第87話 “示される手掛かり”
少しずつ、視界が戻ってくる。
「う……。一体、何が起こったんだ……」
またわけのわからない事になったな、と思いつつ、守哉は状況を確認する。
特に変化はない―――先ほどまでと同じ、仏壇のある部屋だ。
ただ一つ変化があるとすれば、目の前で開いた旧神奈備島古事録がなくなっている事くらいか。
「消えてなくなった……?それに、この部屋はさっきまで俺がいた部屋じゃない気がする……」
今自分がいる部屋は、先ほどまでいた部屋と何かが違う。見た目は一緒だが、あちこち―――いや、部屋全体から異質な気配を感じる。
そして、部屋の一部―――障子の向こうから、周囲とは比べ物にならないほど強い異質な気配が漂っている……気がする。
「……開けてみるか」
立ち上がり、障子に手をかけ―――ゆっくりと、開く。
「これは……」
その先に広がっていたのは、静寂に満ちた空間と無数に立ち並んだ本棚。
日諸木学園の図書室だった。
「やぁ、百代目。待ちかねたよ」
聞き覚えのある声。げんなりして声の方を見ると、そこには案の定、自分と瓜二つの姿をした少女―――神様がいた。
「……またお前か。つーか、ここどこ?」
「おいおい、いつもどおりつれないヤツだなぁ。たまには気の利いた事でも言えないのか?」
「言うかアホ。それよりも俺の質問に答えろ。ここはどこだ?」
「このいけずめ。……まぁいいさ。ここは、私の中だよ。お前は今、私の身体の中にいるのだ」
身体の中。神様の身体の中というのは、皆こんな風に図書室っぽいのだろうか。
何となく今まで戦った神さびを思い出す守哉だった。
「って、どう見てもここ普通の図書室じゃねぇか」
「見た目はな。だが、この空間は紛れもない私の中だよ。ふふん、ちょっとエロいだろ」
「エロくねぇ!つか、本当にここがお前の中なら、具体的にどこの部分なんだよ」
にや~っと妖しく笑う神様。微妙にエロい表情だったが、守哉にとってはほぼ自分の顔を見ているようなものなので、むしろ気持ち悪かった。
「おい、やめろ。その表情やめろ」
「お前が聞くのがいけないんじゃーん」
「……じゃあ答えなくていい。代わりに別の質問に答えてくれよ」
別にいいよー、と軽く答える神様。なんだかなぁ、と守哉はため息をついた。
「……まぁいい。んじゃ、聞くけど……神様、旧神奈備島古事録って何なんだ?文江さんは神様の精神の一部を切り取って封じ込めたものって言ってたけど」
「それは半分正解だが半分はずれだ。確かに旧神奈備島古事録は大呪法によって私の精神を封じ込めた書物だが、封じられた精神は私から完全には切り取られていない。ある程度繋がっているんだよ」
「ある程度……?」
「そう、ある程度だ。つまり、ある程度は切り離されている状態なんだよ。どうして初代神和ぎは私の精神を封じ込めたのか……それは知っているか?」
首を横に振る。そうか、と神様は言った。
「私にはな、ある力が備わっているのさ。輪廻転生の輪を破壊し、不変の法則を敷く力……現世を常世へと変える力がね。その名を破瓜の虚途魂という」
「破瓜の虚途魂……」
全てを途絶する力、という事か。だが、破瓜というのは―――?
守哉の疑問を察した……のかどうかは知らないが、突然神様は頬を赤らめた。
「ふふん、どうして破瓜なのかわからないだろう?破瓜には二つの意味があってな、一つは16歳の女性の事を指すんだよ」
「16歳?でも、あんたの見た目はどう見ても……」
小学六年生程度にしか見えない。16歳ならば、高校一年生くらいの見た目のはずだ。
「おいおい、今の姿の事を言っているのではないぞ。本来の私はな、高天原に封じられているんだ。この私は荒霊に近い存在なんだよ」
「でも、普通に触れるぞ」
「実体化くらい簡単にできるさ。……そして、破瓜のもう一つの意味は、この虚途魂を他人に譲渡する方法の事を指しているのさ」
「譲渡する方法って……え?破瓜って……」
「おいおい、口には出すなよぉ。照れるじゃないか」
「………」
あまり考えたくないが、つまりはそういう事らしい。
わからない人はわからなくてもいいよ!いつかわかる日が来ると思うけどな!
