第3話 “神代の女”
目を覚ますと、板張りの天井が見えた。
和室だ。一面畳張りで、開かれた障子から広い和風庭園が見える。枕元には桶が置いてあり、中にはお湯が満たされていた。額の上に生暖かい感触を感じて手を伸ばすと、そこには丁寧に折りたたまれた手ぬぐいがのせられていた。
手ぬぐいをどけて身体を起こす。目をこすりながら守哉は呟いた。
「……どこだ、ここ」
ゆっくりと辺りを見回す。寝かされていた和室はかなり広く、旅館の宴会場ほどもある。守哉はその真ん中に寝かされていた。まるで、誰かに置き去りにされたような感じだ。もう少し小さな部屋はなかったのだろうか。
頭を掻きながら立ち上がる。そこで、この部屋に自分以外の人間がいた事に初めて気がついた。
(女の子……?)
歳は、自分より一つか二つ下くらいだろうか。白いワンピースに身を包んだその少女は、透き通るような美しい水色の髪を肩まで届くツインテールにしている。癖っ毛があるのか、かなりぼさぼさに見えた。大きな青い瞳を眠たげに半開きにし、うずくまって一心不乱に何かを作っている。木の枝と輪ゴムを使った少女の作品は、形こそ歪だったが、鳥居のように見えた。
何かしているようだし、関わらないでおこうかとも思ったが、看病してくれたのは少女のようである。お礼くらいは言わねばなるまい。
「なあ、何作ってるんだ?」
守哉が近づいて話しかけても、少女は何も答えなかった。相当作業に集中しているらしい。
仕方なく、少女の肩に手を伸ばす。
「なあってば」
「!!!」
守哉が少女の左肩に手を置いた瞬間、少女の身体がビクッと跳ねた。そのまま、恐る恐るこちらへ顔を向ける。
不安げな顔で守哉を見上げる少女に、ばつの悪そうな顔で守哉は答えた。
「ごめん。作業の邪魔だったかな」
「……あ……の」
「俺、未鏡守哉。君は?」
「……ななせ。神代、七瀬」
ぷいっ、と顔をそむける七瀬。嫌われたかと思った守哉だが、どうやら恥ずかしがっているだけのようだった。
「なあ、何作ってるんだ?鳥居みたいな形してるけど」
「……うん。鳥居……」
「ふぅん……。でも、そんなに鳥居作って何する気だ?」
七瀬の近くには、七瀬が作ったと思われる小さな鳥居が山高く積み上げられていた。七瀬はあまり器用じゃないのか、形に統一性がない。
「……呪法に使うの」
「呪法?なんだそりゃ」
「……道具と呪詛を使って発動する、人工神通力のこと。これは、鳥居倒しに使うの」
わけがわからない。守哉は渋い顔で質問した。
「神通力?鳥居倒し?」
「……神通力は、超能力みたいなもの。道具や呪詛を用いる神通力を人工神通力って言って、それを呪法って呼ぶの。逆に、道具や呪詛を用いない神通力を自然神通力って言って、発動方法によって呼び方が変わってくるの。鳥居倒しは、呪法を発動する為の発動方式の一つなの」
「……さいですか」
「……鳥居倒しは、鳥居を連続して並べて、呪詛を詠みながら鳥居を倒す事で呪法を発動するの。ドミノみたいなものだよ。鳥居は、神奈備島古事録において、常世と現世を区別する為の結界、つまり壁として作られたもので、同時に二つの世界を繋げる門でもあるの。その鳥居を模したものを倒すという事は、壁を取り除き世界を一つにする、または門を壊す事で二つの世界を切り離し互いを拒絶しあう、という意味を持つの。だから、鳥居倒しで発動できる呪法は、空間と空間を繋げる呪法か、あらゆる敵性干渉を拒絶する呪法だけなの。おばあちゃんは、敵を攻撃する呪法が発動できないからって言って鳥居倒しを使わないけど、私は好き。だって、鳥居が連鎖して倒れていくのがとっても綺麗なんだもの」
すらすらと楽しそうに説明する七瀬。守哉は七瀬の話に聞き入っていたが、よく理解できなかった。守哉がぽかんとしていると、その顔を見た七瀬は突然慌てだした。
「……ご、ごめんなさい。こんな事聞いてもよくわからないよね……」
やってしまった、という顔で頭を下げる七瀬。突然落ち込んだ七瀬に、今度は守哉が慌てだす。
