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かみかみ  作者: 明日駆
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第66話 “別離”

 周囲の視線を感じる。


 授業中、守哉はぼんやりと黒板を見つめながら、そう思った。

 今は6時限目、この授業が終わったら放課後だ。そして、その授業も終わりに差し掛かっている。


「―――で、あるからして、ここに当てはまるのは……」


 黒板の前に立つ教師の淡白な声が聞こえる。

 しかし、まったく内容が耳に入らない。昨日も似たような事を言っていたというのものある。しかしそれ以上に、守哉にとっては周囲の視線が重荷になっていた。

 見られている。犯罪者を見るような目で、見つめられている。冷たい視線に憎悪と恐怖を入り混じらせた瞳で、自分を見つめている。

 横目で周囲を見回しても、誰一人としてこちらを向いてはいない―――いや、時折何人かの生徒と目が合うような気がする。やはり、見ているのだ。罪を犯した自分を。


(……胃が痛くなるな)


 少しはやりすぎたと思っている。やり返すにしたって、もっと穏便な方法があったはずなのだ。いつもなら、あの程度のいじめであんなふうに暴れたりはしない。慣れっこのはずなのだ、いじめられるのは。

 そうだ、慣れているのだ、自分は。憎悪の視線でなぶられるのも、辱められるのも。理不尽な暴力にも慣れている。どんな事をされても、ある程度は耐えられる自信が―――あった。

 先日、そんな自分が耐えられなかったのは、大事なパーカーを傷つけられそうになったからだ。昔、ゴミ捨て場から拾ってきたパーカー。当時の自分にはサイズが合わなかったが、今となっては小さいくらいのサイズ。そして、初めて自分の意志で手に入れた、自分だけのもの。

 そう、あれは大事なパーカーをあんな奴らに傷つけられそうになったから、仕方なくやったのだ。仕方ない事なのだ。そう思い、納得しなければならない。


(そうだ……決して、俺は気にしてなんかいない。鯨田を殺した事なんて、気にしてない。気にしちゃいけないんだ……!)


 何度も何度も心の中で反すうする。自分は何も気にしてはいない事を。自らが犯した殺人で、自らの心を追い詰めてなどいない事を。


 ―――そうしなければ、魔刃剣は抜けないから。


「―――おや、こんな時間。では、今日はここまで」


 気づけば、終業のチャイムが鳴っていた。日直の号令に従って立ち上がり、礼をする。教師が授業で使った教材をまとめ、生徒達は教科書とノートをしまって思い思いに散らばり始める。この後はHR、それから待ちに待った放課後だ。


「やっと終わったか。今日もしんどい授業だったな……」


 呟き、机に突っ伏した。時折痛む右足が、今となっては気晴らしになる。

 ふと、守哉に向けられていた冷たい視線が途切れた。教室の入り口辺りから、クラスメイトの何人かが突然現れた人間に群がる気配を感じる。

 不審に思って顔を上げると、そこには忠幸の姿があった。


「よう、守哉!久しぶりだな」


 遅いよ、と心の中で呟く反面、守哉は安堵の息を漏らしている自分に気づいた。



  ☆ ☆ ☆



 放課後。


 HRが終わり、クラスメイトが全員教室から出て行った後も、守哉と忠幸は教室に残っていた。


「すまないな、守哉。皆が無駄に心配するもんだからさ」

「いや……気にしてねぇよ」


 忘れがちであるが、元々忠幸は一応クラスでも人気者の部類に入る。分け隔てなく人に接する事のできる忠幸は、生徒だけでなく教師からも信頼を得ているのだ。だからこそ、最近学校を休みがちだった忠幸が登校する事は、この学校の人間にとってはとても喜ばしい事なのだろう。群がってくるのも仕方がない。


「ところで、もう大丈夫なのか?身体、調子悪いんだろ?」

「まだ大丈夫とは言えないけど、体調が悪くなるほどじゃなくなったよ。本当はすぐにでも学校に行きたかったんだけど、トヨバアが訓練しろってうるさくてな」

「訓練って、何の訓練だよ?」

「ああ、言ってなかったけ。言魂だよ。俺、言魂が使えるようになったんだ」


 凄いだろ、と言いたげな表情で答える忠幸だったが、それを聞いても守哉はあまり驚かなかった。絶対輪廻とかいう呪法の影響で忠幸の身体に何が起こったのかはよくわからないが、少なくとも普通の人間ではなくなったという事は確かだ。別に言魂が使えるようになったとしても不思議ではない。


