第85話 “突然の襲来”
少女は待つ。あの人が来る事を。
「まだかな……」
天照大神があの人を呼びに行ってから、それほど時間が経ったわけではない。しかし、期待に胸を膨らませている少女は、思わずそう呟いてしまった。待ちくたびれたわけでもないのに。
会いたい。早く会いたい。早く会って―――会って、どうしよう?
「……そういえば、何も考えてなかった」
少女はぼんやりと空を見上げる。
神奈備島の空には、たくさんの星が散りばめられている。とても綺麗だ。ずっと見ていると、胸の中が一杯になる。
昔から、自分は星空を見上げるのが好きだった。だから、自分は夜が大好きだ。綺麗な星空が見れるから。
「もう、見れないのかな―――」
これが最後かもしれないと思うと、ちょっぴり切なくなる。
せめて目に焼き付けておこうと、少女が目を見開いたところで―――
「―――こんなところにいたんですね」
突然、声が聞こえた。
驚いて振り向いた先には、自分と瓜二つの少女がいる。ただし、目の前にいる少女の顔には、表情というものが一切なかった。
まるで、機械のように。目の前の少女は、言う。今まで聞いた事のないような、冷たい声で少女は喋る。
「一緒に来てください。あなたが来ないと、私達は消えてしまいます」
歯をかみ締めて、少女は首を横に振った。まだ、帰るわけにはいかないのだ。
自分は、この少女を知っている―――いや、知っているも何も。
この子は、自分だ―――神奈裸備島の磐座機関本社ビルにいるはずの、自分の身体だ!
「来ないのなら、無理やりにでも連れて行きますよ」
目の前の少女―――少女の器が駆ける。
お願い、早く来て―――そう心で叫びながら、少女は逃げ出した。
☆ ☆ ☆
突然、大きな音が神奈備島の夜空に響いた。
二橋家を出た守哉は、港へ向かう途中だった。そしてまだ、港までは距離がある。
「……よくわかんねぇけど、急がねぇとまずそうだな」
身体強化の言魂を発動し、駆け出す。もう逢う魔ヶ時は過ぎてしまったので、言魂の効果を持続させるには集中力がいる。もう幾度となく発動してきたこの言魂だが、逢う魔ヶ時以外で使うにはやはり抵抗感があった。
「くそ、無駄に疲れる……!普通に走った方が身体にはいいか……!?」
せっかく治った右足なのだ、できれば大切に使いたい。
が、そんな余裕はないようだった。前方に見える港から、僅かに黒煙が上がっている。
「あーもう!待つなら静かに待っててくれよ!」
身体強化の言魂を重ねがけ。爆発的に上昇した守哉の脚力が、アスファルトの地面を踏み抜いて守哉の身体を前方へ押し出す。
人間の域を超えた速度で走り出した守哉は、一気に港へ到着する―――と同時に、守哉の視界に小さな影が飛び込んできた。
「うわっと……!」
全力でブレーキをかける―――が、間に合わない。そう思った時には、言魂を発動していた。目の前に空気の壁が出現し、影にぶつかる前に壁に激突する。
思っていたより痛くなかったな、なんて守哉が思った瞬間、今度は横から衝撃波が襲い掛かってきた。
「のわっ……!?」
吹っ飛ばされる身体。だが、身体強化の言魂を発動していたのが幸いだったようだ。無理なく空中で身を捻り、受身を取りつつ地面を滑る。
「くそ、どこのどいつだ!?戦うために俺を呼び出したのか!」
顔を上げ、攻撃してきた相手を見ると―――そこには。
白いワンピースの、青い髪の少女がいた。それも二人。
「この子達が……あれ?でも、どっかで見覚えが……」
目の前には、先ほどぶつかりそうになった少女と、こちらを攻撃してきたであろう少女がいる。二人はまったくの瓜二つだが、片方は驚いたようにこちらを見つめ、もう片方は無表情でこちらを見つめている。
そして、守哉はこの少女達の顔に見覚えがあった。少女の顔を見て思い出すのは、部屋中にところ狭しと並んだ巨大な水槽―――
「もしかして、七乃か……!?」
その言葉に、驚いた顔でこちらを見つめていた少女が駆け寄ってきた。そのまま立ち上がったばかりの守哉の胸の中に飛び込んでくる。
「ようやく会えた……!守哉お兄ちゃん!」
「七乃……ど、どうしてお前がここにいるんだ?それに、あの子は……?」
「話は後でするよ。今は、あの子を何とかしてほしいの!」
七乃が指差す先には、七乃とまったく同じ姿の少女がいる。
わけがわからない―――だが、どうやら少女は敵らしい。無表情の少女が放つ、痛いほど殺気がその証拠だ。
少女の手がこちらに向けられる。悪寒が背筋を奔り、守哉は咄嗟に七乃を抱えて横へ飛んだ。
「―――烈行地山!」
少女の掌が一瞬光る。瞬間、少女の足元の地面が割れ、そこから飛び出た無数の岩がこちらに向かって突撃してきた。
(呪法か……!?)
