第78話 “七美参戦”
堕ちた。
そう思った時には、既に遅かった。地面はすぐそこで、頭が下。べしゃっ、という柿が落ちて潰れるような音と共に、私は意識を失った。
「都合がいいのう」
次に目が覚めたのは、その声が聞こえた時。
誰かが私を見下ろしている。薄く笑いながら―――冷たく笑いながら。
「神代の人間が、こうも良い状態で……あの男が喜ぶ顔が見られそうじゃ。間抜けで、愚鈍なあの男の顔がのう」
その声は、私の良く知る人物だった。
だから、私は安心した。この人は、私を助けにきてくれたんだ。よかった、ずっと私は死ぬんだと思ってたけれど、まだ生きられるんだ。この人に……おばあちゃんに、感謝しなきゃ。
「悪いが、お主には生贄になってもらうぞい。わしらの……いや、わしのためにのう」
命を救ってくれるのだから、お礼もたくさんしなきゃいけないよね。おばあちゃんが好きなお菓子を買って、おばあちゃんのお手伝いもたくさんして……
「どうせ、七人もおるのじゃ。一人くらいいなくなったとて、誰も悲しまんじゃろう」
たくさん、たくさん、お返ししなきゃ。私、おばあちゃんに感謝してるんだもの。
私、これからがんばるの。おばあちゃんのために。
だからね、おばあちゃん。
お願いだから、早く私を助けてよ―――
☆ ☆ ☆
「はぁ、はぁ、はぁ―――」
荒く息をはきながら、七美は廊下を走っている。
その後ろには、異形の怪物がいた。豚のような身体に、鳥のような頭。四つの足は足の形に変形した鳥の翼―――あまりにも醜いその怪物は、神さびと呼ばれる存在である。
凄まじい悪臭を放ちながら突進する神さびは、七美の姿が廊下の角に消えた瞬間、角を曲がりきれずに真正面の扉へ激突した。レールから外れた扉が宙を飛び、地面を滑っていく。
外へと飛び出した神さびは、校舎の中を走る七美目掛けて跳躍した。凄まじい速度で水平に飛ぶ神さびの身体は、廊下の窓の一つを叩き割って七美の目前に落下する。
一瞬息を呑みつつも、両足に力を入れて跳躍する七美。呪法によって強化された七美の脚力は、その身体を神さびの向こう側へと正確に運ぶ。
方向転換し、再び七美目掛けて走り出す神さび。しばらく追いかけっこは続き―――そして、七美を追う神さびが中庭の真ん中を通過したところで唐突に終了した。
(かかった……!)
中庭で不自然に停止した神さびを見て、冷や汗を垂らしつつも七美は勝利を確信した。
ギギギギギィ、と苦しげにうめく神さび。その身体は、七美の仕掛けた呪法によって囚われている。
「足止めしたわ!守哉、お願い!」
廊下の向こうに退避した七美が言う。瞬間、神さびの足元に冷気が絡みつき、その身体を一瞬にして凍結させた。
「―――切り裂け、氷鮫!!!」
校舎の遥か向こう、グラウンドの中心で待機していた守哉が叫ぶ。
瞬間、凍結した神さびの身体は校舎ごと真っ二つに切り裂かれた。
☆ ☆ ☆
七美が七瀬と共に守哉の力になる事を決意した日から一週間が経った。
あれから七瀬の指導を受けた七美は、トヨの強引な勧めで再び神さびとの戦いに参加する事になった。
当初は尻込みした七美だったが、今回は七瀬の時と違い、守哉と七瀬の二人が手助けしてくれるという条件付きだったので、仕方なく承諾した。そして、七美と七瀬が事前に立てた作戦が成功し、無事神さびを倒す事に成功したのである。
「……とはいっても、作戦って言うほどのもんじゃなかったわね」
修祓後、神代家の客間でお茶を片手に七美は言った。
「私が囮になって校舎の中を走り回って、仕掛けた呪法で神さびを足止めして守哉が倒す……正直、私が囮になる必要なんてなかったんじゃないの?」
「そんな事ねぇよ。七美が戦う事が重要なんだから。ていうか、そんな事言ってたら七美が一人で戦う事自体がおかしいんだ。ババアは何考えてんだ?」
畳みの上にあぐらをかきながら守哉は答える。その膝の上には、孔雀に似た異形の鳥―――駆雀が座っている。今はまだ逢う魔ヶ時なので問題はないのだが、この駆雀、戦闘が終わった途端に勝手に出てきたのである。トヨ曰く、これは守哉が精霊術を制御しきれていない証拠で、未熟な神和ぎにはたまにある事なのだとか。消そうと思えば消せるらしいのだが、特に害はなさそうだし、逢う魔ヶ時が過ぎれば勝手に消えてしまうらしいので、守哉は放置する事にしているようだ。
「七瀬の時はそれなりの理由があったけど、私の場合は違うわよね……。ホント、何考えてるのかしら」
「……きっと、おばあちゃんなりの考えがあるんだと思うよ」
「七瀬、あんたは甘すぎよ。そんな風にあのババアを甘やかしてるから、あんな捻くれた性格になったのよ」
「……どっちかというと、おばあちゃんがわたしの保護者なんだけど……」
苦笑気味に七瀬は言った。
