第96話 “神力と神域”
日諸木学園の屋上から、鎮守の森を眺める影があった。
守哉に似た容姿を持つその影は、突然ほっとしたように緊張していた顔を緩ませた。
「……まったく、あまり世話を焼かせないでおくれよ」
微笑みながら呟くその影―――天照大神は、どこか疲れているように見えた。
☆ ☆ ☆
「ん……」
暖かい何かが額に触れ、守哉は目を覚ました。
手を額に伸ばすと、誰かの手に触れた。
「ひゃっ……」
「……七美?」
「やっと気が付いた……もぅ、心配させないでよ……」
ほっとしたように胸を撫で下ろす七美。
周囲を見回せば、そこは広い和室だった。見覚えのある部屋……という事は、ここは神代家か。
ゆっくりと体を起こすと、腹部が猛烈に痛んだ。激痛に思わず背を丸める。
「いっ痛……!いってぇぇ……!」
「ちょっと!無理しないでよ!」
「だ、大丈夫だ。それより、俺はなんでここで寝てるんだ?」
「私が運んできたの!七緒を探してたら急に誰かの声が聞こえたのよ、あんたが危ないから急いで森に行けって。そしたら、七瀬と優衣子さんとあんたが倒れてて……あんたなんかお腹に穴空いてるじゃない。それで、急いでトヨバアを呼んであんた達を家まで運んだのよ」
「待て、そこにいたのは俺達だけか?他に誰かいなかったか?」
「そうよ。他に誰かいたの?」
七美の質問に守哉は答えられなかった。疑問に頭が支配され、腹の痛みさえ忘れてしまう。
あの場にいたのは、守哉、優衣子、七瀬、七緒(七乃の心)、七乃の器―――そして、守哉が意識を失う寸前に現れた少女の六人。しかし、七美が何者かに呼ばれて到着した時には三人しかいなかったという。
そうなると、七乃の器と心はどうなったのだろうか。元に戻ってしまったのか、それとも……
守哉が考え事にふけっていると、七美が突然頭をはたいてきた。
「いてっ……何すんだよ」
「一人で考え事してないで、私にも話しなさいよ!一体、森で何があったのよ?七瀬は放心状態で動かないし、優衣子さんは目を覚まさないし、トヨバアはどこかに行っちゃうし……もう何が何やらよ」
「そうだな……少し整理したいし、話しておくよ」
守哉はかいつまんで森の中で起こった事を説明した。
七美は多少は納得したようだが、やはり守哉と同じ疑問を抱いたようだった。
「なるほど……でも、ちょっとおかしくない?私が行った時には三人しかいなかったのよ。器が追いかけてたのは心だけじゃないの?七緒はどうなったのよ」
「俺が知るかよ」
「大体、誰があんた達を助けたのよ。そいつはあんた達を置いてどこに行ったの?」
「だから、俺が知るかって」
「なら、私が答えようか」
突然の声。驚いて二人が声のした方へ振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。
首元まで伸ばした水色のショートヘアは、肩口で綺麗に切りそろえている。。身を包む真紅の和服は袖が長く、手首を覆い隠すほどもある。対照的に、胴の部分は太ももを半分も隠しきれないほども短い。ミニスカートの和服と言えばわかりやすいか。
守哉は、その少女を知っていた。忘れるはずもない、守哉の最初の友達―――
「七歌……」
「うそ……嘘でしょ!?七歌姉……!!」
驚きを隠せない二人を見て、少女―――神代七歌は、くすりと微笑んだ。
「やぁ、また会ったな、守哉。それに我が妹の七美」
「ななななんで七歌姉がここにいんのよ!?あ、荒霊?荒霊なの……!?」
「私は和魂だよ。そこにいる守哉に少し前に鎮められたのだ」
「なんですって!?ちょっと、聞いてないわよ守哉!」
「教えてないからな……って、首を絞めるな!わ、悪かったって……!」
「おいおい、仲がいいのは構わないが、守哉は病人だ。あまり手荒くしてくれるな」
「あ、そうだったわね……ごめん」
気が抜けたように守哉の首から手を放す七美。守哉は軽く咳き込みつつ、気を取り直して七歌の方を向いた。
「とにかく、七歌。俺が気を失った後に何があったのかを話してくれないか」
「いいだろう。……私があの場に顕現してから、すぐだ。七乃の器は七緒ごと連れ去っていった。戦闘にはならなかったのでな、すぐに七美を呼んでお前達を運ばせたのだ」
「こっちの事情は知ってるみたいだな」
「ずっとお前の傍にいたのでな。ある程度の事情は把握しているつもりだ」
「そうか……ん?ずっと?ずっとっていつからだ……!?」
「そんな事はどうでもいいが、器が私と戦わなかったのは神域侵食の限界時間がきたからだろう」
「神域侵食って何よ?」
「神域侵食とは、既に敷かれている神域の中に新しく神域を作り出す事をいう。……ふむ、少し長くなるが話しておいた方がいいだろう」
わめく守哉を放置して、七歌は説明を始めた。
「まずは、神域と固有神力について話しておこうか。……神域とは、神力を持ち、かつその神力の根源となる者が周囲に放つ神力により作り出された目に見えない領域の事だ。例えば、神奈備島とその周辺海域には天照大神から放たれた神力で神域が構成されている。そして、神域内では同種の神力を持つ者だけが神通力を発動する事ができるのだ」
「同種って事は、神力にも種類があるわけね」
「そうだ。神力というのは個人によってそれぞれ異なる。そして、その者が持つ神力を固有神力と呼ぶ。私達の場合、天照大神の神力を借りているわけだから、私達の固有神力は天照大神の神力という事になる。つまり、天照大神の神域内でしか神通力を発動できないというわけだ」
