第11話 “現実逃避”
目を覚ますと、そこには見慣れた天井が広がっていた。
磐境寮の607号室に、守哉は寝かされていた。外が明るいところを見ると、丸一日寝ていたらしい。
ゆっくりと身体を起こす。腹が多少痛んだが、他はなんともない。
「あら、起きたのね」
声のした方へ顔を向けると、テーブルに肘をついている優衣子がいた。眠そうに目を半開きにしている。テーブルの上には急須と湯のみが二つ置いてあった。
いまいち状況が掴めず、守哉は言った。
「俺、どうして部屋で寝てるんだ?」
「昨日、七瀬ちゃんがあなたを背負って寮に来たのよ。家じゃババアがうるさいから、ここで治療させてくれってね。大変だったのよー?エレベーターが何故か動かなかったから、わざわざあなたを背負って六階まで運んだんだから。まったく、感謝しなさいよね」
そう言うと、優衣子は急須を手にとって湯のみにお茶を注ぎ始めた。
「あなた、神さびにやられて気を失ったんだって?結局、神さびはババアが仕留めたらしいけど。みっともないわねー、百代目の名が泣くわよ?」
湯のみを片方差し出しながら優衣子は言う。礼を言って受け取り、注がれたお茶を飲んだ。
お茶は、熱かった。
「……なあ」
「何?」
「俺、別にいなくてもいいんじゃないのか」
うつむいて、守哉は言った。
守哉の問いに、優衣子はすぐには答えなかった。開け放たれたベランダの窓から、心地よい風が室内に吹き込んでくる。優衣子の長い髪が風を受けて広がった。
風が止む。ようやく、ぽつりと優衣子は答えた。
「そうね」
短くも、冷たい答えが守哉の心に突き刺さる。
第二の神さび戦。まったく役に立たなかった自分。欠けた魔刃剣。七瀬にかけてしまった負担。もっとうまくやれば、もしくは自分があの場にいなければ―――余計な手間が省けて、もっと早く終わっていたかもしれない。
そう思うと、どうしようもなくやりきれない気分になる。そんな気分を払拭したくて、苦しい現実を少しでも否定したくて……そんな甘えから生まれた疑問は、肯定された。
未鏡守哉はこの島にとって必要のない人間であると。そう、告げられたのだ。
「泣きたければ、泣いてもいいのよ」
優衣子の声が心に響く。しかし、その声には何の感情も込められていなかった。
その優しさが、今は痛い。
「……今は、やめとくよ」
虚ろな目で答える。身体が重かった。腰を丸めて顔をかけ布団にうずめる。目を瞑っても、涙は出なかった。
ずっと前にも似たような事があったな、と守哉は思った。
「そう」
優衣子は短く答えて立ち上がると、急須と湯のみはそのままにして入り口へ向かった。扉を開けようとして、そこで一度守哉の方へ振り返る。
「伝言よ。今日も、訓練するんですって」
それだけ言うと、優衣子は部屋を出て行った。
部屋が静寂に包まれる。一人残された守哉は、か細い声で呟いた。
「……ちくしょう」
☆ ☆ ☆
神代家の庭園に、トヨは腰の後ろで両手を組んでたたずんでいた。
七瀬はいない。今日は月曜日、平日なので学校がある。本来はトヨも仕事に行かなければならなかったが、今日一日だけ休む事にしていた。
トヨは今年で117歳にもなる高齢の老婆だ。顔に深く刻まれた無数のしわが、彼女の生きてきた人生の長さを物語っている。本来は隠居しなければならない身なのだが、孫娘の負担を少しでも減らすために現役で戦っていた。
島の住人は神和ぎの戦いを知らない。知っているのは、神代家の人間や一部の人間だけだ。現在、逢う魔ヶ時の外出を禁じられている島の住人にとって、神和ぎという存在は超能力者程度にしか思われていない。そういった島民の神和ぎに対する陳腐な認識が、守哉に対する風当たりを強くしている原因であると、トヨは知っていた。
