦争はしないでくれ、絶対に。 むしろこちらから払う金を吊り上げられても年率〇、五%までならこうだから(とまた別のグラフを引っ張り出し)両手を挙げて大歓迎だ。 だから、頼んだ!』

『そのグラフは一体何で作ったんだ?』何気なくクロードが聞いてみると、

『グラート(ユースタスの娘婿の一人である)が教えてくれたんだぞ! 金額を聞いても良く分からん大馬鹿な連中が多いと私が嘆いたら、「それでは金額を視覚的にしてみては?」と教えてくれたんだ。 ウチの娘の男を見る目は確かだぞ! おい、何だオリエルにアルトゥール! グラフから目を背けるな! まぶたをこじ開けて見ろ! こっちが貴様らの年間浪費額だ!』

『ユースタス、落ち着け。 今はハルトリャス条約の更新問題について話し合っている』グレゴワールがそう言って、アナベラに目で合図した。

『ええ、お任せを』と彼女は不敵に微笑んだ。


 「……」ヴィラモヴィッツは黙りこむ。鋭い刃物でこちらの手を素早く切られたような感触がしたからである。噂通りの外交戦の鬼、なるほど、この女は確かに『カミソリ』、一二勇将の一員アナベラなのだろう。

 その時、レストランの入り口が何やら騒がしくなった、直後オリエル、マダム・マクレーン、そしてゲッタとイヴァンが血相を変えて駆け込んできた。

「何が起きたのです!?」アナベラが席を立った。

「貴族連中がこの帝国からの使者の暗殺を、よりにもよって『デュナミス』に依頼したのよぅ!」毒殺貴婦人が叫んだ。

「『デュナミス』……とは?」ヴィラモヴィッツが首を傾げた時、ゲッタが持ち歩きのホワイトボードに書いた文字を見せた、

『世界最悪の暗殺組織。 ほとんどテロに近いやり方で、一人殺すのに百人殺す手口を取る』

「何だと……!?」ヴィラモヴィッツも血相を変えた。

「軍の精鋭で貴殿を護衛する! だが、帝国に要請してただちに空中戦艦で貴殿の迎えに来ていただくようにお願いしたい! さもなくば、通常の陸路海路を取ったが最後――」それ以上オリエルが言わずとも、ここにいる誰にも分かっていた。

使者のヴィラモヴィッツが暗殺される。それは、『帝国』とクリスタニア王国の、現在は安定しているこの関係が破たんする事に直結していた。

「……すまないが、直ちに王宮の迎賓館に来ていただけないか。 ここでは、危険すぎる」イヴァンが、告げた。


 「ん? 分かった、すぐ行く」

チャーリーはそう言って電話を切った。

「どうしたの?」とモニカが大好物の愛欲どろどろの修羅場ドラマを見つつ、言った。

「ギーから仕事。 すぐに来てくれって滅茶苦茶焦っていた。 不倫でもしたのかなあ? だとしたらチョーの付く馬鹿だなあ。 でも、何であんなに泡を食っていたんだろう?」

「!」モニカの目が猫のように輝いた。「ギー様が離婚する日をクリスタニア中の女が待ち望んでいるのよ!」

「縁起でも無い事を言うなよ!」チャーリーは怒った。「全くこれだからモニカは鬼女なんだぞ!」

鬼女であるモニカは、もう待ちきれずに小躍りしつつ、彼女のヒモに命令する。

「うるさいわね! ほらアンタさっさと行って、ギー様が離婚したってニュースを持ち帰りなさい!」


 ……モニカは性格がマジな鬼女だ、と今更ながらぼやきつつ、王宮に着いたチャーリーは、あまりにも物々しい警備状況に驚いた。何と軍の特殊部隊、それもチャーリーの見た所、最精兵が銃を手に手に護衛しているのだ。

「チャーリー、やっと来てくれたか!」ギーが詰め寄せる兵士の間から駆け出してきた。「事情は中で説明する、こっちだ!」

王宮の中まで厳重警備状態だったので、チャーリーは、これはてっきり国王か王太子を狙ったテロが予告されたのだ、と思った。

 しかし、

「ハルトリャス海戦は知っているか」とギーは廊下を大股で歩きつつ言った。

「知っているよ。 貿易の要衝ハルトリャス海峡を巡って、帝国とクリスタニアが戦って、えーと、帝国が勝ったんだろう? 確か一二勇将は開戦に大反対したんだけれど、貴族におだてられたクレーマンス七世の一声で始まっちゃったんだっけ?」

「そうだ。 そして講和条約が締結されて、それはこちらが帝国に毎年通行料を支払う代わりにハルトリャス海峡の自由な貿易艦船の往来を認めさせる、と言うものだった。 その条約の期限がつい先日来た。 条約の更新自体は無事に終わったんだが……」

「その後に何があったのさ?」

「こちらが毎年通行料を帝国に支払う、と言うのは表向きはこちらが帝国に屈従しているようなものだろう? 実際はハルトリャスで上がる貿易の利潤たるや、通行料とは比べものにならないほど莫大なもので、屈従している事などどうでも良くなるくらいの額なんだが……。 その『クリスタニア(こちら)が屈従している』と言う姿勢に、貴族が例のごとく大反対でな。 だが今度は悪質すぎる。 よりにもよって、『デュナミス』に帝国の使者の暗殺を依頼してくれたんだ」

「なッ!」とチャーリーが一瞬絶句したのは、彼も『デュナミス』の悪名高さを知っていたからだった。クリスタニアでも第一級反社会的危険組織に指定され、ほとんどテロリストと同じ扱いを受けており、その正体こそ不明だが、やる事なす事がとにかく悪い意味で凄まじいのだ。

「それでこの騒ぎだ。 帝国からの迎えの空中戦艦が、もうこちらへと飛んできている。 それが到着するまでの間、お前にも使者を守ってもらいたい」

「……分かった、分かった。 下手すりゃこれは帝国とクリスタニアの戦争を起こしかねないもんな……」

帝国はあまり外には出ない国である。だが、使者が殺されたとあってはクリスタニアをただでは済まさないだろう。そして歴史上、帝国を激怒させて無事だった国は皆無なのである。