「あ、いや、そんな事ないぜ?君の説明はわかりやすかったし、理解できないのは俺の頭が悪いからであって、君のせいじゃないし……」
慌てながら守哉がフォローするが、七瀬は落ち込むばかり。言ってから多少冷静さを取り戻した守哉はどうしたものかと考え、強引に話題を変える事にした。
「そうだ!俺を看病してくれたのは君だろ?」
「……う、うん……。おばあちゃんに言われて……」
「そっか~。ありがとな、おかげで元気になったよ」
にひっ、と笑う守哉。はたから見ると多少気持ち悪い笑顔だった。
「……べ、べつに……お礼を言われるほどのことじゃ……。お、おばあちゃんに言われてやっただけだから……」
「そんなの関係ねぇよ。看病してくれたのは君に変わりないんだろ?だから、ありがとう」
七瀬の顔が真っ赤に染まる。七瀬はぼそぼそと小さな声で答えた。
「……ほ、ほんとに……いいから……」
「それに、よく理解できなかったけど、さっきの話、結構聞いてて楽しかったぜ?できればゆっくり話してくれよ。君がよければだけど……」
「……ほ、ほんとに?ほんとに、楽しかった?」
「ああ。できれば、実際に見てみたいな。よかったら見せてくれないか?」
七瀬は、少し困った顔になって答えた。
「……今は、無理。逢う魔ヶ時じゃないと……」
「逢う魔ヶ時って何?」
「……午後6時から7時の間の時間帯のこと。開闢門が開き、天照大神の神力が最も強まる時間帯で、普通はこの時間帯でしか呪法は発動できないの。この時間帯以外でも使おうと思えば使えるけど、神力の消費が激しくなるから……。魔刃剣とかとは別だけど……」
「魔刃剣……って、氷鮫の事か?」
「……ひさめ?」
不思議そうに首をかしげる七瀬。その可愛らしい仕草に、守哉は不覚にもドキッとしてしまう。
「し、知らないのか?魔刃剣の名前だよ」
「名前……え、じゃ、じゃあ、あなたは神和ぎなの……?」
「神和ぎ?あー……もう、わけわかんねぇよ。一から説明してくんない?」
「それはわしが説明してやろう」
質問に答える別の声。驚いて振り向くと、いつの間にか廊下に一人の老婆が立っていた。
薄い水色のつなぎに身を包み、頭には紫のバンダナを巻いている。両手を曲がった腰の後ろに回し、口をへの字に曲げてこちらを睨んでいる。
第一印象は、頑固そうな婆さん―――といった感じだ。
「元気そうでなによりじゃ。わしの孫娘を口説けるくらいには回復したようじゃの」
その言葉に七瀬は顔を真っ赤にして守哉を見上げる。口説いてたの?と言いたげな顔だ。
守哉は慌てて訂正した。
「ち、違う!普通に話してただけだ!」
「フン。よく言うわい。慌てながら釈明しても説得力がないわ。言っておくが、孫娘はやらんからの」
「だから違うって!」
守哉の言葉に聞く耳持たず、老婆は守哉の前で正座すると、神妙な顔つきで守哉に問いかけた。
「お主、何故昨日学校におった?」
「え……昨日って事は、もう丸一日経っちまってるのか?」
驚く守哉。どうりでお腹が空いてると思った、と呟く。
「やばい、早く寮に帰らないと」
「優衣子にはもう連絡をしておる。心配する必要はない」
「そ、そうなのか?よかった……」
「よくないわい。さっさと質問に答えんかい。何故昨日学校におったのじゃ?」
「何故って……そりゃ」
神様に誘われて、と言おうとして思いとどまる。よく考えてみれば、あんな出来事を他人に話して信じてもらえるのだろうか?頭の痛いヤツだと思われるかもしれない。いや、そもそもこの島に来てからというもの、得体の知れない体験ばかりしている。もしかしたら、この島では日常茶飯事なのかもしれない。
守哉が自分の体験を話すべきかどうか思い悩んでいると、じれた老婆がいきなり大声を出した。
「はよぅ話さんかっ!!!」
「わ、わかってるよっ」
その剣幕に恐れおののいた守哉は、昨日の出来事をすらすらと語った。
一通り話し終えると、老婆は大きなため息をついてなにやらとても嫌そうな顔をし、
「神の気まぐれか……。まったく、よりにもよって最後の神和ぎに外の人間を選ぶとは……」
