第88話 “予想外の闖入者”
準備は整った。
絶対輪廻の成功により、既に拠り代の試験体は完成している。少々トラブルがあったようだが……それもすぐに解決するだろう。拓羅は性格こそ破綻しているが、優秀な女だ。期待通りに働くはずだ。
神和ぎのイミテーションなど我が理想には不要だが、これは未鏡が望んだものだ。奴らに借りを返す意味でも、利用価値はある。
後は、あの女が旧神奈備島古事録を見つければいい。
その時まで―――気長に待つとしよう。
☆ ☆ ☆
まぶしい。
目を覚ました守哉が真っ先に抱いた感想は、実に率直だった。
「う……戻ってきたのか」
日の光に起こされた事に不満はあるが、それで太陽を恨んでも仕方がない。
「って、え!?もう朝になっちまったのか!?」
急いで跳ね起きる。どうも、いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていたらしい。
周囲を見回す。自分がいるのは、仏壇のある部屋だ。異質な気配を感じないところ、ちゃんと戻ってこれたようである。
ほっとしてしばらくぼーっとしていると、不意に障子が開いた。
「…………かみかみ、おきひゃ?」
現れたのは七妃だった。可愛らしいピンクのパジャマ姿なのは、自分と同じで起きたばかりだからだろう。寝癖もついてるし。
「おはよう。昨日はよく眠れたか?」
うんうん、と大きく頷く七妃。
「それはよかったな。あ、文江さんは?もう起きてる?」
「…………おばーひゃん、おきてるぅ。かみかみ、よんれほひーの?」
「ああ、呼んできてほしいな。お願いできるか?」
「…………うん!まっひぇひぇね」
おばーひゃーん、と言いながら七妃は去っていった。相変わらず独特な喋り方をする七妃だが、余計な単語が混じらない分、普通の人よりも言いたい事がわかりやすい。少なくとも守哉はそう思っている。
七妃が文江呼んでくるのに時間はかからず、守哉がぼんやりし始める前に文江はやってきた。
「ようやく戻ってきたかい。どうだい、気分は?」
「良くもなく、悪くもなく……ってところだ。こうなる事を知ってたのか?」
「なんとなくだけどねぇ。あたしが本に引きずられる人間を見るのは二回目だし、確信はしてなかったがね」
よっこらせ、と文江は適当な場所に座った。文江についてきた七妃は守哉の隣にちょこんと座る。
「あんたが求めてた情報は得られたかい?」
「まぁな……。全部じゃないけど、大体わかった。また今度読みにきてもいいか?」
「お断り……と言いたいところだけど、うちの孫達があんたを気に入ってる以上、拒みたくても拒めないねぇ。だがね、ただ本を読みにくるだけってのは許さないよ。次来る時は遊びに来な」
文江はぶっきらぼうにそう言った。
苦笑し、わかったよ、とだけ答える。
次にこの家を訪れる日はそう遠くないと、守哉は思った。
☆ ☆ ☆
とりあえず、守哉は一度磐境寮へ戻る事にした。
朝飯は丁重に断らせてもらった。今から帰れば余裕を持って学校に行けるからだ。熟睡している七美以外の皆に帰る旨を告げ、寂しそうにする七妃の頭を優しく撫でた後、守哉は二橋家を出た。
早朝の風景を眺めながら帰宅。意外にも早起きしていた優衣子にただいまと言い、階段を上って自室へ向かう。途中、ふとエレベーターを使おうかとも思ったが、あのエレベーターには一度殺されかけているのですぐにやめた。
勉強道具は全てバッグに入れっぱなしなので、学校の準備はすぐに終わった。大きく背伸びしてリラックスした後、さっさと自室を出―――ようとしたところで、電話が鳴った。
『守哉、ご飯は?』
「食べてないよ。よかったら作ってくれ」
『そうだろうと思って用意しといたわよ。もう行くんでしょう?早く降りてきなさい』
気が利くな、と思いつつ、改めて自室を出る。階段を降り、食堂へ。
食堂の扉を開くと、テーブルの一つに優衣子が料理を並べているところだった。
「早く食べちゃいなさい。七瀬ちゃん、もうすぐ来る頃だから」
「わかってるよ」
口うるさい優衣子は、まるで母親のようだ。それを言ったら優衣子は怒るかもしれないが、守哉にとって優衣子との生活は数少ない安らぎの一つだ。
いつも通りの会話。いつも通りの朝の風景。
嵐の前の静けさを思わせるように、時はただ過ぎていく―――。
☆ ☆ ☆
連絡を受けたのは早朝4時。内容は、試験体と呼ばれている少女の確保。要するに、尻拭いだった。
「……役立たずどもめ……偉そうに命令するわりには、随分と無責任なヤツらじゃ」
毒づきながら、トヨは朝の神奈備島を歩き回る。
大体の事情は聞いている。先日、絶対輪廻とバイオインプラントを駆使した呪法が完成し、その実験台として拠り代777番―――神代七乃が選ばれた。しかし、実験の途中で七乃を構成している輪廻が分裂してしまい、心の輪廻が荒霊化してこの島へ転移したという。残された七乃の器は、心の輪廻がなくなった事で輪廻が不安定になってしまったため、やむを得ず宇美は器の輪廻に試作型の呪法を施して無理やり安定させ、逃げ出した心の輪廻の回収を命じた。そして、昨夜器の輪廻は心の輪廻を発見したものの、百代目神和ぎの妨害により回収できず、最終的に心と器の二つの輪廻の行方はわからなくなってしまった。
