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IONシリーズ外伝三  作者: EVI
INTEGRATION 亡国の離別
2/9

INTEGRATION 亡国の離別 【ACT一】 クリスタニアンで出会った、彼ら

 「「うわあ」」と彼女達は揃って目を真ん丸にした。

「カーテンが白い!」

「壁が茶色じゃない!」

「絨毯に煙草の灰が飛び散っていない!」

「ヤニでべとべとしない!」


 「「ちょっとモニカ、アンタの彼氏を紹介してよ!」」


 「彼氏じゃないわよ」とモニカはイライラしたので煙草を吸った。「私のヒモだから」

「何を寝言言ってんのよ! 汚部屋で魔窟でゴキブリとハエの根城だったモニカの部屋をここまで綺麗に出来るなんて、そんなヒモならこっちが飼いたいわ!」

 モニカの友達が、連れ立って彼女のマンションにやって来たのである。

「そうそう!」とその中の一人が頷いた。彼女らはモニカの同僚でもあった。「おまけに料理上手なんだっけ! そんなヒモならこっちが喜んで買うわよ! ねえ、いくらなの?」

「え、そうなの!? 知らなかった!」

「ああそっか、貴方は部署が違ったわね。 あのね、モニカが職場にお弁当を持って来るようになったんだけれど、それがもう見た目も可愛い上に美味しいのよ!」

「でもヒモはヒモよ」とモニカはまだイライラしている。「ある日突然私の部屋に転がり込んできたんだから!」

「その結果がこれなんでしょ? ど・こ・に!不満があるのよ!」

家はピカピカ、飯はウマウマ、しいて欠点を上げるならば外では稼いで来ない。

「……」モニカは二本目の煙草に火を点ける。「無職の男なんてクズよ」

「無職で良いじゃん、専業主夫やらせていると思えば。 ……あの黒ずんで、と言うか混沌のような暗黒色のカーテンがかかっていて、ヤニのつららが出来ていて、気持ち悪いくらい汚い上にゴキブリがうごめいていて、冷蔵庫の中の食べ物は全滅だったじゃん、モニカの家は! それがここまで快適になるなんて……真面目にヒモで良いし、養ってあげるからウチに来てって言いたくなる……ってか、本気でモニカから買うから! だからさ、いくらなの?」

「……」モニカはイライラがついに不愉快の塊になってくるのを感じた。

 そこに、ちょうど、

「ただいまー」とチャーリーが買い物袋をぶら下げて帰ってきた。近所のスーパーに行っていたのである。「あれー、お客さん?」


 これが例のハイスペックなヒモか!

モニカの友人達はチャーリーを値踏みした。

 うん、顔はギリギリの及第点だけれど家事のハイスペックっぷりならきっと満点だわ。


「……見て分からないの?」モニカはそっけなく言う。狂暴なモニカには既に慣れているのだろう、チャーリーは機嫌を害する事も無く、

「ごめんごめん、今お昼時だからさ、腹減って思考力が落ちているんだ。 あ、そうだ、お客さん達、もうお昼は済ませましたか?」

「「まだです!」」

モニカの友人達は目をきらめかせて異口同音に言った。これは、この『ヒモ』がどれだけハイスペックなのかの、絶好の検証の機会だわ!

「んじゃ、冷蔵庫にあるものですみませんが、何か作りますよ」

チャーリーはキッチンの中へと姿を消した。


 それで出てきたものが、ゴルゴンゾーラとマリネ、デザートにパンナコッタであった。


 「モニカ!」それを一口食べた友人が叫んだ。「冷蔵庫にあるものでこれだけ美味しいのが作れるのよ! これは絶対に逃しちゃいけない物件よ!」

「「そうよそうよ!」」

これは満点どころか花丸に勲章付けての褒賞ものだわ、とモニカとチャーリー以外の全員が思っている。

「どうせモニカは仕事が趣味の人間だから、バリバリ外で働けば生活も成り立つじゃない! ウチの馬鹿彼氏なんか、この前私が酷い風邪を引いた時に、焦げ焦げのカレーを作ったのよ!」

「病人にカレーはちょっと無いわ……あ、でもウチの彼氏は脱いだものは脱ぎっぱなし、洗濯機に入れた事なんて一度も無いし、掃除だってあからさまに嫌そうな顔をしてやっているのよ! 何が『男らしくない』よ、タマ蹴っ飛ばしたくなるわ! そんな男らしさなんか不要よ!」

「俺」とチャーリーはやや内気そうに言う。「ねーちゃんとかーちゃんとばーちゃんに徹底的に料理とか掃除とか手芸とか仕込まれましたから……あんまり、その、男らしい趣味は持っていないんですよ」

委縮しているチャーリーに、きっぱりとモニカの友人達は口を揃えて言った。

「大丈夫。 まともな女なら貴方を手放すなんて愚行はやらかさないわ」

「そうそう! 最初は恋愛と結婚を勘違いするのが多いんだけれど、最終的には同居していてイラつかないのが一番だって結論に至るのよ!」

「だよねー!」

「これからは絶対に専業主夫が流行るわよ!」

「いくらなら家に来てくれる?」

「もう家事代行で良いから来てよー!」

「家政夫やって! お小遣いならはずむから!」

「そうだ、アルバイトで良いから家事やってくれない!?」

「私達、みーんな激務で家事がどうしても疎かになっちゃうのよー」

「何よモニカ、こんなに優秀な家政夫君見つけといて独り占めなんてずるいわ!」

「何がヒモよ、これだけやれるなら立派な仕事人よ!」

「でも無職なのよ」モニカだけがまだ言っている。


 「ごめん、大家が交代したら家賃値上げされて払えずに追い出されました。 養って下さい」

「は?」

「趣味は裁縫と料理と掃除です。 ……頼むから何か食わして下さい」

「何でウチに?」

「友達の所に行ったら女とデートしていて不在だったんです。 ……頼むから何か食べ物を……」

「金が欲しいのなら恵んでやるけれど」

「……………………………………」

「ああもう! うっとうしいわね! 勝手にすれば!?」

「……お言葉に甘えて、お邪魔しまーす」


 「ほう」とギーは感心したように言った。彼は新聞を読んでいたが、それをいったんテーブルに置いて、「お前が女の部屋に転がり込むなんて、やるじゃあないか。 俺があの日、家にいなくて良かったな」

「お前が女といつもの『朝までデート』をしてなきゃ良かったんだ!」逆切れしているチャーリーはわめく、わめく。わめきながらトマトを包丁できざんでいる。「入ってから入った事にマジで後悔したくらい、仮にもレディーの部屋なのにヘヴィーに汚かったんだぞ! ハエとゴキブリがわんさかいた、ヤニでカーテンが暗黒色! 冷蔵庫の中には腐敗食品がどっさり! でも酒と煙草だけは確保していたんだぞ! 俺はあんな環境じゃ生きられない!」

「だったらお前が掃除すれば良いじゃないか」

ギーは優雅にそう言ってティーカップを手にして紅茶を飲んだ。そうした行動の一々が、まるで美しい絵画になってしまいそうなほど、彼は美形であった。

「したさ! 丸々一週間泣きながら掃除した! でもまだ汚いんだ……」

チャーリーは刻んだトマトを鍋に入れて、ふたをした。鍋の中のミネストローネは、実に美味しそうにぐつぐつと煮えている。

「お前は潔癖症なのか?」ギーはティーカップを置くと、再び新聞を手に取った。

「……潔癖症で良いさ。 あんな部屋の中であのまま住み続けるなんて、それに比べたら潔癖症で良いよ、もう……」

「で」とギーは何気なく紙面に目を落とし、「その女は美人か?」

「あー、見てくれは。 でも性格はどっちかって言うと、凶暴だと思う。 俺、初対面の時に、ほら、この前の吸血鬼連続殺人事件の容疑者に間違われて拳銃を突きつけられたもん。 俺、一瞬、マジで誤解されたまま殺されると思った」

