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かみかみ  作者: 明日駆
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第72話 “風神雷神”

 腹部に鈍い痛みを覚え、守哉は目を覚ました。


「……っ!」

「起きたようだね、未鏡君。よく眠る男だねぇ、君は」


 醜く唇を歪め、目の前の空貴が笑う。その下卑た表情は、普段の彼からは考えられないほど醜かった。


「ここは……」

「バスの中だね。君は今、神奈裸備島へと向かっているんだよね。驚いたかね?」


 驚くような余裕はなかった。今しがた目覚めたばかりの頭に、理解しろというのが無理な話だ。

 だから守哉は、自分の頭に教え込むように呟いた。


「神奈裸備島……」

「驚かないんだね。この前、散々嫌な思いをしただろうに、ね」

「……嫌な思いなら慣れっこなんだよ」

「そうかね。まぁ、慣れているからといって、そう何度も繰り返したくはあるまいね?」

「わかってんなら帰らせろよ、クソ教師」

「残念、僕はもう教師じゃないんだよね。磐座機関諜報部諜報員、赤砂御空貴だ。コードネームはエージェントC31」


 驚愕は……思っていたよりもしなかった。

 別に知っていたわけではない。ただ、どうでもいいとしか思えなかった。自分は誘拐されているというのに、それさえもどうでもいいような気がした。


「抵抗はしない事だね。言っておくが、僕は呪法の扱いに精通しているんだよね。まぁ、いわば呪法のエキスパートといったところだね。今の君がどう足掻こうと、僕には勝てないわけだね」


 自慢げに話す空貴に、守哉は苦笑した。自信家なのは別に悪い事ではないが、自分で精通しているなんて言うとずいぶん器の小さい男に見えるのだから不思議だ。


「何が可笑しいんだね?」

「別に。……抵抗する気はないよ。煮るなり焼くなり好きにしろ」

「そうかね。なら、このまま大人しく待っている事だね。そうそう、このノートの中身を君は見たかね?」


 空貴の手にはE78―No.3と書かれたノートがある。忠幸の頼み事を達成した事に安堵しつつ、守哉は首を横に振った。


「そうか、読んでいないのかね。どうやら、君は誠実な男のようだね」

「嬉しくねぇよ。んで、そのノートは何なんだ?あんたの赤裸々な日常でも書かれてんのか?」

「惜しいね。確かにこのノートには日常が書かれてあるが、それは僕のではない、君のだ。君の、生まれてからこの島に来るまでの間の人生が、ここに書かれているんだよね」


 それはつまり―――自分の日常、自分の一日の行動が全て書かれている、という事か。

 守哉は納得した。E78はエージェント78という意味だったのだ。NO.3は、恐らく三冊目という意味だろう。単なるナンバリングだ。


「このノートは、鯨田栄一郎という男が書いていたものの一冊なんだよね。君は知っているはずだよね?鯨田栄一郎を」

「鯨田が……」

「栄一郎さんは、僕の恩師でもあるんだよね。僕が育った未鏡家の施設で、生きる理由を失った僕に生きる理由を与えてくれた人……それが栄一郎さんだ。……そして、この前君がその手で殺した相手でもある。忘れていなかったようだね、安心したよ」


 胸の奥に痛みを感じ、守哉は顔をしかめた。

 忘れるはずがない。自分が殺した人間を、忘れられるわけがない―――。


「君は僕にとっては仇だよね。でも、機関の命令で君を神奈裸備島へ連れて行かなければならないんだよね。だから、ここで仇討ちはできない。残念だよね」


 守哉は答えなかった。ただ、顔をうつむかせて宙を見つめていた。

 空貴は小さく鼻を鳴らすと、


「……君が少しでも栄一郎さんを殺した事を悔やんでいるのなら、黙ってついてくる事だね。そして、あの人の亡骸の前で懺悔するんだ。ごめんなさい、許してください。これからは大人の言う事を素直に聞く従順な子供になります、とね」


 そう言うと、空貴はどこかへ行ってしまった。

 ぼんやりと周囲を見回す。このバスは二階構造の大型バスで、自分は二階の一番奥の座席に座らされている。両手が手錠で前の座席に繋げられており、安易には逃げ出せないようになっている。

 とはいえ、言魂を使えばこの程度の手錠は壊せる。逃げ出そうと思えば逃げ出せるはずだ。

 しかし、守哉はここから逃げる気にはなれなかった。

 魔刃剣がない。右目がない。右足がない―――これでは、戦おうにも戦えない。倒さなければならない神さびはあと8体もいるのに、今の自分はこの様だ。


「足手まとい、か……」


 自嘲気味に呟き、守哉は苦笑した。

 何もする気になれなかった。死にたいとは思わないけれど、このままいなくなりたいと思った。もしかしたら七瀬や優衣子は悲しんでくれるかもしれないが、今の自分が島にいたところで無意味だ。戦えない神和ぎに価値などないのだ。

 今まで散々辛い目に遭いながらも、片目をなくした時さえもわりと前向きだった思考が、どんどん悪い方へと落ち込んでいくような気がした。

 絶望が、心を蝕んでいくような―――そんな気が、した。


 その時。


「辛いかい?」


 神様の―――天照大神の声が、聞こえた。


「戦えなくなった事が、そんなに辛いのかい?」


 その声は、穏やかで。

 

「辛いのなら―――楽にしてあげようか?」


 不思議と、心の中に浸透していった。


「ここで終わりにしてあげようか?」


 何も考えられなかった。

 

