INTEGRATION 亡国の離別 【ACT四】 彼の特性
クリスタニア中の女が一度は絶望した。
『ギー様、平民の女性と婚姻届を提出!』
ある意味では世界の終焉に等しい大事件であった。河に身を投げる女が続出し、この世には神などいないと嘆き叫ぶ女の数もあまりにも多かったので、クリスタニア王国の社会現象になりかけた。ショックで精神を患った女性があまりにも多かったために医療関係者が過労寸前になり、警察官とボランティアで結成された身投げ女性救助隊が常に河の側を行き来しなければならないほどであった。
「どこの馬の骨女よ!」モニカとて例外では無い。だが気性の激しい彼女の場合は、「射殺してやるわ!」になるのだった。
「落ち着け!」チャーリーはびくびく怯えつつ説得する。「素直に祝ってやれよ、すっごくおめでたい事じゃないか!」
「何がすっごくおめでたいのよ、ああアンタの頭が馬鹿みたいにおめでたいのね!」モニカはキレられるだけキレまくっている。「脳天に風穴を空けてやったら少しはおめでたくなくなるかしら!」
「落ち着けったら! 何で祝い事なのに血なまぐさい事になっているんだよ!」
「あのね」モニカはチャーリーの胸ぐらを掴み、般若の顔で、「ギー様は『特別』なのよ。 分・か・る?」
「……」チャーリーは恐ろしさのあまりに震えている。モニカに角が生えて女夜叉になったかのように見えたのだ。トイレに行っていなければ、失禁していたかも知れない。ギーは国民的アイドルなのだと思い知った。アイドルは崇拝され信仰され、そして当然ながら狂信者を産む。
「畜生めが」モニカは恨みつらみをチャーリーに八つ当たりする。「ギー様がクソ女に飽きて浮気して離婚する日を、楽しみにしているわ」
「酷ぇ……」辛うじて呟かれたチャーリーの声は、糸よりもか細いものだった。
「初めまして、こんにちは」とおっとりとした家庭的な美女は挨拶した。彼女が側にいると安心できると言うのか、ほっとすると言うのか、とにかくまとう雰囲気が穏やかで、心地良いのだ。「私はイズーと申します。 どうぞよろしくお願いしますわね」
「初めまして、俺はチャーリー・レインズです、よろしくお願いします」
ギー、やるじゃん!チャーリーは思った。愛人にするならば危険な女、でも正妻にするならばイズーの様な安心できる女が一番じゃないか。
「コイツは信頼できる男だ」ギーは案の定くつろいだ顔をしている。「後、便利屋の仕事もやっているから、大体の事は出来る」
「それは凄いですわね」イズーはにこにこしている。「これから、もしかしたら私からもお願いする事が出てくるかも知れませんけれど、どうかよろしくお願いしますね」
「はい!」
と元気よくチャーリーは答えて、それから小声でギーに言った。
「おい。 お前の後ろで黄昏れている爺さんは、もしかして……」
その『爺さん』は影が薄く、瞳が虚ろで、まるで消えかけている煙草の火の様だ。顔はチャーリーも知っている。だが普段のその顔は、威厳とゆるぎない信念を抱えた毅然としたものであるのに……。
「そうだ、グレゴワールさんだ」ギーは困った顔をして、「実はグレゴワールさんだけじゃない、一二勇将のどなたもが放心状態だったり泣きわめいて話が通じなかったり酷く落ち込んでいるんだ」
「それ、空の巣症候群」チャーリーは言った。「お前が巣立っちゃったから、寂しくておかしくなっているんだぜ?」
「おい。 良い年こいた男が巣立っていない方が問題だろうが」
「そりゃそうだけれどさ。 でも寂しいんだろうなー」
王宮近くの庶民向けのレストラン『デカルト』は、昼時とあって混雑している。
「……とにかく、だ。 俺は人を大勢呼んでの結婚式はやらない方が良いだろうと思う。 妨害者が大勢いるだろうからな。 だがイズーにドレスを着せてやりたい。 だから、本当に二人きりの式を挙げた後、披露宴を兼ねた食事会を開こうと思う」とギーは微笑んで言った。
