第10話 “海より来るもの”
断続的に聞こえる甲高い音で、守哉は深い眠りから引き戻された。
「ん……電話か」
目をこすりながらゆっくりと上半身を起こす。ぼりぼりと頭を掻きながら、受話器を手に取った。
「……もしもし」
「私のブラしらないー?外に干してたやつ」
「俺が知るわけないだろ」
「あっそー。じゃあいいか」
一方的に電話を切られた。モーニングコールにしてもこれはないだろう、と守哉は思いつつ、あと3時間は鳴らないはずの目覚まし時計のボタンを押す。
今日は日曜日である。守哉がこの島にやってきて、初めての日曜日だ。当然学校は休みなので、昼まで寝過ごそうと思った守哉は、昨日のうちに優衣子に明日のモーニングコールはしなくていいと言っておいたのだが、まさかの展開であった。おかげで目はぱっちりと覚めている。
二度寝する気にもなれなかったので、守哉は手早く着替えると部屋を出た。エレベーターに乗ろうとして、ボタンを押す。しばらく待つと、エレベーターの扉が開いた。乗り込んで、扉を閉めるボタンを押す。しかし、扉は閉まらない。念のため何度か押してみても、扉は開いたままだ。
仕方がないのでエレベーターから降りる。すると、エレベーターの扉は閉まった。
もう一度ボタンを押す。反応がない。よく見れば、ボタンに光が灯っていない。電源が入っていないようだった。
「これ、壊れてんじゃねぇのか」
呟き、仕方なく階段へ向かう。階段の一段目に足をつけようとして、ふと誰かの気配を感じて振り向く。エレベーターの前に守哉によく似た少女が立っていた。神様だ。
エレベーターが壊れている事を告げようとすると、神様は守哉の方を向いてにや~っと憎たらしく笑うと、ボタンを押してエレベーターに乗り込んだ。神様を乗せたエレベーターは扉を閉め、一階へと下りていく。
「なんでだよ!?」
守哉の叫びが廊下に響く。
たぶん、これがこの島最大の不思議だろうと、守哉は思った。
☆ ☆ ☆
食堂に入ると、テーブルの一つに優衣子が座っていた。しかめっ面でテーブルに両肘をつき、なにやら考え事をしているようだ。
優衣子の向かいに座る。今日のカップラーメンは味噌味だった。
「いただきます」
置かれていた箸を手にとってずるずるとすする。若干、麺がのびていた。
「ねぇ、私のブラ見なかった?」
肘をついたまま優衣子が言った。
「だから知らねぇって」
「そんな事言って、実はオカズにしてるんじゃないでしょうね?」
「んなわけあるか!」
思わず怒鳴ってしまった―――口の端から麺が飛び出て、テーブルに落ちる。優衣子がそれを拾って食べる。
……さすがに守哉も引いた。
「人の口から飛び出たものを食べるなよ。気持ち悪いな」
「嫌なら口から出さなきゃいいじゃない。食べ足りないのよ、私」
そう言うと、優衣子は立ち上がって調理場へ向かった。コップに水を入れて持ってくると、再び座って飲み始める。
「それより、私のブラどこいったのかしら?黒で、Fカップのやつ」
「風で飛ばされたんじゃねぇの?」
「そう思って探したけど、どこにも見当たらないのよ。となると、盗まれたのかしら」
「下着ドロだな」
「困ったわね。下着って、この島じゃ結構貴重なのよ?隣島にしか売ってないんだから」
ここで言う隣島とは、神奈裸備島の事だ。かささぎ橋という長大な橋で繋がれた二つの島は、上から見るとバーベルのような形をしている。ちなみに、橋を渡るには定期的にこの島にやってくるバスに乗らなければならない。
「まいったわね。ブラ、あと三つしかないんだけど」
「三つあれば十分じゃねぇの」
換えの下着を二着しか持っていない守哉が言った。守哉に金をつぎ込む事を嫌った両親は、まともに服を買い与える事さえしなかった。守哉はおしゃれとは無縁だったのである。
「男と違って女は中身にも気を配るの。さては未鏡君、女の子と付き合った事ないわね?」