「ほう、警察官なのか?」

「うん、それもバリバリのエリート。 本物の国家捜査官」

「貴方になら逮捕されても構いません、とでも言うべきかな?」

「……………………………………お前以外の男ならそのセリフを吐いた瞬間に銃殺されちゃうだろうけれど……お前なら確実に陥落するわ」

くさくてキザな、通常ならば殺意すら抱かせるセリフすら、ギーにかかれば女にとっては心臓ハートを射抜く致命的な美辞麗句に変貌してしまう。それほどの美男子なのだ。

「今度紹介してくれ」

「安いアパートが見つかったらな!」

「そうか。 で、俺の晩飯の具合はどうだ?」

「後、五分、煮れば完成する!」

と、チャーリーは妙にイライラしつつ答えるのだった。

「何だかんだと言っているが」ギーは全てを見通しているように、「嫌いじゃないんだろう? イライラするな。 俺はもう人の女に手を出すのは懲りている。 文字通り痛い目に遭ったからな」

「おい、お前何やったんだ!?」

「寝取りかけた」と、とてもあっさりと答えられたので、チャーリーは反射的に罵声を浴びせた。

「死ね馬鹿クソ阿呆クズ!」

なのにギーと来たら涼しい顔で、

「言われた、散々言われたよ、その罵詈雑言。 俺が先にも後にも『あの人達』からそう罵られて殴られたのはあれが最初で最後だろうよ」

「おい、お前は一体どこの誰を寝取ったんだ!」

「ジュリア・ノースだ」

ギーの発言にチャーリーは殺意を以って、洗おうとしていた包丁の切っ先を向けた。包丁にはトマトのきれっぱしが赤くこびり付いていた。

「死ね! 俺はジュリア様のファンなんだ!」

ジュリア・ノース。クリスタニア王国屈指の美女で、女優である。ファンからは『ジュリア様』と呼ばれている。若くしていくつもの賞を総なめにした大女優であった。現在交際中の相手は、大貴族の御曹司らしい。包丁を向けられているのに、ギーはそちらを見ようともせずに新聞の文字を目で追いつつ、

「落ち着け。 もう昔の話だ。 今じゃ笑い話だ」

「何がどうなったら笑い話になるんだ、寝取られ話が!」

「あの人達に怒られて、俺が頭を丸刈りにして土下座した、その姿がどうも相当惨めだったらしくてな、相手が怒りよりも哀れみを抱いてくれたんだ。 俺が当時未成年だったのも助かった。 以来俺は手を出す相手は見極めてからにしている。 もう寝取るのは嫌だ」

チャーリーはどしどしと足踏みしつつ怒鳴った。

「『嫌だ』じゃなくて『絶対しない』と言え! お前の女ったらしはガキの頃からかよ!」

ここでようやくギーはチャーリーの方を見て、

「分かった分かった、絶対しない」

「……」ようやく包丁をチャーリーはしまった。「でも政治家ってもれなく嘘吐きなんだよな」

「ついでに腐敗もしているぞ。 綺麗な政治家と言うのは極めつけの暴君になるだけだからな」えぐい言葉を、さらりさらりと美しい唇から言う。

「生ゴミ袋に放り込んで捨ててやりてえ……」チャーリーはむかむかしている。

「後にしてくれ、今、俺は腹が減っている」ギーはそう言って、新聞をたたんだ。

「お前な」チャーリーは脳みそを絞って、「『心の中の姦淫』って言葉を知らないのか! おいゴラァ! お前は心の中だけで済まずに片っ端から現実でも姦淫しやがって!」

「落ち着け。 その言葉は知ってはいるが、性別が雄の全人間に絶滅しろとお前は言うつもりか? 独身の若い男に美女を見ても心は微動だにするなとでも言うつもりか? いや、性別など関係なく、誰だって心に魔が差した事は一度はあるだろう、お前だって、欲しいと思ったものは全てその場で盗むのか?」

ギギギギギギギとチャーリーは歯ぎしりした。流石は政治家、弁明・釈明・誤魔化しの言葉なら無尽蔵に出てくる!

「……政治家は全員嘘吐きで腐敗していて無駄に弁舌に長けていやがる……!」

「そう言う事だ」ギーは椅子から立ち上がる。美の女神ですら一目ぼれするような、均整の取れた長身が動いた。新聞は丁寧にたたまれてテーブルの上にある。「だから政治家は全員悪者だ。 悪者の方がやりやすい」

「……何か丸め込まれた感じがする……」チャーリーはむっつりとして言った。

「丸め込んだんだ。 政治とはそう言うものだと俺は習った」

女性がこの場にいたならば、むしろギーによって徹底的に丸め込まれたいとさえ思っただろう。

「あっそ」チャーリーはぶすくれた顔で手を洗うと、キッチンから出て行った。「んじゃ、また明日な」

「ああ」とギーは鍋の蓋を開けてみて、チャーリーは調理師免許と栄養士の資格を是非持つべきだな、後で試験勉強を勧めよう、と考えた。


 モニカは小型の拳銃を構えて、己に背中を向けてキッチンに立っている男の背中を狙う。撃ってやろうか、どうしようか。撃てばこのイライラが治まる気がする。彼女はまるでギャンブルをしているような気分であった。それも大金を手にするか、奈落の底に突き落とされるかの二極のギャンブル。正に乾坤一擲。〇か一か。裏か表かコイントス。命がけのロシアンルーレット。狙いを定めて撃鉄を上げ、引き金に指をかける。かちりと引き金を引いて、彼女は男を射殺してみようとする。手元にある銃弾は、まだ装填されていない。だがいつでもそれは出来る。

さて、そうすれば彼女は殺人犯になる、だが、このイライラは治まるかも知れない。

 チャーリーは考えている。この料理に毒を入れたらどうなるだろうと考えている。そうすればこれを食べた女は死ぬ。そして彼の不愉快は治まるような気がする。毒なら彼はいつでも調達できる。

でも、そうすれば彼はマンションから追い出される、もしくは逮捕される。なのに、とチャーリーは思わず側にあった調味料の容器を見つめて思うのだ。

この不愉快は本当に初めてのもので、そうする以外に彼にはどうしたら良いのか全く分からないのだ。

 モニカが拳銃を隠した瞬間、チャーリーは振り返った。

「なあ、ワイン煮とトマト煮、どっちが食べたい?」彼は言った。

「ワイン」

「分かった」

彼らはとても奇妙で歪で、それゆえに今は安定している謎の関係に陥ろうとしていた。


 「魔界化?」と、チャーリーは訊ねた。静かなバーでの事である。「何それ?」

「現在クリスタニア王国で発生している、謎の人間失踪現象・怪死事件だ」

ギーは写真を一枚テーブルに並べた。チャーリーは覗き込む。

「何だこれ」と彼は思わず言った。「悪魔の口に呑み込まれている……のか?」

そこには、足元から謎の黒い穴に呑み込まれて、だがその有様に唖然としている男性が写っていた。恐怖の表情すらそこには無い。あっと言う間、だったのだろう。

「偶然、この瞬間、写真家が現場を捉えて撮影してくれた。 で、これを見ろ」

次の写真には、その男性の死体が写っていた。だが通常の死体には無い、青紫色の小さな斑点が無数に皮膚を覆っている。

「解剖した結果、これは特殊なガスによる中毒死の一種である事が判明した。 全く前例の無い、成分不明の特殊な毒ガスだ。 ……今は一二勇将がもみ消しているが、これがメディアで報道されれば国内がまたパニックに陥るだろう。 そうなる前にお前に頼みたい」

「でもどうやってこの穴に落ちれば良いのさ?」

「場所は一つだけだが突き止めてある。 クリスタニアン新市街と旧市街を繋ぐ、あのクレル橋の近くの歩道橋だ。 そこで、雨上がりに必ず行方不明者が出る」

「……ちなみに、『魔界化』のネーミングは誰が?」

「俺だ。 まるで異世界に引きずり込まれて、そこで殺されたかのような印象を受けたからな」

「……受けても良いが、お前も付き合えよ? 俺あんまり頭良くないから、脱出方法を思いつきそうに無いんだ」

「怖いのか?」

「怖いに決まっているだろうが!」

「どのくらい怖いんだ?」

「ねーちゃんとかーちゃんとばーちゃんに隠していたエロ本見つかって、それが目の前で公開焚刑された時くらいだ……」

「それは酷いな。 何も焼かなくても良いだろうに」

慰めの言葉を聞いた瞬間、チャーリーのひがみが爆発した。男の嫉妬は醜いのである。

「どうせお前は! 女に不自由した事なんて! 一度も無い癖に! 大事な秘蔵のエロ本焼かれた俺の悲しみを分かるはずが無いだろうが!」

「俺の経歴を忘れたのか。 俺の通った高等学院は男子校だったんだ」

よくある事なので、ギーは友達を落ち着かせようとしたが、

「それが何だ! どうせ学外じゃ、ずっと、ずううううううううううううううーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと女を食い散らかしてきた癖に! お前の女癖の悪さをマスメディアにチクってやる!」