「ふむふむ」チャーリーは乗り気である。
「だがここで問題が発生した」ギーはイズーを見て、むすっとした顔で、「イズーが食事会に子供と犬を出席させると言って聞かないんだ」
「えっ、お前、種無しじゃなかったのか!?」チャーリーがひっくり返りかけた。少なくとも、のけ反るところまでは行った。「でででででででで『出来たから結婚』なのか!?」
「……彼女の連れ子だ」ギーはついに苦い顔をして、「ものの見事に俺を嫌っている。 犬の方も俺を見ると襲いかかろうとする始末だ」
「……」チャーリーが色々と仰天して言葉を出せないでいると、
「だってギー、貴方はテッドを見下した視線で見るじゃないの。 それは嫌いにもなるわよ? 後、アドルノは賢いから、本当に優しい人にしか懐かないの」イズーが言って、振り向いた。隣のテーブルでお子様ランチをスプーンでつついている少年が、ギーを睨んでいた。彼女はたしなめる。「こらテッド、そんな目で人を見てはいけません」
「……だって、ぼく、そのおっさん嫌いなんだもん」少年はぼそりと言って、お子様ランチをまたつつき始めた。
「えーと、テッド君、だっけ?」チャーリーが席を立って、身をかがめて少年と視線を合わせる。「よろしくな、俺はチャーリーって言うんだ」
チャーリーの、あの毒のない笑顔に、
「……」テッドは少し驚いた顔をして、それから、お子様ランチに付属していたオモチャの車を差し出した。「はい、あげる!」
「おお、ありがとうな! よし、じゃあ……」とチャーリーは紙ナプキンで器用に犬を折って、テッドに差し出した。「俺もこれをやるぜ!」
「!」テッドは目を丸くして、「おにいさん上手だね!」
何で俺がおっさんでチャーリーがおにいさんなんだとギーは憤慨したが、イズーが嬉しそうに、
「まあ、テッドが懐くなんて、チャーリーさんはお優しい方なのね!」
「あー……」チャーリーはちょっと考えて、「俺、動物と子供には嫌われた事が無いんですよ」と言った。
「チャーリーさーん!」
「ワウワウワウワウ!」
玄関から大型犬とテッドが飛び出してきて、チャーリーに体当たりした。チャーリーは笑顔でそれを受け止めて、
「おはよう、テッド! 仕度が済んだら、アドルノの散歩に行くぞ!」
「分かった!」テッドは家の中に走って引き返す。その背中にチャーリーは、
「こら走るな! 転んだら痛いんだぞ!」と言ったのだが、
「はーい!」テッドはぴょんぴょんとまるでウサギのようにはねながら姿を消す。
「ワウワウワウ!」
「よーし良い子だ、テッドが来たら散歩に行くぜ!」
甘えてくる大型犬アドルノの首輪にリードを付けて、スコップと袋を持った後、チャーリーはふと視線を玄関に向けた。
「………………………………」
凄まじい嫉妬の視線で彼を睨むギーが顔を出していた。
「おい何だよその目は」チャーリーは呆れた。
「どうしてお前は……!」こんなに懐かれるんだ。ギーはとても理不尽な理由で腹を立てていた。
「どうしても何も、俺は生まれつき動物と子供に嫌われた事が無いんだよ。 『虎が懐いたからペットにしたい』ってごねて姉貴にぶっ飛ばされた事もあるし。 俺が公園で昼寝しているといつの間にか鳩と猫にたかられているしさあ」
「……」ギーにはそんな経験が一度も無い。
「チャーリーさーん!」支度の済んだテッドが玄関から駆け出してきた。「散歩、アドルノの散歩っ!」
「よし、じゃあ行くか!」
「ワウワウワウワウ!」
二人と一匹は、実に仲良く出かけて行った。
テッドのベビーシッターはある意味ではチャーリーの天職であった。テッド本人が目をキラキラさせて言うのだ、
「ママンと結婚したおっさんはどうでも良いけれど、チャーリーさんが来てくれたのはすごくうれしい!」
