03 神越ヒミコは襲われる
「へぇ、なるほど。こんなとこに入口があるたぁな。手の込んでるこった……うし、お前にもう用はねえ。寝てろ」
山小屋に入り地下へと続く道を発見するや否や、ヒミコは黒御幣で案内人を殴りつけた。男は〝きゅうっ〟と、無駄に愛らしい声を漏らし倒れ込む。
「………………。」
ヒミコは床板で擬装されていた入口を進み、その先にあった扉を幽かに開け、中の様子を窺う。先の騒ぎで上にいた連中は全員倒したが、こちらへ逃げ込んだ可能性はあった。
(人の気配……一〇はいるか………………いや、けど多分これはちげえな)
意を決し突入する。かなり広い。三〇畳はあるだろう。中は存外、整理整頓されていた。もしかしたらあの禿頭の男の方針かもしれない。室内はきっちりと棚で仕切られ、壁際には木箱が規則正しく積まれている。
ヒミコは一足飛びに駆け、用心深く二度三度と地下室内を調べると……やがて、部屋の奥で足を止めた。
そこには。
男たちの言うところの〝商品〟が、檻の中で死人のような虚ろな目を浮かべていた。
「かー、全員クスリ漬けじゃねえか……抜くまで時間かかるだろーなぁ………………げっ、おいおいマジかよ。ガキまでいるじゃねえか」
それも少女ではない。少年、いやそれ未満と評しても過言ではない男児だ。
「【だみっと】、胸糞わりい……おいガキンチョ、もうちっと待ってろよ。他を調べたら出してやる。あとで警察もくっから心配すんな」
話しかけてみたものの反応は希薄だ。ぼうっと虚空を見詰め、ぼそぼそと呟くばかり。
(……やれやれだぜ)
胸内にどろりとした物が落ちる。しかし、ヒミコはよく訓練された心の動力学でそれを追いやった。
そもそも今回の仕事は変則的である。以前に借りのあった地方警察の知人から〝捜査中の違法組織が近々大規模な取引を行う。手が足りないので力を貸してくれ〟と頼まれて、いくつか挙がっていた候補地の一つを任されたのだ。
このような警察との協力は、公には国家巫女のそれがよく知られる。だが、力関係は国家巫女に大きく傾き、彼女らが警察に連携を要請することはあっても、逆はよほどの事態でなければない。ましてや予算・人員面で劣る地方警察では言わずと知れ、結果、現場では代わりに民間巫女や個人巫女へ話がいくこともままある。とはいえ警察の七面倒な面子上、それらは一般に知られぬよう機密保持を重視した契約になるのが通例だが。
「ケッ、これじゃあまるで正義の巫女さんだぜ……」
ヒミコは露悪的に嘯く。
仕事の選り好みが顕著な個人巫女だが、彼女の判断基準は至って単純である。
自分が納得できるか、否か、それだけだ。仕事の清濁にはこだわらない。
それが五年前の華歴九三五年から個人巫女として活動を続ける中、ヒミコが見出だした指針である。
もっとも、そうした我が道を好んで歩む姿勢こそが〝外道巫女〟という不名誉な二つ名の一因でもあるのだが。
「クスリにチャカに………………んだこりゃ、絵か? ……ああ盗品か、あんなヤツらに風流がわかるはずもねー。で、こっちは色々とアレそうな書類関係っと」
ヒミコは地下室の棚を手当たり次第に探っていた。
既に警察には連絡済みなので、いずれやって来るだろう。ヒミコはその前に調べておきたいことがあった。
これも警察への協力……ではない。
彼女が今回の捜査に協力した思惑は借りを返すのみにあらず、個人巫女として把握しておきたい情報――昨今の裏社会の情勢を知るためでもあった。
「うーん。ここまでは概ね普通だな。昔っからのお約束みてえなもんだ。別段変わりはねぇ……となると、あっちの木箱か?」
木箱。
あの禿頭の男は言っていた。今夜は新規の客と大口の取引がある、と。