「あいにく、女にモテた事がないんでね」
「ありゃま。美形のくせにもったいない。まあ、その捻くれた性格が原因かもね。どうでもいいけど」
ふわ~、と大きなあくびをしながら優衣子が言った。
「ごちそうさま。なあ、あんたが自炊しないなら、俺が飯作ってもいいんだぜ?」
「料理しようにも、冷蔵庫に材料が入ってないのよ。インスタント食品だけは定期的に支給されてるから、我慢してそれ食べなさい」
そう言うと、優衣子は食堂の隅に置いてある掃除用具入れに向かった。中からほうきを二本取り出すと、一方を守哉の方に放り投げた。思わず掴み取ってしまったが―――
「なにこれ?」
「見てわかるでしょ、ほうきよ。未鏡君どうせ今日暇なんでしょ?掃除手伝ってよ」
「一応、用事あるんだけど」
「どうせババアんとこで訓練するんでしょ?逢う魔ヶ時まで時間はたくさんあるわ。まずはロビーから始めるから、ついてらっしゃい」
そう言うと、優衣子は食堂を出て行った。特にやる事もないので、守哉はその後を追う。
誰もいなくなった食堂を、外に広がる草葉の陰から一匹の猫が見つめていた。
☆ ☆ ☆
守哉と優衣子が朝の掃除を終わらせたのは、午後5時を過ぎた頃であった。
昼飯は食べていない。1時を過ぎた頃に守哉が一度昼食を申し出たが、却下された。昼飯なんて食べてたら終わらない、との事だった。
そんなわけで、お腹を空かせた守哉は神代家に訪れると、開口一番腹が減ったと主張した。それを聞き入れた七瀬は、すぐにおにぎりを四つとたくあんを二つ用意してくれた。それを数分で平らげた守哉は、食い足りないと言ったが、ちょうどやってきたトヨに頭を殴られたので断念した。
かくして、守哉、七瀬、トヨの三人は庭園に集まった。
「今日は七瀬も訓練をするのか?」
「ちゃうわい。おぬし、自分の役割を忘れておらんか?」
腕を組んで考える守哉。すぐに思い出した。
「ああ、神さびか。そういや、一週間に一度だけ現れるんだっけ」
「そうじゃ。週が変わったからのう、今日神さびが来るかどうかを今から調べるんじゃ。来なければ訓練、来たら実戦じゃな」
「ふーん……。どうすれば神さびが来るかどうかわかるんだ?」
「開闢門の開き方でわかる。今から七瀬が呪法を用いて開闢門の開き具合を調べる。いつもより大きく開いていれば神さびが来る可能性があり、いつもと変わらなければ来ない、というわけじゃな」
七瀬は庭園の真ん中にデフォルメ化した猫の顔が描かれたシートを敷き、その上で正座している。その手には先端に大きな輪がついた棒を持っていた。集中しているのか、目を瞑ってうつむいている。
「あれ、呪法って逢う魔ヶ時じゃないと使えないんじゃないの?まだ逢う魔ヶ時まであと数分あるぜ」
その問いに、トヨは笑みを浮かべて答えた。
「普通はな。神力を内包している量は個人差があるのじゃが、普通は呪法に必要な量の神力を持っていないのじゃ。じゃが、この子は生まれながらにして多量の神力を内包している。よって、神力の強まる逢う魔ヶ時以外でも呪法を発動する事ができるのじゃよ。まぁ、いつでもというわけではないがのう」
自慢げに話すトヨ。七瀬本人はその事は何も言っていなかったが、そこのところ七瀬はどう思っているのだろう。
「ふーん……逢う魔ヶ時って、神様の力だけ強まるんじゃないんだな」
「わしらが持っとる神力も元々は天照大神のものじゃ。間接的にわしらも強くなるという事じゃよ」
そこで、七瀬がゆっくりと目を開けた。時刻は6時ちょうど。逢う魔ヶ時である。
「……開いた」
「して、結果は?」
トヨが真顔になって言う。七瀬はトヨの方へ振り向いて答えた。
「……来る」
「わかった。では、今から港へ向かう。―――こい、百代目」
最後の台詞を言魂にして、トヨが言う。トヨの腰が真っ直ぐに伸び、筋肉が一回り大きくなった。
守哉も、イメージして答えた。何度か訓練を繰り返した末に習得した、身体強化の言魂。