確かこの子供は、とギーは思う。いつも暗い顔をして暗い性格で無口で子供らしくなくてちっとも可愛くないガキだと思っていた。
だが、それがこれだ。
「チャーリーさん、空中戦艦、ぶーん!」
オモチャの空中戦艦を振り回してテッドは言う。
「おい、空中戦艦はぶーんなんて言わないんだぜ、スイーと行くんだ、あれは」
「空中戦艦、スイー!」
「そうだ、スイー!」
「ワウワウ!」ギーに隙あらば噛みつこうとしている犬風情が、構ってくれと言いたげにひっくり返って腹を晒している。チャーリーはアドルノの腹をもふもふとしてから、
「お手!」
お手をした。
「わんわん!」
わんわんをした。
「よーし良い子だ、ほら骨だぞ!」
「ワウワウ!」
骨に大歓喜するアドルノ。
おまけにイズーは、この光景を本当に嬉しそうに見つめている。そしてギーはイズーに何があっても逆らえないのだ。
「あらあらテッド、もうチャーリーさんとお友達になったのね!」
「うん、チャーリーさん、ぼく大好き!」テッドは満面の笑顔で言って、「空中戦艦、行けえ、スイー!」
オモチャを振り回す。チャーリーはテッドの空中戦艦ごっこに合わせて、
「ドカーン! うわあやられたー!」
「かったー! ぼくのかちー!」
畜生。ギーは何故かそう思った。畜生、畜生、畜生!
男の嫉妬は醜かった。
「……まだギー坊やの結婚相手が男で無くて良かったと思うしかない」
ユースタスが完全に思いつめた顔で言った。
一二勇将の円卓会議は、まるで通夜の様な雰囲気である。
「……それは同性婚を法律で認可した私やアナベラへの宣戦布告ですね?」ランディーがぼそぼそと、まるで戦う気の無い声で言った。
「違う……そう言う意味じゃなくてだな、ギー坊やがウェディングドレスを着る羽目になったらと思うと、流石に私でも……」とユースタスははらはらと涙をこぼした。
「不気味な妄想を練り上げおって、この変態ケチめ!」オリエルはそこまでは大声で言ったものの、すぐに消えそうな小声になって、「気持ちは分からんでも無いが、あの子が女好きでどうしようもないのは昔からだっただろうが……」
「……そうですね。 ですが、まだ私達は軽症です。 御覧なさい、グレゴワールを……」Dr.シザーハンドがそう言って視線を動かした。
「……」
死にかけていると言っても過言では無い老境の男が、焦点の合わない目でどこかを見ている。空ろに開かれた口からは魂が抜けかけていた。
「鉄血宰相があれじゃ、政務に差し障りがあるぞ……」アンデルセンが嘆息した。「抜け殻状態の反動で、鬼舅にならなければ良いが」
「……」アルトウールが何かをごそごそと円卓の下で作っている。
「おい、何を作っているんだ?」しくしくと泣いていた隣のクロードが、何だと思ってひょいと覗き込み、「うわあ!」と思わず叫んだ。
大人のオモチャを作成していたのである。
「……何がうわあだ、これがせめてものこの天才アルトゥール様からギー坊への餞別だ」この狂人は真顔で言った。
「そんなものを送り付けられたら、ギー坊やは貴方と絶縁しますよ! はっきり言って気持ち悪いです!」
アナベラがそれを奪い取り、ゴミ箱に叩き込んだ。
「何をする!」アルトゥールが叫んだ。だがクロードの鉄拳で無理やり黙らされた。「ぐえッ!」
「マルバス! マルバス!」マダム・マクレーンがヒステリックに叫んだ。するとハンケチを目に当てた悪魔マルバスが出てきて、
『何ですか、私は泣くのに今忙しいんです! ああ、あんなに小さかった坊やが……!』
しくしくと泣いている。しかしこの年齢不明の美女はヒステリー気味に、
「ギー坊やをたぶらかしたメスブタはどんな女なのか説明なさいィ!」
