第38話 “トヨと青龍”
逢う魔ヶ時前。
神代家の庭園に、四つの人影があった。守哉、七瀬、七美、そしてトヨの四人である。
「……開いた。来る」
猫の顔が描かれたシートの上に座っていた七瀬がゆっくりと目を開き、呟いた。その手には先端に大きな輪がついた棒―――輪堂潜御が握られている。
トヨはふん、と小さく鼻を鳴らした。
「行くぞい。敵はすぐに来るでな」
その言葉と同時に逢う魔ヶ時が訪れた。実感は一切ないはずだが、守哉は自身の肉体に得体の知れない力が宿るのを感じた。身体強化のイメージが瞬時に浮かび上がり、言魂へと変換する。
「―――わかった」
不意に、右足の事が気になったが―――あれから足を激しく動かさないかぎり痛む事もなかったので、今は気にしない事にした。しかし、だからといってずっと無視する事はできない。
神代家の中を通って玄関へ行く。靴を履いていると、後ろから七美が声をかけてきた。
「ねぇ。本当に大丈夫なの?」
「何がだよ」
振り向くと、七美は不安そうな表情でこちらを見つめていた。勝気な彼女らしくない表情に、守哉は少なからず驚いていた。
「ほら、あんたってさ、今まで神さび1体しか倒してないらしいじゃない」
「まぁな」
守哉はまだ、一番最初に遭遇した神さびしか自力で倒していない。2体目はわけもわからないうちにトヨが倒したし、3体目は七瀬が倒した。情けない気もするが、七瀬曰く3回以上神さびと戦って生き残っている神和ぎは決して多くないらしいので、誇っていいような気もする。
「だから、ね……その、死なないでね」
か細い声でそう言った七美に、思わず守哉は吹き出してしまった。
「な、何よ!笑う事ないじゃない」
「いや……なんか、七美らしくないなって思って」
ぷい、と七美はそっぽを向いた。心なし頬が朱に染まっている。
「う、うっさいわね。私らしくないとは思ってるわよ。でも……」
「でも?」
「あんたが死んだら夢見が悪くなるのよ。だから、死なれると困るの。七瀬も悲しむし……」
どうも、珍しく心の底から自分の身を案じてくれているらしい。自分をここまで心配してくれる人間が優衣子や七瀬以外にもいるんだな、と思い守哉は嬉しくなった。
「心配してくれてありがとな。でも、大丈夫だ。別に一人で戦いに行くわけじゃないし、そこまで心配してくれなくてもいいぜ」
「心配するしないは私の勝手でしょ!あんたに指図されたくないわよっ!」
「え……そこで怒るの?心の沸点おかしくない?」
ぐだぐだやっていると、当の昔に準備を終えて玄関の外にいたトヨが呆れ顔で言った。
「早くせんか、たわけ。もう神さびは来ておるのだぞ!」
「へいへい」
手早く靴を履き、玄関を出る。扉を後ろ手で閉めようとして、七美の方を見た。
「それじゃ、また明日会おうぜ」
「……ふん。別に、会わなくてもいいけど。どうしても会いたいっていうんなら、会ってあげるわよ」
苦笑して扉を閉める。自分を待っていたトヨと七瀬の方を向き、守哉は真顔になって言った。
「待たせたな。んじゃ、行こうぜ」
うん、と七瀬がうなずき、トヨがふん、と鼻を鳴らす。
もうすぐ、神さびが島に上陸する。三人は、急ぎ港へと向かった。
☆ ☆ ☆
学校へと続く長大な中央坂を、巨大な生物が這いずっている。
太くて長い胴体に、幾多の足が生えている。それは一見すると巨大なムカデのようだが、よく見れば胴体に折りたたまれた羽のようなものが見える。恐らく、ムカデと鳥の輪廻に縛られた神さびだろう。
「あれか……。うわ、気持ちわりぃな。絶対触りたくねぇ」
民家の屋根の上から眼下の神さびを見て、守哉はぼやいた。トヨは守哉を横目で見ると、あなどるように鼻を鳴らした。
「ふん、怖気づいたか。ならば、そこで終わるまで突っ立っておるがよい。とどめだけは譲ってやるでの」
そう言うと、トヨは屋根から飛び降りた。神さびが通った後、あちこちに爪で引っ掻いたような跡の残る中央坂に着地する。
「へっ、そいつは性に合わねぇよ!」
トヨにならって民家の屋根から飛び降りて中央坂に着地する。遅れて七瀬が守哉の傍に着地した。
「七瀬、頼む!」
「……うん。―――螺旋護法!」
地面に小さな手作りの鳥居を二つ並べ、叫ぶ。呪法が発動し、神さびの進路を妨げるように中央坂から巨大な壁が生え出た。その高さは10m近くあり、横幅は二つ合わせて20mほどもある。突然進路上に現れた壁を見て、神さびは進行速度を上げ迷わず壁に突進した。神さびの頭がぶつかり壁が大きく陥没するが、壁は壊れない。よく見れば、壁の厚さは3mもある。これではさすがの神さびも容易に破壊する事はできないだろう。