けれど、ギーは軽く鼻で笑った。何故なら、

「ありがたい事だ、俺は最近どうも女に飽きてきた」

からである。

「………………………………………………死ねバーカ」

事実上のチャーリーの敗北宣言であった。


 土砂降りの雨が、クレル橋のたもとに停車している高級車に降り注いでいる。高級も高級、大金持ちしか乗り回せない重力車(グラヴィティ・カー)であった。

クリスタニアンでは、本日、大雨警報が出されていて、出歩く人や車もほとんど無い。たまに、ずぶ濡れの車がライトを光らせて通り過ぎるくらいであった。運河は濁った水を激しくうねらせている。かかっている橋が押し流されそうであった。

「いつになったら止むんだろうな」重力車の助手席で、チャーリーはつぶやいた。「何か、こう言う天気、俺はあんまり好きじゃないよ。 雨上がりの虹は好きだけれどさ」

「必要悪だ」ギーは運転席で神経質にハンドルをタオルで拭いている。彼は、車と女に対してだけは異常性と偏執性を見せるのだった。「雨は必要悪だ。 誰からも好まれないが、降らなければ災いになる。 虹だって雨が降らなければ出てこないんだ」

「だよなー」チャーリーはフロントガラスを乱打する雨粒を見た。そして、ふとつぶやいた。「戦争もそうなのかな。 この世界を維持していくには、欠かせないもの、なのかな……?」

「それは違う」とギーは断言した。「それは他の方法を模索する事を諦めた連中が仕方なく取る手段だ。 現に今のクリスタニア王国は戦争行為をしていない。 それは他の方法でこの国を維持していく事を発見したからだ。 ……常勝する秘訣は何だと思う?」

「強い事?」

「違う。 戦わない事、だ。 オリエル元帥の信念だ」

「へへー」チャーリーは素直に感心している。「そうか、戦わなかったら勝ち負けも何も無いもんなー」

「そうだ。 手段を問え。 価値を反転させろ。 当たり前の事を当たり前と思うな。 逆光の視点を持て。 それでやっと、疑うと言う事が俺達に可能になる。 それが、それこそが人間の持つ最小にして最大の力だ」

「ふむふむ。 言われてみればそうだよな、確かにそうだ。 人間は不完全だけれど、同時に偉大な生き物だ。 それは、自由に思考する力を持ったから、なんだよな」

「俺はそうだと思っている」

「でもさ」とチャーリーは一度区切ってから言った。「そうじゃない人間って、どうなのかな……?」

「馬鹿みたいに幸せだろうよ」とギーはハンドルを拭く手を止めて言う。「何の疑いも無く神や組織を信じ込んで、そう言うものに裏切られる事などありはしないと思っている。 さぞや幸せだろう」

「聖教機構の幹部なんて、正にそれだろうなあ」チャーリーは言った。


 ――この世界には四つの巨大勢力が存在し、それらの力均衡パワーバランスの元、現在の世界秩序は保たれている。

 一つ目、聖教機構。魔族を人間が支配する世界組織であり、『神』を御旗に掲げては万魔殿と激突している。

 二つ目、万魔殿。こちらは初期から魔族が人間を支配する体制を確立させて、体制が真逆の聖教機構ともはや数百年の間戦争を続けている。

 三つ目、『帝国(セントラル)』。魔族が人間を支配する所までは万魔殿と同じだが、政治的には己の支配している巨大な大陸の中に鎖国気味であり、聖教機構と万魔殿の争いには基本的には関与しようとしない。だがその軍事力も経済力も、恐らくは世界一である。

 四つ目、クリスタニア王国。元々は聖教機構の支配下にある列強諸国の一国に過ぎなかったが、この数十年で聖教機構も万魔殿も退けて、列強諸国に君臨する一大新興勢力となった。その発展を支え、主導してきたのが『一二勇将』と言う英雄達である。


 「いや、連中は意外と神に対しては疑い深いぞ」とギーは言った。「自分達が神の名を借りてどんな『罪深い事』をしてきたのか、していたのか、知っているからな。 むしろ幹部直属の特務員辺りが危険だ。 狂信者がいるそうだから」

「特務員ってあの、エリートの……ああ、確かにそうかもなあ」

特務員とは、聖教機構の上級構成員であった。魔族や人間の中でも優れた者のみがなれる。

「さてと」とギーは天気予報を流すカー・ラジオも磨いていたが、「そろそろ、だな」と言った。

『……増水……河川の近くには…………夕方には……霧が……恐れ……視界不良…………』ラジオは切れ切れに鳴っている。

穏やかな暗闇が足音を立てずに忍び寄ってきた。

雨に激しさが無くなり、代わりに緩やかに夕霧が辺りに立ち込める。

「ん?」チャーリーが目を凝らす、その視線の先には雨上がりの夕暮れにしては、どす黒い闇が丸く浮かんでいた。それも車道のど真ん中で、まるでそこにブラックホールが開いたかのように。「あれか?」

「だろうな」とギーは頷き、彼らは車から降りた。

「何だこれ」チャーリーは拳銃を取り出し、その丸い暗黒に試しに銃弾を撃ち込んでみた。だが、反応は無い。「……生き物、じゃないな、これは……」

「ああ。 さて、行くぞ」とギーは言い、彼らは念のために手錠で互いの手を繋いで、闇の中に飛び込んだ。


 ……それは、クリスタニア王国が世界勢力となるために犠牲にした者達の断末魔。


 「どこだここ」チャーリーは目を丸くする。「大火災でもあったのか?」

彼らは、黒くくすぶっている市街の焼け跡の中にいた。まるでそこに転送されたかのようだった。

「ここは……旧市街だ」ギーは手錠を外して、言った。「あの塔は、クリスタニアン大聖堂の鐘楼だ。 見覚えがあるだろう、お前も」

「旧市街がどうして燃え果てた後の跡になっているんだ?」

「……数十年前のアルビオン軍によるクリスタニアン侵攻……」ギーは何かを考えつつ言う。「その時、オリエル大佐が取った迎撃手段が、クリスタニアンの市街地ごと、誘引したアルビオン軍を焼き殺し、その残党にオリエル大佐率いる本隊が突撃して蹴散らすと言うものだった……その時以外に旧市街がこうなったと言う話を俺は聞いた事が無い」

「え」チャーリーは目を丸くして、「じゃ、じゃあここは……!?」

「当時のクリスタニアンの世界、もしくはそれを模倣して作られた仮想世界、だな」

「誰が何の目的で作ったんだよ……」

「それを調べるために俺達はここに来たんだ」ギーがそう言った時、絶叫が聞こえた。それは聞いただけで身の毛がよだつような、断末魔の叫びであった。まるで生きたまま焼かれているような、まさに阿鼻叫喚の。

「「………………」」

二人は同時に目配せをして、歩き出した。


 かつて、このクリスタニア王国は滅亡の危機に陥った。先王からの対外戦争にことごとく敗北し、ついに首都クリスタニアンまで、当時、列強諸国内では最強と呼ばれていたアルビオン王国軍が、圧倒的な大軍で攻め上って来たのだ。

だが一人の戦争の天才により、アルビオン軍は未曾有の大打撃を受けて撤退する。彼の名前をオリエルと言う。当時の階級は大佐であった。何の事は無い、一時交戦したものの、敗退したふりをしてクリスタニアン市街地にアルビオン軍をあえて招き入れ、なれぬ道に進撃が遅くなったところを、地の利があるクリスタニア軍に命令し、市街地を火の海に変えてアルビオン軍を蒸し焼きにしたのである。既に市街地の住民は逃げていた。こうなると兵数の大小は関係ない。そこにオリエル大佐率いる本隊が突っ込んできて、パニックに陥ったアルビオン軍は逆に大軍だった事が災いし、命令系統はずたずたになり、甚大な被害を出して撤退するしか無かった。

