3話 勇者の母親。
興奮を抑えつつ着替えを済ました僕は、侍女の後ろを追いながら、リリックの母親の部屋に向かった。
自分の部屋もかなり広かったが、廊下の幅だけでも僕の前世の部屋より広い。
(それよりリリックの母親ってどんな感じの人なんだろうか、原作やアニメでは名前だけで顔とかは描かれていなかったな。でもかなり美人そうだ。おまけに息子を溺愛してるからな…憑依したことがバレないようにしなければ…)
僕は浮かれつつもバレないための対策をあれこれ考えているうちに部屋に到着したようだった。
侍女が部屋の戸を叩き僕が来たことを伝えると中から母と思われる人物の声が聞こえた。
「入りなさい。」
たった一言。
それだけなのに何故か僕の体は震え上がり先ほど感じた高揚感とは全く異なる種類で心臓が大きく脈を打ち始めた。
僕の意思とは関係なく体は強張り恐怖しているのがわかる。
震える手を力強く握りしめて室内に入ると金色の髪をまとめ派手なドレスを着飾った貴婦人が深く濃い赤色の瞳で鋭く僕を睨みつけた。
(この女性がクローリア・エメラルド公爵夫人…なのか?)
冷や汗が止まらない僕はとりあえず挨拶をするために声を出そうとした時だった。
「早く脱いで跪きなさい。」
母と思われる人物に想像もしてなかったことを要求された。
「えっ…?」
(脱ぐ?なんで?跪く?なんで?聞き間違いか?)
あまりにも想像していなかった要求に狼狽えていたら女性は僕に近づき片手に持っていた扇子で僕の頬を強く叩いた。
バシッッ…!
「え…」
痛みよりも驚きが勝る。
予想すらしていなかった事態に僕は考えることすらできなかった。
「早く脱いで跪けと言っているのが聞けないの?!これ以上私を苛つかせないで!」
耳が痛くなるほど高い声で怒鳴りつけられ、僕は訳もわからぬままシャツを脱いで跪いた。
侍女から何かを受け取った女性は僕の後ろに周り、風を切る音がした後に肉を打つ鈍い音が響いた。
「い゛っ、、あ゛ぁぁ゛ぁぁ!ーッ!!!なんっ、で…?!」
僕の背中は尋常じゃないほどの痛みを感じ瞬時に鞭で叩かれたのだと理解した。
背中がジンジンと熱を帯び空気が触れるだけでも痛みを感じる。
分からない。
何故僕は鞭で叩かれているのか。
叩かれた衝撃と痛みで声を上げるとまた鞭が振り下ろされた。
「声を出すんじゃない!我慢しなさい!あーほんと腹立たしい連中ばっかり!!」
「ぐッ…、、‼︎」
「あの女!私より幸せそうにするなんて許せない!!地獄に堕ちろ!!」
そう言って女性は汚い口調で誰かわからない人物の愚痴を言いながら僕を強く何度も叩いた。
恐怖心から僕は強い痛みに声を押し殺して、唇を噛み締め耐えていた。
(何故だ。リリックは愛されていたんじゃないのか?優しい両親のもとに生まれて愛され育った。物語ではそうだった。コイツは本当にリリックの母親なのか…?)
上げて落とすとはまさにこのことかと、先ほどまでの僕は約束された未来に胸を高鳴らせていたのに今僕は何故か鞭で叩かれている。
(痛い。痛い。痛い。熱い。)
こんな痛みは前世でも経験したことがない。
訳がわからない痛みに涙を浮かべ堪えていると、ようやく鞭が止まった。
気が済んだと言わんばかりに満足そうな女性は侍女に鞭を渡し椅子に腰掛け何事もなかったかのように紅茶を飲み始めたのだ。
「さっさと治して追い出してちょうだい。」
怪我をさせた子供に対して女性は紅茶を一口飲み手払いしたのだ。
本当に意味がわからない。
必死に頭の中を整理していると今度は白衣を着た中年の男性が近づいて僕の背中に手をかざした。
《回復》
前世でもよく聞いた回復術の名前だ。
じんわりと背中が温かなり先ほどの痛みはみるみる引いていく。
全く追いつけない状況に僕はただ唖然とするしかなかった。
治療を終えた男性は先ほどの暴力的な女性に向かって機嫌を伺う様に発言を始めた。
「奥様、あまりやり過ぎると跡が残ります。もう少し抑えた方がよろしいかと、バレると厄介ですので…」
やはりこの暴力的な女性はリリックの母親であった。
怪我を治したのは、良心からではなく証拠隠滅のためであったのだ。
確かに僕がここで母に虐待されていると周りの人間に訴えても怪我がなければ誰も信用してくれないし、そもそも味方が居るのかも分からない。
白衣の男性に注意を受けた女性はあの暴力的姿からは想像できないほど穏やかに、それでいて楽しそうに「ええわかったわ、でも今日くらいのならまだ大丈夫でしょう?」と、クスクスと笑いながら話す様はまさに悪魔のようだった。
治療を終えすぐに追い出された僕は部屋に戻り先程行われた出来事を振り返っていた。
僕はリリック・エメラルドに憑依したはずだった。
だけど物語とは全く違う。
冷たい使用人。
虐待する母とそれに協力する医者。
このリリックは同姓同名の別人なのか?それとも僕が体に入ったことによって物語が変わってしまったのか?
いや、僕が体に憑依する前から虐待は始まっていた。
だから、母親の声を聞いただけで全身が震え上がっていたのだろう。
体が覚えてしまう程に虐待は繰り返されていた。
どういう事か分からないことだらけだ…
僕はベットに腰掛けブツブツと話しながら現状をまとめようとしていた。
だが考えれば考えるほど情報不足によりまとまらない。
分かっていることとすれば
自分が異世界のリリック・エメラルドという子供に憑依したこと、どういう理屈かは分からないが日本語ではないこの国の言語は理解できる。
この二つのみ。
「だったらもうあれを使って情報をかき集めるしか無いな…」