『しくしく……ええと、職業は弁護士で、小さい子供が一人、他に家族はいません。 どうしてギー坊やと知り合ったかと言うと、その……』悪魔は言いにくそうに、『メルトリア戦役の際に、ギー坊やを庇って死んだ軍人の、いわば坊やの命の恩人の妹だから、です』
「「……」」
一二勇将の間に、沈黙が流れた。
「……どうやら我々はもはやギー坊やの家庭事情に、余程の事が無い限り、ああだこうだと口を挟む訳には行かんな」やっと正気に戻ったグレゴワールが言った。「では、会議を始めるぞ」
メルトリア戦役について語る時、オリエルは心底怒っていつも語る。
「あれはワシらの過ちだ。 ワシらがほんのわずかでも油断した、そこを付け込まれたのだ!」
きっかけは、万魔殿支配下にあった小国、メルトリア王国が、どうせ帰順するならば同じ人間の国クリスタニア王国にしたいと言い出した事であった。クリスタニア王国にとって、領土が増えるのは悪い話では無い。だが、当然メルトリア王国の覇権を巡って、万魔殿との激突は避けられない事態となった。
クリスタニア王国は勝利こそしたものの、それは痛い勝利であった。
メルトリア王国が激戦の真っさなかに裏切った所為で、戦況が危うく逆転しかけたのである。結果的に勝利こそしたものの――特に陸軍に甚大な被害が出たのだ。
ずしんずしんと城塞が震動している。敵からの砲撃を受けているのだ。既にそこは前線であった。それも、負けている。通常なら撤退していただろう。だが――味方だった者の裏切りによって、退路を断たれていた。
最初は前線で、そして前線兵らの背後で、味方だったはずのメルトリア王国軍が突如裏切ってクリスタニア王国軍と交戦を始めたのだ。そこに万魔殿が一気に攻め込んできた。
メルトリア王国が裏切るなど、誰が予想したであろうか。そもそもこの戦争はメルトリア王国がクリスタニア王国に泣き付いて来たから発生したものであった。それが裏切られた。最悪の時期に最悪のやり方で裏切られた。現在、下手をすればクリスタニア王国軍全軍が壊滅する可能性が、生じていた。
しかし一人の男の采配と、その部下の行動が、それを瀬戸際で食い止めた。
ギーとその部下達は良くやった、本当に良くやった。彼らは元々は補給部隊であったのに万魔殿とメルトリア王国軍の攻撃を真正面から受けて立ち、おまけに血路を開いて、前線兵が無事帰還できるまで耐えたのである。本来ならば全滅していたであろう前線兵らは彼らのおかげでオリエルの率いる本隊と合流できたのだ。
だが、代償も大きかった。ギー達は敵中に取り残されたのだ。
四方八方が敵の中で孤立した。これは、彼らの死を意味していた。
「すまないな」震える城塞の中で、ギーは部下達に謝った。彼らの立てこもっている前線要塞が、砲撃を受けて激しく震動しているのだ。彼は拳銃を手にして、言った。「逃げていれば全員無事に戻れただろうに、俺が『踏みとどまれ』と言い出したばかりに……」
「大佐、何の事はありません」中佐トリスタンが笑った。「本当に逃げたかったら、誰もが命令が下った時に逃げていたでしょうよ」
「全くそうですよ」他の軍人達も穏やかに笑っている。死の迫る戦場であるのに。「これは我々の総意です」
「……そうか」ギーは、笑んで頷いた。俺は全く良い部下に恵まれたものだ、としみじみと思った。そして、「もしかすれば誰か生き残れるかも知れない。 遺言がある者は、今の内に言っておけ」
それを聞いて、最初にトリスタンがぽつりぽつりと語り出した。
「自分には妹がいましてね――可哀想に一四の時に誰かに暴行されて父親の知れない子を胎んだのですよ。 あれから七年経った今でこそ幸せでしたが――あの頃は辛かった。 誰か生き残ったら、妹によろしくと伝えてくれませんか」
それに触発されて、誰も彼もが、自分の家族や恋人のことを話し出す。懐かしい歌を歌う者もいた。戦場に、郷愁が漂う。
ははは、とギーは既に定まった覚悟を腹にくくり、快活に笑った。