「うわあ……」チャーリーは心底怯えた様子で言う。「これは……」

その戦場地獄の真っさなかを、彼らは鐘楼から見下ろしていた。

「あの人らしいな」とギーはこの戦場地獄を見ても、割と平気そうな顔をしていた。「敵にも味方にも容赦が無いんだ」

「味方にも?」チャーリーは不思議そうな顔をする。

「あの人は軍規違反者は例外なくその場で処刑している。 軍規を守らぬ兵士はただのテロリストだと信じているからな。 俺も、軍役の時も、相当酷くしごかれた」

「おい、『軍役の時も』って、お前、いつもは何をされていたんだ」

「例えば俺が反抗期になった時の話だ。 何の連絡も無く夜中の一二時過ぎまで遊んでいて家に戻らなかったら、翌朝何をされたと思う?」

「そりゃーお前」チャーリーは真顔で、「生意気なクソガキにはげん骨の一発や二発……たたき上げの軍人だったらお見舞いしてやっても変じゃあないってものだぜ?」

「甘いな」ギーは言ってから、うつむいて、「いきなり下着ごとズボンを下ろされて、あの馬鹿デカい声でこう言われた、『もう大人だと粋がって生意気な面をしているが、こっちはまだまだ子供だな!』」

「……」チャーリーは目が点になっている。

やや感傷気味にギーは、「あの瞬間に俺の全反抗期は終わった」と、首を左右に振った。

「そりゃ……終わるわ……俺でも……終わる……うわ……お前……ごめん……凄く可哀想だったな……」友人のあまりのショッキングな過去に、チャーリーは口ごもりつつ言った。

「慰めるな。 余計に惨めになる。 それで、だ」ギーは目下の光景をもう一度観察してから、「どうやら俺達に気付いた様子だぞ」と目線を上に向けた。

その視線の先には、天使がいた。黄金の翼を背中に生やした、神々しい青年の天使がいた。

天使は口を重々しく開く――、

「貴様らは神を崇め信じる者か?」

「そりゃーモチロン信じていますよ」チャーリーは愛想よく答えた。「ところで天使様、貴方は一体……?」

中々良い役者じゃないか。ギーは内心で嬉々とした。

「俺は大天使ミカエルだ。 天国の番人にして、今は地獄の門番をも務めている」

「それはそれはお疲れ様です。 あのう、すみませんが、この光景は一体……?」

そうだ、もっとやれ。こびておもねってごまをすって、相手を調子に乗せるのだ。土下座して這いつくばって靴の裏まで舐めつくせ。だがその懐には拳銃を。

「俺は地獄の門番を務めているとは言ったが、俺は何よりもまず神の下僕であり、天国の番人である。 だから天国を守るために、時々地獄の門が口を開くのを止められんのだ。 溢れだした地獄が地上を時々浸食する、それがこの現象だ」

「ひえー」チャーリーは目をパチパチとさせて、「怖いですねえ。 でもそれが何でこのクリスタニアンで起きているんでしょうか?」

良いぞ、もっとだ!ギーはこっそりとご機嫌である。

「地獄の亡者共の怨念の矛先、とでも言えば簡単だな」大天使もチャーリーが従順な上に敬服している(ふりをしている)のでご機嫌である。「この国は急速に成長し、だがその代償に多大な犠牲を払ってきた。 だから、犠牲者から恨まれるのも仕方が無い、と言うべきだろう」

「ははー、そりゃそうですね……。 あのう、大天使様、どうすれば俺達はこの恐ろしい地獄の穴から逃げられますか……?」

もっとだ、もっと。やれやれやれやれ、もっとやってしまえ。

ミカエルは笑みを浮かべて、

「俺を呼ぶか、あるいは亡者の怨念をどうにかすれば良い。 人間の非力な身の上でどうにか出来るのならばな。 第一俺を呼んだ方がお前の信仰心もいや増すと言うものだ。 それに、長居をした人間は地獄の瘴気にむしばまれて中毒死してしまう。 俺を呼べ、唯一絶対の神を褒めたたえて、な!」

「は、はい大天使様! ……でも、おっしゃっている事からうかがうに、このクリスタニアンで起きている地獄の穴事件、ずーっと続くんですか? それじゃ俺、安心して神様にお祈りする事さえ出来なくなります!」

そうだそれも言ってしまえ。おだてられて調子に乗る方が悪い。

「安心しろ、何故クリスタニアンで今、地獄の門が開き亡者があふれ出したか、それはな」大天使は心底憎そうな顔をして、「『魔王(サタン)』の所為だ」

「魔王!? だ、大天使様、冗談じゃない、助けて下さい! 魔王は何を目論んでいるんですか!?」

見直したぞ、チャーリー。お前にも政治家の素質がある。ギーは心の中で、突き上げた両手の拳を握る。そうだ、踊れ踊れ、舞台の上で。観客の目はそこに釘付けになるが、舞台裏ではもう準備が出来ている。

「今はヤツは何も目論んではいないが……ヤツの強大な存在性……まあ、力の強大さとでも言えば良いのか……それがわずかに世界の歪曲を招いている。 魔王は今クリスタニアンに滞在し、その歪曲に地獄の門が惹かれて、クリスタニアンで今このような地獄の穴の事件が頻発しているのだ」

チャーリーはいよいよ這いつくばり、何度も何度も大天使を仰ぎ見ては頭を下げる。

「なるほど……流石は大天使様だ、本当に良くご存じで……ところで、どうやったら魔王をクリスタニアから地獄の底へ叩き戻せるんでしょうか? 何度も大天使様をお呼びしたら、流石に本来のお仕事に差し障りもあるでしょうし……」

「……ヤツを殺す方法は、現時点では存在していない」大天使が急に不機嫌になるのを感じたギーは、自分も膝を折って座り込みながら、

「何と言う! 大天使様ですら魔王には手を焼くのですか!? でしたら非力な我々の身では、敵うはずがどこにも無い……!」

思いっきり衝撃を受けた人間のように、そう叫んだ。

「お助け下さいまし大天使様! どうか我々をお救い下さい!」

「貴方様のご加護におすがりするしか我々にはもう――!」

「魔王をどうかクリスタニア王国から追い出して下さい! お願いします、お願い申し上げます!」

演技派二人の迫真の陳情演技に、

「そうか……」大天使の顔に、再び、笑みが浮かぶ。「ヤツを追い払う事くらいならば俺でも出来る。 俺や我らが唯一絶対神を崇め奉るお前達を、救ってやろう」

やった。チャーリー達は内心で互いに親指を突き出した拳を握り交わした。馬鹿と何とやらは使いようだ。嘘八百を並べ立てただけで、クリスタニアンに平和が戻る。何とまあ、崇高な嘘八百だろうか。

 

 ――その時、だった。


 「ミッキー、お前頭クルクルクルクルイカレポンチになったのか、うん?」

ぽっ、とまるで黒い雨粒が降るように、幼女が上空から出てきた。まるで暗闇の様な黒い髪をしていて、夜のしずくが凝集したような黒い目をしていた。背中にはためくは、六対の漆黒翼。

「世界がひっくり返ろうと、滅亡しようと、お前が俺に勝てる訳が無いじゃん、馬鹿じゃねえの?」

「貴様ァ! 魔王!」

ミカエルが怯えた顔をする。おい大天使が怯えているぞ、とチャーリーとギーは顔を見合わせた。

(ギー、どーする?)

