ゴメンね
窓の外に雪が降っていた。
点滴の管が、蛍光灯の明かりに白く光っていた。消毒液の匂いのする病室に、母と俺だけがいた。
その手が、そっと俺の手を握った。
機械油の染みは、もうすっかり細くなったその手にも、まだ残っていた。
囁くような声だった。
「ゴメンね」
俺が何か言おうとした時、握った手の力が、すうっと抜けた。
それが最後だった。
俺は三兄弟の真ん中だ。
祖父と父と母と、兄と俺と弟。それが家族だった。
祖父は明治生まれだった。家長というものの権限を、骨の髄まで信じている人間だった。嫁である母には冷たかった。面と向かって怒鳴ることはなかったが、いないものとして扱うような冷たさだった。母が何かを言っても、祖父の目は母を素通りした。
父は敷地の隅に小屋を建てて、小さな町工場を始めた。機械部品を作る、旋盤が数台の工場だ。母はその隣で田畑を耕していた。百姓と工場。それがうちの暮らしだった。
俺が小学六年の秋、父が胃がんで死んだ。
父が死んでも、祖父は変わらなかった。
いや、むしろ余計に厄介になった。俺たち孫は可愛がった。
だが母には相変わらず冷たかった。夫を亡くして工場を引き継いだ嫁に、祖父は何一つ手を貸さなかった。
母はそれでも出ていかなかった。
百姓しか知らなかった人間が、見よう見まねで旋盤を覚えた。図面を覚えた。取引先への頭の下げ方を覚えた。田畑は手放した。誰にも頼れないまま、母は一人で工場を回し始めた。
教育熱心な人だった。勉強しろ、が口癖だった。残念ながら俺たち三兄弟は揃いも揃って頭が悪く、その口癖は死ぬまで消えなかったと思う。
ある冬の夜のことだ。
雪が降っていた。俺は宿題を放り出してテレビを見ていた。それを見つけた母がブチギレて、俺を庭に放り出した。
雪の上に薄い靴下のまま立っていた。寒かった。腹も立っていた。
しばらくして、弟が小走りでやってきた。
「遠くへ行けって」
弟は、俺の泣き声がうるさいと母が言って来いと言われたらしく、真っ赤な顔をしていた。それだけ言って、また家の中へ消えた。
鬼か、と思った。本気でそう思った。
俺は雪の中を、一人でとぼとぼ歩いた。どこへ行くあてもなく、ただ遠くへ向かって。
どれくらい経ったか、母が迎えに来た。何も言わずに俺の腕を引っ張って、黙って家に連れて帰った。
飯が温めてあった。
飯だけは、絶やさなかった。
俺が高校を出て町を離れてからも、母は工場を回し続けた。
兄も弟も出ていった。祖父も逝った。従業員も、一人、また一人と減っていった。最後は母一人になった。それでも工場を閉めなかった。
盆に帰るたびに、母は小さくなっていた。
手だけは変わらなかった。機械油の染みた、ごつごつした手。その手で飯を作って、茶を出して、俺が帰る時には必ず玄関まで見送った。何も言わずに。
あの「ゴメンね」が何に対するものだったのか、俺にはわからない。
雪の夜のことか。勉強しろと怒鳴り続けたことか。誰にも頼れずに一人で生きてきたことか。それとも、うまく愛を伝えられなかったことへの詫びだったのか。
たぶん全部だったんだと、今は思う。
あの家で、母はずっと一人だった。夫を亡くし、舅に疎まれ、子供たちには怖がられて。それでも飯だけは絶やさなかった。工場だけは閉めなかった。
言葉にできなかった分が、あの三文字に全部詰まっていた。
ゴメンね、なんて言わなくてよかった。
そう伝えたかったけど、俺にはもう、伝える場所がない。




