第50話 “悪意が嗤う”
「う……」
気づけば、光は収まっていた。
五感は全て回復している。守哉は言魂を発動すると、自分の手足を縛っていたベルトを切った。途端に身体が落下するが、言魂で風を起こして落下速度を落とし、華麗に着地する。僅かに右足が痛んだが、守哉はそれを無視した。
「忠幸っ!」
着地した場所は忠幸のすぐ隣だった。守哉は忠幸の手足を縛っているベルトを言魂で断ち切ると、忠幸の身体を優しく抱き起こした。
「おい、忠幸!大丈夫か!?返事しろ!」
「う……守哉……?どうしてここに……」
「それはこっちの台詞だ!お前、ホテルで寝てたんじゃないのか!?」
「えっと……お前が帰ってくるまで待ってたら、誰かが部屋に入ってきて……文句を言ったら、何かされて……気づいたら、ここに」
見たところ、忠幸の身体に外傷はない。自分と同様に、呪法で眠らされたのだろう。
(でも、どうして忠幸が?さっきの呪法と何か関係あるのか……?)
周囲を見回すと、呪印は光を発していなかった。言魂も発動できた事を考えると、もう大呪法・絶対輪廻とやらはもう起動していないのだろう。
とにかく、いつまでもここにいてはいけない。守哉は忠幸を抱き寄せて立ち上がり、出口らしきドアに向かって歩き出した。
「どこへ行く?」
振り向くと、背後に白馬の姿があった。冷ややかな目でこちらを見据える白馬は、気のせいか頬が若干紅潮しているように見える。
守哉は不敵に微笑みながら答えた。
「決まってる、帰るんだよ。それより、ずいぶんと上機嫌じゃないか。あんたらしくもない」
「私は至って平静だ」
「嘘つくなよ。わかるんだよ、なんとなくな」
言いつつ、守哉は頭の中でいくつもイメージを作り出した。いつでも言魂を発動できるようにするためだ。
「それで、俺に何の用だ?もう絶対輪廻とかいうやつは終わったんだろ」
「終わってはいない。まだ、検査が残っている。被験者二号が本当に拠り代となっているかどうか調べねばならない」
「俺達の知ったこっちゃねぇよ!」
答えは言魂となり、突如部屋の中に濃い霧を発生させた。言魂で大気中の水蒸気を凝結させたのだ。
白馬の視界が塞がった隙に、守哉は身体強化の言魂を発動して忠幸を抱え、先ほど発見した出口らしきドアに向かって走った。悠長に開けている暇はない、とばかりにドアを蹴り開け、外に出る。部屋の外は放送局のスタジオのようになっていて、守哉が入ってきたのを見てそこにいた何人かの研究員が立ち上がった。
「被験者が逃げる!確保しろ!」
誰かの号令で、研究員達が突進してくる。守哉は忠幸を肩に担ぎ、突進してきた研究員の一人を蹴り倒した。たまらず倒れこんだその研究員が、他の研究員の動きを一瞬だけ鈍らせる。守哉はその隙を逃さず、言魂で再び霧を発生させると、研究員達の合間をぬって部屋から脱出した。
外は廊下だった。このビルの構造が67階と変わらないのなら、廊下の突き当たりに階段があるはずだ。勘に頼って左に走ると、すぐに突き当たりに着いた。言魂で壁の一部を破壊し、階段を発見する。
そこで肩に担いだ忠幸が声を漏らした。
「う……守哉、少し止まってくれ」
「どうした?どこか痛むのか?」
「そうじゃない……もう大丈夫だから降ろしてくれ。一人で走れる」
言われた通り、忠幸を降ろす。忠幸は一瞬よろめいたが、すぐに立ち直した。走れそうなのを確認し、守哉と共に階段を駆け下りる。
(この階段は60階までしかない……。くそ、またあの部屋を通らなきゃいけないのか?)
60階のあの部屋の光景を思い出し、一瞬、悪寒が背筋に奔る。その様子に気づいたのか、忠幸が心配そうに言った。
「おい、大丈夫なのか?」
「あ、ああ。問題ない……」
頭を振り、前方を見据える。今は余計な事を考えている暇はないのだ。
すぐに階段の終わりはきた。60階である。守哉は迷わず扉を開き、中へ足を踏み入れた。
「な、なんだこれ……!」
後ろの忠幸が驚いて声を出した。驚くのも当然だろう。できればここをもう一度通るのは避けたかったが、他に扉はない。それに、追っ手が来る前に駆け抜ければ問題はないはずだ。
顔色の悪い忠幸を引っ張り、先へと進む。しばらくして、巨大な水槽が見えた。そこに浮かぶ、小さな女の子の姿も。
「こ、この子は……!七乃ちゃんじゃないか!?」
忠幸が目を見開いて叫んだ。この子の事を知っている―――?