(しばらくは成り行きを見守ろう)

「我らが唯一絶対神に反逆し弑逆したこの裏切り者が! 何故ここに!?」

「地獄に戻ると俺はちょっぴり退屈するんだ。 ここが地獄か、これ以上酷い光景はもう世界中のどこにも無いのか、そう思ってな。 地獄の中で俺は眠る。 阿鼻叫喚は子守唄、地獄は俺の揺籃だ。 大体ミッキー、お前こそどうしてここに……ああそうか、ウリ坊が馬鹿やらかして死んじゃったからお前が地獄の門番の代役なのか。 ご苦労、ミッキー。 ぶち殺されたかったらずっとそこにいるんだな」

「く、クソ、クソッ! 魔王、その目で見ていろ、最後の審判を! 正義が勝ち、悪が滅ぶ、その日を! その時を!」

ミカエルは捨て台詞を吐くと、飛んで逃げて行ってしまった。

「……アイツって何気に逃げ足は俊足だなあ……」と幼女はしみじみと呟いた。

そこで幼女はギー達を何気なく見て、「おい人間共……うわ! いやはや物凄いイケメンがいるなあ。 俺は数千年は軽く生きているがここまでのイケメンは初めて見た」と驚いた顔をした。

「俺!? 俺俺!? 俺の事!?」

馬鹿のチャーリーが有頂天になった瞬間、

「お前ってさ、自分の顔を鏡で見た事が無いのか? 顔だけじゃなくて頭まで可哀想なヤツだな……」

精神的致命傷を与えられた。傍らのギーの方が驚くほど致命傷であった。

「おいしっかりしろ、泣くな、泣くな! 体を丸めてまで泣くんじゃない! 落ち込むな! しっかりしろ!」と思わず全力で励ますくらいだった。

「……死にたいシクシク死にたいシクシク……俺生きていても意味無いじゃんシクシク……」

励まされても致命傷はどうにもならない。

「おいそこのイケメン人間」チャーリーの受けた致命傷などどうでも良いとばかりに、幼女は言う。「名前は何だ? 俺は魔王だ」

「ギーだ。 ギー・ド・クロワズノワ」

「ああ、なるほど、お前が噂のギー様か。 噂以上にイケメンじゃん。 こりゃあ股の間をぐしょぐしょにする女が続出するのも分かるなあ、無理も無い。 数千年生きているこの俺がびっくりするくらいのイケメンだ」

しかしギーは自分がイケメンと呼ばれるのに完全に慣れてしまっていたので、何とも思わなかった。彼にとってはイケメンと言う言葉の類は全て自分の名字みたいなものなのである。

「魔王……と言ったな。 どうしてクリスタニアンにいる?」

「何となく」と幼女は答える。「あえて言うなら運命に導かれて……だな」

「だったら即刻出て行ってくれないか。 これ以上魔界化の犠牲者が増えて欲しくないんだ」

「やだ」と魔王はあっさりと断った。「『愛』が見つかったら出て行ってやるが、見つからなければずっと俺はここにいる」

ギーは真面目な顔をして、考え込んだ。

「……すまない、俺は生憎幼女には……流石に……いや……でも不可能では……」

奇声をあげてチャーリーが、そう言いかけたギーに殴りかかった。

「お前は! お前は! 幼女も射程に入れるつもりなのか!? ふざけんな女に飽きたからって!!!! 殺す殺す殺す! 今度こそ殺す!」

「おいチャーリー、お前は魔界化の被害者がこれ以上出て欲しいのか? 俺には不可能じゃないんだ。 俺に何とか出来る事なら俺は何だってやるぞ」

「そう言う問題じゃねええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」

「……お前ら、何か勘違いしているようだが、俺は雌でも雄でもなく人間ですら無い」魔王は呆れた顔をして、「幼女の姿をしているのだって、単に面倒臭えからだよ。 俺の本性は化物だ。 美女の姿をしていようが色男の格好をしていようが、俺は化物だ。 つーか、そっちの方の愛なら数千年前に追求しまくった。 俺が知りたいのはエロス(性愛)でもフィリア(親愛)でもなくてアガペー(神愛)だ。 己の頬をぶった連中に反対側の頬を差し出すキチガイの愛だ。 俺にはこれが全然分からん。 お前らは知っているか?」

「それはただの選民思想の一種だと俺は思う」ギーはきっぱりと言う。「頬をぶった相手を自分より精神的に見下さなければそう言う行動は取れない。 キチガイとお前は言ったが正にそれだ。 コイツは可哀想だ、と相手を思わなければそれは出てこない反応だ。 殴り返してこそ相手を対等な関係だと認める。 ぶたれてもなお頬を差し出す自分は偉い、素晴らしい、常人には到底出来ない事をやった、だから神様はこんな自分を天国に連れて行って下さる。 ……だから少なくとも俺は選民思想の一種だと思っている。 俺の理解が及ばないと言うより、俺はそんなものの理解をしたくない」

「うん、確かに気持ち悪いよな。 拳で殴りあってこそ男ってものだ」チャーリーも賛同する。「だから俺にも分からん」

魔王はため息をついた、「……お前らさー、数千年に及ぶ俺の悩みを理解したくないだの分からんだの、ボロクソに言うな。 酷い連中だ。 悪魔かよ。 いや、悪魔にだってもう少し情け容赦があるぜ?」

「魔王がクリスタニアンから出て行くか、死人を出さないようにしてくれれば、俺だってもう少しはまともにアガペーとやらを考察しよう」ギーが言ってみた。勿論、彼の本音は『この事件を早々に解決したいんだ』、である。

「ああ、要は地獄の穴を開けなきゃ良いんだろう?」魔王は言って、次の瞬間、黒い子ヤギに変身した。『ほれ。 これで地獄への穴は開かなくなるぜ。 あれは俺の本来の姿、まあさっきの第一次統合体に過剰反応しちまうからなあ』

「どうして?」とチャーリーが訊ねると、

『だって地獄を創造したのは俺だからな』と魔王は言った。『唯一神の命令でえっさほいさと作ったんだ。 だから創造主である俺の本体に地獄は過剰反応する。 俺の感情の起伏と俺の姿なんぞに右往左往されて口を開ける。 にしても』魔王は地獄の光景を見て、『正にこれは地獄に相応しい有様だなあ。 生きたまま焼き殺される人間共、か。 中々素敵じゃねえか。 ……クリスタニアンに攻め込んだアルビオンの連中、余裕ぶっこいて寡勢に多勢で襲いかかったのに、逆転されちまったからなあ。 そりゃあまあ恨みもするってものさ。 いやはやオリエルって男の面を一度見てみたいぜ。 さぞや冷血漢なんだろうなあ』

「いやいや、あの人はむしろ熱血漢だぞ」とギーが急いで訂正した。「一月に三回は最低でもユースタスさんと殴り合いの喧嘩をするくらいだ」

『うん? ユースタスって言うと、「金融王」か。 何でだ?』

二人とも一二勇将の一員である。だが事情をそこまで詳しく知らなかった魔王には、仲間同士で何で殴り合いになるのか理由が皆目見当が付かないのだった。

「借金問題だ。 オリエルさんの頭には経済観念が無いからな……既に自己破産もしているし……」

「えっ」チャーリーが目を丸くして、「金遣いが荒いのか!?」

ギーは少し考えてから、

「正確には『金を使った後の事を考えた事が無い』だな。 兵士に平気で大金を渡す癖がある。 戦費を計算するのをとても嫌がる。 軍事費をもっと寄こせと毎年のように一二勇将の中で内紛を起こす。 あれは酷いぞ、椅子は飛ぶ、円卓はひっくり返る、怒鳴り合いの大喧嘩、大体最後は殴り合いに発展する。 あの人は自分でもそれを分かっていて、『ワシには政治家は向かん』と言っているが……」

「それ、政治家うんぬん以前に人間としてどうかと思うんだけど」チャーリーが思わず突っ込んだ。

「今更言うな。 周知の事だ」ギーは嘆息した。

『……やっぱり人間は人間臭くて面白いな』と魔王はにやっと笑う。『ところで、不細工君』と言った瞬間、魔王はギーに全力で蹴られた。『何しやがるテメエ!』と魔王が怒った時、

