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かみかみ  作者: 明日駆
33/102

第31話 “理由”

 目をこする。


 何度も何度もこする。痛みで涙がにじみ出てきたが、それでも目をこする両手は止まらない。

 夢を見た。とてもイヤな夢だった。だから目をこするのだ。イヤな夢を忘れるために。

 必死で両手を動かして、目が充血するほど何度も何度も強くこする。それでも、一度見たイヤな夢は頭から離れてくれない。心の奥底に閉じ込めたはずの憎しみが心の中にあふれ出ている。

 どうして、今になってこんな夢を見るのかと、何度も心の中で自分を罵った。何故今になって見せるのだ。自分が裏切ったからか。大切な同居人を。密かに守ると誓ったはずのあの少年を。でもあれは仕方なかったのだ。だって、英司がああしろと言ったのだから。大好きな英司が守哉を欲しがったからいけないのだ。自分はそれに従っただけで、自分に責任はないのだ。


「………………うぁぁぁぁああぁあぁぁぁぅぅぅっ………………」


 子供じみたうめき声が口から漏れる。みっともない言い訳を続ける自分を慰めるために、両手で目をこすりながら心の中で懺悔した。ここにはいない、あの少年に。そう、守哉に。

 あの子は自分が守るはずだったのだ。だって、守哉はいつも寂しそうだったから。そのくせ誰かと馴れ合うのが苦手で、どんな人とも心に距離を置いて接していた。守哉がどういう人間に育てられたのか、自分には容易に想像できた。きっと、辛い人生だったに違いない。

 だから守ると決めたのに。その想いを忘れないようにするために、あれだけ頭をぶつけてやったのに。


 どうして、裏切ってしまったのだろう。


「違う」


 否定。しかし、それは無意味だ。


「違う」


 口で誤魔化しても、現実は変わらない。


「違う」


 自分は、英司に言われるがまま、守哉を傷つけてしまった―――


「違う!!!」

「違わんよ」


 はっとして顔を上げると、そこにはトヨの姿があった。

 憎い、仇の姿が。


「お主の考えておる事なぞお見通しじゃ。悔やんでおるのじゃろう?あの小僧を傷つけた事を」


 冷たい視線が突き刺さる。自身の罪をよりによってこの婆に暴かれた事が、こんなにも痛いとは思っていなかった。


「惨めじゃな。男に惑わされ、荒霊に惑わされ……また男に惑わされるか。いっその事、お前があの小僧を殺してくれればわしとしては好都合じゃったがのぅ」


 ドクン。心臓が高鳴る。守哉を殺す?自分が?


「お前は英司の手先じゃったわけじゃが……まぁよい、今回は不問としよう。お前にはまだ利用価値があるからのぅ。あの男ではないが―――せいぜい島のために働くがよい。それがお前のためじゃ」


 どこまでも、どこまでも自分勝手な台詞。一体この婆はどれだけ自分を怒らせれば気が済むのかと、優衣子は奥歯をきつくかみ締めて思った。


「これより修祓の時間じゃ。お前を惑わし、島民会の人間を攫った荒霊は、今宵、我が魔刃剣の錆と化す。哀れ、お前は無力。最後までとどめはわしのもの、というわけじゃのぅ。ふぇっふぇっふぇ……」


 不敵な笑みを浮かべながらトヨは去っていった。

 このままでは英司が危ない。いや、英司は荒霊だ。これで正しいのか。トヨに討たれる事が。

 しかし、それでは英司を鎮める事はできない。これではなんのために荒霊になってでも再び島に現れたのかわからない。いや、そもそも英司が求める魂の渇望とはなんだったのか―――

 寝起きの頭をフル回転させて思考に没頭する。しかし、どんなに考えても正しい答えがわからない。自分はどうすればいいのかわからない。

 ふと、誰かの気配を感じた。とても希薄な気配を。


「―――やあ。身体は大丈夫かい?」


 英司だ。相変わらず、とても爽やかな笑顔を周囲に振り撒いている。しかし、今その笑顔を見つめているのは自分だけだ。

 そう―――生前とは違う、その金色の妖しい瞳を見つめているのは。


「迎えに来たんだけど、その前にやる事があるんだ。君にやってほしい。できるかい?優衣子」


 甘ったるい、あまりにも甘い香りの漂うその言葉に、優衣子は溺れた。


「できるわ。なんだって」


 何故なら、その方が楽になるから。



 ☆ ☆ ☆ 



 思考の混濁は頂点を極め、両者はただ一つの目的のため動き出した。


 守哉は大切なものを守るため、七瀬は過去の恥を清算するため。


 守哉は両手で包み込むように白いそれを抱きしめ、ただひたすらに誤解である事を繰り返し叫ぶ。

 七瀬は守哉が抱きしめるそれを奪い、裂き、燃やし尽くすために守哉に飛びつく。

 守哉は飛びついてきた七瀬を避けようとして座布団に足を取られ、バランスを崩して倒れこんだ。七瀬はその隙を見逃さず、守哉の手を解いてその中にあるものを奪い取ろうとする。