しかし、その認識を改めさせようとは思わない。島民は神さびの事を名前だけは知っていても、その存在を直接目にした者はほとんどいないのだ。もう随分前から、神さびとの戦いは神和ぎだけで行っている。七瀬は数少ない例外だ。
水面を見つめ、トヨは昨日の事を思い出してため息をついた。
ふと、庭園に何者かの気配を感じ、身構える。突然感じた異質な気配―――人ならざる者の気配を、トヨはよく知っていた。その者の存在を認識し、その者を縛る名前を呼ぶ。
「天照大神か」
果たして、突如庭園に姿を現したその存在は、守哉に似通った姿をした神様であった。にやにやといやらしい笑みを浮かべ、トヨの横に並ぶ。
「待ちかねたぞ」
「おやおや、お前からそんな殊勝な言葉が聞けるとはね。明日は雨かな?いや、雪かな?」
大げさに手を広げながら、神様は言う。
トヨは横目で神様を睨みつけた。
「茶化すな。お前のその軽薄な態度が、いつもわしの神経を逆なでしとるんじゃ」
「ふふふ、そいつは悪かったね。だが、仕方なかろう?今の私はとても機嫌がいいからね」
「あの小僧が島に来たからか」
「ああ、そうさ。あの子は素晴らしいよ!あれほど心の強い人間は見た事がない。あの子の過去を考えれば、それも当然とは言えるがね。まさしく、私が長年待ち望んだ逸材だよ」
言いながら、神様は両手を広げてくるくると踊った。池の傍で踊り始めたため、すぐに神様は池に足を突っ込んでしまう。しかし、神様は池に落ちていなかった。水面の上に立ち、池の上でくるくると踊り続けている。
「その事で話がある」
「なんだね?今の私はとても機嫌がいい。たとえお前の話でも、聞いてやらん事もないぞ~?」
嬉しそうに目を細め、神様は言う。そんな神様に、トヨは険しい表情で睨みつけながら告げた。
「神和ぎ継承の儀を行いたい」
「断る」
一瞬の間も開けずに神様は答えた。トヨは険しい表情のまま続ける。
「あの小僧は神和ぎに相応しくない。あのような役立たずが神和ぎになっても時間の無駄じゃ。それよりも、わしの孫娘を神和ぎにするべきじゃろう。あの子なら、必ず期待通りに―――」
「黙れ」
神様は微笑ながら強い口調で答えた。急激に神様の気配が膨れ上がり、それに怯んだトヨは思わず口をつぐんでしまう。
「何が期待通りだ。それはお前の期待であって、私の期待ではないだろう。口を慎め、小娘が」
再びいやらしい笑みを浮かべ、神様は言った。冷や汗を浮かべながらトヨは反論する。
「昨日の戦闘は見ていたじゃろう?あの小僧は、まったく役に立たなかっぞ。あれはただの足手まといじゃ。いずれ、何かしらの問題を起こすぞ」
「それはお前の指導不足だろう。魔刃剣の使い方や詳しい説明もしていなかったくせに。そんなにあの小僧を育てるのが嫌だったのか?」
激昂してトヨは叫んだ。
「当たり前じゃ!わしは、百代目を七瀬にするために今まで必死に戦ってきたのじゃぞ!」
「お前の都合なんざ知るか。大体、私からすればお前の孫娘の方が神和ぎに相応しくないんだよ」
その言葉に、トヨは驚愕した。自分が手塩にかけて育ててきた孫娘が、神和ぎに相応しくないと否定され、怒りに顔を歪ませる。
「……お前はあの子の実力を知らんだけじゃ。あの子が神和ぎになれば、神さびなど怖るるに足らぬ」
「確かにあの娘は強い。おそらく、神和ぎとなればお前よりも強くなるだろう。しかし、あの娘には最大の欠点がある」
「わしの七瀬が、欠陥品だと言うのか!」
「そうは言っていないさ。まあ、娘の欠点に関してはその時がくればわかるだろう。とにかく、お前は百代目を育成しろ。まずはそれからだ」
そう言うと、再び神様は水面で踊りだした。トヨは、悔しげな顔で唇をかみ締めると、突然両手を地面について頭を下げた。
「お頼み申し上げる」
「みっともないな。頭を上げろよ、大事なバンダナが汚れるぞ」
「頼む。なにとぞ、継承の儀を。我が孫娘に、継承の儀を!そのためならば、どんな罰も受け入れる所存じゃ!」