「それはこっちの台詞だ!」魔王よりも遥かに激怒しているギーが、ナメクジに塩をかけたよりもいじけているチャーリーを指差して、「これの責任をどう取ってくれるんだ!」

「……良いんだ」チャーリーはこれから死刑台に上らされる死刑囚の様であった。「俺はどうせ女にモテない不細工だから、事実なんだ……」

『あー……』魔王はちょっときまりが悪そうな顔をする。『美人な悪魔を紹介してやろうか?』

「良いです別にどうせ俺はどうしようもない不細工ですから」

『落ち込むな。 たまたま隣の男がイケメンすぎるから比較して不細工と言ったのであって……』

「シクシクシクシクシクシクシクシク」チャーリーはさめざめと泣いている。

『……いや、うん、悪かった』魔王がついに謝ったが、舌禍ほど取り戻しの付かないものは無い。

「シクシクシクシクシクシクシクシク」チャーリーは惨めさを涙に表わしている。

『…………………………おいイケメン君、俺はどうすれば良いんだ?』

困り果てた魔王がギーを見上げた。

魔王は完全にお手上げであった。しかしギーだってそれは同じなのだ。

「俺に聞くな。 俺にも分からないんだ。 なあチャーリー、落ち着け、お前は確かに俺よりも不細工だが性格は俺より良いじゃないか」

思わず魔王の方が目を逸らし顔を背けて、

『うっわー俺久しぶりに見た、見たくなかったけど見ちゃったぜ、人の傷口に硫酸ぶちまけるヤツ……』

「シクシクシクシクシクシクシクシクどうせ俺はどうせ俺はシクシクシクシクシクシクシクシクどうせ俺は性格云々じゃないと駄目なんだよ」

効果はてきめんであった。

「心配するな、性格が命だと人は年老いて手遅れになってから気付く」

凄まじい一撃をチャーリーに与えた。

「シクシクシクシクシクシクシクシク俺ももう手遅れシクシクシクシクシクシクシクシク死にたい死にたいそれかイケメンになりたい」

「整形手術を受けるか? 名医を紹介できる」

いっそ殺してくれとチャーリーは思った。見事に生殺しであった。彼は本気で自殺を考えていた。

『人の傷口に硫酸ぶちまけた後にぐしゃぐしゃに踏みにじるヤツも久しぶりに見たぜ……』あまりの苛烈な攻撃に、魔王の方が思わずそう呟いた。

「シクシクシクシクシクシクシクシクどうせ俺は整形でもしないと駄目な顔をしているんですよシクシクシクシクシクシクシクシク」

「落ち着け、」とギーが何ら悪意なく、泣きじゃくるチャーリーにとどめを刺そうとした時だった。「……う、ぐ!?」

急に呼吸が苦しくなり、彼は両手を地につけた。

「ど、どうしたギー!?」泣いていたチャーリーが我に返る。

「息が……!」

『ああ、そろそろ地獄の瘴気がむしばみ始めたか』魔王があっさりと告げる。『そろそろここから脱出しないと中毒でお前ら死ぬぞ?』

「脱出……経路は……魔王なら知っているのだろう?」ギーが訊ねると、

『何で俺がここから出してやるみたいな話になっているんだ。 何、簡単だ、目の前の地獄の亡者達を全滅させれば自動的にこの地獄は消失する。 じゃ、頑張れよ。 俺はお前らが生き残るにふさわしいか上から見ている』そう言って黒ヤギは地獄の空へと昇って行った。

「あー……」チャーリーは拳銃を右手に、そして左手にはどこから取り出したのか、とても巨大な、とても『人間』では扱えないほどの大剣を握っている。「んじゃ、やるか。 ちょっと我慢していろよ、ギー?」

「……ああ」とギーは頷いた。そして激しくせき込んだ。


 熱い。

 熱い。

 熱い。熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いあついィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!


 亡者の絶叫が聞く者の鼓膜を殴る。


 何でこんな事に。

 たった一万のクリスタニアン守備兵に、その十倍の兵力で襲いかかったのに。

 誰もが勝てると思っていた戦だったのに。

 何でこんな事になっているんだ!

 大混乱。

 まるで地獄が口を開けたような光景。

 死んでいく戦友、言う事を聞かない体、銃弾ではどうにもならない炎。

 まるで死神が大喜びしそうな有様。

 助けて、助けて、助けて、助けてェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!

 息が出来ない。

 苦しい。

 あつい。

 めが、めがみえない。

 くるしい、けむりが、のどのおくまで、ああ。

 通信端末が撤退だと叫んでいる。

 だがどうやったらこの炎の中を、この大混乱の中を撤退できるのだ。

 おうちにかえりたい。

 むすめ、つま、おふくろ、おやじ、

 おれがかえるとかならずかえるとしんじているかぞくに、

 あいたい、かえりたい、くるしい、たすけて。

 通信端末が何か叫んでいる。

 てきほんたいがつっこんできた!?

 銃弾が降り注ぐ、砲弾が降り注ぐ、

 まるで雨の様だ、

 死の雨。

 死、の。


 「うーん」とチャーリー・レインズは呟いた。「俺こう言うの好きじゃないんだよなー、どうやっても好きになれない」

彼の持つ大剣により両断された戦車が、爆発する。既に十八回目の爆発であった。亡者の波は、だが、全く尽きる様子を見せていない。

 てきだ。

 てきだ、あれをころせば、

 おれたちは、たすかる。

 あるびおんに、かえれる!

亡者達に共通意志があるかのようにチャーリー・レインズを包囲した。そして、雪崩のように一斉に襲いかかる。

「……」チャーリーは亡者の津波が己に襲いかかってくる、と言うのに、剣も拳銃も手放した。そしてやや悲しそうな顔をして、「来いよ。 終わらせてやる」

『?』上空で見ていた魔王の方が、妙な顔をした。『あの比較的不細工君、自殺したいのか? うわー、俺やイケメン君が、そこまで追いつめすぎたか。 いくら何でも気の毒な……』

魔王は目を覆って、三秒後、ゆっくりと手を離した。


 魔王が目を見開く。


 あれほどいた亡者が、完全に消え失せていたのだ。

『まさか』と魔王が言いかけた時、地獄が終わった。


 『私に触れるのは止しなさい(ノリ・メ・タンゲレ)。 まだ父の御元へ上っていないのだから』


 なるほどなあと魔王は思う。そう言う事だったのか、と。黒い子ヤギの姿の魔王は、爆睡しているチャーリー・レインズを車に乗せようと苦闘しているギーを見つめて、言った。

『ソイツ魔族だな? それもかなりの上位種だ。 もしくは突然変異系。 大昔だったら魔神扱いだったろうな。 どうしてそんな稀有な存在が人間の国クリスタニアにいる?』

「コイツは戦争が嫌いなんだ」最終的には尻を蹴り込んでチャーリー・レインズを車内に入れたギーは、言った。

『それだけの能力を持ちながら?』

「だからこそさ」

『ふーん……そう言う事もあるのか』

実に自然な動作でチャーリー・レインズの後に続いてギーの車に乗り込もうとした魔王は、足蹴にされて吹っ飛んだ。

『何をしやがるこのクソ野郎!?』

「誰がこの車に薄汚い獣を乗せるか馬鹿」

冷たい発言と見下すような視線に、当然ながら魔王は激高した。

『薄汚い獣だと!? 俺が魔王だと知っての事だろうな、ああ!?』

「魔王だろうがクリスタニア国王だろうが一二勇将だろうが俺の許可なしに俺の車には乗せん!」

『テメエぶっ殺す!』

魔王が殺意を固めた瞬間だった。

「こんにゃちはパスタさん……トマトさん、ボンジュール……」チャーリーが寝言を言いつつ、よだれを、だらーりと車の座席に垂らしたのは。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」ギーはヒステリックに絶叫して、チャーリー・レインズを車から引きずりおろし、彼が魔王にぶつかって魔王を下敷きにしたのも見ようとはせず、「俺の車ー!!!!!!!!! 畜生すぐに帰って洗わなければ!」

『え、おい、ちょっと』いきなりすぎて固まっている魔王とチャーリー・レインズを置き去りにして、彼は車ごと猛スピードで行ってしまった。

『……』魔王はしばし唖然としていたが、己を枕にして熟睡しているチャーリー・レインズを見て、『おい、起きろよ、おい!』


 しかし、チャーリーが目覚めたのは、それから六時間後であった。

「あ、おはようございます」

『御託は良いからさっさと退け馬鹿野郎!』魔王は喚いた。

「あれ今って真夜中!? こんばんはですー」

『そう言う問題じゃねえよこのタコ! 良いから退け、俺の上から退け!!!!』

「??? あ、すんません枕にしちゃって……」

『世界広しと言えど俺を枕に六時間爆睡したのはお前だけだ』

「うわー褒められた、やった!」

『……』魔王は沈黙させられた。その原因に全く気付かずにチャーリーは、

「ところでギーは? 何で俺達だけここに置いてけぼりな訳?」

魔王は事情を話した。するとチャーリーは、

「ああ、アイツありえんくらいの車キチガイだから。 最悪、子供に車に触られただけで逆上するんだよ。 『指紋があああああ手垢がああああ!!!!!』ってこの前吼えていた。 そうかー、俺よだれを……そりゃ置き去りにもしたくなるわ。 しょうがない」