間一髪のところで避ける。あんなものが直撃すればひとたまりもない。
だが、やられてばかりの守哉ではない。既に反撃するためのイメージは構成済みだ。
「―――風よ……」
「待って!あの子を傷つけちゃダメ!」
「何でだよ!?」
「いいから、お願い!今あの子に傷をつけちゃったら、強制的に戻されちゃう……!」
舌打ちしそうになる自分を堪え、守哉は再びイメージする。
傷つけずに無力化する。一番手っ取り早いのは相手の意識を奪う事だが……
「……っ!」
再び無数の岩が一直線に襲い掛かってくる。一度見た攻撃だ、避けるのはさほど難しくない。
「―――風よ!」
守哉の声に呼応して、少女の周囲に風が吹き荒れる。だが、それだけだ。少女は風を無視して再び呪法を発動しようとし―――
「……!?」
そこで、気づいた。急激に息苦しくなっている事に。
守哉の起こした風が、少女の周囲から酸素を奪っているのだ。すぐさまその場を飛びのく少女だが、風は少女の動きに追従して少しずつ酸素を減らしていく。
何とかして風を振り払おうとする少女だが、どうにもならない。言魂の発生源であろう守哉を倒そうと呪法を発動しようとするが、うまく頭が回らない。集中できない。
次第に意識が遠のいてくる。まずい。このままでは、命令を達成できない―――
「くっ……撤退します!」
そう言うと、少女は跳躍して海に飛び込んだ。大きな音と共に水しぶきが飛び散り、地面を濡らす。
守哉は少女の後を追おうとしたが、やめた。七乃を抱えているからでもあったが、さすがに水中に逃げられてはどうしようもないからだ。
「やれやれ……何だったんだ一体。なぁ、七乃―――」
七乃の方を振り向くと、七乃は苦しそうに胸を押さえていた。時折小さく咳き込んでいる。
守哉は慌てて七乃を抱き直した。
「お、おい!しっかりしろ、大丈夫か!?」
「う、うん……。ちょっと引きずられそうになっただけだから、大丈夫」
引きずられそうになった、という言葉に多少引っかかりを感じた守哉だったが、今は気にしない事にした。それどころではないと思ったからだ。
守哉の腕の中で苦しそうにしていた七乃だったが、しばらくすると良くなったのか、守哉の顔を見上げてにっこりと微笑んだ。
「もう大丈夫だから、心配しなくてもいいよ」
「ホントか?無理はすんなよ」
「無理なんてしてないよ。でも、ありがと。心配してくれて……。もう降ろしてくれていいよ」
言われた通り、七乃をなるべくゆっくりと地面に降ろす。七乃は手早く自分の服装を整えると、すぐに守哉に抱きついてきた。
「うわっと……」
「守哉お兄ちゃん、来てくれてありがとう!私、すっごく嬉しいよ!」
ぐりぐりと顔を守哉の腹に押し付け、七乃は嬉しそうに笑う。
「守哉お兄ちゃん守哉お兄ちゃん守哉お兄ちゃん~……」
「な、なぁ……何で守哉お兄ちゃんなんだ?」
「だめ?」
ちょっぴり寂しそうな顔。その表情に守哉は勝てなかった。
「いや、別にどう呼んでくれてもいいけどさ」
「やった!じゃあ、守哉お兄ちゃんね」
嬉しそうにぐりぐりと顔を押し付けてくる七乃。何ともいえないむず痒さを感じる守哉だった。
「ところで、七乃が神様の言ってた俺に会いたい人……で、いいんだよな?」
「うん。島まで来れたのはいいけど、どうやって守哉お兄ちゃんに会おうか悩んでたら、神様が助けてくれたの」
あの神様が自分以外の人間と接触していた事に守哉は驚いたが、それ以上に七乃がここに来れた事の方が驚きだった。守哉の知る限り、七乃は―――。
守哉の顔を見て何かを察したのか、七乃は言った。
「……守哉お兄ちゃんが言いたい事、何となくわかるよ。聞きたい事、たくさんあるよね」
「七乃……」
「でも、ごめんね。もう時間切れみたい」
そこで守哉は気づいた。七乃の身体を、小さな光が包み込んでいる事に。
この現象を、守哉は知っている。いや、正確には似たような現象を、だが。
「お、おい!もういなくなっちゃうのかよ!?」
「違う、違うよ。これは、私にかけられた魔法が切れただけ。まだ、消えるわけじゃないの」
「消えるわけじゃないって……じゃあ、一体……」
取り乱す守哉に、七乃は優しく笑いかける。光は少しずつ強まっていき、気づけば七乃の全身を覆いつくしていた。
「私ね、会いたかったの。おじいちゃんがご褒美にくれた、守哉に……。ううん、それはおじいちゃんの冗談だってわかってる。でも、どうしても、私……」
「おじいちゃん……鯨田の事か?鯨田は―――」
「大丈夫、知ってるよ。私ね、頼まれたの。見守っててほしいって……おじいちゃんに。でもね、もう見守ってるだけじゃダメになっちゃった。私もね、戦わなきゃいけなくなったの」
戦う。一体、何と―――そう守哉が聞く前に、七乃は言った。
「急に呼び出してごめんね、守哉お兄ちゃん。……最後に会えて、嬉しかったよ」
ばいばい、と言い残して。
七乃は、守哉の前から姿を消した。