地面に額をこすりつけながらトヨは言う。
そんなトヨを、神様は冷めた目で見つめていた。
「お前は、我が儘だな」
「………」
「確か、四年前も同じ事を言っていたな。その時は九十八代目に免じて認めてやったが……今回は却下する」
そう言うと、神様の気配が薄れ始める。トヨは、がばっと顔を上げると、消え去ろうとする神様に向かって手を伸ばした。
「何故じゃ!何故、あんな小僧が!何故、わしの七瀬ではいかんのじゃ!?」
「あの少年は逸材だ。言魂をあそこまで易々と使いこなせる神和ぎを、私は始めて見たよ。お前だって気づいているんだろう?でも、お前は自分の思い通りにいかないからと言って、少年を島から排除しようとしている。くだらないな」
どこまでも傲慢な態度で、神様は言った。冷め切った両目がトヨを見つめている。
「それにな、お前はもう散々罰を受けているじゃないか。お前にはもう飽きたんだよ」
それだけ言うと、神様は姿を消した。
一人残されたトヨは、険しい表情で水面を見つめる。
しかし、トヨの目の前の水面には、何も写ってはいなかった。
本来写っていなければならないはずの、トヨの顔さえも。
☆ ☆ ☆
冷えた風が前髪を撫で、ゆっくりと守哉は目を開けた。
いつの間にか眠っていたようだ。だるそうに上半身を起こし、目をこすりながら時計を見ると、現在の時刻は5時20分だった。
いつものように着替えようとして、思いとどまる。よく見たら、自分は昨日の服装のままだった。
廊下に出る。静まり返った廊下に、607号室の扉が閉まる音が響いた。エレベーターに向かおうとして、やめる。どうせ自分が乗ろうとしても動きやしない。そう思い、いつもの通りに階段を下りた。
一階につく。ロビーに向かうと、優衣子がカウンターに突っ伏して眠っていた。無視して出入り口へ向かうと、
「もういいの?」
振り返ると、優衣子はカウンターに突っ伏したままだった。
「大丈夫だ。行って来るよ」
出入り口へ踏み入れる。センサーが反応して自動ドアが開く。ドアが閉まる直前、いってらっしゃい、という声が聞こえた。
逢う魔ヶ時にはまだ時間がある。そう思い、守哉はゆっくり坂を下りた。少しずつ日が暮れ始めているのか、坂は光を受けてわずかにオレンジ色に染まっていた。
日諸木学園を過ぎる。神代家の前に広がる畑の前まできて、守哉は不意に思い止まった。昨日の出来事を思い返し、引き返そうときびすを返す。そのまま帰ろうとして―――
(逃げようとしてるのか、俺は―――?)
ぎりっ、と口をかみ締めると、寮に戻ろうとする自分の足を殴りつけて止め、逃げようとする足に向かって呟いた。
「……今更、あの程度の失敗で逃げ出せるか」
再び神代家に向かおうとする。しかし、そこで学校から誰かが出てくるのが見えた。
逢う魔ヶ時が近いのに、外を出歩く人間は少ない。自分以外の人間となると、トヨか七瀬だ。しかし、門から出てきたのはそのどちらでもなかった。
赤いツンツン頭に、おでこに大きな絆創膏をはった少年。それは、昨日も出会った少年・星町忠幸だった。忠幸も守哉に気づいて顔を向けたが、守哉だとわかるとすぐにそっぽを向いて歩いていく。
思わず、守哉は忠幸を呼び止めていた。
「待てよ」
「……なんだよ」
忠幸は不快そうな顔で振り返った。
「学校で何してたんだ?もうすぐ逢う魔ヶ時だぜ」
「お前には関係ないだろ」
そう言うと、忠幸は再び歩き出した。忠幸は寮の方に向かって歩いていく。
「どこへ行くんだよ」
「家に帰るんだよ。逢う魔ヶ時が近いんだろ」
「嘘つけ。そっちは寮だぞ」
忠幸は守哉の言葉を無視して坂を上っていく。守哉は思わず忠幸を追いかけた。守哉がついてきている事に気づいた忠幸は、嫌悪感をあらわにして守哉を怒鳴りつけた。
「ついてくんなよ!」
「俺は寮に住んでるんだ。別にそっちに行ってもいいだろ」