 ただ、この辛さから開放してくれるというのならば、それは今の自分にとっては、救いだ。


 今、救いの手が差し伸べられているのだ―――


 そう思った。


「……そうだな」


 だから、守哉はこう答えた。


「余計なお世話だ」


 瞬間、守哉の視界は真っ白に染まった。



  ☆ ☆ ☆



 逢う魔ヶ時。


 七瀬、トヨ、優衣子の三人は日諸木学園の校庭に集まっていた。その目の前には、胎動する神さびの繭がある。


「これが、神さびの繭……。思っていたより小さいのね」


 繭の大きさは約5m。元の神さびの大きさを考えると妥当ではあるが、神さびとの戦闘経験が豊富な優衣子からすれば、これは神さびの中でも小さい方だった。


「じゃが、こやつは七美を囲っておる。そう簡単に手出しはできぬぞ」

「言われなくてもわかってるわよ。まったく、私がババアの尻拭いをするはめになるとはね……」


 優衣子は盛大にため息をついた。

 何故優衣子がここにいるのかというと、七瀬に頼まれたからであった。二体の神さびを相手にする以上、戦力は多い方がいい。守哉が逢う魔ヶ時になっても帰ってこなかったので尚更優衣子の力が必要だったのだ。

 トヨは優衣子の力を借りる事に難色を示したが、現実的に考えて結局は折れてくれた。

 そんなわけで、数年ぶりに優衣子が戦場に立つ事になったわけなのだが……


「ふん、お主なんぞの力を借りずとも、本来はわし一人でやれるのじゃ。文句があるのなら帰れ」

「あら、何勘違いしてるのかしら。私は七瀬ちゃんに頼まれて七瀬ちゃんに力を貸しにきたのよ。間違ってもこんな汚い妖怪に力なんて貸さないわ」

「誰が汚い妖怪じゃ!もういい、お主なんぞ知らん!わしは勝手にやらせてもらうぞい!」


 七瀬は小さくため息をつきながら頭を押さえた。

 この二人、とにかく仲が悪い。基本的にトヨに問題があるのだが、優衣子の性格も相当捻くれている。完全に売り言葉に買い言葉状態だ。下手をすると同士討ちさえしかねない。

 守哉がいてくれれば、と七瀬は思った。守哉がいれば、優衣子も機嫌を直してくれるだろう。もしかしたら、トヨとの間に入って仲裁してくれるかもしれない。守哉もトヨを嫌っているが、優衣子ほどではないはずだから可能性はあるだろう。

 しかし、その守哉は今、どこにいるのかわからない状態だ。右足がなくなったのが相当ショックだったのだろう。今はそっとしておいてあげるしかない。


(……かみやのためにも、おねえちゃんを助けて神さびを倒さなきゃ。それから、かみやの右足をどうにかする方法を考えよう。右足がないままじゃ、かみやが可哀相だもの……)


 密かに七瀬が心の中で決意を固めていると。


「おいでなすったわね」


 校門の先、中央坂の向こうを見据えた優衣子が、冷や汗を垂らしながら呟いた。

 それは、巨大な獣だった。狼に似た頭と胴体。魚の尾びれのような尻尾がついており、それを時折揺らしては後方に烈風を引き起こしている。胴体に生え揃う毛の合間には魚のような鱗が見え、鋭い瞳は六つあり、鋭利な犬歯からは唾液が垂れて付着した地面を溶かしていた。

 凄まじい速度で突進してくる神さびは、閉じられた校門を吹き飛ばして校庭へと滑り込んできた。その勢いのまま、巨大な胴体が校舎に激突し辺りに轟音が響き渡る。


「やるわよ―――嵐穿!」


 右肩の聖痕から槍の魔刃剣を引き抜いて、優衣子が叫ぶ。

 その叫びに呼応して、神さびが引き起こす烈風は全て優衣子の支配下に落ちた。


「散れィ、紫電!」


 トヨも負けじと魔刃剣を引き抜く。頭上で幾度か振り回した後、神さびに向かって雷撃を飛ばす。

 烈風と雷撃が踊る。嵐のような光景に、七瀬は思わず息を呑んだ。


「……すごい」


 神さびを取り巻く烈風は、刃を孕んだ死の風だ。全身を鋭利の刃物で切り裂かれるように、神さびの全身が切り刻まれていく。

 それと同時に、大量の雷撃が神さびの切り傷に引き寄せられるように襲い掛かる。それらは互いに干渉する事なく、それどころか利用し合うように神さびに攻撃し続けていた。

 しかし、神さびもそう簡単には倒れない。風と雷の嵐に耐えながら、酸の唾液を撒き散らし突進してくる。


「七瀬ちゃん、壁っ!」

「……はいっ!」


 優衣子が言い終わる前に、七瀬は独自に判断して動いていた。ハンドバッグから小さな鳥居を取り出して、素早く並べ、倒す。


「……螺旋護法!」


 巨大な壁が地面から出現し、神さびの進路を阻む。そのままの勢いで突っ込んだ神さびは、壁に盛大に激突しながらも壁から逃れるように方向転換しようとするが、その前にも壁が出現し、幾度もその進行を妨害する。

 壁を乗り越えようとする神さびだが、巨大な壁の上に突然鎖の天井が張り巡らされた。気づけば、神さびの周囲は壁で完全に囲まれている。


(……いける……!このままいけば、確実に倒せる!)


 神さびの動きは封じているし、優衣子とトヨの攻撃は確実に神さびを弱らせている。後は、優衣子かトヨがとどめをさしてくれればそれで終わりだ。二体同時に相手するという、最悪の事態を回避できる。

 優衣子とトヨも勝利を確信したのか、より勢いよく魔刃剣を振り回している。

 最早、勝利は時間の問題―――と、三人が思った、その時。


 今まで沈黙を保っていた繭が、唐突に内側から引き裂かれた。

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