『……お前、良くもまああれを「しょうがない」の一言で片づけられるな……』

「他はまともなんだアイツ。 女と車に関してだけキチガイになるんだよ。 慣れだよ慣れ、要は慣れさ」

慣れたって耐えられる事では無いだろうと魔王は思った。だが、この二人は、その辺の折り合いがちゃんと付いているらしい。ある意味すげえな、と魔王は思った。

『…………………………。 お前、そういや何の夢を見ていたんだ?』

「トマトパスタの夢だったかなあ。 美味かった事だけ覚えている。 とにかく腹減った。 あー、腹減ったー」

六時間もぐうぐう寝れば、それは減りもするであろう。

『……お前らは大物だな……』魔王は少し考えて、『どうせ俺は死ねないんだし、飽きるまでお前らを観察するとしようか』

「観察日記付けるの? アサガオのヤツみたいに? 俺三日で枯らしちゃったんだよなー。 それでねーちゃんに殴られたのが今でも痛い……」

魔王はこっそりと呟いた。

『…………………………大物だぜ、間違いねえ』


 『ようイケメン君』と魔王は黒い子ヤギの姿で出現する。『すっげーイケメンだけあって女には事欠かないなあ』

「当然だ」とベッドの中、上半身裸で、枕元には美酒、朝の涼やかな空気に流れる小鳥のさえずり、隣には眠る美女がいると言う男の贅沢の極みにいるような有様のギーは平然と言った。「何なら三人で楽しむか?」

『……何が悲しくてお前と穴兄弟にならなきゃいけないんだ』魔王はイラっとした。

「だがお前はずっと、それこそ事の始まりから見ていただろう? 相当餓えているんじゃないのか? 思春期の男のように」

『気付いていたのかよ』魔王は舌打ちして、『セックスにはもう飽きたんだよ。 そもそも俺が何歳だと思っているんだ。 俺はもう数千年は生きているんだ。 第一次統合体に俺がいる限り俺はもう犯りたいとも思わん。 何しろ上は淑女から下は売春婦まで寝まくったからな』

「淑女も売春婦もベッドの上ではほぼ同じだぞ」

『……お前、一々反論するな。 不愉快だ。 俺の爽やかな朝の気分を台無しにしやがって』魔王はイライラした。

「それはすまなかった」とギーはベッドから降りてシャワールームに行く。トコトコとその隣を歩きつつ、魔王は恨めしそうに、

『今まで一体何人の女と寝たんだ?』

「三ケタは余裕で突破するな。 すまない、正確な人数は覚えていないんだ」

『お前をホモの巣窟に置き去りにしたら、さ・ぞ・や!楽しいだろうなあ!』

「何故だ。 お前の女を俺が寝取った訳でもあるまいに」

『寝取ったらお前なんか虫けらみたいに殺してやれたのに。 つーか、お前、この魔王が出てきたと言うのに、そもそも初見でも大して動揺しなかったな。 何でだ?』

普通の人間ならば、魔王が出た、それだけで驚天動地するだろう。だが、この男は『でも不可能では……』とまで考えたのだ。

「俺の家族みたいな人に悪魔がいるんだ。 悪魔の癖に涙もろくてついでに臆病ですぐに大小漏らす悪癖があるが良い人だ。 その人から俺もある程度は魔王だの神だのについて教えてもらった」そう言って、ギーはシャワーのスイッチをひねる。「だからだ」

『ああ、悪魔のマルバスか』と魔王は納得した。『つーかアイツ未だに事あるごとに体液を漏らす癖が治っていないのか……可哀想だな……』

温かいシャワーを浴びつつギーは、

「癖がどうにもならなかったから、あの人は仕方なく下半身の着替えを沢山持ち歩いている。 でも良い人だ。 あの人が悪魔で無かったら、俺は悪魔に対してお定まりの偏見を抱いているだろう」

『ふーん。 ところでろくにモテないお前の友達はどうなんだ? アイツも大天使だの色々超常的なものに出会った癖に、別に驚きもしなかった。 どうしてだ?』

「アイツの生育環境にも悪魔がいたらしい。 詳しくは俺も知らんがな」

『ふーん……悪魔が知り合いの男が二人、か。 コイツは中々凄いな』

「凄いのか?」ギーは、悪魔と知り合いだと言うのは、珍しい方の事だがまだ不可能の部類では無いと思っていた。

『悪魔との契約者が二人もお前らの近くにいると言う事だ。 これは凄いと言っても過言じゃない。 悪魔との契約者の中にはたまに凄いのがいるんだ。 大天使とその下僕をもぶち殺した魔女とかな』

「そうか」とギーは適当に相づちを打ってから、「大天使については色々聞いている。 天使なのは見てくれだけで、中身は悪魔よりも恐ろしいそうじゃないか。 実際そうなのか?」

『まあなー、唯一神のためならばこの世界をも嬉々として滅ぼすのが連中だからな。 素敵だぜ、聖典に出てくる一夜で滅んだ都市ソドムとゴモラは知っているか? あれもオカマが唯一神の命令でやりやがったんだ』

「オカマ?」

『ああ、大天使ガブリエルさ。 俺はオカマって呼んでいる。 ヤツがただの一夜で滅ぼしたんだぜ』

「それは凄いな。 流石は大天使だ。 ところで」とギーは子ヤギを見て、不審そうに、「魔王が俺に何の用だ?」

『俺、暇だし、お前らを観察する事にしたんだ。 ペットだと思ってくれ。 可愛いだろう、ほれ、首の所にはベルも付けてやったんだ』

と子ヤギが喉元を見せれば、銀色の小さな鈴が付いている。

「へえ、ステーキにしたら美味そうだな」とギーはあっさりと言った。

魔王が後ずさった。『お前は屠殺屋か!?』

「おい屠殺屋を差別するな、彼らがいなかったら俺達は肉を喰えないんだ。 肉を喰わなくても生きてはいけるがな。 その人が何であるよりもその人が何をしてきたかで判断しろ」

『俺に説教ぶちかますな! そんな事は分かり切っている! 俺をペーペーの若造だとでも思っているのかよ!』

「なら良いんだ。 分かっているのなら別に良い」

『……』魔王は思った。コイツもやはり大物だな、と。そして妙に、不愉快になった。それは、この青年と魔王の精神的な上下関係に由来するものだった。何か俺が、見下されていないか?魔王はその体感を覆したかったが、何故か出来なかった。


 ちくちくちくちく。ちくちくちくちく。

チャーリーは無言でパンツに空いた穴を針と糸で塞いでいる。自分のパンツでは無い。モニカのものだ。

 「ちょっとこれ、直しておいて」

そう言ってモニカが彼に穴の開いたパンツを山ほど押し付けたのだ。

 『よう比較的不細工君、女のパンツの穴を修繕していて楽しいか?』

そこに魔王が登場した。チャーリーは黙々と縫っていたが、

「……あのさ、俺は変態じゃない訳だよ。 穴あきパンツを見てさ、『うげえ』とは思っても『わあい』とは思わない訳だよ。 だから、」

『女のヒモは悲しいなあ!』魔王が嬉しそうに遮った。『お前のお友達は夜を共にした雌の数が三ケタを余裕で突破したそうだ。 ちなみにお前は?』

「……見りゃ分かるだろ」チャーリーは、必死に自虐するしかなかった……。

『ぎゃはははははははは!』魔王はのた打ち回って笑っている。『モテない男は悲しいなあ! お手手が夜のお友達かい? 泣けるなこれは! 違う、笑いが止まらねー!!!!』

「……今の俺ならきっと動物虐待に走ったって情状酌量されるよな」

『ひー、ひー、ひー!』黒ヤギの魔王はまだ笑っている。『動物虐待も何も無い、殺す気だな、俺を笑い死にさせるつもりだな、こんなに笑えるのって久しぶりだぜ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、不老不死の俺が笑いすぎで死ぬ!』

