第42話 “予感”
「鯨田栄一郎……!?」
守哉の声に、栄一郎はこちらへ顔を向ける。守哉に気づいた栄一郎は、大きく目を開いて手を振った。
「おお!?お前、未鏡守哉じゃねぇかぁ!ひっさしぶりだなぁ!」
守哉は栄一郎の方へ駆け寄ろうとして、右足に激痛を感じてその場にうずくまった。
「うっ……」
「……かみや!?」
咄嗟に七瀬が寄り添ってくる。大丈夫だ、と言って優しく七瀬の身体を押しのけ、ゆっくりと立ち上がる。不意に、栄一郎が険しい顔で守哉の右足を見つめている事に気づいた。
栄一郎は守哉に近寄ると、しゃがみこんで守哉の右足のふくらはぎを押さえてきた。瞬間、凄まじい激痛に襲われ、守哉は栄一郎の手を振りほどこうとして栄一郎の顔面を蹴り飛ばしてしまう。
「いでぇ!!」
「あ、悪い……って、何すんだよ!いきなり触ってくんなよ!」
「いやぁ、すまねぇすまねぇ。でもよぉ、そこまで痛がるたぁ思ってなかったぜぇ」
悪びれもなく栄一郎はへらへら笑いながら立ち上がった。守哉がそれを不快そうな顔で見ていると、七瀬達の姉―――七子と呼ばれていた―――が、七美と忠幸を伴って近寄ってきた。
「ちょっと、何してるのよ、鯨田」
「ちょいと気になる事があってなぁ。いやぁ、まいったまいったぁ」
「不用意な真似はしない方がいいわよ。あんた、ただでさえ目つけられてるんだから」
「誰のせいだよ、誰のぉ。大体、俺がしなくてもお前がしてただろうがぁ」
「……まぁ、そうだけど」
まったく話が見えない。守哉達が自分達を見つめているのに気づいたのか、そこで七子は会話を止めた。にっこりと微笑みながら守哉に目を向ける。
「あなたが未鏡守哉君ね?初めまして。私は神代七子。七瀬と七美の姉よ」
「あ……はい。初めまして。でも、どうして俺の名前を?」
「あなたの事は七瀬から聞いているわ。七瀬とお友達になってくれたようね。姉としてとても嬉しいわ」
にっこりと微笑み、優衣子が告げる。何故か七瀬は不思議そうに首をかしげていた。
優衣子は七美と忠幸にも目を向けると、首をかしげて問いかけた。
「それよりも、どうしてこの島へ?」
「服を買いに来たんです。今着てるやつがボロボロになっちまって」
「ふぅん。他の子は?」
「私達はただの付き添い。そのついでに観光ってとこかな」
守哉と七美が答えると、そう、とだけ言って七子は栄一郎に目を向けた。
「あんた、まだいたの?」
「……へいへい。邪魔者は退散しますよぉ」
「後で話があるから」
「それもわかってらぁ。どうせ後で報告やらなんやらで忙しくなるだろぉし、今のうちに遊んでおけよぉ?神代ぉ」
「わかってるわよ。それより、さっさとどっか行きなさい。あんたがいると臭いのよ」
「ひでぇなぁ。わかってるっつーのぉ」
呆れ顔でそう言うと、栄一郎は魚屋へ引き返す。魚屋へ入る直前、不意に栄一郎は振り返って守哉の方を見ると、不敵な笑みを浮かべて、言った。
「……バカが。ずっと神奈備島にいりゃぁ、知らずに済んだものを」
瞬間、言い知れない悪寒が守哉の背筋に奔った。
―――知らずに済んだ―――?一体、何を?