「ああ、それだけは絶対に回避したい」ギーはそう言って足を止め、廊下の壁に並ぶ歴代国王の巨大な肖像画の一つの額縁を、特殊なリズムでノックした。

「……坊やか、入れ」

肖像画が霧のように消えて、壁の向こうには地味そのものの男が立っていた。ギー達が中に入った事を確認してから、その男は壁の模様の一点を指で押し、肖像画の質量を持つ幻影で壁を塞いで、歩き出す。狭い廊下の燭台を倒すと突き当りの壁が開いて更なる隠し通路が生まれる。その隠し通路を通って、彼らは王宮の秘密の部屋に到着した。

 そこでは、黒髪の若い魔族が、不快感丸出しの顔をして、椅子に腰かけていた。

魔族はチャーリーを見て、

「何だそこの男は」と不機嫌そのものに言った。

「俺はチャーリー・レイ……」とチャーリーが自己紹介しようとするのを遮って、

「貴様らはこんな馬の骨に私の警護をさせるつもりか!」と魔族は難癖を付けた。

「馬の骨……」チャーリーがいじけた。「俺は馬の骨……」

「この男はとても頼りになる男だ。 馬の骨では無い!」ギーが食ってかかった。「大体貴方はいくら帝国の使者だとは言え、クリスタニアに来てからと言うもの、態度が酷すぎるぞ!」

「何だと、たかが人間の分際で!」

「……落ち着け」地味そのものの男が、にらみ合う二人の間に割って入った。「あまり大声を出すと、この部屋の存在が露呈する」

「「……」」敵対心を丸出しに、彼らは互いに視線を逸らした。

「シクシクシクシク……」べそをかいていたチャーリーが、はっとした。魔族のマントに何気なく目が行ったのだ。「あっ! 何て素敵な刺繍が施されたマントなんだ! ……ああ、この紋章は帝国貴族のレー家の……そうか、アンタも吸血鬼なのか」

「どうして貴様ごときが我がレー家の家紋を知っているのだ?」魔族は怪訝そうな顔をした。

チャーリーはちょっと自慢そうに、

「ちょっとね、俺詳しいの。 確かレー家は帝国商都ジュナイナ・ガルダイアにある中じゃかなりの吸血鬼の名門じゃないか。 ジュナイナ・ガルダイアと言えばあのクセルクセス氏がまず目に浮かぶなあ。 ハルトリャス海戦で帝国最強のジュナイナ・ガルダイア海軍を指揮したのも、クリスタニアとの講和の調印現場に実際に顔を出したのもクセルクセス氏だったっけ。 クセルクセス氏はジュナイナ・ガルダイアの事実上の『王』だもんなあ。 あ、もしかして、アンタもジュナイナ・ガルダイアから来たの? あのクセルクセス氏の部下だったりするの?」

「そうだ。 だがもうすぐ姻戚関係になる。 あの御方の姪のラシェルと結婚できるのだ」

外交官にあるまじき失言であった。発言の内容は今は関係ない。だが問題は、外交官であるはずのヴィラモヴィッツが、言った後の事を何も考えず、無意識にそうペラペラと喋っていた事である。

「おめでとう!」チャーリーは素直に祝福した。

「ありがとう」

とまで言ってからヴィラモヴィッツは我に返り、色々な意味で顔を赤くして、

「貴様は何様のつもりだ!」

「だから俺はチャーリー・レインズだけど……?」

一切の演技無しに、チャーリーはきょとんとした顔で答えた。ギーの方が嘆息して言った。

「下手に仮面をかぶるとな、コイツの前では調子が狂うんだよ」

「ちなみに恋愛結婚?」チャーリーはギーの発言を聞いてもいない。

「当然だ。 外交官が女の一人くらい口説き落とせなくてどうする」

「おお、流石じゃん! ちなみにどんな女性?」

「この私が結婚したいと心底思う素晴らしい女性だ」とまで言ってからヴィラモヴィッツは、顔をまた真っ赤にしてチャーリーを蹴った。「貴様は一体何なんだ!」

何だこの男は。外交官にありえない発言ばかりさせる、恐ろしい男だ。ヴィラモヴィッツはそう思っていたのだが……、

「鬼女のケツに敷かれるしがないヒモだけれど」と言われて固まった。

「ひ、ヒモなのか」

「ヒモだよ、うん……女の穴あきパンツをつくろわされる惨めさって分かる?」

「そんな女を選んだのは貴様だろうに」

「だからってさ、悲しいじゃん、ヒモだとさ……」

「だったら結婚してしまえば良いじゃないか」と口を突っ込んだのはギーである。「幸せな地獄に堕ちられるぞ」

「何、新婚なのに、もう地獄なのお前?」チャーリーは呆れた顔をした。

「怖いんだ」とギーは訴える。「一々俺に尽くしてくれるのは良いのだが、怖いんだ、もしも俺が裏切った場合に彼女がどんな報復行動ヴェンデッタに出るか――あの微笑みが般若の形相に変貌した瞬間を想像すると!」

「裏切らなきゃ良いだけじゃん。 ところでそこのおっさんはどうなの?」

チャーリーは『そこのおっさん』によって己が、何故か最初からやけに監視されている事に気付いていた。

「おっさんじゃない!」ギーが今度はチャーリーに食ってかかった。本日のギーはやたらと熱血漢である。「この御方は、一二勇将の、イヴァンさんだぞ!」

「……そう熱くなるな」イヴァンがギーを制した。「俺か。 俺が殺し屋になったきっかけが、女だった」イヴァンは遠い目をして言う。「好きだったのかどうか今となっては分からない。 だが彼女が殺されて、俺は彼女を殺したヤツを殺した。 殺す者は殺される。 それが俺の絶対的な掟だからな」

 「「……」」

 沈黙が訪れる。

「……すまないな」とイヴァンは呟いた。

「いや」とチャーリーが言った。「殺し屋でもアンタには信念があるんだな」

「……そんな大層なものじゃない。 覚悟しているだけだ」

「そっか」とチャーリーは素直に頷いて、それから拳銃を取り出すと、いきなり天井めがけて撃った。断末魔の悲鳴が上がって、ぽたぽたと血が垂れてきた。「で、ドブネズミならぬ王宮ネズミがもう来たみたいだぜ?」


 次の瞬間だった。天井を破って黒ずくめの男達がなだれ落ちてきた。

「ッ! いつの間に、どうやって!?」ヴィラモヴィッツが叫ぶ。

「きっと貴族が手引きしたんじゃねーの?」チャーリーは彼を突き飛ばした。彼がいた空間を無数の銃弾が貫く。

チャーリーはヴィラモヴィッツを引き起こすと、まるで防御壁シールドになったかのようにその前に立ちはだかった。そのチャーリーに無数の銃弾が浴びせられる。なのに――チャーリーは傷一つ負っていない。確かに弾道の先にいるのに、である。その事実に気付いたイヴァンははっとした。

この男は、本当に人間なのか!?

