第91話 “迷走は続く”
「七瀬お姉ちゃんに頼まれたんです。お弁当届けてあげてって」
螺旋階段の一段目、そこに守哉と七緒は腰掛けていた。
扉に激突したためか若干赤くなっている守哉の顔をちらちらと横目で見ながら七緒は続けた。
「高等部の方にいるかなって思ってここに来たんですけど、お茶持ってくるの忘れちゃって。それで取りに戻ろうとしたら、なんか扉が開かなくなってて困ってたんです」
「なるほどね……。事情はわかったよ」
守哉は立ち上がると、先ほど自分が激突した扉に近づいた。一瞬意識を失うほど強くぶつかったせいか少しめまいがする。
そっと扉に触れる。あれほど強く激突したにも関わらず、扉には傷一つついていない。日諸木学園の校舎は対神さび戦を想定して作られているためかなり頑丈だとは聞いていたが……
「ふむ……」
「どうしたんですか?何かあるんですか、その扉に」
「それを今調べてるんだけど……」
ふと、気づく。扉のガラス越しに見える景色が、僅かに青みがかっている。
間違いない。これは―――
「包囲結界だ」
「包囲結界って……あの、神さびを学校に閉じ込めるための、あれ……ですよね」
「知ってるのなら話は早いな。どうも閉じ込められたみたいだ」
「え……でも、すぐに出られますよね?」
なんとも言えない。守哉は、七瀬や優衣子から呪法に関する知識は教えられていても、技術はほとんど教わっていないのだ。その呪法が何なのかがわかっても、対処方法は知らないのである。
冷や汗を垂らして黙り込む守哉に何かを察したのか、七緒は突然慌てだした。
「も、もしかして、どうにもできないんですか?神和ぎなのに!?」
「まぁな」
「偉そうに言わないでください!どうするんですか、これから!?ていうか、一体誰が包囲結界なんか……!」
「さぁ?どうしようか」
「何でそんなに落ち着いてるんですか!逢う魔ヶ時が近いんですよ!?天津罪の掟が……!」
「ああ、そういやそんなのがあったなぁ」
天津罪の掟―――ほぼ全ての島民に課されている掟。それを破った者には厳しい罰が下されるというが、この掟は神和ぎには適用されないらしいため、守哉は今まで気にした事もなかった。
しかし、七緒はそうもいかない。具体的にどんな罰を受けさせられるのか知らないが、七緒の狼狽様を見る限り相当恐ろしい内容のようだ。
「そんなに嫌なのか?掟を破るのが」
「嫌も何も、掟なんだから守らなきゃいけないじゃないですか。そりゃあ、守哉さんは神和ぎですから天津罪の掟とは無縁ですけど……」
何やらぶつぶつ呟き始めた七緒。
「…………あーどうして私っていっつも貧乏クジ引かされるんだろ……もー早く帰りたいよー……」
肩を落としていじける七緒に、さすがの守哉もいたたまれなくなった。
「あー、なんというかその、ここで話していてもなんだし、俺ちょっと見回りに―――」
そう言ってきびすを返そうとした直後。
凄まじい衝撃と爆音が校舎内に響いた。
「っ!?な、何……!?何なの!?」
驚いて顔を上げる七緒。対して、守哉は冷静だった。
先ほども感じた異質な気配。荒霊でありながら荒霊でない、特殊な気配が上の階から漂っている。そして、衝撃と爆音の発生源も恐らくそこだ。
「七緒ちゃん、ここで待っててくれ。俺はちょっと用事ができた!」
「え!ちょ、ちょっと!どこへ―――」
七緒の声を背中に受け、守哉は疾走する。階段を二段飛ばしで駆け上り、二階の廊下へ躍り出る。
「!あれは……!」
そこにいたのは七乃だった。ただし、その顔には感情がない。
七乃を追っていた、七乃そっくりの少女―――!
「お前―――」
声をかける―――が、次の瞬間、守哉の身体は宙に浮いていた。
何が起こったのかわからない。ただ一つわかったのは、少女が何らかの方法で自分を吹き飛ばしたという事だ。
「くっ……!雷刃!」
受身を取るよりも早く攻撃を仕掛ける。守哉の掌から放たれた雷撃は、少女に当たる―――寸前で消滅した。
驚く間もなく、守哉の身体は廊下に叩きつけられる。受身はギリギリで間に合った。
自分の浅はかさが恨めしい。どうして攻撃した、七乃の言葉を忘れたのか―――
(そうだ……傷つけちゃいけないんだ。くそ、どうも何かある度に言魂を使う癖がついてるみてぇだ……!)
身体を素早く起こし、距離をとる。その時には既にイメージは出来ていた。
「―――風よ!」
前回と同じ、少女の周囲から酸素を奪う言魂だ。まずは、これで様子を見る―――はずだった。
(何も……起こらない!?)
イメージが具現化しない。失敗したのかと思いやり直すが、また発動しなかった。
おかしい。精神力も神力もほとんど消耗していないはずなのに、言魂が発動しない。
うろたえる守哉に対し、少女はふわりと宙へと浮かび、突進してきた。呪法とは思えない、直接的な打撃が守哉を襲う。
咄嗟に両手でガードする。少女の拳は決して重くはなかった―――が、命中した瞬間に守哉の身体を凄まじい脱力感が襲う。
(力が―――抜ける!?)