「命令だ、もし生き残った者がいたならば、俺達全員の遺言を遺族へ届けろ!」
「「了解であります!」」と、彼らは答えて、同じように笑った。
その時である。部屋が巨大な透明な刃に切られたかのように切断され――天井が落ちてきた。その透明な刃は無数に襲ってきた。それは彼らを切り刻み、ただの物言わぬ肉塊にした。
ギーは落ちてきた建物に潰される寸前で、誰かに庇われた。それが誰だとも分からぬ間に、彼は瓦礫に埋もれた。
「俺は戦争が嫌いだ」
はっきりとした声が聞こえて、彼は意識をすぐ取り戻す。そして、自らを庇うように覆いかぶさって死んでいるトリスタン、切り裂かれて、あるいは瓦礫に埋もれて死んでいる部下達を見つけた。惨劇を包む空が、酷く透明で、どこまでも青かった。
「この戦場で、何を言っている。 カール、お前は甘ちゃんだ」
心底嘲るような別の声が聞こえた。ほんの少し顔を動かすと、対峙する二人が見えた。
二人?!いくら敵軍の尖兵とは言え、数が少なすぎる。まさか――。
彼が息を飲み込んで見守る前で、男二人――スマートで筋肉質な、巨大な両手剣を背負った男と、対照的な優男だった――は会話を続けた。
「分かってる。 分かっているよ、アントワーヌ。 それでも俺は、戦争は嫌いだ。 こんなの、いくらやったって不毛だろ。 俺は戦争のない世界に行きたいよ。 本当に行きたいよ。 もう戦争は嫌なんだよ」
そう言って振り返った男が、いきなり衝撃波にはじき飛ばされて青い血をぶちまけた。吹っ飛び、瓦礫に衝突する。
青い血!?ギーは聞いたことがあった。それは数多の魔族が集う万魔殿の中でも特に稀少な種族で――。
「カール・フォン・ホーエンフルト! 『高貴なる血』の男! 俺はお前がずっと前から嫌いだった……弟のアルセナールや盟友シラノ達はお前のことを気に入っているようだが、俺は大嫌いだった!」
優男の背中からは羽根が生えていた。ぴきん、ぴきんと空気が鋭い刃となっていく。噂に聞いた、魔族の特殊能力らしかった。
彼の口上は続く。
「『彼女達』から一心に寵愛を受け! 俺達万魔殿の幹部の中で誰より愛され! 戦争は嫌だなどと馬鹿げた甘言を吐き! ――ずっとずっと憎かった! 何故お前だけが特別なのだ! 何故お前だけ! 何故俺ではないのだ!」
――カールは血を吐きながら、驚愕に目を見開く。
「あ、アントワーヌ、お前、ま、まさか――」
「戦争で死ぬなら、戦場で死ぬのならば別に不審死でもあるまい。 お前の『我に触れる事無かれ(ノリ・メ・タンゲレ)』ですら防げぬ『妖精騎士』の衝撃波で切り裂いてくれる!」
衝撃波のうねりが、アントワーヌめがけて集結していく。最大級の攻撃をしようと言うのだ。
「止めてくれ!」カールが絶叫した。「俺は死にたくない! ただ戦争が嫌なだけで――!」
「死ね!」
銃声が響いた。
アントワーヌが、背後から心臓を撃ち抜かれて絶命した。
「おい、貴様――」傲慢に、白い硝煙をくゆらせる拳銃を手にしたギーは言った。「戦争のない世界に行きたいか」
「――な、何故助けた!?」カールは驚いている。
「俺を助けろ。 そうすれば、クリスタニア王国への亡命を許可してやる。 ――戦争はもう嫌なんだろう?」
ほぼ同時に、オリエル率いるクリスタニア王国軍主力部隊が進軍してきた。それは軽々とメルトリア王国軍と万魔殿軍を蹴散らした。
オリエルが直々に鍛えた参謀達は一度は進軍に総反対したのだ。
今の状況が、主力部隊が進軍するにはとても危険すぎるからである。
だが、オリエルの言葉で全員が意見を反転させた。
「未来ある若者を見捨てて死にぞこないの老いぼれが生き延びるような醜態をさらせと? それこそ生き恥をさらすのと同然だ、絶対に断る! ワシ一人でも敵軍に突入する。 死にたい奴だけ付いて来い!」