「―――わかった」
全身に力がみなぎる。今なら、空も飛べる気がした。
いや、さすがに無理だが。
神代家を出た三人は、港を目指して走った。守哉の右足の後遺症は一時的なものだが治癒されている。思いっきり走る事ができるという事に、守哉は少し浮かれていた。訓練中は長時間走る事がなかったからだった。
学校の前から伸びる幅の広い下り坂を駆け下りる。守哉にとって、島に来た時以来通る事のなかった坂だった。この坂は直接港に繋がっている。
坂を駆け下りながら、守哉はトヨに問いかける。
「ババア!七瀬も連れて行くのか?」
「当たり前じゃ!この子は神和ぎではないが、呪法で援護くらいはできるからのう」
「だったら、なんで神さびと戦うのに三人だけなんだよ?味方は多い方がいいんじゃないか?」
「足手まといはいらん!神和ぎだけで十分じゃ!」
そう言うと、トヨは走る速度を上げた。一気に坂を駆け下りていく。
「だったら、七瀬も戦わせなけりゃいいのに。七瀬が危険な目にあってもいいのかよ」
「……かみや、わたしはだいじょうぶだから」
七瀬が微笑みながら答える。守哉は何か言おうとしたが、そこである事に気づいて足を止めた。
「……どうしたの?」
七瀬も一緒になって立ち止まる。
「人がいた」
「……え?」
「先に行ってくれ。見間違いじゃないか確かめてくる」
そう言うと、守哉は民家の間にある細道に向かって駆け出した。後ろから制止する七瀬の声が聞こえたが、守哉はそれを無視して走って行った。
☆ ☆ ☆
迷路のような細道を抜けると、多少広い坂に出た。先ほど走っていった坂とは別の坂だ。商店街なのか、それらしき店が立ち並んでいる。逢う魔ヶ時のためか、既に全ての店が閉まっていた。
あたりを見回すと、坂を上っている一人の少年が見えた。守哉は大声で少年に向かって叫んだ。
「おーい!今は逢う魔ヶ時だぞ!早く帰宅しろ!」
守哉の声に、人影は答えない。仕方なく、守哉は少年に向かって駆け出した。少年の肩を掴み、強い口調で守哉は言った。
「聞こえなかったのか?逢う魔ヶ時だ。家に帰れ」
逢う魔ヶ時―――午後6時から7時の間、島の住人は外出してはならない。島の住人ならば必ず知っているはずの事だった。
少年は、守哉の方を振り向いて答えた。
「言われなくてもわかってる。でも、俺は帰らない」
その顔に守哉は見覚えがあった。確か、学校でいつも守哉の隣席で眠っている少年だ。確か、星町忠幸という名前だったはずだ。
赤い髪のツンツン頭で、おでこに大きな絆創膏をはっている。どこか生気をなくしたような虚ろな目で守哉を見つめていた。
「俺は、藤丸を見つけなきゃならないんだ。だから、放っておいてくれ」
そう言うと、忠幸は守哉の手を振りほどいてきびすを返した。守哉は再びその肩を掴んで引き止める。
「なんだよ」
「俺は神和ぎだ。お前ら島の住人を守らなけりゃならない。だから―――」
「うるっせぇな!!」
忠幸は、大声を上げると再び守哉の手を振りほどいた。
「神和ぎだからって偉そうな顔してんじゃねぇよ!!選ばれたからって調子に乗りやがって!」
「俺は調子に乗ってなんかいない!ただ、神和ぎになったからには―――」
「からにはなんだ!?何も知らないくせによく言うぜ!お前なんざさっさと神さびに食われちまえ!」
そう言うと、忠幸は守哉を突き飛ばした。足でバランスを取って、なんとか倒れこまずに済む。
そんな守哉を憎悪を宿した目で睨みつけると、忠幸は坂を駆け上がっていった。一瞬後を追おうとした守哉だが、神さびが来ている事を思い返すと、追うのを断念して先ほど来た道へ戻った。島の中央の坂に戻ると、一気に駆け下りていく。
港につくと、トヨが仁王立ちして海を睨みつけていた。離れた場所に七瀬もいる。
トヨは一度守哉の方へ顔を向けると、すぐに前に向き直った。守哉が近づこうとすると、七瀬に呼び止められる。