「よし、たたみかけるぞい!」
叫びつつ、トヨは両手を握って真横に離した。拳と拳の間に光がほとばしり、長刀が出現する。青白く反り返ったその長刀は、トヨの魔刃剣、雷牙・紫電であった。
「了解……!」
守哉は左手を前にかざし、手の平の歪な星型の火傷―――聖痕の前で右手を握った。瞬間、聖痕から剣の柄が出現する。右手で引き抜くと、サファイアのように蒼く光り輝く刀身が夕日の光を反射した。つばのない日本刀の形をしたそれは、守哉の魔刃剣、氷牙・氷鮫である。
「一撃で仕留めるぞい!」
トヨの声に応じ、守哉は魔刃剣を頭上に掲げ、一気に地面へ突き刺した。瞬間、刃を中心に地面が凍てついていき、凄まじい勢いで凍てつく力が神さびへと伸びていく。守哉の魔刃剣で敵の動きを封じ、トヨの雷撃で弱らせる作戦だった。
しかし二人の作戦は失敗した。突然、神さびが折りたたんでいた羽を広げ、空へと飛び立ったからである。
「何っ……!く、そうはさせぬぞ!」
魔刃剣を振り回し、雷撃を飛ばす。しかし神さびはその巨大な容姿に反した俊敏な動きで雷撃をかわした。トヨは悔しそうに歯噛みすると、七瀬の方へ振り向いた。
「七瀬、鎖じゃ!蛇連縛法でヤツの動きを止めるのじゃ!」
はい、と短く答えて七瀬はワンピースのポケットから50cmほどの鎖を取り出し、地面に円を描くように置いた。短く何かを呟き、叫ぶ。
「……蛇連縛法!」
途端に中央坂の地面から巨大な鎖が出現した。神さびへむかって鎖が伸びるが、神さびは更に高く飛び上がって鎖をかわす。七瀬も負けじと呪法へ神力を注ぎ、鎖を更に伸ばしていく。それを見た神さびは無数の足を伸ばして鎖に絡ませ、力任せに引きちぎった。同時に七瀬の足元に置かれていた鎖が音を立ててバラバラになる。
トヨは舌打ちすると、魔刃剣を大きく頭上で振り回した。
「―――散れィ、紫電!!」
トヨの魔刃剣から凄まじい量の光が発せられる。瞬間、光は雷撃へと姿を変え、空中の神さびへ襲い掛かった。雷撃は神さびに命中するが、その身体には焦げ跡一つ残っていない。
にやり、と神さびが笑ったような気がした。神さびは守哉達が自分を倒せるほどの攻撃ができないと察したのか、守哉達を無視して日諸木学園を目指して飛んだ。
トヨは悔しそうにぎりぎりと歯ぎしりすると、不意に守哉の方を向いた。
「百代目、何をしておる!お主も攻撃せんか!」
「そんな事言われても……。相手があんな高くに飛んでるんじゃ、どうしようもねぇよ」
空を飛んでいる神さびを見上げ、守哉はぼやいた。実際、守哉にはどうしようもなかった。言魂を使って攻撃しようにも相手のいる位置が高すぎて距離感が掴めないためうまくイメージができないし、魔刃剣は相手が地面にいないと凍らせられない。苦虫を噛み潰したような顔でぽりぽりと頭をかいていると、トヨは苛立ち混じりに呟いた。
「仕方がない……ヤツを呼ぶしかあるまい」
何をするつもりなのか、トヨは魔刃剣を地面に突き刺した。瞬間、地面に不可思議な紋様が現れる。地面を抉るように出現したその紋様は、傍から見ると子供の描いた理解不能なラクガキにしか見えなかった。
紋様を睨みつけ、トヨは魔刃剣から手を放した。紋様から離れると、トヨは右手を紋様の中心に突き刺さった魔刃剣に掲げ、叫んだ。
「来たれィ、青龍!」
瞬間、魔刃剣と地面に描かれた紋様が凄まじい光を発した。光はうねりながら空中へと伸びていき―――巨大な龍の形を模した。
「これは……あの時の……」
驚愕して守哉は呟いた。二度目の神さびとの戦いの時、自分が意識を失う寸前で見た龍と同じ容姿をしている。よくはわからないが、これも神和ぎの能力なのだろうか。
守哉達が見守る中、龍の形を模した光が引いていき―――後には巨大な緑色の龍が残った。鹿のような角を持つラクダに似た頭に、鱗に覆われた大蛇のように太く長い身体。四つの足を持ち、その足にはそれぞれ三本の指が生え、鋭利な爪がある。眼下のトヨを見て龍が口を開くと、口辺に生えた一対の長髭が揺れた。
「……トヨ、お前が俺を呼ぶとは……ついに俺の事が恋しくなったのか?」
龍が喋った。まさか喋るとは思っていなかった守哉は、ぽかんと口を開いたまま固まった。七瀬はこの龍を知っているのか、平然としている。
龍を見上げながら、トヨは心底嫌そうな顔をした。
「たわけ、誰がお主なんぞを好き好んで呼ぶか。……今日の神さびは空を飛んでおる。わしらだけではどうにもならん。お主の力が必要なんじゃ」