次々と暗殺者達をほふりながら、イヴァンはそれを見極めようとした。

銃弾をいくら浴びせてもらちが明かないと判断した『デュナミス』の連中は、ナイフを手に襲いかかった。

そして、彼らはこの世から文字通り『抹消』されるのである。


 「『我に触れる事無かれ』!」


何が起きたのか、イヴァンは最初分からなかった。消えたのである。彼に襲いかかった暗殺者が、まとめて。

「お、お前は!」ヴィラモヴィッツが叫んだ。「我らが同胞だな!? お前も魔族なのだな!?」

「……」曖昧に笑うきりで、チャーリーは答えない。

「……そうか、そう言う事か」イヴァンは誰にも聞こえないように呟いた。「だから俺は少し違和感を覚えたのか」

暗殺者達の間に動揺が走った。仲間を消されて、動揺しないはずが無い。

そこに、チャーリーがまるで猛獣のように襲いかかった。一人、また一人、と消されていく。彼が触れた相手が次々といなくなっていく。

「――うわ、ああああああ!」

恐慌状態に陥った最後の一人が、逃げだそうとした。その前にイヴァンが立ちはだかる。

「……逃げられるとでも思ったのか?」

そう言って、イヴァンは一気に間合いを詰めると、最後の一人の首を、ナイフで切り裂いた。

 

 「どうしてだ!?」ヴィラモヴィッツは驚いている。「何故魔族が、人間の国クリスタニアにいる!?」

「それは聞いてやるな」ギーが言った。「この男はチャーリー・レインズだ。 人間のチャーリー・レインズだ」

「うん、俺はただの人だよ」とチャーリーは苦笑いした。「ギーのただの悪友さ」

「悪友だな」ギーも、笑って賛同した。

「結構、俺達って腐れ縁だよな?」とチャーリーは白い歯をちょっと見せて、ギーの方を向いて親指をぐっと立てた。

「腐って消えるはずがミイラ化して、思いもよらず長持ちするようになってしまった縁だな」ギーはにやりと笑って返す。

「まあ、そうかも。 人間って何よりもこう言う『縁』で結ばれているじゃん。 血とか運命とか、そう言うのをいつの間にか超えてさ」

「……」ヴィラモヴィッツは何とも言えない顔をしていた。「人間、か。 人の間にも、そう言うものがあるのだな……」

「ひでえ」チャーリーは落ち込んだ。「ちゃんとあるんだよー、否定されると悲しいぜ」

「いや、認めているのだが」とヴィラモヴィッツは、この男が馬鹿なのか馬鹿では無いのか、分からなくなってしまった。

ただ、一つ、断言できる事がある。己は今、とても大事なものと、真正面から向き合っている。

「おお、ありがとう!」チャーリーは毒気の無い、あの無邪気な笑みを浮かべた。この男には、その笑い方が酷く良く似合っている。


 帝国からの迎えの空中戦艦が到着して、使者ヴィラモヴィッツは無事帰還する事が出来た。

帝国に帰還したヴィラモヴィッツは、上司クセルクセスに条約の更新内容が記された機密文書を手渡し、それから言った。

「クセルクセス様。 貴方が何故人間を好いているのか、ようやく分かったような気がします」

「?」クセルクセスはブロンドの髪を揺らして、不思議そうな顔をした。彼は名物貴族だった。何をやらせても天才的な成果を出すのだが、性格が地平線の果てまでぶっ飛んでいるのだ。「人嫌いのヴィラモが珍しい事を言う。 天変地異の前触れか? それとも明日、この世界が終わるのか?」

「いえ」とヴィラモヴィッツは困ったような笑顔を浮かべて、「人の間にも、踏みにじってはならないものがあると知ったのです」


 「チャーリーさんママと結婚してー!」テッドはワガママを言う。「結婚して結婚して結婚してー!」

「無理だよ、そればっかりは」チャーリーは困った顔をする。

「やだー! ママとチャーリーさんが結婚したら、ぼく毎日遊んでもらえる!」

「じゃあ俺毎日遊びに来るからさ、イズーさんを困らせるようなワガママを言うなよな」

「ちぇー」テッドはむくれた。「おっさんじゃなくてチャーリーさんがパパなら良かった!」

「あのなー、それ絶対にイズーさんやギーの前で言うなよ」

「わかってるー。 でも、つまんないんだもん……」テッドは悲しそうに言った。「ぼくのおじさんが死んじゃってから、ぼく、ずーっとつまんなかった。 ママもずーっと悲しかった。 でも、おっさんが来て、そしたらチャーリーさんが遊んでくれたの」

「そっか。 じゃあ、これからもずっと遊ぼうぜ! よーし、『バイク・オン・ザ・ロード』をやるか!」

それは最近発売されたTVゲームと言う玩具の一種で、子供向けのものであった。TVの画面の中で、それこそ路上から荒れ地まで場所を問わずに様々なバイクを自由自在に乗りこなすのだ。テッドは目を輝かせて、

「ぼく、ファスト・イーグルに乗る!」

「よし、じゃあ、俺はビースト・ビートルだ!」

二人は和気あいあいと遊んでいて、アドルノはその近くで寝そべってご機嫌そうにしている。

「あ」としばらくTVゲームに夢中になっていたチャーリー達だったが、「やべえ、そろそろ晩飯を作らないとだ」とチャーリーが時計を見て言った。

「ぼくお手伝いするー!」テッドは元気よく言った。

「よっしゃ! しっかり手伝わせるぜー!」

「チャーリーさん、今日の夕ご飯はなに?」

「野菜尽くしのヘルシーご飯だ! 隠し味で玉ねぎ切るから泣くんじゃねーぞ」

「ねーねー、何で玉ねぎ切ると目がいたくなるの?」

「それはだな、」とチャーリーが説明しようとした時、

「ワウワウ!」アドルノがエプロンをくわえてきた。

チャーリーはアドルノを撫でて、「ありがとうな!」

「そう言えば、ママがぜったいにアドルノには玉ねぎやっちゃダメって言っていたけれど、どーしてなの? 好き嫌いはいけないんでしょ?」

テッドに訊かれてチャーリーは答える。

「アドルノはな、好き嫌いで玉ねぎを食べられないんじゃないんだ。 犬はな、生まれつき玉ねぎを食べるとお腹をうんと痛める性質なんだぜ。 人間は玉ねぎを食べてもどうって事ない。 でも、犬の体には玉ねぎは毒なんだ。 テッドだって、確かサバのアレルギーだろ? 犬は全部、玉ねぎのアレルギーなんだ。 テッドはサバが嫌いか?」