ヒミコはその取引物を運び出している所を目撃し、囚われの身(表面上)となったのだ。
木箱。おそらく運搬に使われているのだろう。壁際に規則正しく積まれたものは空のはずだ。
だが入口付近に置かれたあれらはもしかして――
「ヒュウ、【びんごぅ】!」
ヒミコは口笛を吹いて眉をあげる。彼女が目をつけた木箱の中には、黒い金属製の装飾を施した橙色の結晶が入っていた。
「やっぱり〝結界石〟か……」
結界石。読んで字の如くの働きを持つ石だ。北東の地で僅かに採掘される〝霊石〟に、緋ノ巫女が長い年月に渡り巫術を施すことで精製される。一度結界を展開すれば最新鋭の軍事兵器すら無効化する障壁が立ちはだかり、その出自や希少性から通常は国水準の機関・施設でもなければまず縁がない。
何より――巫術と同じく、緋ノ巫女でなければ使えない極めて特殊な道具である。
「こりゃあいよいよキナ臭くなってきたぞ、おい……」
ここのところ、裏社会で頻繁にそのような品々がやり取りされていた。
結界石に関してはこれで三例目。他には高機能な爆弾として動作する〝炸霊石〟の取引も確認している。こちらも緋ノ巫女以外には扱えぬ代物だ。
「……しゃあねえ、あのアホにも連絡しとこう」
ヒミコは嫌そうに溜息を吐き、手提鞄から手の平大の〝何か〟を取り出す。裏と側面は光沢のある木目仕上げ、表には粗い液晶の画面と数字が印字された釦が配置されていた。
〝懐中鈴〟である。
懐中鈴はごく短い期間で奇々怪々の技術的進化を遂げた機器であり、緋ノ国では若者を中心に愛用されていた。
最初期のものは非常に簡素な造りで、画面もなく、単に固定電話から連絡を受けた際に〝リンリィン〟と鈴を鳴らすだけである。使用者は予め決められた者にだけ懐中鈴の番号を教え、外出中に連絡があると公衆電話などから掛け直していた。
しかし、これでは誰からの電話か判断がつかぬため(懐中鈴の番号を複数に教えた場合、この不都合は起きた)、次の世代では拙いながらも液晶がつき、相手方の電話番号が表示される。この際、通信系の規格上、固定電話側から自分の番号に加え一〇桁程度の数字を余分に付加することができ、これが企業の想定せぬ使い方をされた。一部の若者が数字の組み合わせのみで暗号文の如きやり取りをする〝鈴文〟なる文化が醸成したのである。
そこで、機を見るに敏な国内のとある企業が、従来の受信専用端末でなく送信も可能な懐中鈴、すなわち懐中鈴間で直接的にやり取りできる新機種を発表した。これが空前絶後の大当たりを引き起こし、そこからの懐中鈴の発展は目まぐるしい。桁数が急速に増加し、数字に加えて文字も送受信可となり、最新機種ではとうとう通話機能までついた懐中鈴が発表されている(とはいえそれはちょっとした弁当箱のような大きさで、もはや〝懐中〟とはとても言い難いが)。
ヒミコの懐中鈴は一世代前で通話機能はない。しかし、機械音痴の気がある彼女はこれでも若干持て余し気味だった。
今もやや覚束ない手つきで連絡帳画面から〝クソ兄〟と登録された番号を選び、結界石含む今日の結果について鈴文で打ち込んでいる。
「……『ヤッパ、コノ件ニハ巫女ガ絡ンデソウダ。何カ分カッタラ連絡クレ』っと。うし、送信」
数分掛かりで打ち終えた鈴文を送るヒミコ。心なしか、先の悪漢たち相手よりよっぽど苦戦している。
送信相手は〝神越ノリト〟。彼女の兄である。ノリトは個人巫女として活動するヒミコを補佐する役割であり、ここ最近の結界石や炸霊石に纏わる不審な取引は、彼を経由して信頼のおける警察関係者に情報共有される段取りだった。
「チッ。あの野郎、もう返してきやがった……【ふぁっく】」
送ってから一分と経たぬ内にノリトから返信が届く。ヒミコは輪をかけて嫌そうに鈴文を見た。
