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かみかみ  作者: 明日駆
32/102

第30話 “物質具現”

 誰もいない。


 白い空間の中で、幼い優衣子は座っていた。


 周囲は白い壁に囲まれている。何もかも白い。どこを見回しても光の発生源がわからないくらいだ。この空間には影一つ見当たらない。


「……」


 自分以外は誰もいないはずの空間。なのに、周囲から視線を感じる。まるで、動物園の檻の中に閉じ込められている動物のようだ。

 改めて自分の姿を見る。純白のワンピースだけで、あとは下着さえ身につけていない。髪の毛は伸び放題で、地面すれすれまで伸びている。前髪は途中で分けているので前は見えるが、傍から見れば妖怪の類に見間違われるのではないだろうか。

 ふと、誰かの視線を感じて前を見る。そこには、一体いつこの部屋に出現したのか、見慣れた男の姿があった。

 白い髪。白いひげ。白いスーツに白いネクタイ。何もかも真っ白。唯一、瞳だけは黒い。その瞳の奥に映る自分の姿を、優衣子はぼんやりと見つめた。


「お前の引き取り先が決まった」


 男は淡々と告げた。優衣子はぼんやりと男の話を聞いている。どうせ、自分に選択肢はない。飼われた鳥にすぎない自分には、固く閉ざされた鳥かごの扉を開く術などないのだ。

 

「神奈備島。お前は栄えある我が未鏡の遺伝子として、あの島にて神の使いとなる。お前には生きる理由が与えられ、そして役割が与えられる」


 生きる理由など当の昔になくしてしまった優衣子は、その言葉に激しい怒りを覚えた。生きる理由を奪ったのは、他でもないこの男なのだ。


 そう。何もかも、この男のせいで―――


「喜ぶがいい。そして、覚えておけ。生きる理由のないお前に生きる理由を与えてやったのは、他でもないこの未鏡白馬だという事をな」


 あまりにも身勝手なその言葉に、優衣子が胸の内に激しい憎悪を生み出したその瞬間―――


 優衣子は、目を覚ました。



 ☆ ☆ ☆



 金曜日。放課後になって、守哉は真っ先に神代家へ向かった。


 行方不明者が出ているというのに、日諸木学園はいつもと変わらなかった。忠幸曰く、こういった事はこの島では日常茶飯事らしい。被害者やその家族には悪いが、島民全体で捜索するなどといった事は行われないという。理由は、大抵の場合神和ぎか神和ぎもどきだけで捜査の手は足りるためなんだとか。

 しかし、悲しい事に今回は現神和ぎがまったく島民に信頼されていないため、わりと深刻に受け止められているらしい。その証拠に、珍しく島民会が動くそうな。ちなみに、島民会というのは神奈備島に住む島民達が構成したコミュニティの一つで、この島のあらゆる行事を仕切る役割を担っている。


 そんな事も気にせずに、守哉は神代家のインターホンを押した。しばらくしてどすどすと足音がして、七美が姿を現す。


「あー……なんだ、あんたか。なんか用?」

「いや、今回の事件に関して俺も何か手伝おうと思って……つか、ずいぶん辛そうだな。どうかしたのか?」

「んー……まぁね。どうも、風邪ひいちゃったみたいでさ」

「そっか。起こして悪かったな」

「悪いもなにも、客人を出迎えるのは当たり前よ。ていうか、さっさと上がってよ」

「あ、悪い」


 だるそうな七美に促され、守哉は家の中へ入った。客間へ向かい、座布団を引っ張り出す。


「言っとくけど、お茶は出さないわよ。飲みたきゃ七瀬が帰ってくるまで待つ事ね」

「わかってるよ。いいから寝とけよ、きついんだろ?」

「あんたに言われなくたって寝るわよ……」


 のそのそと七美は客間から出て行った。この調子だと、七美の助けは借りれそうにない。七美とは最近仲良くなってきたので、これを機会にもっと親睦を深めようと思っていた守哉としては少々残念なところであった。