「……ううん、美味しかったけど、でも、体がかゆくなったの」

「それと同じだ。 だからな、好き嫌いじゃねえんだよ」

「はーい。 他にアドルノのアレルギーってある?」

「えーと。 確か犬はチョコレートもダメだったはずだぜ」

「……チョコレート美味しいのに。 でも、ぼく分かった!」

 テッド達の晩飯に、ロールキャベツとベジタブルトーストを作って、チャーリーは帰宅した。


 モニカが泣いていた。非番の日、彼女は録りためたTV番組、それも愛欲どろどろ修羅場ドラマをずーっと見て過ごしていた。

「ロメオ……! ああ、愛よ、これは愛よ!」

愛する女を守って死ぬ男がTVにでかでかと映っている。

「そう言うの本当に好きだなあ、お前……」チャーリーは呆れている。

「何よ! 悪い!?」モニカは怒るが、すぐに「ああロメオ……!」と泣く。

「……」チャーリーは黙々と夜食を作る。低カロリーだけれど美味しいものばかりだ。カラフルな寒天のゼリーがデザートだ。

「アンタもロメオみたいなイケメンだったらドラマになったのに」

モニカが食事の匂いを嗅ぎつけてやって来た。チャーリーは、

「はいはい、妄想の世界を現実の世界に混ぜ込まないでね」

流石にあしらい方に慣れてきたようである。

「だってロメオがイケメンすぎるのよ……!」

「イケメンが正義なのか?」

「当たり前じゃない!」

その時、であった。TVに緊急速報と言うテロップが出て、そこには、

『二時間後、本チャンネルでギー様がTV生出演します!!!!』

「「!!?」」

モニカとチャーリーが、TVの前で二時間をワクワクしつつ待つ事になった。とは言え二時間も待ってはいられないので、チャーリーは先にトイレに行ってからシャワーを浴びる。

そこに、

『おーい』黒い子ヤギが登場した。『ギー様、TVに出たくないってのに大学時代の友達に泣きつかれて渋々一五分だけ出る事になったみたいだぜ』

「ああ、道理で。 アイツ、いよいよTVカメラや記者や報道陣から逃げるのが上手くなりすぎて、ニンジャみたいになっている時があったりするんだぜ」

『ニンジャか……』

「うん、ニンジャ」

『ま、俺様は生番組の現場を見てくるわ。 そんじゃーねー』と魔王は消える。

チャーリーは頭を洗いつつ、(教育に良い番組でありますように)と祈っていた。


 視聴率は五〇%を軽く超えた。ギーがスタジオに登場してくる瞬間、ギャラリーの女性陣からの悲鳴は、音響効果抜きでも黄色い悲鳴そのものであった。それはスタジオに流れる音楽を突き破り、マイクをおかしくさせたが、誰も気にしていない。

ギーは笑顔で手を振りつつ、スタジオの席に座った。そこで観衆は、あれ?と思う。ギーの向かいにもう一つ席があったのである。ギーも少し不思議そうな顔をしている。

その相手が登場した瞬間のギーの困惑の顔たるや、見物であった。

サー・ヒュー・アワバック。ベル・ド・カロールの従兄で、やはり同じ大貴族の男であった。ぎらぎらとした脂ぎった顔と、やや肥満気味の体、何より野心的で獰猛な目は、己より上の男など一切認めないと言った光で溢れていた。男としては全く敵わないのにギーと一方的に張り合い、ギーにしてみれば本当に良い迷惑だと言う事態を何度か起こしていた。

テロップが流れる。


 『激突! ~あのライバルが今~ ――ギー様とサー・ヒュー・アワバック氏!――』


 そんな事を言われてもギーは彼をライバルだとすら思った事が無いのだ。困る。物凄く困る。だが着席するなり、この男は唾を飛ばしてギーに対しての口撃を始めた。

しかし、頭の回転の速さではギーには彼は敵わないのである。

ギーは冷静に己への口撃の矛盾点を指摘し、すぐに黙らせる事に成功した。ギーの顔には『すぐに我が家に帰りたい』と言う表情がありありと浮かんでいた。早く番組終了予定の一五分が過ぎないかと願っているのが見え見えであった。

アワバックは、それをさせまいと、うなり声を上げて椅子を振りかざしてギーに襲いかかった。この男は貴族だと言うのに、野蛮なのである。

スタジオは混乱の極みに陥った。カメラが激しく揺れ、マイクは悲鳴を拾い、逃げ惑うスタッフや人々が映った。

ギーも逃げている、だが、彼の逃げ方は巧妙であった。柱の側に逃げて、そこで一瞬立ち止まった。すかさずアワバックが椅子で殴りかかった時、ギーはひょいと避けた。椅子が殴打したのは柱であった。反動でアワバックはひっくり返って悶絶する。ギーは、その瞬間を逃さず、すたすたとスタジオから出て行った。スタジオ裏から、ディレクターの友達を怒鳴りつけるギーの声がした。

「どう言う事だ、俺はお前が土下座する上に政治討論番組だからと聞いて出たんだぞ、それがどうして貴族が出てくる!」

「そうか、俺を謀ったな!」

「言い訳はもう良い、貴様とは絶縁だ!」

 平民の大半が、見ていて実にスカッとしたと言った。常々、貴族に対してはありとあらゆる不満のある彼らである、ギーの行動はその不満を晴らすものであった。

『お前も不運だったなー』ギーが激怒したままTV局から出て、車に乗り込もうとした時、黒い子ヤギが出てきた。『友達に裏切られちまった。 あの友達、と言うか友達の上司も全員、金でアワバックに買われたみたいだぜ』