 どうあってもそれを渡したくないのか、守哉は身体全体を使って七瀬を振りほどこうとするが、七瀬の力は思いのほか強くなかなかうまくいかない。七瀬の両足と守哉の両足が絡み合い、そのまま二人はごろごろごろごろと畳の上を転がった。


「……か、かえしてよぉ……!わたしのぱんつ……!」

「だから違うって!これは俺が―――」


 じたばたじたばたと二人は畳の上を暴れまわったが、次第に守哉は七瀬の力に屈服してそれを手放してしまった。宙に放られたそれを七瀬が掴もうとした瞬間、守哉の視界が真っ白に染まった。


 ふにゅっ。


「!!!」


 守哉の頭の中がスパークした。今、自分の視界を白一色に染め上げたそれは、間違いなく七瀬のワンピースだ。七瀬は守哉が手放した白いものに必死に手を伸ばしている。守哉の上に覆いかぶさり、身体を思いっきり前に伸ばしている。そして、それによって七瀬の胸部がちょうど守哉の顔面に当たるような位置に移動してしまったのだ。


 ああ、これが、七瀬の―――


 守哉の頭の中がどうしようもなく煩悩に支配された瞬間、守哉の驚異的な集中力が途切れた。同時に、守哉の集中力によって存在を保っていた白いもの―――ぶっちゃけパンティー―――はその存在を保つ事ができずに消滅してしまう。


「……あれ?」


 七瀬の驚いた声が聞こえる。手を伸ばした途端に消えてしまったそれに、七瀬は呆気に取られていた。


「……消えちゃった」


 呆然としている七瀬とは裏腹に、守哉はこの状況をどうしようかと悩んでいた。ぶっちゃけこのまま七瀬の胸の下で永遠の眠りについてもいいくらい幸せな気分になっていたのだが、自分の心の中に僅かに残っていた理性が早く七瀬に自分の上からどくよう催促しろと叫んでいる。そのあまりのしつこさにうざったくなった守哉は、結局頭の中を支配していた煩悩を押しのけて理性に従う事にした。


「悪い、どいてくれるか」

「……あ、ご、ごめんなさい……」


 七瀬は申し訳なさそうな顔でに守哉の上から身体をどけた。柔らかな感触に未練はあったが、仕方がない。俺は紳士、俺は紳士……と、心を落ち着かせる呪文を心の中で唱えながら身体を起こした。


『………』


 途端に気まずい雰囲気が流れる。両者ともなんともいえない表情で顔を俯かせていた。


(ど、どうやって説明すっかな……)


 守哉は七瀬をちらちらと伺いながら考えた。七瀬は正座で両手を膝の上でぎゅっと握り締めながら真っ赤な顔を隠すように俯いている。時折、こちらを覗き見ては慌てて顔を俯かせていた。その目は、何か言いたげに見えた。まぁ、当然だろう。


(仕方がない……正直に言おう)


 守哉は覚悟を決めた。これで嫌われたら仕方がない。七瀬に嫌われる事を考えると身を引き裂かれるような想いに駆られてしまう。しかしそれでも、やはり七瀬に隠し事はしたくなかった。