「おい、この子の事知ってるのか!?」
「あ、ああ……。この子は確か、3年前に事故で亡くなったんだ。赤砂御先生から少し聞いただけから、本当にそうなのかはわからないけど」
「赤砂御先生に……」
「あの人、第一発見者なんだ。実際に死体を見たのは先生とトヨバアだけらしいし、ショックも人一倍大きかったと思う。でも、まさかこんなところに七乃ちゃんがいるなんて……」
忠幸は食い入るように七乃を見つめている。しかし、今はそんな暇はない。守哉は出口を探そうと周囲を見回したが、自分達が通ってきた道以外に通り道は見当たらなかった。
守哉が内心焦っていると、突然、頭の中に七乃の声が響いた。
(―――あっち。出口はあそこだよ―――)
七乃の声に導かれるように、守哉の視線が動く。よく見れば、水槽の合間の暗がりに扉のようなものが見えた。
「さんきゅ、七乃!」
水槽の七乃に礼を言い、忠幸の手を引っ張って扉へと向かう。本当は七乃も連れて行ってやりたいが、あの状態ではどうしようもない。守哉は奥歯をかみ締めて扉を蹴破った。
部屋の外はまた白い廊下だった。再び左に向かって走ろうとして、不意に守哉は悪寒を感じ後ろに飛びのく。一瞬遅れて、銃声と共に前方の床に銃弾が突き刺さった。
「いい反応だなぁ、未鏡守哉ぁ。だが、今のはけん制だぁ。次は外してやらねぇぜぇ?」
廊下の先に一人の男が現れる。白いスーツに白衣を纏う、ぽっちゃりした中年男性。
「鯨田栄一郎……」
「また逃げるなんて、往生際が悪いってもんだぜぇ?潔くお縄につかねぇと、少々痛い目に遭ってもらうからなぁ」
拳銃を構え、にやにやと笑う栄一郎。守哉は冷や汗を垂らしながら、不敵に笑って答えた。
「上等だ。リベンジさせてもらうぜ、おっさん」
☆ ☆ ☆
白馬が実験室から出ると、研究員達が大慌てでコンピュータを操作していた。
「どうした?」
「は、白馬様!ももも申し訳ありません!被験者一号及び二号が逃亡してしまいました!」
「ならば、早くビルの非常用内壁を下ろせ。強力な呪法が施してあるから、いくら言魂でも破れんはずだ」
「そ、それが、ビルの警備システムに問題が発生しまして……!」
「なんだと?」
慌てる研究員を押しのけてコンピュータを操作すると、一部のシステムにエラーが出た。どうやら、内壁はおろか、侵入者対策用の呪法装置まで働かないらしい。
白馬が顔をしかめると、傍にいた研究員は顔を蒼白にして説明し始めた。
「さ、先ほどからずっとこの調子です。非常用内壁、ビル全体の迎撃呪法、それに一部の管理システムもまったく反応しません。どうも、呪印回路に問題があるようで……」
「呪印回路だと?」
このビル―――磐座機関本社ビルは、一部のビル管理システムと警備システムの大半を呪法で管理している。呪印回路とは、それらのシステムとコンピュータを繋いでいるものだ。これも当然ながら呪法で起動しており、これらを動かすための神力は墓場の拠り代達から吸い取って使用している。
呪法で管理されている呪印回路は、誰かが呪法に干渉しない限り問題が発生するという事はない。
つまり―――
(何者かが呪印回路に干渉している……?)
見たところ、呪印回路に異常はない。なのにも関わらず、呪印回路が機能していない。
呪印回路を作った呪法師は凄腕だ。その製作には自分も携わっていたため、この回路の優秀さは自分もよく知っている。こんな異常を起こすような代物ではないという事も。
だとすれば、答えは一つだ。
「天照大神め……」
思わず呟きが漏れる。そうだ、ヤツの仕業に違いない。まさか、天照大神の神力を用いない呪印回路にまで干渉する事ができるとは。
(縛名で縛られてなお、これほどの干渉力を持つとは。少し、甘く見ていたか)
いや、そうとは限らない。第三者がこのビルに侵入し、呪印回路に干渉している可能性もある。
白馬が思考にふけっていると、研究員の一人が近づいてきた。
「白馬様、ビルに侵入者です。現在、エレベーターで67階を目指して上昇中」
「その侵入者が呪印回路に干渉した可能性は?」
「恐らくないでしょう。防犯カメラの映像によれば、侵入者は一度休憩室に立ち寄った後、真っ直ぐにエレベーターに乗りました。不審な行動は見当たりません」
だとすれば、天照大神の妨害に間違いない。とにかく、この問題は早急に対処しなければならない。代替実験が成功した今、被験者を失うわけにはいかないのだ。
「被験者の確保には鯨田を向かわせろ。侵入者は通常の戦闘部隊を送れ」
「既に鯨田は動いています。戦闘部隊の準備は間もなく整います」
中々良い仕事をする。こいつらも、ただの役立たずではなさそうだ。
「では、引き続き業務を続けろ。宇美はどうした?」
「主任は、現在別個に戦闘部隊を編成しているようですが……」
どうやら、宇美は守哉に受けた傷の借りをどうしても返したいらしい。よほど右目を潰されたのが忘れられないのだろう。潰された原因を考えると、宇美の自業自得としかいえないのだが。
「どうなされますか?」
「構わん。どうせ、被験者を確保するまでやつの仕事はない。好きにさせておけ」
「了解しました」
そう言うと、研究員は白馬から離れていった。白馬は適当な椅子に腰を下ろし、頭上のモニターに目を向ける。ふと、モニターの一つに映った銃を向ける鯨田と対峙する守哉に目が留まり、白馬は内心ほくそ笑んだ。
(絶対輪廻が成功した今、最早我々の悲願は達成されたも同然だ。お前は少々危険だからな、首輪が外れぬ内に廃棄させてもらうぞ、鯨田)
計画の第一段階が終了した今、最早拠り代もどきに過ぎない栄一郎は必要ない。
モニターの中で不敵に笑う鯨田を見つめ、白馬は悪魔のような笑みを浮かべた。