ぱん、という音で現実に引き戻される。
見ると、七子が守哉の目の前で両手を合わせていた。
「大丈夫?あの男の言葉なんて気にしないでいいわよ。それよりも、皆、お昼ごはんまだでしょ?積もる話もある事だし、どこかおいしい店にでも入らない?」
七子のその提案を断る者はいなかった。自然、七子に誘導される形で移動する。
ふと、守哉は七瀬が不思議そうな顔で七子の背を見つめている事に気づいた。
「どうした?」
「……なんで、知ってたのかな」
「知ってたって……七子さんが?何を?」
「……かみやの名前。わたし、おねえちゃん宛てに書いた手紙にはかみやの名前を書いてなかったのに」
「俺は神和ぎだし……それで知ってたんじゃないか?」
「……そうなのかな」
納得しきれていないのか、不思議そうに首をかしげる七瀬。
それを見て、守哉も何か引っかかるものを感じた。
☆ ☆ ☆
南大通りへ移動した守哉達は、適当なファミレスを見つけて中へ入った。
四人がけの禁煙席に七瀬と七美が七子を挟むように座り、向かい側に守哉と忠幸が座った。
「さぁ~て、今日はお姉ちゃんが奢ってあげるから、何でも好きなものを頼んでいいわよ!」
七子のその言葉に小躍りする七美と忠幸。調子に乗った忠幸がひたすら七子を褒め始め、七美がそれに突っ込みを入れている。
守哉は窓の外へ目を向けた。南大通りはホテルや旅館などの宿泊施設が並んでいる。守哉達の泊まるホテルも南大通りにあり、それを考えて南大通りに来たのである。
それにしても、神奈裸備島は神奈備島と違いすぎる。二つの島は繋がっているというのに、ここまで文明の差があるのはおかしいのではないだろうか。神奈裸備島で生産された物が神奈備島に持ち込まれれば、神奈備島ももう少し豊かになるのではないか。
そう思い七子に質問してみると、
「それはね、神奈備島はこれ以上発展する必要がないからよ」
「発展する必要がない……?どういう事だ?」
「そのままの意味よ。あまりこの事を島の人間に教える事はできないから、詳しくは説明できないの。ごめんね」
にっこりと微笑む七子。これ以上話す気はない、とその表情が語っていた。
どうもしっくりこない。少し調べてみるかな、と守哉が思っていると、横に座っていた忠幸がメニューを差し出してきた。どうも、料理を決めていないのは自分だけのようである。
「早く選べよ、守哉。これなんかお勧めだぜ」
そう言って忠幸が指差したのは何故かキャベツの千切り(大盛り)だった。
「……俺、ベジタリアンじゃないんだけど」
「おっと、悪い悪い。これじゃない、こっちだ。ハンバーグ定食」
「んじゃそれでいいや。つか、顔ちけぇよ、忠幸」
必要以上に接近していた忠幸を押しのける。忠幸は悪い悪い、と言いながら笑っている。それを七瀬がこめかみに青筋を立たせて睨みつけていた。七美と七子は世間話に熱中している。
不意に、七子の携帯電話が鳴った。白衣のポケットから携帯電話を取り出すと、ちょっとごめんね、と一言断って席を立つ。そのまま化粧室へ向かった。
七子がいなくなり、忠幸達はこれからどうするかを話し合い始めた。買い物を続けるか、それとも一度ホテルへ行くか。わいわいと楽しそうに話す三人を見ながら、守哉は化粧室へ入ろうとしていた七子を見た。
七子は、険しい表情で携帯電話の画面を睨みつけ、乱暴な手つきで化粧室へと入っていった。
☆ ☆ ☆
化粧室の扉を乱暴に閉め、七子は携帯電話の通話ボタンを押した。
「神代です」
『今、大丈夫かしら?』
「……拓羅主任ですか。何かあったんですか?」
『何かあったのはそっちでしょう?ついさっき、鯨田から報告を受けたわ。エージェントE78に接触したそうね』
「ええ。それが?」
『今からエージェントE78を研究所へ連れて来てほしいんだけど』
「……私、今日はオフなんですけど」
『命令よ。連れて来なさい』
七子はしばらく思案すると、
「できません。今、エージェントE78だけを連れ出せば、付き添いの子供達が不審がります」
『たかが子供でしょう。気にする事はないわ』
「いいえ、できません。少なくとも、今日は」
『今日連れて来れない理由でもあるの?』
七子は額に浮かんだ汗をハンカチでふき取って続けた。
「……先日の情報受信により、エージェントの身体的負担が予想以上に高まっています。加えて、エージェントはバスによる長時間の移動と歩行により疲労が蓄積し、身体能力が若干低下しているようです。これでは、アンテナの回収作業に耐え切れないかもしれません」
『それでエージェントが壊れても代わりはいるわ』
「拠り代の代替実験は成功した試しがありません。今、エージェントを失うのは危険です」
『だから、それをするためにエージェントを呼ぶんじゃないの』
その言葉に、七子は驚愕した。代替実験を行う?相手は神和ぎもどきではない、正真正銘の神和ぎだというのに?