「話を戻そうか。初代は私を封じ込めた上で破瓜の虚途魂を手に入れようと考えていた。だが、当然ながら私もそう簡単にこの力を渡そうとは思わない。そこで、初代は己が言魂の力を使い、私の精神を切り取って私を操ろうとしたのだ。旧神奈備島古事録はその結果出来上がった書物なのだよ」
「つまり、島の真実がどーのこーのってのはただのついでで、本来の目的はお前を操るためだったってわけか」
「そうさ。今となっては最初の目的など忘れられ、もっぱら島民も忘れてしまった呪法やら何やらが書かれた本として扱われているがな。ま、読める人間は限られているがね」
「ふーん……。いや、待てよ……忘れられた呪法が書かれたって言ったよな。て事は、大呪法・絶対輪廻についても書かれているのか?」
「もちろんさ。それについて知りたければ、後で本のページをめくってみるといい。次からは普通に読ませてやるよ」
「さんきゅ……って、おい!普通に読めるなら何で俺は今ここにいるんだ!?」
「私が引きずり込んだのだ。暇だったからな」
「迷惑な事すんじゃねぇ!驚くだろうが!」
明後日の方向を向いてわざとらしく口笛を吹く神様。それが意外と様になっているものだから腹立たしい。
「もういいや……。そうだ神様、未鏡白馬って男を知ってるか?」
「んー……まぁ一応」
「歯切れが悪いな。知ってるのか、知ってないのかどっちなんだ」
「どちらかといえば知っている。だが、ヤツは神和ぎではないし、今後神和ぎになる事もない。故に、私はヤツについては何も知らない」
「どこで知ったんだ?」
「私は一度島に来た人間の事は忘れないよ。それに、あの男は七十六代目がたまに会っていたからな」
「七十六代目?それって、もしかして……」
「お前が考えている通りだよ。七十六代目は神和ぎにしては珍しい、服従の言魂を使った事がなかったからな。特に問題ないかと思って普通に読ませていたのだ」
七十六代目神和ぎは栄一郎で間違いないだろう。恐らく白馬は、栄一郎に旧神奈備島古事録を読ませる事で、間接的に大呪法の知識を得たのだ。
後は、絶対輪廻がどういったものであるかがわかれば、白馬のやろうとしている事がわかるはずだ。
「もう質問は終わりか?」
「待ってくれ、後一つだけ答えてくれ」
「構わないが、あまり時間がないぞ。この世界―――私の精神の中では、普通の人間の精神に強い負担をかけるのだ。もうそろそろ戻らなければ、色々と大変な事になるぞ」
だったら引きずり込むなよ、と心の中で毒づく。あえて口にはしなかった。単純に時間がなかったからだ。
そう、毒づく時間はない。それよりも早く、聞かなければ―――
「七乃が……七乃が、この島に来たのは何故だ。七乃に一体、何があったんだ」
「おや、あの子から何も聞いていないのかい?」
「ああ」
「困った子だ。あれほど百代目に会いたがっていたから、てっきり助けを求めているのだと思っていたのだが……どうやら、一人で立ち向かう気のようだな」
立ち向かう?一体、何に対して?
そういえば、七乃は自分も戦わなくてはならなくなったと言っていた。見守るだけではダメになってしまったとも。
考えてもわかりそうにない。守哉は単刀直入に聞く事にした。
「教えてくれ。七乃は何と戦ってるんだ」
「……あの子の意思を尊重するのなら、ここは黙っておかなくてはならない場面なのだろうなぁ~」
「茶化すな!」
「はいはい、わかってますよ。でもな、百代目。あの子がお前に何も語らなかったのは、お前を巻き込みたくなかったからなんだよ。それでも、どうしてもお前にもう一度会いたいとあの子が思っていたから、私はあの子を助けてあげる事にしたんだ。たとえそれが、お前を巻き込む事になるとしてもな」
矛盾している―――そう、守哉は思った。
本当に巻き込みたくないのなら、最初から会いに来なければいい。だが、それでも七乃は会いにきた。
それはつまり七乃は、守哉に助けてほしいと、そう願っている証拠ではないのか。
「神様……いいから教えろ。俺は七乃を助ける。もう決めた」
「それをあの子が望んでいなくてもか?」
「望んでるよ。ただ、言わなかった……いや、言えなかっただけだ。なら俺は、七乃を助ける。大体―――男が女を助けるのに、いちいち理由がいるもんかよ」
守哉は力強く、そう答えた。
真剣に答えたつもりだったが、神様はその言葉を聞いていきなり笑い始めた。
「ぷっ……あはははははははははは!!!!うっわ、すっげぇクサい!似合わねー!!!」
「う、うるせぇな!たまにはかっこつけさせろよ!」
「ふひひひひ……あー笑える。いや、でもわかったよ。そんなに助けたきゃ助けにいけばいいさ。でもなぁ、正直あの子自身も自分の身に何が起こっているのかいまいち理解してないんだ。だから、あの子を助けるのは結構大変かもしれないぞ?」
「んなの関係ねぇよ。いいからさっさと教えろよ、時間ねぇんだろ」
「教えたいのはやまやまなんだけどさぁ、もう時間きちゃったんだよねー」
「え!?」
気づけば、身体を光が包み込んでいた。思いっきり見覚えのある現象である―――というか、まさか体感するはめになるとは。結構怖い。
「お、おい!せめてヒントをくれ!それか七乃の居場所!」
「居場所は無理だ。だが、ヒントはやろう。あの子は今、二つの存在に分かれている。心と器、その二つにな。そして、二つの存在は元々一つである以上、互いに引き合う性質を持っているのだ。……以上、ヒント終わり。後は自分で頑張ってちょんまげ」
「投げやりに終わらせるなー!」
強まる光。この世界に引きずり込まれた時と同じく、視界が真っ白に染まっていく。
意識がなくなる直前、神様が気色悪い笑みを浮かべて手を振るのが見えた。
……なんかむかつく。