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かみかみ  作者: 明日駆
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第48話 “最後の実験”

 磐座機関本社ビルの60階、通称F60(フロアシックス・ゼロ)。そこには、墓場(グレイブヤード)と呼ばれる特別な部屋がある。


 人が内部に浮かんだ水槽が陳列するその部屋は、見る人におぞましさを与える。社員の中には、この部屋を見た瞬間に吐いた者もいるほどだ。それほどまでに、この部屋は異界と化している。

 その部屋に、一人の男が入室した。鯨田栄一郎である。普段はTシャツにブリーフという変態じみた格好をしているが、今は白いスーツの上に白衣を纏っている。この白いスーツは、磐座機関の中では幹部クラスの証でもある。鯨田は、趣味が悪い上に支給されるわけでもないこの服を心底嫌っていた。

 迷う事なく真っ直ぐに進む。部屋の真ん中辺りに到着したところで、他の水槽よりも一際大きな水槽が栄一郎を出迎えた。水槽の中には、ところどころ身体の欠けた少女が浮かんでいる。


「……よぉ。今週も来てやったぜ、感謝しろよぉ」


 優しく問いかける。しかし、当然ながら返事はない。

 この少女が口をきけなくなったのは、今から3年ほど前の事だ。島で事故に逢い、何者かによって仮死状態にされ、この島に運び込まれた……と、聞いている。そして、あの忌まわしき実験の被験者にされたのだ。自分と共に。

 実験の結果、自分の輪廻は乱され、力を使うたびに身体のどこかに過負荷がかかるようになってしまった。この子に比べればまだマシだが、それにしたって今の身体は生き地獄のようなものだ。

 ただ、完全に実験は失敗だったわけではないらしく、自分は不完全な拠り代にされてしまったらしい。拠り代としての力を残しつつも、神和ぎもどきとしての特性もあわせ持つ存在。それが、今の自分だ。


「みっともねぇよなぁ、俺はよぉ。笑ってくれてもいいんだぜぇ?」


 力なく呟く。どうしても自嘲気味になってしまう。この子の前では。

 救いたい人がいた。その人のために、白馬に協力した。白馬の理想は、神奈備島の不思議を見てきた自分にとっては、これ以上ないほど甘美に見えたのだ。

 しかし、結果は散々だ。七乃どころか、七子まで巻き添えにしてしまった。更に、今もまた一人、罪無き少年を巻き添えにしようとしている。

 せめてもの罪滅ぼしとして、七子と七瀬の手紙を運んでいたが……最早、そんな事で償えるほど小さな罪ではなくなってしまった。

 どうすれば償えるかはわからない。どうせ、自分は白馬に縛られている身だ。できる方法など限られている。

 だが、希望はある。たった一つだけ、ある。


「でもよぉ……どんなにみっともなくてもよぉ、誰かのためなら頑張れるよなぁ。どんなに無様でも、頑張れるよなぁ」


 そうだ。自分は無様だ。自分だけではない、罪悪感に駆られて宇美の人形になった七子も、知らない事の幸せを放棄してこの島に来たあの少年も。皆、無様だ。


 しかし……いや、だからこそ、自分は賭けるのだ。この命を、あの子達に。


「悪いけどよぉ、これからの俺達をさぁ、見守っていてくれねぇか。たぶん、酷く格好悪いかもしれねぇけどよぉ……最後まで、見ていてくれねぇかぁ」


 返事はない。しかし―――どこか意識の奥底で、小さな女の子の声が聞こえた気がした。


 ご褒美は?と。


 ちゃっかりしてんなぁ、と言いながら笑う。この子なりの気遣いを無駄にしないために、心底楽しそうに笑う。

 ひとしきり笑い終えて、栄一郎は腹を抱えながら言った。


「ヒヒヒ……ああ、いいぜぇ。全部終わったら、そうだなぁ……あいつを、守哉っていうやつを、お前にくれてやるよぉ。それから先はお前の好きにしなぁ。でもまぁ、いざとなった時はな、きちんとリードしてもらえよぉ。優しくしてって、言っとけよぉ」


 どこからか怒ったような声が聞こえた。それを聞いて、更に笑う。笑って笑って―――目からこぼれる涙を誤魔化すように、笑い続ける。

 そして、笑いすぎで腹がよじれきったところで、栄一郎は、ある人にしか見せた事のない、とても優しい笑みを、浮かべた。


「悪いなぁ。じゃぁ、頼んだぜぇ。じいちゃんの我がままを聞いてくれて、ありがとなぁ」


 その言葉を最後に、栄一郎は少女の水槽に背を向けた。


 部屋から出る直前、少女の泣き声が聞こえたような、そんな気がした。



  ☆ ☆ ☆



 走る。


 ただひたすらに、走る。守哉のいる場所に。島で一番大きなビルに。


「……はぁ、はぁ、はぁ―――」


 一瞬だけ後ろを振り返ると、七子と七美が必死に付いてきていた。二人共自分よりも年上なのに、自分よりもずっと走るのが遅い。それが、もどかしくて仕方がなかった。


「……はぁ、はぁ、はぁ―――」


 息が荒い。しかし、この息は一定のリズムを保っている。後ろの二人はゼイゼイいってるけれど、自分はそうはならない。これも訓練のおかげだ。トヨには感謝しなければならないだろう。