そう言うと、守哉は訓練の事など忘れて忠幸について行く。何故か、忠幸を無視する事ができなかった。無視してはいけない気が、した。
忠幸は、早足になって寮へ向かった。守哉も早足になって忠幸を追う。
寮の前まで来た忠幸は、寮には入らずに食堂の方へ向かった。守哉もその後を追う。
磐境寮の食堂の入り口は二つある。寮の中、ロビーにある寮生用の入り口と、寮の外、一般客用の入り口だ。一般客が食堂を利用しているところを守哉は見た事がなかったが、営業自体はしているらしい。人手が足りていない上に唯一の人手もやる気がないので、営業しているようには見えないが。
しかし忠幸は、食堂に入る事なく進んでいく。その先には森林が広がっているだけだ。
「おい、そっちには何もないぞ」
「うるせえんだよ、ついてくんな」
「だから、俺は寮に住んでるから―――」
「寮はそこだろうが!」
「今は寮に帰りたい気分じゃないんだ」
「だったらどっか行けよ!なんでついてくるんだ!」
「お前が家に帰らないからだよ。つーかさ、なんでお前、逢う魔ヶ時に出歩いてるんだ?」
「お前には関係ないだろ」
「関係あるよ。天津罪ってやつで、逢う魔ヶ時の外出は禁じられてるんだろ」
天津罪というのは、島の住人に課せられている制約の事だった。その中の一つに、逢う魔ヶ時の外出を禁じる、というものがある。そして、天津罪を破る事は重大な違反行為であり、場合によっては懲罰の対象になる事もある……らしい。
「バレなきゃいいんだよ」
「もう俺にバレてるじゃないか」
「お前の言葉なんか、誰も信じるもんか」
「だろうな。でも、神和ぎには天津罪の違反者を裁く事が許されている。今、ここでお前を拘束する事だってできるんだぜ」
守哉がそう言うと、忠幸はうつむいて黙りこくった。
ちなみに守哉は、これらの知識を先週の数日程度の訓練で覚えさせられていた。
「よければ、理由を話してくれないか?もしかしたら力になれるかもしれない」
「そうやって、媚を売って俺に取り入ろうとしても無駄だぜ」
「そんな事考えてねぇよ。大体、お前一人懐柔しても皆に好かれるわけじゃないしな。ただ……」
そこで守哉は一拍置いた。言っていて、自分でも何故忠幸と関わろうとしているのかわからなかったからだ。
(いや、違う―――)
本当はわかっている。今はただ、目を背けているだけ―――
「ただ、何だよ」
「お前が、天津罪を破ってまでしている事が気になっただけだ。それだけ、重大な事なんだろ。お前にとって」
守哉がそう言うと、忠幸は少し意外そうな顔をした。しかし、すぐに険しい表情になって守哉を睨みつける。忠幸が何かを言おうとしたその時―――
異質な気配を感じた。
(何だ―――!?)
気配がした方を向くと、そこは林だった。忠幸の後ろに広がる森林。その木陰に、鋭い二つの目が見えた。忠幸も守哉のただならぬ様子を見て、守哉の見ている方へ振り向く。そして、突然嬉しそうな笑みを浮かべると、大声を出した。
「藤丸!」
突然忠幸は森林に向かって走り出した。すぐに守哉もその後を追う。
「おい、どうしたんだよ!?」
草をかき分けて走る忠幸の背に、守哉は大声で問いかけた。しかし、返事はない。代わりに、忠幸は病的なまでに誰かの名前を叫んでいた。
「藤丸!待ってくれ、藤丸!俺だよ、忠幸だよ!」
忠幸は速い。慣れているのか、時折ジャンプしながらすいすいと森の奥へ入っていく。一方守哉は、右足の後遺症もあってか中々思うように先へ進めない。それどころか、伸び放題の草が足に絡まり転倒した。
「いてて、さすがに速いな……森林で走り回るのに慣れてるのか。ん―――まてよ。もうすぐ逢う魔ヶ時のはずだよな……」
守哉はそう呟くと、イメージした。身体強化の言魂を唱えると、案の定全身に力がみなぎってきた。既に逢う魔ヶ時に違いない。身軽になった守哉は、絡まっていた草を力任せに引きちぎると、森林の奥へ入っていった忠幸の後を追う。