「あの……さ」


 呟くように守哉は言った。七瀬は顔を俯かせたままだ。


「さっきのあれ……俺が作ったんだ。言魂で」


 七瀬は驚いて顔を上げた。


「……ど、どういうこと…?」

「いや、どうもこうも……作れるだろ?言魂でさ、いろいろ……」

「……理論上は可能だけど……そんな簡単に、想像で物質を具現化させられるわけない」


 七瀬は不審そうに顔をしかめた。


「俺の言う事が信じられないか?」

「……そ、そんなことないよ。でも、ちょっと、その……」


 七瀬はかなり戸惑っているようだ。口元に手を当てて何か考えている。


「そんなに信じられないなら、今ここでやってみせようか?」

「……い、いい。ぜったいやめて」


 珍しく強気に七瀬は言った。顔を真っ赤にしているところを見ると、なにやら勘違いしているらしい。


「いや、別にさっきのあれをもう一回作ろうってわけじゃないぞ?」

「……そ、そうなの?」

「ああ。俺も色々試してみたいからな」

「……じゃあ、わたしが言った通りのものを作れる?」

「わかんねぇけど、やってみるよ」


 七瀬はしばらく何やら考え込むと、不意に顔を真っ赤にして言った。


「……かみやのぱんつ、作って」


 さすがに、守哉の顔が引きつった。


「は?」

「……だ、だから、かみやのぱんつ。今はいてるやつでいいから」

「いや、なんでぱんつ?しかも俺のって……」


 七瀬はそういう趣味があったのか?いや、他人の事は言えないか、と守哉は思った。


「……かみやばっかりわたしのぱんつ見てずるい。わたしも見たい」

「いや、だからってなぁ……」

「……じゃあ、なんでわたしのぱんつ作ったの」

「いや、それはその……」


 なんとなく、としか言いようがなかった。いや、なんとなくにしてはちょっと気合い入れすぎたなぁ、とは思うけど。

 守哉が渋っていると、七瀬はじと~っとした目で見つめてきた。


「……かみやのえっち」

「うっ……」


 七瀬に言われるとそれなりの威力がある言葉だった。


「……かみやが作ってくれたら、許してあげる」

「うう……」


 ずずい、と七瀬は守哉に接近した。思わず守哉は後ろに下がろうとしたが、膝を七瀬に掴まれて身動きがとれなくなった。


「……かみや」

「わ、わかったよ。作ればいいんだろ、作れば……」


 七瀬の迫力に負けて、結局守哉は折れた。一旦七瀬から離れると、右手を前に伸ばして目を閉じ、精神を集中する。

 そこでふと、守哉は思いついた。


「なぁ、今ここでズボン下げて見せるのはダメか?」


 なんとも変態ちっくなその提案に、七瀬の顔が真っ赤に染まった。


「……だ、だめ。恥ずかしいから……」

「いや、恥ずかしいの俺なんだけど」

「……と、とにかく、だめったらだめ」


 自分としてはこれで済ませたかったのだが、却下されてしまったので仕方なく続行する。女の子ってわかんねぇなぁ、と守哉は思った。

 集中、想像……守哉の頭の中で今朝はいたパンツが形を成していく。色は青、白い水玉模様の柄パン。感触は今はいているものなので簡単に想像できる。あとは、集中力を高めていくだけ。


(いいぞ……)


 右手の平の上に感触がある。少しずつ、それに重みが加わっていく。やがてそれは手の平全体に広がっていき―――


「―――こいっ!!」


 瞬間、守哉は叫んだ。先ほどとは違い、あまり気合いはこもっていなかったが……それでも言魂は発動した。


「……す、すごい」


 七瀬の呆然とした声に目を開くと、自分の右手の平にパンツがのっているのが見えた。


「どうだ?」


 誇らしげに守哉は言った。しかし、内心少し情けなくもあった。

 それでも、七瀬は嬉しそうにぱちぱちと手を叩いてくれた。


「……すごいよ、かみや!言魂で物質を具現化するなんて、きっとおばあちゃんでもできないよ」


 ひょい、と七瀬は守哉の手の上にのったパンツを手に取った。物珍しそうに眺めながら広げたり逆さにしたりする。


「そうか?あのババアならなんでもできそうだけどな」

「……そんなことないよ。おばあちゃんは戦闘に特化してるだけで、言魂はあんまり得意じゃないの」

「ふぅん。でも、これわりと簡単だぜ?誰でもできそうな気がするけどな」

「……それはかみやがすごいからだよ。ほんとは、言魂ってすごく扱いが難しいんだよ?」

「そうは思えねぇけどなぁ」


 なにせ、失敗したのは最初の訓練の時だけである。いまいち守哉には自覚がなかった。

 七瀬はいつにも増して雄弁に語った。


「……言魂による想像の具現化は、雑念の影響でとっても難しいの。どんな人でも必ず雑念は混ざってしまうから……。だから、言魂を発動には極端に雑念が少なくなる状態、つまり極度の緊張状態が最も適しているの」