「なるほどね……眠くなってきたわ」
「七美は相変わらず座学が苦手のようだが、続けさせてもらうぞ。……とにかく、神域内では同種の固有神力を持つ者しか神通力を発動できず、効力を維持できない。となれば、神域内で別の固有神力を持つ者が新しく神域を敷くと、どうなるか」
「神通力を維持できない……あ、そうか、それで……!」
「意外にもちゃんと聞いていたようだな、守哉。そういう事だ」
つまり、あの時言魂が使えなくなったのは天照大神とは別の神域があの場に敷かれたためだったのだ。言魂が維持できなくなるという事は既にかかっている言魂の効力も消えてしまうため、身体強化の言魂も消えてしまった。それも、発動者の意思に関係なく。
ふと、守哉は似たような状況があった事を思い出した。磐座機関本社ビルに捕まっていた時受けた、代替実験―――大呪法・絶対輪廻を。
「もしかして、絶対輪廻も……」
「知っているのか?」
「お前、俺の傍にずっといたなら俺の身に起きた事も知ってるんじゃねぇのかよ」
「そう睨むな、四六時中傍にいたわけではないよ。それに、私は神奈裸備島まではついて行けなかったのだ。天照大神に止められてな」
「神様と知り合いだったんだな」
「まぁ、友達ではある。それはともかく、絶対輪廻は神和ぎの魔闘術を一般人に複写する呪法だ。その代償として、器を乱された一般人は天照大神の恩恵……即ち神力の供給を断たれ、その者独自の固有神力を手に入れる。そして、絶対輪廻によって天照大神の神力から切り離されてしまった者を拠り代と呼ぶのだ」
「ちょっと待て、そうなると拠り代はどうして天照大神の神域の中で呪法が使えるんだ?」
「それは、拠り代の神力が元々は天照大神の神力だからだ。拠り代は確かに独自の固有神力を持っているが、それは生み出す事ができるだけで実際には二種類の神力を持っているのだ。以前から持っていた天照大神の神力と、新たに生み出した自分の固有神力の二つをな。そして、魔闘術複写のために大量の神力を移植された拠り代は、それを最後に天照大神の神力を供給できなくなる。拠り代が天照大神の神域内で神通力を発動できるのは、天照大神の神力を持っているからだが、それには限りがあるという事だ」
「それを使い尽くせば、拠り代は神域侵食を行わない限り神通力……呪法を発動できないって事か」
「そうなるな。神域侵食には大量の神力を使うから、天照大神の神力を使った方が結果的に燃費がよくなる事が多いようだし、限りがあるといってもちょっとやそっとじゃ使い切れないほどの神力を内包しているからな」
「それじゃあどうやって戦えばいいんだ。相手はこっちを無力化できるってのに」
「長期戦に持ち込めば勝てる見込みはあるかもしれんな。先ほど言ったが、神域侵食には大量の神力を消費する。それこそ、侵食中は神通力を数回しか使えないほどにな」
「つまり、侵食されたら相手の神力が底をつくまで逃げ回れって事か」
「それが妥当だろうな。……話は以上だ。そろそろ眠い……私は休ませてもらうぞ」
眠たそうに目をこする七歌。どうやら本当に眠いようだが……
「和魂なのに寝るのかよ」
「和魂だからこそ、だ。私は藤丸と違って内包できる神力の量が少ないのでな……実体化できる時間が短いのだ。寝て神力を回復しなければならん」
「藤丸とも知り合いだったんだな」
「ああ、友達だ。今まであれを通してお前に助言していたが……」
「そうだったのか……」
思わず右目を押さえる。青く染まった右目―――藤丸と栄一郎がくれた瞳を。
その事を知ってか知らずか、七歌は守哉の頭を抱きしめた。
「七歌……?」
「……これからは、私がお前の使い魔となろう。お前のその命尽きるまで―――いや、尽きた後も、私はお前の傍にある」
「どうしてそこまで……成仏しようとは思わねぇのかよ」
「私はお前に救われた。そして、まだお前には救ってほしい者達がいる。そのために……いや、違うな。私は単純に、お前が好きなのだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「………」
「私はいらないか?」
「……いるよ。いるに決まってる。俺達、友達だもんな」
「そうだな。……守哉、これだけは忘れるな。お前は愛されているのだ、私と―――皆にもな。その事を、あの子にも教えてやってくれ」
まるで遺言のように語る七歌に、守哉と七美は焦った。
「な、七歌姉?もういっちゃうの!?」
「私はどこにも行かないよ。ただ、眠るだけだ。用があれば、守哉に呼んでもらえ。私は常に守哉の傍にいる」
そう言うと、七歌は姿を消した。
後に残された守哉と七美は、七歌が消えた空間をずっと見つめていた。
不意に、七美はぼそっと呟いた。
「……守哉……あんたってさ」
「言うな。なんとなくわかるから」
「ならいいけど。……あんま泣かせんじゃないわよ?」
「責任はとるっての。とにかく、まずは俺にやれる事をやるさ。―――七瀬はどこだ?」
その言葉に七美は顔をしかめたが、すぐに立ち上がって障子を開けた。
「こっちよ。言っとくけど、今会っても無駄になるかもしれないわよ」
「それでも会うさ。……言っただろ、責任はとるってな」
「あんたのせいじゃないでしょうに……まぁ好きにしなさいよ」
今更ながらに治癒の言魂をかけ、立ち上がる。腹の痛みもなくなり、普通に立ち上がる事ができた。
すたすたと進む七美について行った先は七瀬の部屋だった。七美は部屋の障子に手をかけると、
「七瀬、入るわよ」
ゆっくりと、障子を横に開いた。