「なあ、いい加減事情を説明してくれないか?この島は一体なんなんだよ」
守哉の言葉に、老婆は再びため息をつくと、再び神妙な顔つきになって語りだした。
「この島……神奈備島はな、遥か昔、ある高位の神様が封印された、いわば神様の牢獄なんじゃ」
「はぁ」
気の抜けた声で答える守哉。
「その影響で、この島には神力という神々の力が満ち溢れておる。わしら島の住人は、この神力を体内に取り込んでおるのじゃ。おぬし、この島に来た時、島の住人が見えんかったじゃろ?」
「ああ。気配さえ感じなかったから、すっげぇ不気味だった」
「それは、お主が神力を持っていなかったからじゃ。この島の神力を持っている者は、神力を持たぬ者の目に映らぬ上、気配さえ感じ取る事ができなくなる。今おぬしにわしらを見る事ができるのは、神力を取り込んだからじゃ。普通神力は、午前0時を神奈備島で迎える事で自動的に体内に取り込まれるのじゃ。おぬしは例外のようじゃがな」
「ふ~ん。じゃあ、俺に神さびが見えなかったのも、その神力がなかったからなんだな?」
「うむ。……問題はその事じゃ。おぬし、神様から力をもらったと、そう言ったな?」
「まぁな。魔刃剣ってやつだけど」
「おぬしが神様から頂いた力は魔刃剣だけではない。おぬしはな、神さびと戦う使命と、この島を統べる力を与えられたのじゃ」
「神さびと戦えとは昨日言われたけど……島を滑る力って?スケートかなんか?」
老婆は呆れ顔になって答えた。
「滑るではない、統べるじゃ。統率、支配するという意味じゃの。まあその力に関してはおいおい説明するが……今は、おぬしにこの島を守る気があるかどうかの方が問題なんじゃ」
突然鋭い目つきになって守哉を睨む老婆。守哉の額に冷や汗が流れる。とてつもなく嫌な予感がした。
「おぬし、この島を神和ぎとして守る気があるか?」
「また選択肢かよ……。守る気ないって言ったらどうなるの?」
「死んでもらう」
「そのリアクション飽きたよ……なんちゃって。はいはい、守りますよ。守ればいいんだろ」
半ばやけくそ気味に言う守哉。やるか死ぬかの二択なら、やるしかないだろう。やっても死ぬ可能性はあるが。
「投げやりじゃのう。守るという意味がわかって言っておるのか?」
「神さびと戦えっていう事だろ?あの怪物くんとさ」
「その通り。じゃが、敵は神さびだけではない。おぬしが戦わなければならぬ敵は、大きく分けて三つじゃ。一つは、神さび。一つは、荒霊。そして、人間」
守哉は驚いて老婆を見つめる。一瞬冗談かと思ったが、老婆の目は本気だった。
「人間って……戦争じゃあるまいし」
「安心せい、人間と戦うのは極稀じゃ。そもそも、今まで人間と戦った神和ぎはほとんどいないがの。とりあえずは、おぬしは神さびと荒霊にだけ気をつけておればよい」
「そっか……って、荒霊ってなんだよ」
「こちらも戦うのは稀じゃ。今は詳しく知る必要はあるまい」
荒霊とやらがなんなのかは気になるが、今説明されても覚えきれる自信はない。というか、そもそも一番肝心な事を聞いていない。
「つか、あんた誰」
「それが人に名前を問う態度か、たわけ。……まあいい。わしゃ神代トヨ。神奈備島島民会の会長にして、九十九代目神和ぎを務めておった者。普段は見ての通り島の清掃業をしておる」
「掃除のおばさんならぬ掃除のクソババアってところか」
「おぬしは老人を労わる心を知らんのか?無礼者のクソガキめ」
「あいにく、育て親がろくなやつじゃなかったもんでね。俺の名前は―――」
「言わんでも存じておる。優衣子からおぬしの事情は大体聞いたからのう。ともかく、明日からおぬしには百代目神和ぎとして働いてもらうぞい」
そう言うと、話は終わりと言わんばかりに立ち上がって出て行こうとするトヨ。守哉は慌てて呼び止めた。
「ま、待てよ。明日からって、今日はどうすればいいんだ?」
守哉に呼び止められたトヨは、嫌そうな顔で振り返って答えた。