(……って、俺、いつの間に他人を当てにするようになったんだ?ったく……)


 守哉は心の中で毒づくと、大きなため息をついた。幼い頃からの経験から人間不信である守哉は、何事も一人でやろうとする傾向にあった。一人が当たり前だったし、周りもそんな守哉に積極的に関わろうとはしてこなかったのである。

 それが、今となってはこんなだ。この島が自分に少しずつ変化をもたらし始めている。喜ぶべきか、喜ばざるべきか―――

 そんな事を考えていると、誰かが客間に入ってきた。トヨだ。


「ふん。来ておったのか、百代目」

「まぁな。俺に手伝える事があったら言ってくれよ」


 トヨはにやりと不敵な笑みを浮かべた。婆さんの不敵な笑みってのは、どうしてこうも妖怪っぽいのかと守哉は思った。


「お主に手伝ってもらう事なんぞない。今日の昼間、既にあらかた調べはついておる」

「なんだって?」


 なんとも早いものだ。守哉は関心する一方で、少し悔しくなった。今回は優衣子が巻き込まれているのだ。何かしら自分も力になりたかったのだが……。

 そういえば、優衣子はまだ目を覚ましていないのだろうか。


「英司の居場所は知れた。磐境寮の一階、管理人室じゃ」


 トヨは座布団を引っ張り出しながら言った。


「行方不明者もそこにおるようじゃな。今日の逢う魔ヶ時にて、そこを強襲する」

「ちょ、ちょっと待てよ。どうしてそこにいるのがわかるんだ?見に行ったのか?」

「直接見たわけではないわい。荒霊どもをこき使って調べさせた結果じゃ」

「荒霊って……あいつら言う事聞くのか?」

「聞くわけないじゃろ。言魂で脅したんじゃ。やつらも消されたくはないからの、必死で探しおったわい」


 後で始末される事も知らずにのぉ、とトヨはつけ加えた。ふぇっふぇっふぇ、とトヨの笑い声が客間に満ちる。正直、こいつが一番悪者なのではないかと守哉は思った。


「……あんたが一番悪者なんじゃねぇの」

「何を言うか、たわけ」


 気づいたら声に出ていた。本音とは隠せないものである。


「言っておくが、わしは脅迫という形でやつらを従わせたが、お主はもっと凶悪な形でやつら―――いや、島民全員さえも下僕にできるんじゃからな?」


 トヨは不敵に笑いながらそう言った。どうも、守哉が知らないと思って含みのある言い方をしているつもりらしい。守哉はため息をついて答えた。


「知ってるよ。服従の言魂だろ」


 その言葉に、トヨの表情が変わった。


「何故、それを知っておる。誰から聞いた」

「誰でもいいだろ。どちらにせよ、俺はそう易々と服従の言魂を使う気はねぇよ」

「信用できぬな」

「あんたの信用なんざ知るか。それより、事件の話だ。いくつか聞きたい事がある」


 ふん、とトヨは不快そうに鼻を鳴らした。


「……まぁいい。なんじゃ」

「まず、行方不明者の数だ。藤原さんを除いて何人いるんだ?」

「三人じゃな。一人目は高槻浩平。神奈備島島民会副会長じゃ。姑息な男じゃが、島民の信頼はそれなりに厚いやつじゃ。二人目は木崎亮子(きざきりょうこ)。島民会会員で、何かにつけて口を出すお喋りな女じゃ。三人目は野島孝(のじまたかし)。こやつも島民会の会員じゃが、これといって特徴はないのう」


 全員島民会の関係者。英司は島民会に関係する人物を狙っているのだろうか?