「危険です!それでエージェントが死んだらどうするつもりですか!?」
『大丈夫よ。今回のエージェントは未鏡の直系。今までの代替実験よりも成功確率は遥かに高いわ』
「だからって……!」
『とにかく、今日が無理なら明日連れて来なさい。もう一度言うけど、これは命令よ。いいわね?』
唇を噛み締める。口の端から僅かに血が垂れ、手の甲でぬぐい取った。
「……はい」
『それじゃあ、また明日』
そう言って電話は切れた。携帯電話の画面に表示された通話記録を睨みつける。
「……あの子は、七瀬の友達なのに……!」
そう呟く七子の表情は、今にも泣き出しそうなほど崩れていた。
☆ ☆ ☆
結局、守哉達は一度ホテルへ行く事にした。
ファミレスで昼飯を食べ終えた守哉達は、その足で今日と明日泊まるホテルへと向かった。
くたびれもうけという嫌な名前のホテルであったが、その外観は高級ホテルのごとく美しかった。宿泊費は一人1320円。七瀬いわく、これほどまでに安いのは自分達が神奈備島の住人だかららしい。神奈備島の住人はこの島ではあらゆる場所で優遇されるんだとか。
ホテルは12階建てで、守哉達は6階の客室に泊まる事になった。男女二組に分かれて泊まる事になったのだが、珍しい事にここで七瀬がごねた。
「七瀬、何が嫌なの?七美と一緒に泊まるのが嫌なの?」
「……そうじゃないよ」
「じゃあ、何が不満なのか、お姉ちゃんに教えて?」
守哉達が予約していた部屋の前で、七子が不満そうな顔の七瀬を説得している。守哉と忠幸はそれを遠目に見つめていた。七美は何やら諦めた顔で七瀬を見つめていた。
「ねぇ、七瀬。黙ってちゃわからないよ?」
「………」
「もう……。まるで昔の七瀬に戻ったみたい。七美も何か言ってやってよ」
七美は横目で守哉を見つめながらため息をついた。
「七瀬の言いたい事は何となくわかるんだけどね……。ほら、いつまでも駄々こねてないで行くよ七瀬」
「……あぅ~……」
不満そうに唇を尖らせる七瀬を引きずって七美は客室に入っていった。それを見届けると、守哉と忠幸は隣の客室へ入ろうとする。
「ちょっと待って、守哉君。少し話があるんだけど、いい?」
「え?まぁ、いいですけど……」
七子に呼び止められ、守哉は振り返った。
「明日、少し私につき合ってくれないかしら?大丈夫、少しだけだから」
「構いませんけど、どこに行くんです?」
「それは行くまでの秘密よ。それじゃ、明日の朝9時くらいに迎えに来てもいい?」
「いいですよ」
「ん。じゃあ、また明日。楽しい旅行になるといいわね」
ばいばい、と手を振りながら笑顔で立ち去る七子。
そんな七子の背中を見つめ、何故か守哉は不吉な予感がしてならなかった。