がけ下へ落ちかけていたクリスタニア王国軍の士気が、一気に天へと跳ね上がった。
「「イエス、サー!」」
ほぼ全軍が呼応して、クリスタニア王国軍はまっしぐらに戦場の中へ突撃したのだ。そして、血まみれの勝利を掴んだ。
「――兄は、そうですか、最期に私のことを……」
そう言って、ギーの目の前の美女は、静かに涙を流した。
彼は約束通り、遺族らに部下達の最期を伝えて回っていた。
「ええ――イズーさん、貴方のことをおっしゃっていました」
「伝えていただき――ありがとうございました」
そう言って、彼女は頭を下げた。
それから彼は間近の軍人墓地に向かった。今は亡き戦友達に祈りを捧げるために。
そこの出口には一台の車が停めてあって、その運転席から男が顔を出す。
「これで、最後?」と男は言った。
「ああ」と、ギーは頷いて車に乗る。
「……沢山、殺しちまったなあ、俺は」
心底後悔している声だった。
もう取り返しの付かないことだと自覚している声でもあった。
密かに亡命が認められたこの男は、チャーリー・レインズと名乗り、何故かギーと気が合って今ここにいる。
「戦争とはそう言うものだ。 殺せば殺すほど、英雄になれる」
「俺は英雄になんかなりたくないよ。 それにしても、さ――」と彼は本当に不思議そうに訊ねた。「どうして俺を助けたの?」
その時のことを思い出すと、ギーは我ながら不思議な気分になるのだった。あのまま隠れていても良かったのに、どうして助けたのだろうか。……あの時に自分を動かしたのは、ある種の運命的な何かであったのかも知れない。
「……何となく、見殺しにしたくなかっただけだ」
彼は少し黙って、そう答えた。
「そっか。 ありがとうな」
と言って、チャーリーは車を発進させた。
『結婚おめでとう、で、離婚はいつだ?』
黒い子ヤギが登場して、ギーを見上げて、にまッと笑った。
「……お前はイズーの職業を知らないんだな。 イズーは弁護士だ。 それも離婚問題専門の」タキシード姿のギーは頭を抱えた。「だから俺は結婚を決意した時、彼女の奴隷として一生を生きようと思ったんだ」
『感心な決心だなあ。 まああの女、不倫とかするタイプじゃねえしなー。 浮気相手があの女だったら最悪だが、結婚相手なら実に良いタイプだ。 妻ならば貞淑に誠実に、しかも夫を立てて行動する。 浮気相手なら地獄へお前を連れて行くがな。 まー奴隷根性で行けば上手く行くんじゃねえの? 個人的にはお前が不倫して発生する泥沼を滅茶苦茶見たいんだが』
花婿の控室には、今、この一人と一匹しかいない。
「新婚の男にそれが言うセリフか」
『俺様は魔王だ。 魔王は邪悪な生き物だと決まっている』
「そうか。 どうも俺には美味そうな肉の塊に見えていた」
『鬼畜め。 ところでお前さ、不安にはならないのか?』
「マリッジブルーならもう十分になっている」
『それじゃねえよ。 お前は完璧だ。 生まれこそ平民だが、能力も外面も最高だ。 将来だって洋々たるものだ。 だからこそだ、不安にならないのか? 「いつかこの幸せは全て崩壊するんじゃないか」、ってな』
「……」ギーは誰も近くにいない事を確かめてから、言った。「一二勇将の皆様がご健在の内は、良いだろう。 クレーマンス七世がご在位の内も、心配は無いだろう。 だが……」
『あの「チビデブハゲワキガであるだけならマシだった」、のアルベールか』魔王はぶーっと吹き出した。『俺、数千年生きているが、奴ほどの不細工面はそうそう知らないぞ!? アルベールに比べたら、あの比較的不細工君がまるで神々しい美形に見える』魔王は顔を改めた。『……まあ顔や体型や体臭はどうしようもないとしよう。 チビデブハゲワキガだがとても親切な男もいただろうしなあ。 現に比較的不細工君は実に良い男だ。 だがアルベールは性格が、はっきり言って「最悪」じゃないか。 あの男は人間の、否、人類のクズだ。 己が今王太子として威張っていられるのがどこの誰のおかげかちっとも理解していない。 全部親父と一二勇将のおかげじゃねえか、なのに野郎は自分のおかげだって勘違いしてやがる。 ついでに、あのクソ野郎が無能で阿呆でゴマすりだけお上手なオッペケペーの貴族連中とつるんで何をしていやがるかは、超有名じゃねえか』