対応が遅れる。いや、力を奪われて身体能力が大幅に低下しているのだ。
身体がよろめき、膝をつく守哉。少女は容赦なく守哉の首を掴むと、勢いよく廊下に叩きつけた。
「がっ……!!」
「教えなさい。彼女はどこです」
「だ、誰の事だ……!」
「私と同じ姿をした子供です。あなたは知っているはず」
知らずにここへ来たのだろうか。少女がただ単に天岩戸に引きつけられてここへ来ただけだとすれば、少女は七乃を追跡してはいても具体的な場所は探知できない、という事になる。
「答えなさい」
「し、知らねぇよ……!つか、放せっ!」
少女の頭をわし掴みにし、力任せに引き離そうとする。が、少女も負けじと守哉の首を強く締め付けてきた。
「早く答えなさい。彼女はどこです」
顔面を掴まれて顔が歪んでも少女の無表情は変わらない。ただ、同じ質問を繰り返すだけだ。
まずい。普通に酸素が足りない。というか、首を絞められてたら答えたくても答えられなくなるのではなかろうか。
「こんの……神和ぎなめんなっ!!!」
全力で右足を振り上げる。少女がそれを避けようとする隙に、守哉は少女の手を振り解いた。
少女の顎目掛けてアッパーを繰り出す―――直前に七乃の言葉を思い出し、思い止まる。仕方なく飛び起きると、襲い掛かる少女の拳を避けつつ距離を取ろうとする。
「―――愚者崩落!」
突如、少女の掌が光った。瞬間、守哉の足元に穴が開く。
「何―――!」
床が一瞬で崩れ落ち、守哉もその崩落に巻き込まれる。手を伸ばして床に掴まるが、掴まった床も崩れ落ちてしまう。
そこまでの高さじゃない―――そう、わかってはいる。しかし、崩落に巻き込まれてバランスを崩した守哉は、迫り来る少女の拳を避けきれない。
拳が腹部に直撃した―――瞬間、守哉の全身から力が抜ける。そして、同時に守哉の身体は一階の廊下に勢いよく叩きつけられた。
「っ…………!!!」
受身さえできず、衝撃が守哉の身体を襲う。身体強化の言魂さえ発動していない守哉の身体には酷だったのか、今まで聞いた事もなかった音―――骨の砕ける音が、響いた。
息が出来ない。まるで、お腹に穴が開いたようだった―――いや、もしかしたら、本当に穴が開いているのかもしれない。
動けなくなった守哉を見下ろして少女は言った。
「さあ、言いなさい。彼女はどこです」
知ってても言えるか、アホ―――と、心の中で反論する。
状況を打開するイメージなど腐るほど思いついたが、身体のダメージが大きすぎた。激痛で気が狂いそうだし、何より息が出来ない。目だけを動かして自分の身体を確認してみると、太い鉄の棒が胸を貫いていた。運悪く鉄筋の下に落下したらしい。
「答えないというのなら仕方ありません。あなたを殺してはいけないのですが、殺しましょう」
どうも、少女は本当にアホのようだ。神和ぎを殺したら神さび化する事を考えていないらしい。
そんな事を考えていたら、記憶が少しずつリピートされてきた。これはヤバいでもまぁ仕方ないかなーああもう少し楽な死に方がよかった、などと思いつつ目を瞑ろうとして―――
「さようなら、守哉お兄ちゃん」
その言葉に、守哉は大きく目を開いた。
が、既に全ては遅い。少女は大きく拳を振りかぶり、今まさに守哉を殺そうとしている。
ここまでか、と守哉が歯を食いしばった次の瞬間。
突如、ガラスの破片と共に飛び込んできた七瀬の飛び蹴りが、少女の顔面にめり込んだ。
勢いよく吹っ飛んだ少女は、近くの教室の扉を突き破り机をなぎ倒しながらようやく止まった。
横たわる守哉の目の前に華麗に着地した七瀬は、すぐさま守哉に駆け寄った。
「……かみや!!!かみや、しっかりして!!!かみやぁ!!!」
泣きながらすがりついてくる七瀬。守哉は最後の力を振り絞ってイメージすると、うめき声を言魂にして治癒の言魂を発動した。
今度はちゃんと発動したのか、守哉の傷は少しずつ塞がっていく。突き刺さっていた鉄の棒は七瀬が引き抜いた。
しばらくして、ようやく守哉は喋れる状態まで落ち着き、安堵の息を漏らした。
「…………あー、死ぬかと思った」
「……かみや!!!えぐっ……かみや~!!!」
ぎゅ~、と力強く抱きしめてくる七瀬。
「……かみやのばか!!……無茶しないでって、言ったばっかりなのに……!!」
「……悪かったよ。それよりも、何で七瀬がここに?」
「……えっぐ……凄い音がして……心配になって。……それで、様子を見に行ったら、かみやが……」
「えっと……もういいよ。ホント、心配かけてごめんな」
泣きじゃくる七瀬を抱きしめ、頭を優しく撫でてやる。
横目で少女が吹っ飛ばされた教室の中を見ると、そこに少女の姿はなかった。ここには七乃がいないとわかって逃げたのか、それとも……
「何にせよ、酷い目にあったな……」
しかし、先ほどのあれは何だったのだろうか。言魂が発動しなかったり、少女の拳が当たった瞬間に体中の力が抜けたり。
泣き止んだ七瀬を胸に抱きながら考えこんでいると、ふとある事に気づき、感覚を研ぎ澄ませた。
気配を探る―――が、探知できない。自分達以外の存在が―――七緒の気配がない!
「しまった……!七瀬、お前包囲結界はどうした!?」
「……え……?……わたしが入ってくる時にはなかったよ」
まさかと思い、七瀬を優しく放し急いで七緒を待たせていた場所へと走る。
しかし、そこに七緒の姿はなく―――ぽつんとお弁当の包みだけが残されていた。




