車は車庫に
ペーパードライバーも五年に一度、実技復習が義務付けられた――そんな奇妙な法改正がなされた街。
「送迎バス、遅いわねぇ・・・」
道端で一人、お婆さんは独り言を漏らす。彼女にとって教習所は、亡き夫と一緒に通った思い出の聖地だ。免許を返納するつもりなど毛頭ない。老化防止の頭の体操、あるいは老人の社交場。彼女はそんな軽やかな気持ちで、送迎バスを待つ間に標識の予習をしていた。
一方、彼女を迎えに行く自動車学校の講師は、ハンドルの上で指を弾ませ、年俸の計算に耽っていた。 「とにかく売る。それが全てだ」
ここは自動車メーカー直営の学校。移動手段としてではなく、移動以外の活用法を提案して車を売りつけるのが彼の仕事だ。土地が余っているこの街の老人は絶好のカモだった。 『健康』『長生き』『お孫さんも喜ぶ』。この三つのキーワードさえ投げれば、老い先短い彼らは財布の紐を緩める。
送迎車が到着し、講師はお婆さんを助手席に乗せた。 「ウメさん、こんにちは。今日は交通標識の復習です。目的地までは僕が運転しますよ」 「よろしくお願いします」
車が滑らかに走り出す。
「ウメさん、今後運転する予定は?」 「ないです。お爺さんがドライブに行ったまま、そのまま帰って来ないからです」 「そうですか~、では、ご趣味は?」
講師は、夫の失踪などという重い事実を、埃を払うように聞き流した。お婆さんが咳き込む。 「皆さんゲートボールにハマってるようで、健康にいいですよねぇ」 「ゲートボールにハマってるようで、じゃないんだよ! こっちはね、私や仲間を運んでくれていた優しいお爺さんが、ドライブに行ったまま帰って来てないんだよ。スルーするんじゃないよ!」
お婆さんの語気が強まるが、講師の表情は一切動かない。 「それはそれはご愁傷さまです。ところで、ウメさん、ご趣味は?」 「あー!! お爺さんはね、ドライブからまだ帰って来てないだけなの! 今頃、森に迷い込んでオオカミのお世話になってるかもしれないじゃろ!」 「オオカミのお世話?」
講師は初めて、少しだけ首を傾げた。 「なんじゃよ!」 「・・・オオカミに食べられてないといいですね。もし食べられていても、僕は猟師ではありませんが、オオカミの腹を割ってお爺さんを助けますから」 「先生・・・」
お婆さんの目に涙が浮かぶ。講師はそれを合図に、商魂のこもった、いやらしいほどに明るい声を出した。 「で、ウメさん。趣味は?」 「・・・刺繍です」 「刺繍! いい趣味ですね! この椅子の素材は、お婆さんが刺繍を施せるように特別に設計されているんですよ。車内で、お孫さんに絵本を読む時間も楽しくなります」 「なんて素敵な・・・。今すぐ欲しいわ。今からウチに納車できませんか?」 「はい、喜んで! ウメさんのご自宅へ向かいます!」
講師は軽やかにハンドルを切った。お婆さんは満足げに頷き、昔話を始めた。 「私はね、昔、健康器具の販売員をしてたんですけど、会社の商魂体質が苦手で辞めましたの」 「そうですか~、それは健康にいいですね~、長生きしますね~、お孫さんも喜びますね~」 「お爺さんはね、ゲートボールで、ゲートボール以外の楽しみも見つけたんです」 「そうですか~、それは健康にいいですね~、長生きしますね~、お孫さんも喜びますね~」 「最近、ドライブ中に行方不明になった事件が続いて、怖いですねぇ・・・」 「そうですか~、それは健康にいいですね~、長生きしますね~、お孫さんも喜びますね~」
壊れたレコードのような講師の相槌が響く中、車は郊外の一軒家の前に止まった。 「はい、着きました。シャッターを開けるから待ってください」
お婆さんは車を降りると、壁のボタンを押した。重々しい音を立てて、ガレージのシャッターがゆっくりと上がっていく。 「先生、中に停めてください」 「毎度ー」 講師は言われるまま、暗いガレージの中へ新車を滑り込ませた。お婆さんは外で、シャッターを閉めるボタンを押す。
シャッターが降りきる直前。 ガレージの暗がりに、ぼんやりと人影が見えた気がした。
「中にお爺さんもいますよ・・・さようなら」
お婆さんの声は、完全に閉ざされた鉄の扉の向こうへと消えた。
街では今日も、不可解な行方不明事件のニュースが流れている。