「へぇ。凄いな」

「あんまり驚かないんだな。知ってたのか?」

「いや、初めて聞いた。でもお前、首の後ろに聖痕があっただろ?それでなんとなく、な」

「そっか。さすが、現役の神和ぎは違うな」


 笑いながら言う忠幸であったが、守哉は多少複雑な気分だった。

 なりたくてなったわけではない神和ぎ。気づけば、流されるままに神さびや荒霊と戦っている自分。そして―――ついに、人を一人殺してしまった。


「おい、大丈夫か?顔色悪いぞ」


 相当暗い顔をしていたのか、忠幸が心配そうに顔を覗き込んできた。

 いけない。この程度の不幸は慣れっこなのに、ついネガティブな思考に捕らわれてしまっている。


「……大丈夫だ。気にするな」


 なるべく明るい表情を浮かべ、そう答える。それを見て忠幸は安心したのか、優しく微笑んだ。


「ならいいんだけどな。なんか、あまりお前のいい噂を聞かないから、心配なんだよ」


 それは、先日自分がクラスメイトを半殺しにした事を言っているのだろう。


「ま、俺は気にしないけど。どうせお前に非はないんだろ?俺はちゃんとわかってるからさ」


 笑いながら肩を軽く叩いてきた忠幸に、守哉は微笑んで答えた。

 きちんと自分の事を理解してくれる人がいるというのは、こんなにも安心するのだという事を、強く実感していた。

 昔とは違う。自分には味方がいる。敵だけじゃない、味方がいるのだ―――


「それでさ、守哉。実は俺、またしばらく学校に来れなくなっちまうんだ」

「訓練しなきゃいけないんだろ?言魂、使うの難しいもんな」

「そうなんだけど……ちょっと違うんだ。俺、強くなりに行くんだよ」


 拳を握りそう答える忠幸に、守哉は何か不吉なものを感じた。


「強くなりにって……どこにだ?」

「それはちょっと言えないっていうか、まだよくわかんないっていうか……。とにかく、俺は強くなる。それまで待っててくれないか?」

「別にいいけど……」

「よかった。……ああ、そうだ。それで、一つ頼みがあるんだけど」


 言いながら忠幸は鞄の中から一冊のノートを取り出すと、守哉に差し出した。


「これをさ、赤砂御先生に渡しておいてほしいんだ。赤砂御先生ならお前も渡しやすいだろ?」

「赤砂御先生ならお前の方がよく会うんじゃないのか?一緒に暮らしてるんだろ?」

「まぁ、そうなんだけど。実はこれ、勝手に持ってきちゃったんだ。元の場所に戻そうにも、部屋の鍵がかかってて戻せないし……だから、たまたま拾ったとか言ってさ、渡しておいてくれよ」


 差し出されたノートの表紙には、E78―No.3と書かれている。見た目は普通のノートであったが、島で市販されているノートではないのか、クラスメイトでこのノートと同じものを使っている人間はいなかった……はず。

 断る理由は特にない。赤砂御先生には先日怒られたばかりだが、ノートを渡すくらいなら構わないだろう。


「わかったよ。渡しておく」

「さんきゅ。ああ、中身はなるべく見ない方がいいかもしれないぜ。何となくだけど……」


 忠幸の言い方が少し気になったが、元々他人のノートを覗き見する趣味はない。忠幸からノートを受け取り、なるべく丁寧にバッグの中へしまいこんだ。


「それじゃ、いい加減帰ろうぜ」

「そうだな。ていうか、お前あんまり学校来た意味なかったな」

「アハハ、そうかもな。まぁ、いいさ。目的は果たせたから」


 そう言うと、忠幸は教室の出口へ向かった。守哉もバッグを担ぎなおしてその後に続く。


 帰って逢う魔ヶ時まで寝るかと思いつつ、守哉は忠幸と共に帰路についた。



  ☆ ☆ ☆



 逢う魔ヶ時の1時間前。守哉と別れた忠幸は、神代家に来ていた。


「覚悟は出来たかの」

「もちろんだ」


 トヨの重々しい口調を受け止めて、忠幸は真顔で答えた。

 守哉にあのノートを渡す事。それが忠幸が今日学校へ行った目的であった。

 あのノートの内容はよく見ていないが、守哉に関する事が書かれているというのはすぐにわかった。書いたのが空貴ではないという事も。

 守哉があのノートの中身を見るかどうかはわからない。しかし、あのノートは守哉自身も知らない守哉に関する事が書かれていると思う。ならば、守哉には知る権利があるだろう。知るかどうかは守哉次第だが。


「俺は守哉のために強くなる。絶対にだ」

「……ふん。あの小僧にそこまでするほどの魅力があるとは思えんが……まぁよかろう。わしには関係のない話じゃしの」

「そんな事はないぜ。守哉は魅力的な男だ。トヨバアは今まで守哉と訓練をしててそう思わなかったのか?」

「思うわけがなかろう、たわけが。あのような小僧、いないに越した事はないと思うほどじゃ」

「守哉の事を悪く言うなよ!」

「うるさいヤツじゃのう。とにかく、神奈裸備島へ行くのは今日ではない。明日以降じゃ」

「何でだよ?俺はすぐに強くなりたいのに」

「そう急くでない。バスが出る時間は知っておろうが。それと、連れて行くのもわしではない」

「え……じゃあ、誰が?」

「安心せい、お前のよく知る人物じゃ。詳しい事はそやつに言っておくからの。じゃから今日は帰れ」


 そう言うと、トヨは立ち上がってどこかへ行ってしまった。もう何も話す事はない、という事だろう。

 一人残された忠幸は、鞄を引っ掴むとすぐに神代家を出た。

 すると、ちょうど帰ってきたところなのか七瀬がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。


「………」


 互いの目が合う。しかし、互いに挨拶はしなかった。

 無言ですれ違う二人。一瞬だけ、二人の視線が交差する。


「………」


 互いの瞳の中に燃える何かを一瞬だけ共有した後、二人は背を向け合った。


 同じ人を想っていても、決して分かり合う事のない男女の姿がそこにあった。

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