「……はぁ、はぁ、はぁ―――」


 長い、長い上り坂を駆け上る。後ろの二人は疲れ切っているようだが、最早構っている暇はない。

 守哉に近づいている。自分が駆けるたびに、少しずつ、少しずつ、近づいている。そう考えると、いくらでも走れる気がした。いつだって、守哉は自分に勇気をくれる。それが、嬉しくてたまらない。今の自分があるのは、他でもない守哉のおかげだと、自分はよく知っている。


「……はぁ、はぁ、はぁ―――」


 その想いが、警鐘を鳴らしている。胸の奥にある嫌な予感は、否応なしに今の自分を駆り立てる。大切な人の下へ。大切な人の下へと、自分の足を走らせる。


「……はぁ、はぁ、はぁ―――」


 駆ける。駆ける。駆け抜ける―――そして、不意に顔を上げる。


 ビルが、見えた!


「……待ってて、かみや……!」


 呟きは力となり、少女を動かす原動力となる。

 何も事情を知らぬまま、しかし少女は心で少年の運命を見抜いていた。


 そして少女は、監獄へと足を踏み入れた。



  ☆ ☆ ☆



 誰かに呼ばれた気がして、守哉は目を覚ました。


 しかし、完全に目が覚めたわけではない。まぶたは重く、開く気配を見せぬまま、ただ守哉の目に暗闇だけを映している。


(ここはどこだ……?)


 今の自分の状況を知ろうとしても、目は見えず、身体を動かす事もできない。ただ、どうも今自分がいる部屋はとても明るいという事だけはわかった。前にもこんな事があった気がして、それがついさっきの事だとわかり心の中で苦笑する。どうも、相変わらず自分は磐座機関本社ビルの中にいるらしい。


「状況を報告せよ」


 不意に、誰かの声が聞こえた。どうやら五感のうち、聴覚だけは戻っているらしい。貴重な情報を聞き逃すまいと耳に意識を集中した。


「呪法領域安定。神力注入度、90%を超えました。ボーダーライン突破ありません」

「被験者一号、状態極めて良好。現在、意識の一部が回復しているようですが、実験に差し支えありません」

「呪印起動。最終信号送信完了。大呪法・絶対輪廻(ぜったいりんね)、発動スタンバイOK」


 淡々とした声が辺りから聞こえてくる。内容もさっぱり理解できない。自分の身に何が起こっているのかまったくわからない事が、こんなにも不安なのだと守哉は知った。


「被験者二号、到着しました。現在こちらへ移送中、到着まであと3分」

「いいだろう」


 今の声には聞き覚えがある。この感情のこもっていない、冷め切った声は……白馬だ。

 それにしても、先ほどの言葉を吟味すると―――どうやら、被験者一号とやらは自分の事なのではないだろうか。意識の一部が回復、とか言ってたし。だとすると、今運ばれてるとかいう被験者二号というのは誰の事なのだろうか。

 いまいち回らない頭を駆使して守哉が物思いにふけっていると、再び白馬の声が聞こえてきた。


「諸君」


 芝居がかっているようで、そうでもない淡々とした声。何かを宣言しようとしている事だけは、なんとなくわかった。


「今回の実験はただの実験ではない。今、そこで寝ているのは、正真正銘の神和ぎだ。我々の目標であり、夢である神和ぎだ!」


 白馬が大声を出す、というのはちょっとした事件のような気がする。相変わらず感情がこもっていないというか、若干棒読みっぽいけど。


「失敗は許されない。許されるわけがない!しかし、我々はこの日のために研究に研究を重ねてきた。その結果、実験の結果は遺伝子に左右される事が判明した!」


 どんどん白馬の声は大きくなっていく。かなりの大音量で喋っているため、とてもうるさい。


「そして、今、ここに寝ているのは、他でもない未鏡の血を引く人間だ!そして、今、到着した被験者二号は、僅かながら神代の血を引いている!これで成功しないわけがあるものか!」


 ふと、少しずつまぶたが軽くなっているのを感じた。何か、重くのしかかっていたものが離れていったような感じ。


「今、これをもって計画の第一段階を終了とする!呪法発動準備!」


 少しずつ、少しずつ視界が戻ってくる。最初に見えたのは白い空間。次に見えたのは、自分よりも少し離れた位置にある、誰かの姿。今は視界がはっきりとしていないため、それが誰かはわからない。

 あれ?どこかで見た事があるような―――


「大呪法、絶対輪廻―――発動!」


 周囲の気配が変化する。何かが自分を包み込む前に、守哉の視界は完全に開けた。


(え……なんで……!?)


 そこで守哉が見たものは、手足を縛られて横たわる忠幸の姿だった。

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