「寮に帰って暇を潰しておれ。今週はもう神さびは来ないじゃろうからのう。明日から神和ぎとしての訓練をおぬしに施す。詳細は追って連絡しよう。七瀬、見送りはせんでいいからの」
そう言い残すと、トヨはさっさとどこかへ行ってしまった。
ふと七瀬の方を盗み見ると、いつの間にやら、再び鳥居作りに没頭していた。
壁にかけられていた時計を見ると、時刻は午前10時30分だった。トヨには帰れと言われたが、帰っても特にやる事がない。さてどうしたものかと腕を組んで考える。今から帰っても、優衣子は事情を知っているだろうし、たぶん怒られはしないだろう。勝手に出歩いたことは……まぁ、何か言われるかもしれないが、それならいつ帰っても大して変わるまい。ならば、暇を潰す為に外で遊んでいても問題はない。しかし、外で遊んだとしても―――遊ぶといっても散歩ぐらいしかやる事がないが―――昨日みたいな事に巻き込まれるのはごめんである。暇潰しというのは難しいものだ。昼寝しようにもさっきまで眠っていたので眠気はこないし、遊び道具など何も持っていない。
散々思い悩んだ挙句、試しに七瀬を遊びに誘ってみる事にした。
「なあ、一緒になんかしようぜ」
「………」
七瀬は無言だった。相変わらず一心不乱に鳥居を作っている。邪魔しちゃ悪いか、と思い寮に帰ろうとする……が、不意にいい事を思いついた、という風な顔で再び七瀬に話しかける。
「そうだ!俺にもその鳥居、作らせてくれよ」
「……え?」
はたして、今度はきちんと反応した七瀬は、ちょっと驚いた顔で守哉を見上げてきた。
「今から寮に帰っても暇なんだよ。昼飯の時間までまだ大分あるし、だったら俺にも鳥居作りを手伝わせてくれ」
「……でも、面白くないよ」
「面白いかどうかは関係ないさ、どうせ暇なんだから。あ、それとも俺が手伝ったら迷惑か?」
ぶんぶんと顔を振る七瀬。迷惑じゃない、という事だろう。
七瀬の隣に座り込んだ守哉は、鳥居の材料であろう木の枝と輪ゴムを手に取り、
「よかった。んじゃ、作り方を教えてくれよ」
「……ホントに作るの?」
意外そうな顔で守哉を見る七瀬。
「ダメか?」
「……う、ううん。いいよ」
「なら、作り方、教えてくれるか?」
にひっと笑う守哉。相変わらず変な笑顔だった。どうも、守哉は気の許せる相手にはこの笑顔を見せるらしかったが、守哉の端整な顔立ちにはかなり不釣合いで、正直少し気持ち悪かった。
その守哉の笑顔を七瀬は特に気にしなかったのか、くすっ、と笑うと、か細い声で承諾した。
☆ ☆ ☆
時間が過ぎるのは早いもので、守哉と七瀬が鳥居作りに没頭していると、ご~ん、ご~んと壁にかけられた時計が鳴り出した。その音に時計を見上げると、時計は12時を指している。
「もうこんな時間か。そろそろ帰るかな」
そう言うと、ちょうど出来上がった鳥居を置いて立ち上がった。
「……もう、帰っちゃうの?」
寂しそうな顔で守哉を見上げる七瀬。その小動物のような可愛らしさに、守哉は少しドキッとしてしまう。いかんいかん、俺はロリコンじゃないんだから、と心の中で自分に言い聞かせる。
「腹が減ったからな。昨日は夕飯食べれなかったし、昼飯抜くわけにはいかないよ」
今日の朝飯も食ってないしな、と守哉は笑った。七瀬は、ぽん、と手を叩き、
「……お昼ごはん、食べていくといいよ」
「え、いいのか?」
「……うん。たいしたものは作れないけど……」
「いや、食えるならなんでも―――あ、でも待てよ。ババアに帰ってなかった事がばれると面倒だな……」
神妙な顔つきで呟く。七瀬はくすっと笑いながら言った。
「……お婆ちゃん、昼間はお仕事でいないから」
という事は、どうやら昼飯を作るのは七瀬らしい。ちょっと守哉は意外に思った。こんな若いのに、もう料理ができるのか。感心し、うんうんと頷く。若いくせにちょっと爺さんっぽい仕草であった。
「それなら、お言葉に甘えるとしようかな」
二人は台所へ移動した。七瀬はさっきの部屋で待っててもいいよ、と言ったが、守哉は七瀬が料理しているところが見たかったので、ついていく事にした。