「だろうと思った。 俺はもう二度とTVには出ない」

『だがしかしアワバックって馬鹿なのか? ものの見事に自滅しやがって……』

「馬鹿でもどうでも良い。 俺は、家に帰ってチャーリーの晩飯を食べる。 それからイズーとワインで一杯やって、それから寝る!」

ギーは言い切って、車に乗って、発進させた。子ヤギはそれを見送って一言、

『これが後で何かの因縁にならなきゃ良いんだがな……』と呟いた。


 ジュリア・ノースが恋人と破局した。恋人は貴族の御曹司だったのだが、ジュリアが平民だからと親の強硬な反対に遭い、ほとんど引き裂かれるように二人は別れさせられた。

そのニュース速報を見たチャーリーは半泣きで、

「ジュリア様が何てお気の毒な……!」

「別にこんな女、どうでも良いじゃないの」モニカはそう言ってチャンネルを変えた。チャーリーは猛然と抗議する、

「あのな、お前はだから鬼女なんだよ! 可愛げが無いんだよ!」

「それが何よ。 文句あんの!?」

「男が道理で近付かない訳だぜ……」

「うるさいわね! この!」とモニカはチャーリーの股間を狙う。チャーリーはまな板でガードしつつ、

「止めろ馬鹿! 男に対してこの攻撃だけはするな!」

 ――この二人の関係は、まだまだ未熟であった。


 王宮ではありとあらゆる噂が流れる。何事も、余程注意しなければ隠し通す事は出来ない。

その王宮の中のギーの執務室を、夜、訪れた人物がいた。王宮は騒ぎになった、その人物がつい先日恋人との破局を報じられたジュリア・ノース本人だったからである。

彼女は頼みごとがあって来たと言った。ギーは、秘密に出来ないが良いのかと念のために訊ねたが、彼女は良いと言った。それでギーは、その場で頼みを聞いた。


 「え、マジ!? 行く行く行く行く!」

連絡を受けたチャーリーは満面の笑顔で、モニカに伝えた。

「ちょっとしばらく出かけてくる!」

「どこに行くの? 帰るのはいつ?」

「ヒ・ミ・ツ。 ってかいつ帰るかは分からない。 でも一番愛しているのはお前だから許してちょうだいな!」

そう言って親指をぐっと突き出すと、彼は仕度をいやにしっかり整えて、疾風のごとく家を出て行ってしまった。

 数十分後、彼はジュリア・ノースの屋敷にいた。この時の彼ときたら、ヒーローに出会えると知った子供のような有り様であった。目はきらきら、脈拍はばくばくであった。

 そこにはギーがいた。

こそこそと二人はソファに並んで話し合う。

「何で元寝取った相手の家にお前がいるんだよ!」

「頼まれたからだ。 詳しくはこれから話す」

「イズーさんに不倫を黙っていて欲しいとかだったら、俺絶対に手伝わないからな!」

「違うに決まっているだろうが!」

二人のいる部屋は、有名女優に相応しい応接室だった。

部屋の隅に最新式の小型オーディオ・セットまである。

 そこにジュリア自身が紅茶とお菓子を運んできて、彼らの目の前に腰かけた。映画館で見るより、知的で、数倍美人であった。あと数年で三十路になろうとしているのに、まだ二十歳そこそこにしか見えない。ただ、悩み事があるらしく、そのために疲れ果てているように見えた。

「本当にいらしてくれてありがとう」

「この男は信用できる男だ。 ――悩みを話してくれても大丈夫だ」ギーがそう言った。

「ええ――どうか、お願いします」

ジュリアはそれでもためらって、目に涙を溜めてから言った。

「実は――数日前からストーカーらしき男につけ狙われているんです」

 チャーリーは、そのストーカーを捕まえるために、その日からジュリアの屋敷に泊まることになった。

「ハイ、絶対にお守りします!」

テンションは最高で、チャーリーは言った。何しろ今度の仕事は憧れの有名女優のSPである、張り切って当然だった。

「俺が付いているからにはご安心下さい!」

と彼は言って、屋敷の一階の部屋でスタンバイした。

 深更。彼の鋭敏な聴覚が、何者かが屋敷に近付いてくるのを察知した。来たな、と彼は身を起こし――その足音の聞こえる方に近付いた。そして曲者が窓から侵入してきた途端に、彼は襲いかかって、部屋中の物をひっくり返す大乱闘の末に取り押さえた。相手は何か武術を習得しているらしくて、時間がかかったのだ。

「捕まえたぞ、このストーカーめ!」

照明を点けると、いかにも貴族風の美青年であった。この顔なら普通に彼女にアプローチすればいいじゃねえか、とチャーリーが呆れた時である。

「なッ、き、貴様こそがストーカーじゃないのか?!」

「え」予想外の発言にチャーリーは目を丸くした。

「僕はモーリス・ド・ミュルヴィル。 ジュリアの元……恋人だ! 彼女がストーカーに悩まされていると聞いて、駆けつけたんだ!」

女の悲鳴が響いたのは、その時であった。

「ジュリアああああああああああ!」

「マジかあああああああああああ!」

チャーリー達は血相を変えて彼女の寝室――一階の、ちょうど館の反対側であった――に駆けつけた。鍵がかかっていたが、チャーリーの強靱な足のひと蹴りで扉を開けた。

彼女は割れて飛び散ったガラスの上に倒れていた。

足音が、割れた窓ガラスの向こうへ遠ざかっていく。チャーリーは急いで後を追ったが、庭の途中で突然足音が消えて、見失った。

「ジュリア、しっかりするんだ! 僕だ、僕だよ!」

青年は彼女を抱き起こし、揺さぶった。

彼女はううーんと呻って、目を覚ました。

「モーリス……」

万感の思いを込めて、名を呼ぶ。青年は、血を吐くように叫んだ。

「僕が悪かった! 親の反対に遭っただけで君を捨てようとして! ――一緒にモンマルトルへ逃げよう! 貴族の地位も名誉も要らない! 君だけが必要だ! 幸い僕には貿易商という職がある、モンマルトルでもきっとやっていけるさ!」

「モーリス!」

二人は、固く抱き合った。

 そこにチャーリーは戻ってきて、空気を読み、自分が場違いなことを悟って、さっさと退散した。


 ――「なるほど、な」

全てを聞いたギーは、頷いた。ただ今王宮では、ド・ミュルヴィル家の御曹司がジュリア・ノースと、列強諸国の一つ、モンマルトル王国へ駆け落ちしたと言うニュースでごった返している。とんでもない大スキャンダルだった。間もなくマスコミにも取り上げられ、凄い事になるだろう。

「あの女、やるじゃないか」

「へ?」チャーリーはきょとんとした。

「自分がストーカーに襲われているという情報を宮中に流し、自分の恋人に駆け落ちの決断をさせ、護衛の者まで雇い、恋人がやって来た時にガラスを割って絶叫し、そしてオーディオ・セットから駆け去りゆく足音を流した。 ――大女優だろう?」