「……」もうチャーリーは何も考えない事にした。

すると魔王は面白くなくなったのか、

『そういや、お前魔族なんだろ? どうして魔族が人間の国クリスタニアにいるんだ? お前ほどの強力な力を持つ魔族が、何でクリスタニア王国で大人しく女のヒモなんぞやっているんだ? お前なら万魔殿でも「帝国」でも相当な地位に就けるだろうによ』

「……」

チャーリーは答えない。無表情でパンツをひたすら縫っている。

『秘密と言うヤツか』魔王はつまらなさそうに言った。だが、こう宣告した。『だがなありとあらゆる隠しておいた秘密は白日の下に晒される、いつか、必ず、な』

「……」

『ところで』魔王は邪悪に笑って、『お前はあのおっかねえ煙草女の事が好きなのか?』

「……好きじゃないって言ったらどうする」チャーリーは無感情に言った。

『勿論犯らせてもらう。 ああ言う気が強いのが泣き叫ぶのが楽しいんだぜ』

と言った途端に、魔王はぴょんと飛びすさった。眼球に針が刺さろうとしたからである。チャーリーが刺そうとしたのだ。魔王はしたり顔で、

『好きなのか? 好きなんだな。 だったら素直に花束とケーキを買ってきて言えば良いじゃないか。 何をお前はうじうじとしているんだ』

「好きだと言ったら、負ける気がするんだよ」とチャーリーはぼそぼそと言う。「負けたら、俺は奴隷になってしまうような気がするんだ」

『おいおい、人間が楽園エデンを追放されてからと言うもの、とっくの昔から男は女の奴隷なんだぜ。 デートに連れて行け、指輪を買え、給料持って来い、家事をしろ、子供と遊べ、生命保険に入ってから死ね。 女ってのは世界一恐ろしい生き物だ。 優しい腕で男を抱きしめて耳元で囁くんだ、「私のために死んでちょうだい」ってな。 男がいくらあがこうが、無駄だ無駄だ、勝ったも負けたもあるか。 女は娘で妻で老婆、満ち欠けて移り変わりゆく月と同じだ。 月は男を狂わせる。 男は女の股から産まれたが最後、女の所為で死んでいくんだ。 もはや宿命だ、諦めちまえ』

「うん、諦めているけれど諦めきれない一線があるんだよ……」

『それを男の意地と言うんだろうな。 ま、精々気張れ、比較的不細工君』

「その比較的不細工君って言い方、止めてくんない?」

『じゃあお前、自分がギー並みのイケメンだって堂々と言えるのか?』

「……」とてもじゃないけれど、言えません。

その時、だった。魔王が急に姿を消した。同時に玄関のドアが開いて、誰かが乱暴に入ってくる音がした。

 「畜生が!」

モニカがイライラ全開でドアを蹴り開けたのだ。

チャーリーは怯えた様子で、

「な、何があったの……?」

「明日の朝刊を見な。 本当に腹が立つ、クソ野郎め……同性愛者の巣窟にぶち込んでケツ穴ガンガン掘らせたら被害者の痛みが分かるかっての」

何となくチャーリーでも察しがついた。性犯罪者が捕まったのだろう。

「同性愛者だってそんな犯罪者のケツ穴なんか掘りたくないさ。 良い迷惑さ。 お仕事お疲れ様でした」

「ああムカつく。 クソムカつく!」モニカは荒れている。「あんな腐れピ――なんざ焼いて切断して犬に食わせろ!」

けれどチャーリーはモニカの凶暴さにはもう慣れていたので、

「そんなばっちいものを食わされた犬が可哀想だよ。 シチューが出来ているから、とにかく食べようぜ」


 翌日の朝刊には、強姦殺人魔がやっと捕まったと言う記事が出ていた。

 チャーリーは食器を洗いつつ、爽やかな朝に何て憂鬱なニュースを新聞の第一面に載せるんだと思った。もっとも、そう思ったは思ったものの、彼は犯罪者を憎んでも新聞記者は憎んでいない。

モニカは朝の一服をしていたが、

「何で強姦魔っていつも男なのかしら」と吐き捨てた。

「……俺は心の中でしか姦淫した事が無いから分からない」

「下種野郎が」モニカに容赦と言う言葉は無い。

「そんな、そんな……おっぱいが大きくてナイスバディの美人なお姉さんを見たら、そりゃあ男は一斉に心の中の姦淫を始めるぜ」

以前ギーの前では『心の中の姦淫』を使って説教しようとしたのに、今度は言い訳に使っている。聖句はいつでも誰にでも利用されるのである。

「男なんて全員去勢すれば良いのに。 ってか、ちょん切りたい」

チャーリーは咄嗟に大事な所を両手でガードした。

「止めてくれ、それならいっそ普通に死刑にしてくれ! 女が子宮で考える生き物なら、男はピ――で行動しちゃう生き物なんだよ! エロ本がどうして需要があるかって話さ! 良いじゃん別に、思想犯は犯罪者じゃないだろう!?」

そう言った彼を、モニカがギロリと睨みつけて、

「じゃあアンタはその発言を被害者の前で堂々と言えるのね」

「……」言えないチャーリーは黙るしか無かった。

「ったく男なんて全員家畜になれば良いのに」

「……」滅茶苦茶だと思ったがチャーリーはまだ黙っている。皿を全て洗って、手をタオルでふく。朝食の片づけはこれでお終いだ。

「あーあ」モニカはさりげなく、けれど注意して言った。「アンタも家畜になる?」


 この瞬間、あの乾坤一擲のギャンブルが再び始まった。


 「良いよ、家畜になる」チャーリーはあっさりと言った。「家畜になったらモニカは俺の事を好きだって必ず言ってくれるから」

「……厚かましい家畜ね」モニカはしまったと思った。隙を、付け込まれた。「どうせ家畜なんだから、私の言う事を全部聞くのよ?」

「んー、OK」ひょうひょうと答えるチャーリー。「好きの反対は無関心、だろう?」

モニカはますます追いつめられる。焦った彼女は言った。

「家畜だから、私が死ねって言ったらアンタは死ぬのよ。 良い?」

チャーリーが焦るターンだった。焦った彼は、素早く思考して言う、

「……女って怖いなー。 そんなに俺の全生殺与奪を握りたい?」

モニカは考える、これはもう勝負なのか?と。この泥仕合、決着させるには、どうやら花を取るか実を取るか、今、ここで、彼女が選択しなければならないようだ。

「……」モニカは決めた。「女ほど支配欲の強い者はいないのよ」

「……そっか、分かった」

チャーリーは、そう答えた。


 『やるなあ、おい』とモニカが仕事に出かけてから、黒い子ヤギがまた出現して言った。『見ていてこっちが歯がゆくなってきたぜ、途中までは』

「出歯亀行為も止めてくんない? 覗かれるの俺はあんまり好きじゃない」

チャーリーは部屋の掃除をしている。褒め称えたくなるくらいに、掃除のプロであった。

『分かっているって、これ以上はもう覗かねえよ、女とアレする現場を覗くんだったらイケメン君の方が楽しいしなあ』

それはそうだな、とチャーリーも思った。

「女に関してはよりどりみどりだろ、アイツ」

『正にそれだ。 あれだけ女とやりまくっていて、子供出来ちゃったらどうするんだろうな、イケメン君』

魔王が、また失言をした。

「……」チャーリーが不自然に黙ったので、魔王は、はっとした。

『マジか。 うわー、ごめん、悪かった! イケメン君、そうなのか……』

「女孕ませるだけが男じゃないだろ」とチャーリーは窓を拭いている。「それにアイツは自分のやった事の責任くらい背負える男だよ」

『「美しきかな、友情」……だな。 ま、頑張れよ、お前ら』魔王は姿を消した。ふと思い出したかのように声だけが、『友情フィリア、か。 友情って何だ?』

「互いの踏み込まれたくない領域に土足で踏み込まない配慮と、他の連中にもそこに踏み込ませないよう努力する事、だよ」

『ふーん……』

気配が消えた。

 チャーリーは窓から街を見て、

「俺はこの平穏な暮らしが、安穏と続けば、それだけで充分なんだ……ギーと馬鹿やって、モニカのヒモやって、それで、俺はもう充分なんだ」

そう、つぶやいた。


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