 ようするに、戦闘時の事を言っているのだろうか。確かに戦闘中は一瞬の迷いが自身の命を左右するため、雑念が生まれにくい。


「……でも、かみやは比較的リラックスした状態でいとも簡単に言魂を発動した。それって、とってもすごいことなんだよ」

「でも、ババアも訓練とかで簡単に発動させてるじゃん」

「……それは訓練だからだよ。おばあちゃんは戦闘時の緊張状態へ素早く移行できるよう訓練してるもの」

「そうだったのか……」


 案外、あの意地悪な性格もそのせいかもしれない。地の可能性も捨てきれないが。

 なんにせよ、この力は役に立つかもしれない。色々と研究する必要があるだろう。

 調子に乗った守哉が物思いにふけり始めると、七瀬は悲しそうな顔をした。


「ど、どうしたんだよ。俺、なんかしたか?」

「……ううん。かみやは悪くないよ。けど……」

「けど、なんだよ」

「……あんまり、言魂に頼っちゃダメだよ」

「どういう事だよ」


 七瀬は両手でパンツを握り締めながら言った。


「……言魂は、その強すぎる力ゆえに多くの神和ぎたちを惑わしてきたの。中には、自分の想像で自分を殺してしまった神和ぎもいるんだよ」

「………」


 過ぎた力は人間を喰らう、という事なのだろうか。確かに、この力はあまりにも万能すぎる。自分次第ではそれこそなんでもできてしまうのだ。

 それに、言魂にはもう一つの力がある。服従の言魂が。


「……かみやは、言魂を使ってて楽しい?」


 楽しい。楽しすぎる。自分の想像が現実になるのだ、楽しくないわけがない。

 しかし、正直な気持ちを今の七瀬に告げるのは気が引けた。


「どうだろうな。よくわかんねぇ」

「……わたしは、ちょっと怖いよ。かみやはすごいけど、すごすぎて時々怖くなるの……。いつか、力に食べられちゃうような気がして」

「それは大げさだろ」

「……ぜんぜん大げさじゃない。かみやはわかってないもの。魔闘術のことを……」


 魔闘術。久しぶりに聞いたその名称は、神和ぎに与えられた三つの力―――言魂、魔刃剣、精霊術の事を指す。しかし、言魂がこれだけ万能なのだから、他の二つはいらないんじゃないかとさえ思ってしまう。

 いや、もしかしたら―――他の二つの力も、言魂なのかもしれない。


「確かに、俺は魔闘術の事なんて何も知らない」


 誰も教えてくれなかったから、では済まされないだろう。よく理解もせずに使ってきたのは自分なのだ。これから力を使っていく上で自分の身に何かが起きても誰のせいにもできない。


「でも、俺にはこれしかないんだ。俺がこの島にいるのは、この力のおかげだから。この力がなきゃ、俺はこの島にはいられないんだ……」


 偶然手に入れた力が今の自分の存在理由……それは、酷く惨めな事だと、守哉は思った。


「……そんなことない」


 そっと、七瀬の手が守哉の手に重なる。暖かなそのぬくもりは、優しさに満ちていた。


「……わたしは、かみやにいてほしいよ。それがかみやがここにいる理由じゃダメ?」


 守哉は何か言おうとしたが、結局何も言えなかった。肯定すれば、七瀬を受け入れる事になる。今の自分にそれは許されない事だった。何故なら、自分は島民達を本当の意味で信用していないから。島民達も自分を信用などしていないのだから、それは仕方ない事だと思う。

 それは、七瀬も例外ではない。

 何も言わない守哉に、七瀬は寂しそうな顔で手をどけた。


「……わたしは、ずっとそばにいてほしいよ……」


 七瀬の悲しげな呟きが胸に突き刺さる。それでも守哉は、心の奥底にある自分の本音を無視できなかった。

 気まずい雰囲気が客間に満ちる。守哉も七瀬も、何をすべきかわからなかった。いつの間にかパンツは消えていたが、それを指摘する者もいなかった。

 しばらくして、突然客間の障子が開かれた。


「ここにおったか」


 険しい表情のトヨがそこにいた。トヨは浮かない顔の二人を見て、嫌そうに言った。


「なんじゃ、嫌な空気じゃのぅ。これから修祓じゃというのに、気が滅入るわい」

「行くのかよ」

「うむ。もうそろそろ逢う魔ヶ時じゃからな。この家の事は任せたぞ、七瀬」

「……うん」

「では、行って来る」


 守哉には何も言わずにトヨは玄関へ向かった。


「……わたし、お見送りしてくるね」


 七瀬はそう言って立ち上がると、トヨを追いかけていった。

 一人残された守哉は、盛大にため息をついた。


「どうすりゃいいんだよ、俺は……」


 トヨが何も言わなかったからではなく、別の意味でそう呟いた。


 そして、逢う魔ヶ時が迫りつつあった。

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