「へ?」まだ、何の事やら彼には理解できないでいる。

「つまり、このストーカー事件は彼女の狂言だったと言うことさ」とギーは言ってしまった。

「!?」

信じられない発言に、チャーリーはただただ、あ然とした。

「おそらく俺が狂言だと気付くことも分かっていたんだろう。 そして昔の因縁から彼女を庇って、誰にも――お前くらいにしか話さないことも」

「え、じゃ、俺は――」

「彼女の映画の役者の一人だったと言うわけさ」

ギーはそう言って、にやにやと笑った。

「彼女の迫真の演技を間近で見られただけでも、良かっただろう?」

「――よ、良くねーよおおおおおおお!!!!!!」

 悲しい絶叫が響いた。


 列強諸国の一つ、モンマルトル王国の王女、ライラ姫が夕暮れに行方不明になった。彼女はクリスタニア王国の王太子アルベールとの見合いと婚約のために来訪していたのだった。

ただちに一二勇将によって捜索隊が結成され、それを聞いた貴族達は噂話で盛り上がった。

彼女は今回の婚約を心底嫌がっていたという。

その所為で逃げ出したのであろうか?

それとも王家を恨む誰かが誘拐したのでは?

彼らの噂話の種は尽きることが無かった。


 チャーリーはその日もバーで一杯やって、御機嫌であった。

夜中に、彼は鼻歌を歌いながら裏道を通り――そこで、一人の少女が倒れているのを見つけた。

「おい嬢ちゃん、大丈夫か?」

「……うぅん」か弱い返事が返ってくる。

こりゃ大変だ、と彼は彼女を抱きあげた。

 真夜中も過ぎた時刻に疲れた顔のモニカが帰ってくると、玄関でチャーリーが待っていた。何か物言いたげな表情で。

「どうしたの?」

「――怒らないでくれるか?」

もじもじと、上目づかいで言う。

「何? まさか――浮気でもしたの?」

彼女は鉄拳制裁の構えを取った。

YESと答えたらたこ殴りにするつもりであった。

「NONO! そうじゃないんだが、ちょっと事情があって――」

「説明しなさいよ!」彼女は血の気が非常に多かった。

「おう。 実は――」

とチャーリーが言いかけた所で背後の扉が開いて、とても愛らしい少女が顔を覗かせた。年は、一〇代の初め頃であろう。将来はすこぶる美人になりそうであった。

「!?」

驚愕を顔に浮かべたモニカに、慌ててチャーリーは言った。

「実は……この子を拾ったんだ! 売春とかじゃなくて本当に拾ったんだ!」

モニカは仰天していたので、思わず叫んだ。

「こ、この子は……ライラ姫よ! ただ今行方不明で大騒ぎになっている張本人よ! 警察官が総動員されて探しているのよ!」

「え」チャーリーがぽかんとする。

きゃあ、と小さな悲鳴を少女はあげた。

「も、もう見つかってしまいましたの!?」


 リビングのテーブルに三人は着いて、話し合いを始めた。

「わ、私、一度も話したこともない上に性格が最悪だと評判の不細工な一回りも二回りも年上の男と政略結婚なんてしたくありませんのよ! それで王宮を逃げ出しましたの。 でも――もう見つかってしまうだなんて」

彼女はしくしくと泣き始めた。

「お姫さん不幸だなあ……他に好きな相手でもいるのかい?」チャーリーは同情した。

「いませんわ。 でも、どうせこの国の方と結婚するならクロワズノワ様の方が余程――」

ギー・ド・クロワズノワは他国でも有名なのだ。才色兼備の佳人として。

「それは無理だぜ、悪い事は言わんから諦めな……」チャーリーはそう言うしか無かった。ギーはイズーに絶対に逆らえないし、逆らうつもりもゼロである。

わっと泣き出した少女に向けて、モニカが言い捨てる。

「普段から贅沢な暮らしをさせてもらっているのは、こう言うことのためじゃないの。 王族の自覚があるのなら諦めて婚約しなさいよ」

「嫌です!」少女は断言した。「私は私の人生を生きたいんです! 普通に恋をして、好きな人と結婚したいんです!」

「全く頑固ね――」

モニカはため息をついた。

「結婚、親御さんに取り消してもらうことは出来ないのかい」

チャーリーが気の毒に感じ、何とかしてやりたくなって、身を乗り出した。すると少女は、

「私の事を聞きつけたクリスタニア王国から請われてですので――私達の方からはとても断ることなど出来ません。 断ったら、最悪、国が滅ぼされます」

いくらモンマルトル王国が列強諸国の一つであろうと、クリスタニア王国には敵わない。

「そいつは惨いなあ……」チャーリーは顔をしかめる。

「王女の自覚が足りないだけの小娘じゃない。 同情する程のことでもないわ」モニカは冷酷だった。

「お前、それ、いい加減に酷すぎるぞ! ――ん?」

そこで彼ははっと閃いた。

「モニカみたいに酷い女になればいいんだ!」

「「は?」」

女性二人はきょとんとした顔になる。

「向こうから結婚を断らせりゃいいんだよ!」

「ど、どうやって?」王女がすかさず食いついた。

「罵詈雑言を吐きまくるヘビースモーカーの上に、DVばっかしやがる冷血女を誰が嫁さんにしたがると思うか?」

「ちょっと! それ私のこと!?」

モニカが激昂してチャーリーに掴みかかった。それをかわして、

「だって実際そうだろ? ――おいお姫さん、結婚したくなかったら、これからアンタは罵詈雑言とヘビースモーカーとDVの花嫁修業をするんだ!」

「ど、どうすればよろしくて?」

王女はぱっと顔を輝かせて言う。チャーリーはモニカを見た。

「幸い、生ける見本がアンタの目の前にいる」


 「この屑男! 能なしの間抜けの出来そこない! ピ――ピ――ピ――の粗チン野郎!」

「この屑男! 能なしの間抜けの出来そこない! ピ――ピ――ピ――の粗チン野郎!」

悪口が輪唱される。最初は乗り気でなかったモニカも、徐々に熱が入ってきた。彼女は罵詈雑言のプロだったのである。真似する王女が最初から必死だったのも、彼女を調子づかせた。