磐座機関はこういう事態を想定していなかったため、七乃にアンテナを仕込んではいなかった。なので、データも取れないし居場所もわからない。そこで、トヨに白羽の矢が立ったのである。
「気に食わんのう……あの小娘、わしを小間使いとでも思っておるのか。年寄りだと思って馬鹿にしおるわい」
白馬だけでなく、宇美とかいうマッドサイエンティストの命令にいちいち従わなければならないのは癪に障る。だが、磐座機関には利用価値がある。今はまだ、好きなようにさせておけばいい―――
内心でほくそ笑みながら歩いていると、不意に異質な気配を感じて立ち止まった。
「これは……また、読みが当たったようじゃのう」
僅かに漂う異質な気配。それは、トヨの視線の先―――墓所から漂っている。
気配を殺し、墓所へと足を踏み入れる。と同時に、トヨの脳内にイメージが形成された。使い慣れたイメージ―――身体強化のイメージ。これで、いつでも戦闘態勢に入る事ができる。
思っていたよりも異質な気配は少ない。仕方なく特殊な呪法を発動し、気配を指先で感じ取りその大元を辿る。異質な気配に対し感覚が鈍くなっているトヨは、呪法でそれを補っているのだ。特に、今回のように存在が希薄な荒霊の探知の際は呪法に頼る事が多い。
指先が動く。トヨの意思に反して、墓所の奥へと向けられる。
そこには、一人の少女がいた。白いワンピースに青い髪―――七瀬によく似ている。
間違いなく、七乃だ。
「こんなところにおったのか」
話しかけると、七乃は驚いてこちらを振り向いた。その瞳が語っている―――どうしてここにいるのかと。
「決まっておる、お前を探しておったからじゃよ。七乃、よく帰ってきたのう」
できるだけ優しく微笑みながら、トヨは七乃に近づいた。
「寂しかったじゃろう?さあ、おばあちゃんの胸に飛び込んでおいで。遠慮するでないよ」
両手を広げ、トヨは言う。愛する孫を受け止めるように、慈愛溢れる表情を浮かべて。
だが、そんな嘘は七乃には通用しなかった。
「……やだ」
七乃は警戒するようにこちらを睨み付け、
「おばあちゃん、あの時助けてくれなかった。助けてって、何度も叫んでたのに」
何を言っているのだろう、こいつは―――本気でトヨはそう思った。
「ごめんよ。わしには、何を言っているのかよくわからんよ」
叫んでいた?笑わせるな。お前はあの時、とても喋れる状態じゃなかっただろう。
死にそうなお前を助けてやったのは、誰だと思っているのだ―――
「きっと、お前は混乱しておるのじゃ。四の五の言わずに―――こっちへ来んかっ!!!」
叫びは言魂となり、トヨは七乃に飛び掛った。
怯えた表情でその場を飛び退く七乃。舌打ちしながら振り向くと、不意に七乃が先ほどまで見つめていたものに気づく。
それは、墓標だった。神代七乃と書かれた、七乃自身の墓標―――
「ふん!笑わせてくれるわい、死人が自分の墓を見に来るとはのう!」
言魂を発動。刃を孕んだ風が七乃に襲い掛かる。
「―――!」
七乃が両手を掲げた瞬間、風の刃は霧散した。トヨから距離をとろうと、七乃は空中へと逃げる。
心の輪廻であるこの七乃は、荒霊化している以上器よりも厄介だった。荒霊としての能力を使える上、七乃は昔七瀬と一緒に七歌から呪法や言魂について勉強していた事がある。好奇心が空回りして、何度か修祓をこっそり見に来ていた事もあった。つまり、トヨの手の内をある程度知っているのだ。
だが、所詮は荒霊。神和ぎの敵ではない。
「逃がしはせんぞ!」
叫び、腕を振るう。強烈な風と土ぼこりが発生し、七乃の視界を奪う。
しかし七乃は冷静だ。神力波で風と土ぼこりを吹き飛ばし、上空へ逃げようとする―――が、七乃の視界が開けた瞬間、その目前にトヨが現れた。身体強化の言魂で強化された脚力が、トヨの身体を上空へと無理やり押し出したのだ。
神力で包み込んだトヨの手が七乃の足を掴む。そのまま地面に向かって叩き落す。
「……っ」
地面に叩きつけられて、七乃は声にならない悲鳴を上げた。
実体化していたのが運の尽きだ。例え荒霊といえど、実体化している状態ならば、神和ぎにとっては普通の人間を相手にしているのと一緒だ。神力で荒霊に触れられるようにしておけば容易く対処できる。
華麗に着地し、トヨは七乃の方を見た。荒霊でも痛みは感じるのか、七乃は苦しそうにもがいている。
「どうやら、今ので神力を相当減らしてしまったようじゃの。自業自得じゃ、わしに逆らったんじゃからな」
不敵に笑い、七乃へ近づく。
七乃はトヨから逃げようともがくが、うまく立ち上がれないでいる。これでは、逃げたくても逃げられないだろう。王手、といったところか。
「やれやれ、無駄な運動じゃったの。何はともあれ、これでヤツらの期待には答えられたかのう―――」
倒れている七乃の首を掴もうとトヨが手を伸ばした瞬間、
「……おばあちゃん?何があったの―――」
不意に、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
(何……!?)
驚いて振り向く。
そこには、驚いたように目を見開いてこちらを見つめる七瀬の姿があった。