「どっちが保護者かわかんないわよ。ていうかトヨバア、家事しないでしょ。これじゃ七瀬が保護者って言われても文句言えないわ」
「言ってくれるのう、小娘が」
不意に、障子が開いた。しかめっ面で現れたのは、噂の主・神代トヨである。噂をすれば影、とはよく言ったものだ。
「自分の孫娘を小娘なんて呼ぶか、普通……?」
「やかましい、人をどう呼ぼうがわしの勝手じゃ。大体、お前さんらはいつまでうちにおる気じゃ」
「それこそ私達の勝手じゃない。一応、ここは私の実家なんだから」
「勘当された分際でよく言うわい」
「勘当なんてされた覚えないわよ。私はこの家を出ただけなんだから。いわば独り立ちよ」
「だったら尚更戻ってくるでない……と言いたいところじゃが、お主にはまだ利用価値があるようじゃ。喜べ」
この部屋にいる、トヨ以外の人間の顔が一斉に曇る。駆雀も心なしか不快そうな顔をしていた。
「何よ、利用価値って」
「言葉の通りじゃ。お主、先週神さびに取り込まれて以来、自分の身体に変化があった事に気づいたかの?」
変化―――と言われても、特に思い当たるふしはない。思わず自分の身体を見回すが、やはり変化は見当たらなかった。
「その様子じゃと、気づいておらぬようじゃの。……お主はな、神さびに取り込まれた事によって、神力の量が増えたんじゃ。それも、大量にの」
「!何ですって……!」
と、驚いたようなリアクションをとってみたが、内心は微塵も驚いてなどいなかった。理由は簡単、実感がわかなかったから。
そうとも知らず、トヨは不敵に笑いながら続ける。
「どうやら、心底驚いておるようじゃの。クックック……まぁ、無理もない。これでお主は、逢う魔ヶ時以外でも呪法が使えるようになったんじゃからな。とはいえ、七瀬の持つ神力の量には遠く及ばぬ以上、七瀬には敵わぬがのう」
「いや、前から使えたわよ。呪法」
「なんじゃと!?どういう事じゃ!」
「簡単なやつだけだけどね。ちょこっとだけ握力強化したり、風起こしてスカートめくったり」
「ぬ、ぬう……!何故早く教えなかったんじゃ!」
「別に教えるような事でもないでしょ。どうせ、逢う魔ヶ時じゃ皆一緒なんだし」
「お主は何も知らんだけじゃ!逢う魔ヶ時ではのう……!」
そこでトヨは何かに気づいたように目を見開き、口をつぐんだ。
「逢う魔ヶ時では、何よ?」
「ぐぬぬ……もうよい!とにかく、今度からは重要な事はわしにきちんと言っておくのじゃ。いいな!」
そう言うと、トヨは肩を怒らせながら客間を出て行った。どしんどしんと八つ当たりのように床を強く踏んでいるのが地味にウザい。
後に残された守哉達は、思わずお互いに顔を見合わせた。
「何よ、あれ?いきなり怒っちゃってさ……七瀬、何か知らない?」
「……ううん、わかんない……。でも、おねえちゃん。呪法をイタズラに使っちゃダメだよ?」
「わかってるわよ、そんな事」
「スカートめくりって……七美、お前……」
「何引いてんのよ!言魂でパンツ複製したあんたに言われたくないわよ!」
「何で知ってんだよ!?」
「七瀬から聞いたのよ。変態よね~いくら想像力が豊富だからって自分のパンツ複製するなんて。一体何をしようとしていたのかしら?」
「ちょっと待て、お前は誤解している!大体、俺がパンツを作り出したのは、七瀬の―――」
ほわぁぁぁぁぁぁっ―――!!!と変な大声を上げながら、七瀬は守哉の頭にしがみついた。
「ちょっと、七瀬がどうかしたの?」
「いや、だから―――」
「……ダメダメダメ~ッ!それは言っちゃダメなの!」
守哉の頭をぎゅ~っ、と抱きしめて、ぶんぶんと頭を振る七瀬。
「も、もがもが……な、七瀬、苦ひい」
ぽんぽんと七瀬の肩を叩きつつ、守哉がもがく。しかし、そこまで苦しいようには見えない。
不審に思いよく見ると、守哉は七瀬の胸に顔をうずめて微妙に嬉しそうだった。
「ちょ、ちょっと!あんたどさくさに紛れて何してんのよ!七瀬から離れなさいよ!」
「ひ、ひや、ひゃってにゃにゃせふぁ……」
「だったら七瀬、今すぐ放しなさい!ていうか七瀬、一体何があんたをそこまでさせるのよ!?」
「……だって、今放したらかみや、しゃべっちゃうもん!」
「何を?」
「……そ、それは……ともかくダメったらダメ~!」
より守哉の頭を強く抱きしめる七瀬。柔らかい胸が顔面に密着し、心なし幸せそうにする守哉。
何かむかつく。
「とにかく、離れろったら離れろー!」
「……ダメったらダメ~!」
「ほれ、ほのままひんでもひひかも……」
ぐいぐいと七瀬を引っ張る七美。ぎゅうぎゅうと守哉を抱きしめる……というか、自分の胸に押し付ける七瀬。最早あがく事さえせず、七瀬にされるがままになる守哉。
何とも騒がしい頭上を見上げ、駆雀は迷惑そうにぴぃ、と鳴いた。