傍で聞いているチャーリーの方が、何だか顔色が悪くなってきた。罵詈雑言を聞いていて気持ちが良くなるほど彼はマゾヒストでは無い。

「テメエのあばら骨をガタガタ言わせてやろうか、あぁ?!」

「テメエのあばら骨をガタガタ言わせてやろうか、あぁ?!」

 声が枯れ果てる寸前まで練習した後は、煙草。煙を肺には入れないでスパスパと口から煙を吐き出す。王女はむせていたが、必死に練習した。

「甘い! 咥え方は斜め六〇度よ! そして相手を視線で見下げる! そして馬鹿にしたように煙を吐く! 煙を相手に吹き付けるとなおよし!」

「はい、お姉様!」

何のスパルタ式特訓だろうか。

そしていい加減に一酸化炭素中毒で王女の顔色が青くなってきたので、今度はDVの練習をすることになった。哀れなサンドバッグは勿論言い出しっぺのチャーリーであった。

「男の急所を蹴る! 前屈みになった所で顔に膝をぶち込む! そして背中に肘を入れる! はい実践よ!」

「はいお姉様!」

「あぎゃ! いて、ぐえ、ひい!」

モニカはチャーリーが必死に逃げだそうとしたえり首を捕まえて、足をなぎ払って転ばせた。

「こうやってのしかかって殴る! 殴る! 拳がある限り殴り抜くのよ!」

「分かりましたわお姉様!」

 チャーリーの悲鳴が哀れに響いた……。


 翌朝、王女は街を歩いていた所を捜索隊によって保護された。彼女は彼らの予想を裏切って、見合いに非常に意欲的だった。

 アルベールはうきうきしていた。写真で見たお見合い相手ライラ姫は、年こそかなり離れているものの、将来が期待できるほど可愛らしい少女であったのである。ロリコンと言われようが彼は美しい可愛い少女が大好きだった。その少女を虐待するのはもっと好きであったが。

 周りは厳重に警戒こそされているが、二人がお見合いする場には邪魔者がいないように手配されてあった。

彼は湧き立つ心を抑えて、扉を開けた。

――途端に、つんと鼻をつく謎の刺激臭。

不思議に思いながらも中に入り――そして彼は絶句した。

可愛らしいドレスこそ着ているものの、テーブルの上で足を組み、煙草をスパスパと吸っている少女がいたのである。置かれたワイングラスを灰皿代わりにしていた。

「え、あ――」

噂を聞く限り蝶よ花よと箱入りで育てられたお姫様だと思っていた。そ、それがこれだ。何という真実だ。残酷すぎる。

ただでさえ愕然としていた彼を、汚らしい下町の言葉が襲った。

「あ、テメエがアルベール? アタシはライラ。 テメエみてえなデクノボウの間抜け面のクソ野郎の見合い相手だよ」

「あ、あ――」

声も無く立ちつくす彼に近寄るなり、少女は煙を彼に吹き付け、胸倉を掴み、前後に揺さぶりながら怒鳴った。

「聞いてんのかゴラァ! ぐずぐずしてっとテメエのドタマをかち割っぞ、ああ!? 返事しねえかこのアンポンタン!」


 婚約は、アルベール王太子たっての強い希望で、無しとなった。


 その一連の報道をTVのニュースで聞きながら、ソファの上でチャーリーはぼそりと呟いた。

「そりゃ、誰だって嫌だろうさ。 純真無垢で可愛い女の子が好きだろうさ。 鬼女なんてゴメンだろうさ。 年がら年中ケツに敷かれたくは無いさ。 でも、俺は――」と、そこで言いよどむ。

「うん? 『俺は』の後は何よ――?」隣のモニカが訊ねた。

「それでも好きになっちまったんだから、しょうがないよな」

何のてらいも気障ったらしさもなく、彼はそう言った。

「……ったく、馬鹿なんだから」

わずかに頬を赤らめて、モニカは言い返すのだった。


 ――今でもその光景は忘れられない。親の大反対を押し切って、彼氏の家に泊まりに行った。父親は警察官だった。平の警察官でありながら、マフィア『天使も踏むを恐れる所』の悪事を取り締まろうとして――だから、身の程知らずだったのかも知れない。だから、当然と言えば当然だったのかも知れない。モニカが彼氏の家に泊まりに行ったその日に、家族中が皆殺しにされたのは。

帰ってみれば家中が血の海の有様に、モニカは卒倒しそうになった。いつも喧嘩ばかりしていた両親と、まだ高等学院に通い始めたばかりの馬鹿で可愛い弟が、無惨に殺されていた。触れれば冷たかった。息をしていなかった。彼女は絶叫して、でも、その声は届かなかった。誰も応えてはくれなかった。この時の絶望を、怒りを、悔しさを、モニカは一生忘れないだろう。

 それ以来だ。モニカはタバコを吸うようになって、国家捜査官になるべく今まで怠けていた大学での勉強に必死になった。そして成れた今、彼女は、ようやく復讐が果たせそうだと言う事に、内心で嬉々としている。身支度をしながらも、つい表情にそれが出ている。

「何怖い顔してんの、モニカ」チャーリーがソファの上でびくびくしながら言った。俺はまた俺の股間に攻撃されるような事でもしたのか?

「復讐できるのよ、ようやく。 私の家族を殺した連中に」

「え!?」

「『天使も踏むを恐れる所』。 あれに私の家族は殺されたの」

「……」チャーリーは沈痛な顔をして、「復讐は止めろよ、終わった後何も残らないぞ」と言った。

「うるさいわね。 アンタなんかに私の気持ちは分からない」

「分からないさ、確かに分からない。 でも……」とチャーリーは口ごもった。

「何よ」

「お前が辛そうだってのは分かる」

「人生辛い事だらけよ。 甘えてなんかいられない。 ヒモのアンタとは違うのよ」

「ヒモ言うな! 俺は便利屋」と少し生意気になって反論しようとしたところに、

「黙れ」モニカはチャーリーの脳天に拳を振り下ろすのだった。


「『天使も踏むを恐れる所』か……」移動中、国家捜査官の一人が呟いた。「嫌な噂を聞いたんだが、それが本当にならない事を祈るのみだ」

「何だ?」ともう一人が訊ねる。

「いや、な……あくまでも噂なんだが、連中、『遺物(レリック)』を持っているとか何とか……」

「そ、それは本当なのか!?」

『遺物』とは『先代文明(ロスト・タイム)』と言う、古代に栄えていた謎の文明の遺物である。主に『遺跡』から発見され、そのどれもが素晴らしく高度な技術の結晶であり、とんでもない力を持つ兵器にもなりうる場合すらある。代表的なのは聖教機構、この人間が魔族を従える巨大組織の切り札『グングニル・ロンギヌス』だ。この『聖』遺物は、今までに使用された回数こそごくわずかだが、その度にとんでもない結果を引き起こしており、その噂は世界中に広まっている。

「いや、でも、たかがマフィアの一組織が持っているとは考えにくい。 噂は噂だろう」

「それより、例の命令は勿論出ているわよね?」モニカは気になって言った。例の命令とは、激しい抵抗があった場合のものだった。『過度の抵抗があり、こちらの身の危険があると判断された場合には射殺せよ』――モニカは殺したかったのだ。愛していた家族を殺した連中を殺したかったのだ。この手で。この手が返り血にまみれるのをこの数年間待ちわびていた!