「……おばあちゃんに近づいちゃダメ」
「なんでだよ」
「……もうすぐ神さびが来る。おばあちゃんはそれを迎え撃たなきゃいけないから、近づくと危険」
突然、守哉はおぞましい気配を感じた。海の向こうに、何かがいる。こちらへ近づいてきている。
トヨは、両手を左右に広げると、何かを呟き始めた。若干前傾姿勢になって少しずつ左右に広げた腕を前に移動させていく。
地響きが港を襲う。それに合わせて海の波も激しくなる。高波が港に押し寄せ、水しぶきが守哉達に降りかかった。
「……―――来る!」
七瀬が叫んだ。瞬間、一際高い波がトヨを襲った。その波の中から、巨大な何かが飛び出してくる。
「円状護法!!」
トヨが叫ぶ。前方に突き出した両手を中心に、トヨをドーム状の薄い壁が覆った。波から飛び出してきた何かはその壁にぶつかり、地面へ落ちる。
それは、巨大なイカだった。全長4mほどもある巨大なイカ。しかし、イカでありながらその全身はうろこで覆われており、八本の昆虫のような足が生えている。先端部分にはやじりのような黒い物体がついていた。
「イカと虫の輪廻に捕らわれた神さびか!七瀬、動きを止めい!」
地面で蠢く神さびを前に、トヨが叫ぶ。七瀬は、ワンピースのポケットから50cmほどの鎖を取り出した。地面に円を描くように置くと、うつむいて何かを短く呟き、顔を上げて叫んだ。
「……蛇連縛法!」
瞬間、神さびの全身を包むように巨大な鎖が現れ、神さびを縛りつけた。急激に絞まっていく鎖に苦しんでいるのか、神さびは不気味な唸り声を上げた。
それを見計らい、トヨはバックステップしてその場を離れる。同時に、トヨを包んでいた壁も消えた。 トヨは、一瞬目を瞑った後、神さびに向かって叫んだ。
「―――水よ!」
トヨの声に呼応して、突然海の水が持ち上がると、空中に巨大な水の槍を作り出した。トヨが両手を広げて前に向けると、その動きに合わせて水の槍が神さびに突き刺る。再び神さびは唸り声を上げた。
しばらく呆然と事の成り行きを見守っていた守哉だが、それに気づいたトヨに叱咤されて目を覚ました。
「お前も攻撃せんかっ!!!」
慌ててイメージする。先ほど、トヨが放ったものと同じ水の槍のイメージ。
「―――水よ!」
守哉の声に呼応して、海の水が持ち上がり、空中に巨大な水の槍を作り出した。トヨが刺した場所とは反対側に作り出し、神さびに突き刺す。
さらに、守哉とトヨは同じ事を繰り返した。水の槍を作り出しては突き刺し、作り出しては突き刺す。地面の上でのた打ち回っていた神さびは、水の槍を何十本も突き刺すと、びくっびくっと震えて動きを止めた。
港に静寂が訪れる。守哉は、ほっと胸をなでおろして呟いた。
「倒したか……」
「まだじゃ!」
トヨが叫ぶ。瞬間、神さびが突然跳ねた。同時に鎖が引きちぎれ、突き刺さっていた水の槍が消滅する。空中で方向転換した神さびは、昆虫のような足を守哉達に向ける。
次の瞬間、神さびの足が伸びて守哉達に襲い掛かった。
「―――避けいっ!!」
トヨが叫ぶと同時に、トヨの足元が膨れ上がってトヨを放り投げた。守哉は言魂を使わずにバックステップする。神さびの足は地面に突き刺さると、カニのように直立した。
地面に着地したトヨは、両手を前方に交差させた。両手の薬指を合わせると、合わさった薬指の裏に歪な星型の火傷が出来上がる。そのまま両手を握ると、握った手の隙間から光が迸った。
「雷牙、紫電!」
トヨは叫ぶと同時に握っていた両手を真横に離した。その手には、紫色に光る長い柄と青白く光る反り返った刃を備えた長刀が握られていた。
驚く守哉を尻目に、トヨは長刀を構えて突進した。片手で振り回しながら神さびの足の間に滑り込むと、片っ端から神さびの足をなぎ払っていく。トヨが神さびの後ろへ通り抜けると、足の支えを失った神さびの身体が地面へ落下した。さらに、その身体にとどめとばかりに長刀の刃を突き刺す。