台所はそれなりに広かった。最新の調理器具こそないものの、古めかしい調理器具の数々には興味を惹かれる。一応、多少ながら料理の心得はあるので、手伝おうかと言ってみたが、お客さんに手伝わせるわけにはいかないと言われ、断られた。仕方なしに守哉は椅子に座り、古めかしいエプロンをつけて調理を始めた七瀬を見守る事にする。
てきぱきと料理する七瀬。ぱっと見何を作っているのかはわからなかったが、どうやら塩焼き魚と味噌汁を作っているらしい。時折七瀬は守哉を盗み見たが、その度に守哉と目が合って慌てて目を逸らしていた。
(可愛いねぇ……うんうん)
なんとも可愛らしいその仕草に、七瀬を生暖かく見守る。自分が孫を見るじじいのようになっていることには、残念ながら気づいていない守哉だった。
しばらくして、料理が出来上がり二人で食卓に運んだ。
「いただきま~す」
「……いただきます」
黙々と食べ始める二人。とにかくお腹が空いていたので、がつがつと食べるのに熱中する。守哉も多少は料理ができるが、七瀬の料理は絶品で、自分が作るよりも遥かに美味い。ちょっぴり悔しくなる守哉であった。
「……美味しい?」
恐る恐る七瀬が聞いてくる。口をもぐもぐ動かしながらにひっと笑うと、めちゃくちゃ美味いぜ、と答えた。守哉の答えに胸を撫で下ろした七瀬は、しばらく守哉の食事を見守った。
それ以外にこれといって会話もなく、食事終了。さすがに後片付けは手伝わせてもらえなかった。
「ふぅ……満腹満腹。いや~美味かった。君、料理うまいんだな~!」
七瀬が出してくれたお茶をぐいっと飲み干しながら言う。予想以上に美味かった七瀬の料理にご機嫌で、椅子をゆりかごのように揺らしていた。守哉は、満腹になったお腹をさすりながら饒舌に七瀬の料理のどこが美味いかを具体的にぺらぺらと説明した。あんまり守哉が七瀬の料理を褒めちぎるものだから七瀬は照れて照れて照れまくっていた。そ、そんなことないよ、とか細い声で答えながら、もじもじと膝の上で指をこねくりまわしている。
そうして、また時間が過ぎた。
「ありゃ、もうこんな時間か。そろそろ帰るかな」
壁にかけられていた時計を見ると、もう3時になっていた。1時間以上も時間を忘れて七瀬を褒めていたらしい。妙に熱中しちゃったなぁ~と守哉は思いながら立ち上がった。
「……帰っちゃうの?」
寂しそうな顔で守哉を見る七瀬。一瞬、まだ居ようかな、と考えたが、いい加減寮に帰らなければ優衣子が心配するかもしれない、と考えて帰る事にする。
その旨を守哉が伝えると、七瀬は少し寂しそうな顔で頷き、わかった、と答えた。
七瀬に案内してもらい、玄関にたどり着く。そこにはデフォルメのくまが描かれた水色の可愛らしいサンダルと、汚れてはいるが臭くはないスニーカーが並べられていた。当然ながらスニーカーは守哉のものである。
手早くスニーカーをはいて外に出る。外は明るく、絶好の洗濯日和だった。
「じゃあな。飯、美味かったよ」
「……よ、よかったら、また食べに来てね」
「いいのか?」
「……う、うん」
「そんじゃ、また今度遊びに来るよ。色々教えてほしい事もあるからな。そんじゃ、またな。神代さん」
守哉が七瀬を苗字で呼ぶと、七瀬は顔をほんのり赤くして答えた。
「……ななせでいいよ」
「へ?」
「……そ、その代わり、かみやって呼んでいい?」
少し必死になって言う七瀬。守哉はにひっと笑って答えた。
「いいぜ。じゃあ、またな。七瀬」
そう言って、扉を閉める。いい子だなぁ、と思った。
敷地を出て七瀬の家を改めて眺めると、かなり大きい事がわかった。
「また来いって言われても、来づらいよなぁ。ま、もしかしたら学校で会うかもしれないし、その時にでも約束すればいいか」
そう呟くと、寮に向かって歩き出す守哉。よく見ると、七瀬の家は学校のすぐ隣にあった。目の前には小さな畑が広がっており、数々の野菜が栽培されていた。一つもらっていこうかと考えたが、七瀬に悪いと思ったのでやめた。
明日はどんな不思議体験をするのやら、と思いつつ、守哉は寮に帰るのであった。