「ああ。 勿論だ。 珍しいな、お前が再確認するなんて」と捜査官の一人が不思議そうな顔をした。

「私も年をくったのよ」

捜査官達を詰め込んだ、ガソリン・カーは順調に道を移動している。

「!」だが、いきなりガソリン・カーが道を曲がった。いきなりなので中の捜査官達はよろめいた。

「どうしたんだ!?」

「付けられた!」運転手が叫んだ。「バイクの男が俺達を付けていた!」

車内に緊張が走る。

「『天使も踏むを恐れる所』の密偵(イヌ)か!?」

「いや……それにしては目立つバイクだった。 何だったんだ、あれは?」

目立つバイク?男?モニカは一瞬頭にチャーリーの姿がよぎった。確かチャーリーはバイクの免許も持っていた。だが、まさか。ありえない。そんな事はありえない。すぐに彼女は否定する。大体今日はチャーリーはテッドとか言う子供のベビーシッターに出かけているはずだ。こんな暇な事をやっている時間は無いはずだ。

それきり特に異変も無く、捜査官達は『天使も踏むを恐れる所』のアジトのビルに到着した。表口と裏口をふさぎ、そして一斉に突入する。

「な、何だテメエらは!?」と中にいた『天使も踏むを恐れる所』の一員が怒鳴った。

「国家捜査官だ!」モニカは怒鳴った。「動くな(フリーズ)!」

だが、それで動きを止めないのがマフィアである。拳銃を取りだして、撃ってきた。当然、国家捜査官達も応戦する。モニカは身の危険もかえりみずに活躍し、何人も仕留めた。

各階を制圧し、いよいよ国家捜査官達はマフィアのドンのいる部屋に踏み込もうとした。

その時だった。扉が自動的に開いて、そこから、荊がずるずると溢れ出した。

「な」誰かが叫んだ。「何だこれは!?」

だが、すぐに彼らは拳銃で応戦する羽目になる。荊が彼らに襲いかかってきたからである。

「何だこれは。 教えて差し上げましょうか」荊冠をかぶった男が姿を見せて、言った。全ての荊はそこを源として伸びている。

「貴様! 『天使も踏むを恐れる所』のドン・ボリスだな!?」また、誰かが怒鳴った。

「その通り。 さてと国家捜査官の皆さん、死んでいただく前に教えて差し上げます。 これが何か。 これは『遺物』の『荊冠』の復元品(レプリカ)です。 かの救世主が死ぬ前にかぶせられた死の冠。 どうです、凄いでしょう?」男は嬉々としている。

「貴様! 死ね!」モニカは狙い定めて拳銃を撃った。なのに――。

荊が伸びて、銃弾をはたき落とす。荊はあっと言う間に爆発的に伸び、国家捜査官を一網打尽に絡め取った。

「ぐ、ぐうう! 畜生が!」

「放せ、放しやがれ、この野郎!」

彼らは悪態をついたが、事態は何も解決しない。

「嫌ですよ。 貴様ら国家のイヌ共は私達を捕まえに来た。 冗談じゃない。 イヌ共には死んでもらいます。 それではさようなら!」

荊が、国家捜査官達の首に絡みついた。見る見る彼らの顔が充血して、苦しみ悶え始めた。

 ――その時である。


 銀行強盗がかぶるようなマスクをかぶった男が、のそのそと姿を見せた。

「だ、誰だ貴様は!」ドン・ボリスが怒鳴って、荊がその男目がけて伸びた。だが――消えた。まるで空に溶けるかのように荊が消えた。

「……え」

ドン・ボリスの顔が一瞬何が何だか分からないと言うものに変わる。その顔に、拳が深々とめり込んだ。鼻血をまき散らして吹っ飛ぶドン・ボリスを男は追撃した。追撃して、床に倒れた所をたこ殴りにした。何だか見ている方が痛くなってくるくらいにマフィアのドンを殴りに殴って、失神した所でようやく止めた。荊冠をもぎ取ると、それを荊と同じく消してしまう。国家捜査官達は荊が消えて解放され、ぜいぜいと荒い息をついた。

「き、貴様、貴様は誰だ!?」とモニカが苦しい息の下で言う。

すると男は彼女達に向かって親指をぐっと立てて、それから窓から飛び降りた。

モニカははっとした。チャーリーの癖の一つに、親指をぐっと立てるものがあったからである。


 「な、何だったんだあれは?」

「正義のヒーローか?」

「ヒーローがあんな銀行強盗みたいな格好しているかよ、馬鹿」

何はともかく『天使も踏むを恐れる所』を無事拿捕した彼らは、クロードからねぎらいの言葉をかけられ、その後で打ち上げ祝賀会に行っていた。

「いやはや、本当に何だったのかなあ、あれは……?」

「おかげさまで助かったんだが、気になるなあ……」

祝賀会の話題は、勿論あの謎の男であった。あれは誰だ、と言う事で大論争が起きていた。

「……」モニカは、だが確信していた。あれはチャーリーだと。間違いなくチャーリーだと。女の勘がもう間違いないと大声で言っていた。


 彼女が家に帰ったのは、もう深夜を過ぎた頃だった。チャーリーは起きていて、深夜テレビの低俗なコメディー番組を見てげらげらと笑っていた。

「おいモニカ、すげえギャグだぞ、『お手々がいてて!』『太陽にあいたいよう!』だってさ! くだらねえ!」

「……アンタなのよね」とモニカはタバコをくわえて言った。

「へ?」

「今日の一件、アンタなのよね」

「へ??」

だがチャーリーはきょとんとした顔で、

「それよりさあモニカ、夜食食う? ピザ焼いたんだけれど余っちゃってさ」

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