 トヨは面倒くさそうに言った。


「正直、こいつらには攫われても同情できんな。むしろ、このまま帰ってこなくてもいいくらいじゃ」

「おいおい、あんたがそんな事言っていいのかよ?一応、島民会の会長なんだろ?」

「まぁのう。じゃが、こいつらは3年前の事に関わっておるからのぉ……」


 3年前。その言葉が、妙に気になった。


「3年前って?」


 守哉の問いに、トヨははっとした顔になり、それからふん、と鼻を鳴らした。

 

「なんでもないわい。それより、まだ逢う魔ヶ時まで時間がある。それまでわしは仮眠を取るから、お主はここにいろ」

「言われなくてもいるよ」

「じゃろうな。言っておくが、お主はここで見張りをしていてもらうからな」


 その言葉に、守哉は思わずトヨを睨みつけた。


「……ついてくるなって言いたいのか?」

「阿呆。お主はヤツに狙われておるのじゃぞ?わざわざ敵に捕まりに行く気か?」

「でも」

「それに、わしが留守の間にこの家を狙わぬとも限らん。わしが留守の間、お主は家と七瀬を護衛しろ。よいな?」


 命令はかなり不本意なものであったが、トヨは七瀬を守れと言ったのだ。トヨがどれだけ七瀬を大事にしているか知っている守哉は、その言葉に少し重みを感じた。これが信頼というものなのだろうか。

 渋々、守哉はそれを引き受けた。


「……わかったよ」

「わかればよい」


 そう言うと、トヨは客間を出て行った。仮眠を取ると言っていたのだから、恐らく自室へ行ったのだろう。現在時刻は4時30分。今から眠れば、1時間30分は睡眠を取れる。自分も寝ておこうかと思ったが、トヨが寝ている間に英司が来ないとも限らない。そう思った守哉は、とりあえず七瀬が帰ってくるのを待つ事にした。


「………」


 ぼんやりと何もない空間を見つめる。いや、何もないわけではない。少なくとも空気はある。どうでもいいが。


「………」


 少しずつ、時間は過ぎていく。ふと、守哉は先日優衣子にかわされてしまった必殺の言魂を思い出した。命中した瞬間に強烈な爆風を巻き起こすという言魂・爆弾パンチ。我ながらなかなかのネーミングセンスだと心の中で自画自賛する守哉だが、ふとそこで気がついた。


「……爆風?爆風だと?」


 あの時は単なるノリで思いついてしまったが、よく考えてみればおかしな事だった。今までの言魂は、目に映る範囲内の物質を操作して敵を攻撃していた。風を巻き起こせたのはそこに空気があるからだ。しかし、爆弾パンチは今までの言魂とは違い、爆風を生み出している。つまり、火だ。あの時周囲に火はなかったし、ライターやマッチがあるわけでもなかった。

 以前トヨは、言魂はあまり派手な事はできん、と言った。箸を砕いたり石を空中に浮かせたりと、確かに今までやっていた事に派手さはなかった。あのくらい、仕掛けさえあれば誰でもできる。言魂は仕掛けと同じだ。つまり言魂とはマジックなのだ、と守哉は思っていた。想像の本質を外的に具現化する、などと言われても所詮その程度なのだと思い込んでいた。

 しかし、言魂とマジックは本質的に違うものだ。どちらも種も仕掛けもあるとはいえ、言魂の仕掛けとマジックの仕掛けはまるっきり違う。何故なら、言魂は科学的に証明できないからだ。そもそも証明しようとした人間がいるかどうかもわからないが、言魂が異質なものである事は子供でもわかる。超常現象と言ってもいいだろう。

 要するに、自分は先入観に捕らわれて言魂の本質を理解していなかった、というわけだ。言魂は超常現象。本来起こりえない事象を引き起こす、魔性の力。

 つまり。物質を具現化する事もできるのではないか?