森林の闇は深かったが、忠幸が通った後には僅かながら靴跡が残っていた。森林の地面は僅かに湿っており、それで靴跡がつきやすいのだ。当然ながら草が邪魔で靴跡が見えない事もあるが、それでもかすかに残った靴跡を頼りに、守哉は言魂を使って自分の周囲に風を吹かせ、周りの草を押しやりながら進んでいった。
どうやら忠幸はただ直進しているわけではなく、複雑に走り回っているらしい。忠幸を追っているうちに、守哉は自分が今までどこを通っていたかがわからなくなってしまった。まあ、忠幸を見つけたら道案内を頼めばいいか、と楽天的に考える事にした守哉は、再び森林の奥へ進む。
しばらく進むと、自分と同じくらいの背の人影が見えた。近づいてみると、その人影は忠幸だった。周囲を見回して何かを探しているようだった。
「くそ……どこへ行ったんだ、藤丸……!」
「誰だよ、その藤丸って」
忠幸の独り言に守哉が答えると、忠幸は驚いて振り返った。
「なんでついてきてるんだよ!」
「お前こそ、なんでこんなところに来たんだよ。誰か探してるのか?」
そう言うと、忠幸は口をかみ締めると突然走り出した。守哉も急いでその後を追う。
「ついてくんなって!」
「いいだろ、別に!俺、ちょうど走り回ってストレス発散したい気分だったんだよ!」
「……もういい、勝手にしろ!」
忠幸はさらに奥へ進んでいく。次第に段差が増えてきた。道も少しずつ険しくなっていく。
二人は跳ねながら段差を越えて奥へ進む。守哉は、忠幸がどこかを目指して進んでいるようには見えなかった。もしかしたら、しつこく後をついてくる守哉を振り切りたいだけなのかもしれない。
そう思うと、守哉は意地でも忠幸についていく気になった。忠幸の思惑を裏切りたいという願望と、野山を駆け回るという冒険を楽しみたいという好奇心が入り混じり、守哉の感情が少しずつ高まっていく。
すると、そんな守哉に業を煮やしたのか、忠幸は急に進路を変えた。今まで避けてきた自分達の背丈ほどもある草が無数に生えている場所へ踏み込んでいく。守哉も慌てて進路を変えてその後を追う。
視界が長い草で遮られる。草は意外にしぶとく、忠幸が通った後を通ろうとしても、忠幸のかき分けた草はすぐに直立して守哉の視界と行動を遮ろうとする。守哉は言魂を使おうかとも思ったが、やめた。使わない方が面白いと感じたからだ。
忠幸の姿が草で隠れていく。見失わないように、必死でくらいついていく守哉。ふと、守哉は上を見上げた。木々で隠れて見えないが、もうそろそろ日が暮れるはずだ。そうなれば、身体強化の言魂の効力が切れてしまう。言魂の効力を失えば、たちまち忠幸を見失ってしまうだろう。
守哉が上に気を取られていると、不意に忠幸は走る速度を上げた。それに守哉が気づいた時にはもう遅く、忠幸の姿は草に隠れて見えなくなってしまっていた。
しかし、守哉は諦めずに走った。ただひたすらに、真っ直ぐに。そうすれば必ず追いつけると、漠然と確信していた。
「うわぁっ!?」
不意に、誰かの悲鳴が前方から聞こえた。迷わず声のした方へ走る。
真っ直ぐに走っていると、突然開けた場所に出た。嫌な予感に襲われるも、迷いを振り払うように頭を振り、再び走り出す。
すると、突然地面がなくなった。足が一瞬宙に浮き、それから落下し始める。下を見ると、巨大な穴が開いていた。
「―――くそっ!」
守哉は一瞬で自分が助かるための状況をイメージし、言魂として吐き出した。守哉の声に呼応して、砂が凝固して一本の棒となり、守哉に向かって急速に伸びる。
しかし、その途中で守哉は頭痛に襲われて集中を乱した。逢う魔ヶ時を過ぎたのだ。守哉に向かって伸びていた砂の棒は砂へと戻り、穴へと落ちていく。
「う……わぁぁあああああぁぁぁあああっ!!!!」
絶叫をたなびかせ、守哉は垂直に開いたその穴に落ちていった。