「散れィ、紫電!!」
トヨが叫ぶと、神さびに突き刺した刃の光が増した。甲高い音を立てて稲妻がほとばしり、神さびの身体を包み込んでいく。
神さびは苦しみの唸り声を上げた。凄まじい光に守哉は手をかざして光を遮る。しばらくして音が止むと、神さびの身体は黒く焼け焦げていた。
「こ、今度こそ……」
かざした手を下ろしながら守哉が呟く。しかし、神さびは生きていた。ぴくぴくと小さく震えると、突如、呆けていた守哉に向かって突進してくる。突き刺さっていたトヨの長刀の刃が神さびの身体を切り裂き、神さびは唸り声を上げた。
黒いやじりのような神さびの先端が守哉を襲う。咄嗟の事に、守哉は反応できなかった。
「……螺旋護法!」
七瀬が叫んだ。瞬間、守哉を囲むように巨大な壁が地面から生え出し、突進してきた神さびを遮った。
「早く魔刃剣を抜かんか!」
トヨの大声が聞こえる。守哉は我に返ると、左手の歪な星型の火傷の前で右手を握った。瞬間、剣の柄が出現し、それを勢いよく引き抜く。青い刀身が宙に煌めき、辺りに冷気をまき散らす。
守哉は魔刃剣を逆手に持って頭上に構えた。勢いよく振り下ろし、地面に突き刺そうとする。しかし、突如目の前の壁にヒビが入り、刀身が地面に突き刺さる前に壊れた壁から巨大な黒いやじりが飛び出した。
「ッ!!!」
神さびの身体の先端が守哉にぶつかる。その先端が守哉の身体を粉々にする前に、新しく地面から生え出た壁が神さびの身体の動きを止めた。それでも守哉の身体は後ろに吹き飛び、地面を横転する。
10m近く吹っ飛ばされた守哉は、よろよろと腕を地面について立ち上がった。神さびは地面から生えた壁に突き刺さって身動きがとれなくなっている。トヨに切り裂かれて半分ほどの長さになった足を蠢かせ、壁を突き破ろうとしているようだったが、新しく生え出た壁が神さびの残りの足を強引に引き裂いた。神さびが苦しみの唸り声を上げる。
身動きが取れなくなった神さびを前に、トヨは長刀を両手で持つと頭上で振り回し始めた。青白い刃が空中に帯を描き、次第に刀身が電光を孕み始める。
守哉は魔刃剣を再び振り上げようとしたが、先ほど神さびの先端が激突した腹部を激痛が襲い、うめいて地面に倒れこんでしまう。魔刃剣が手から離れ、音を立てて砕け散る。
顔を上げて神さびを見つめる守哉。神さびを戒める壁には大きな亀裂が入っていた。壊れるのは時間の問題だろう。
再び左手をかざす守哉。もう一度魔刃剣を引き抜く。その刀身は、先ほどのものよりも輝きが鈍っていた。よく見れば、刀身がボロボロに欠けている。
そんな魔刃剣の状態には構わず、守哉は倒れこんだまま魔刃剣を地面に突き刺した。しかし、以前のように地面は凍てつかない。刀身が刺さった部分の周囲だけ、僅かに地面が凍りついていた。
「なんで……」
力なく守哉は呟いた。顔を上げて神さびを見る。壁の亀裂が大きくなり、遂には砕け散った。自由になった神さびの身体が地面を滑る。びちびちと身体を跳ねさせると、次の瞬間守哉に向かって飛んできた。
やられる、そう思い守哉が目を瞑った時―――
「行け、青龍!!」
トヨの叫びが、聞こえた。
瞬間、守哉の目の前まで迫った神さびの身体が垂直に飛び上がった。地面から巨大な槍が幾重にも突き出て、神さびを串刺しにしていた。巨大な無数の槍が突き刺さった神さびは、一度唸り声を上げながら大きく震えると、ぶしゃあぁっ、と音を立てて肉片を周囲に飛び散らせ、粉々になった。
呆然と見上げる守哉に、神さびの無数の小さな肉片が降りかかった。同時におびただしい量の黒い血の雨が降り注ぐ。
戦闘は終わったのだ、と守哉は理解すると、地面に倒れこんだ。霞んだ視界の端に、泣きそうな顔で走り寄る七瀬の姿が映る。
ふと何かの視線を感じて視線を上にやると、空中に浮かぶ巨大な緑色の龍が守哉を見下ろしていた。
なんだありゃ、と呟くと、不意に守哉の意識は遠のいていった。