「……やってみるか」


 守哉は頻繁に言魂を使っているので、どの程度までの想像を具現化できるかは心得ている。あとは、自分の神力と精神力次第だ。

 目を閉じて、精神を集中する。まずはイメージだ。具現化するなら、簡単なものがいいだろう。昨日は爆風を生み出したが、今回は物体だ。恐らく集中が途切れれば消えてしまうだろうし、それなら軽くて小さなものがいいだろう。

 軽くて小さなもの―――すぐに思い浮かんだ。それは確かに軽いものだが、小さくはない。しかし、この自分の脳内に刻まれた強烈なイメージなら具現化できるはず。絶対だ。むしろ、具現化しなきゃダメだ。

 守哉の強い想いが少しずつ形を成していく。手の平に柔らかな感触を感じる。しかし重さはない。この感触は幻想にすぎない。何故なら守哉はそれを触った事がないからだ。


(そうだ……。いいぞ……)


 守哉は右手を前に差し出した。左手で右手首を掴み、右手の平をゆっくりと開く。手の平いっぱいに広がっていた柔らかな感触が少しずつ狭まり、やがてそれは何かの形をなぞるように止まった。

 いける。これなら、具現化できる。俺の、あのイメージを。あの強烈なイメージを具現化できる。そう、あの日、俺が見せてもらった、一瞬で目に焼きついてしまった、あのイメージを……!


「―――いけぇっ!!!」


 瞬間、守哉は叫んだ。それはそれは、力のこもった叫び声だった。今まで発動してきた言魂のどれよりも力強い叫びだった。

 そして、それは具現化した。ふわりとした感触を感じ、恐る恐る目を開ける。そして、自分の手の平の上にあったものを見て、守哉は雄叫びを上げた。


「……ぃぃぃぃっやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」


 守哉は左手を力強く握り締めて叫んだ。具現化させた物体を乗せた右手を前に差し出したまま、力の限り喜びの雄叫びを上げた。喜びのあまり、目尻から涙がこぼれ落ちるほどだった。

 そんなわけだから、守哉は気づいていなかった。誰かが「……ただいまー」という声とともに玄関の扉を開けた事に。その誰かが、玄関にあった靴を見て守哉が家に来ている事を知り、すぐさま客間に向かった事に。

 そして今しがた、客間の障子をゆっくりと開けた事に。


「……なに、してるの……?」


 誰かの呆然とした声が響く。瞬間、守哉の表情が凍った。開いた口を閉じもせず、にこやかな笑顔を崩しもせずに、ギギギギギという軋む音が聞こえてきそうなほど緩慢な動きで声のした方を見る。そこにいたのは、誰であろう神代七瀬であった。そして、その神代七瀬は前方に突き出された守哉の右手を凝視してぽかーんと口を大きく開けて呆然としていた。

 その手の平にのっていたものを見て。白くて、ひらひらとしたものを見て。しかも、忠実に自分のイメージを再現したのか、中心部から広がる黄ばみのあるそれを見て。


 それはまさしく、かつて七美がセクハラ親父よろしく、守哉に見せつけた白くてふりふりのついたローライズのショーツだった。


 当然、七瀬のである。


「………………あ、いや、これはその」


 守哉が顔を引きつらせながらなんとか弁明しようと試みる。それに対して七瀬は、とりあえず顔を思いっきり赤らめた。それはそれは恥ずかしいのなんの、守哉が持っているそれは、自分のパンティーである。しかも、よりにもよって汚れている。汚れているのだ。なぜ自分の汚れたパンティーを、しかもよりにもよって自分の想い人が持っているのかと、身体全体を震わせながら疑問をあらわにしている。というか、それって入念に洗ってハサミで切り刻んで中身の見えない黒いゴミ袋の中に突っ込んでガムテープでしっかり密閉して燃やしたんですけど、などと七瀬が考えている事を守哉は知らない。

 こんな状況になってようやく守哉はなんで自分はよりにもよってこんなものを作り出したのだろうと思った。他になかったのか。というか、よくこんなもの作れたな。あれだけ簡単なものにしようと思っていたのに、どう見てもこれは複雑なものだ。よく見れば綺麗で複雑な模様までしっかりと作りこんである。おまけにあの時見た汚れつきだ。さらに言うなら、これを見たのは一瞬だったのによくこれを作れたものである。いや、今はそんな場合ではない。早く七瀬に弁明せねば。これは君のものではないと。俺のものだと……いや違う、とにかく君のじゃないと!

 思考が混迷を極め、二人の混乱状態が時間とともにますます酷くなっていき―――








 続く。

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