「ほう、俺の力がね……。お前みたいなババアが俺の背に乗るのは気が進まないどころか反吐が出るが、まぁ、どうやら愛しい七瀬ちゃんもいるようだし、許してやらん事もない」
龍は七瀬の方を向くと、にっこりと笑った。……とはいっても龍はそれなりに凶悪な顔をしているので、守哉には龍が七瀬を喰おうとしているようにしか見えなかったが。
「やあ、七瀬ちゃん。今日はいつにも増して綺麗だね。どうだい、今から俺と空のデートと洒落込まないか?」
「……こんにちは、青龍。今はそれどころじゃないから、また今度ね」
七瀬がやんわりと断ると、龍―――どうやら青龍という名前らしい―――は不満そうな顔をした。守哉は七瀬が喰われるのではないかと不安になり、思わず魔刃剣を構えてしまった。
「そう言って、いっつもデートしてくれないじゃないか。一体いつになったら俺と付き合ってくれるんだい?」
「……そんな事言われても……。わたし、人間だもの。青龍とは釣り合いがとれないよ」
「そんな事ないさ。愛があれば種族の壁なんて簡単に乗り越えられるものなんだ。ほら、早く俺の背に乗ってごらんよ。綺麗な夕焼け空を特等席で拝ませてあげるぜ?」
青龍が得意げにそう言うと、ぶち切れたトヨが言魂で石を飛ばした。慌てて身を捻って石を避ける。
「おい、何しやがる!せっかく七瀬ちゃんをデートに誘っていたのに!」
「たわけが、それどころではないわい!さっさとわしらを背に乗せんか!敵はもう学園の目前まで迫っておるのじゃぞ!」
そう言われて青龍は渋々地面へ降りてくると、中央坂に身体を寝そべらせた。トヨは青龍の頭を蹴り飛ばすと、その背にまたがった。七瀬もトヨと同じように青龍の背にまたがる。守哉も恐る恐る青龍の背に乗った。
すると、不思議そうな顔で青龍が振り向いた。
「おや、今日は一人客人が多いようだな……おおぅ、なんという美人!お嬢さん、よろしければお名前をお教え頂けませんか?」
顔を輝かせて守哉を見つめてくる青龍。どうやら女と間違えているらしい。
「いや、俺は―――」
「おおっと、よく見れば以前お会いしたあのお方ではないですか!あの時はあなたがすぐに気を失われてしまったのであなたは私をお覚えでないでしょうが、私はあなたの事を片時も忘れた事はありませんでしたよ!」
「い、いや、俺も覚えてるけど。でも―――」
「覚えていらっしゃったのですか!こんな私を!しかも、あんな一瞬目が合っただけで……!これを運命と呼ばずしてなんというのだろう!ああ、きっと私とあなたは結ばれる運命にあるのですよ!」
守哉の顔が凄まじい勢いで引きつっていく。それに気づかずに更に青龍はまくし立てようとするが、凄まじい痛みを感じて中断せざるを得なくなった。
「いだっ!!何すんだ、このババア!」
青龍がトヨの方を向いて文句を言うと、トヨは困惑したように言った。
「いや、わしはまだ何もしておらんのだが……」
では誰が、と青龍が視線をさ迷わせると、よく見れば七瀬が顔を俯かせて巨大な鉛筆を青龍の背に突き刺していた。
七瀬は暗いオーラを身体から発しながら極めて低い声で呟いた。
「……青龍」
「ひ、ひいっ!な、何で怒ってるの?」
いつもと違う七瀬の雰囲気に青龍が縮こまる。その雰囲気に、守哉だけでなくトヨも冷や汗を垂らしていた。
「……次、かみやを口説いたら―――許さないから」
目の前で想い人が口説かれているのが我慢ならなかったのか、その額には青筋が浮かんでいる。七瀬らしからぬその態度に、青龍はだらだらと冷や汗を垂らしながら何度もうなずいた。それを見て七瀬はにっこりと―――それはそれはにっこりと―――笑いながら、突き刺した鉛筆を引き抜いて捨てた。
トヨはごほん、とせきをすると、青龍の背をぽんぽんと叩いて言った。
「と、とにかく、早く神さびを追わんか。ずいぶん無駄な時間を食ってしまったぞい」
「わ、わかった……。よし、皆しっかりと俺の背に掴まっていろよ……!」
瞬間、青龍の身体が宙に浮かび上がった。守哉が驚いて青龍の背にしがみつくと、青龍は学校へ向かって一気に飛んだ。
「す、すげぇ……空、飛んでる……!」
驚嘆して顔をほころばせる守哉。トヨは得意げな顔になると、青龍の背の上に仁王立ちして叫んだ。
「神さびはあそこじゃ!―――青龍!」
「任せろ、トヨ!」
日諸木学園の上空にいた神さび目指して青龍が加速する。空中戦をするはめになるのかと思い、守哉は緊張して身体を強張らせた。
かくして、神さびとの空中戦の幕が開く―――