「……知っているか、やはり……」ギーは嫌な思いになった。それは魔王が知っている事に対してでは無い。『魔王が知っている事』の『真相』を彼も知っているからだ。
『魔王舐めんなよ、地獄耳なんだぜ』魔王は愉快そうに、『まだ女にもなってないガキを輪姦するのが趣味だなんざ、笑えるなあ! ああ、そうだ、その後にガキを自殺するまで追い詰めるんだっけ? クズもクズ、いや、「クズに謝れ!」レベルのクズだなあ、ぎゃははははは!』
「……」
『あの硬骨漢のグレゴワール氏がもう何百回と怒鳴りつけたんだっけ? 駄目だ駄目、それじゃ駄目だ、国王が代わったらグレゴワール氏は馘首(首チョン)決定だ。 まあ、あのグレゴワール氏は死刑なんぞ恐れるほど腑抜けじゃねえらしいが、な! ――お前はそれが怖いんだろう?』
「怖くない訳が無いだろう。 俺はあの人達の子供だから」
愛されて愛し、育まれて育った。もはや、彼にとっては家族なのだ。
『もっともだ。 特別に俺が良いアドバイスをしてやる。 結婚祝い代わりだ』黒い子ヤギは言った。『革命を起こせ』
「……」
『何だ、妙に悟った面をしやがって。 簡単だろう? 一二勇将が実権を握っている今こそが最後の好機だ。 オリエルが軍事蜂起、ユースタスが金融停止、クロードはそれらを看過、アンデルセンはそれらの支援、ランディーは新憲法をこしらえて、アナベラは対外諸国に説明に飛んでまわる、後の連中は国王に退位か斬首か迫れば良いんだ。 いや、マジで、本当の本当に簡単だろう? 何でさっさと朝飯前にやらないのか、俺には理解出来んくらいだ』
ギーは答えた、「クレーマンス七世に、あのお優しい陛下にそんな事が出来るか」
『……馬鹿じゃねえの?』
自らの命より、主君を優先する。綺麗事もほどほどにしろ、と魔王は思った。
「これは一二勇将の総意だ。 そんな事をするくらいならば、死んだ方がまだ落ちぶれずに済む、それがあの人達の意志だ」
『じゃあ全員ぶっ殺されるぞ? あのアルベールの事だ、権限の一切をはく奪して、お前らを銃殺しやがるだろう』
「……」ギーは、答えない。
『ったく、この俺様が善意で言ってやったのに。 賢い馬鹿はこれだから。 じゃ、俺は気が向いたらまた来てやるぜー』子ヤギは消えた。
「二度と来るな」ギーは呟いた。
そのすぐ後に、何も知らないチャーリーがドアの向こうから三回ノックして、
「おーいギー、食事会のお客がそろそろいらっしゃったぞー」
「ああ、すぐ行く」ギーは返事した。
「もうこの世界に希望も何も無いわ」モニカはいつになく感傷的に言った。TVで『ギー様の結婚式と食事会』のニュースが流れたのを見て、である。「私も今流行りの運河への投身自殺をしようかしら」
「モニカ、お前その前に病院に行った方が良いぞ。 お前が弱気になるなんて気持ち悪いもん……」
ソファに並んで座っているチャーリーは、うっかりそう言ってしまった。最悪のタイミングで放たれた、大失言であった。
「気持ち悪い!?」モニカは逆上した。ただでさえ感情的な所にそう言われては、たまらなかったのだ。「この! クソ野郎!」
「あ」股間をわしづかみにされたチャーリーは、青くなった。「お、落ち着こうモニカ! れ、れれれれ、冷静になろうモニカ! お願いだから手を離して――!」
「処刑の時間よ」
――この二人は、まだちょっと幼稚な関係である。