そこには『アア、僕ノ可愛イ妹ヨ!』から始まり、おぞ気の走る文章が十数行に渡ってつらつらと書かれた後(内容はヒミコ曰く〝頭の湧いた詩〟である)、最後にようやく了承した旨ならびに今日の仕事の後始末の通達で締め括られていた。よくもまあ、短時間でここまで打てたものである。
「気持ち悪いんだよっ、あんのクソ兄が!」
ヒミコは苛立たしげに近くの棚を蹴った。いい低打点蹴りである。キレの良さが如何に彼女の積もりに積もった鬱憤が深刻かを告げていた。
そう、神越ノリトのたった一つの問題点。
彼は紛うことなき妹狂いだった。
「まったく……! あー、でもこうしちゃいられねぇ。そろそろこっちも動こう」
ヒミコは頭を切り替え、ノリトの鈴文にあった後始末を開始する。
既に警察が近くまで来ているようだ。本格的な調査は彼らが行う。
だがその前に囚われの被害者たちを解放し、車が来次第速やかに乗せて避難できるよう準備を頼むとのことで、ヒミコはもう一度、地下室の奥へ向かう。
そして檻を黒御幣で破壊し、自らではほとんど動けずにいる彼女らを上へ移そうとしたところで――
「っ⁉」
背後から襲われた。
誰に? その自問より早くヒミコは身を躱し、檻を背に黒御幣で反撃する。
鉄垂が、容赦なく敵の身体を打ち据えた。勢いよく倒れ込む大柄な体躯が、並んだ棚を滅茶苦茶にする。
「……さっきのハゲ? もう目が覚めたのか……?」
いや違う。そんなはずはない。あの禿頭の男には念を入れ、急所に御幣を叩き込んだ。二~三日は寝込んでもおかしくない損傷である。ヒミコは経験でそれを知っている。
だというのに、何故……?
「おいおいマジかよ……!」
さらに不可解なことが起きた。今の一撃。手加減はしなかった。人体など優に破壊する威力である。
にもかかわらず――男は立ち上がった。
見れば見るほど、奇妙な光景である。破壊されているのだ。男の身体は。見るからに。明らかに。鉄垂をもろに受けたのだろう、指はあらぬ方に捻じ曲がり、身体の節々で出血どころか骨が突き出し臓器が顔を覗かせている。
「っ!」
すべてを理解したヒミコは一歩踏み込み、男に再度、黒御幣を振るう。
目。男の目。正気ではない――否、自らの意志ですらない。
――巫術だ。巫術で操られている。ただでさえ個人依存が強い巫術には、一子相伝もしくは特殊継承を繰り返して異様な発展を遂げたものが一部存在する。
詳細こそ知らぬが、以前にヒミコはこのような他者を操る巫術の存在を耳に挟んでいた。
「邪魔だ!」
黒御幣の鉄垂が蛇のように襲い掛かる。禿頭の男の手足、その骨を根元から叩き折った。ここまでやれば操られていようが動けまい。完全に再起不能だ。
だがヒミコはそこで止まらない。何故か? 彼女の脳内ではこの状況に対する理由づけが迅速に進んでいた。
巫術が使われた。確実に巫女がいる。その目的は何か?
結界石だ。そうに違いない。
あれは自分や、そして敵のような緋ノ巫女でなければ無用の長物なのだから。
「待てやゴルルァアア!」
ヒミコの推理は正鵠を射ていた。地下室への入口。そこに一人、女がいる。
女。頭から足までをすっぽりと覆う黒装束に身を包んだ女。影になっていて顔は窺えない。
女は結界石を懐に収め、一足早くこの場を立ち去ろうとしていた。
追いかけるヒミコ。しかし、ふと足が止まる。
止まらざるを、得なかった。
「な――⁉」
戦いというものは往々にして先手が有利である。ましてやこの場合、謎の女はヒミコの実力・行動方針を暗闇から息を潜め観察していた。その上で〝結界石を奪う〟ただその一転を重視し打った策である。
「や、」
もう一人、男がいた。ヒミコがここまでの案内に使った、あの田舎臭さの抜けきらぬ男である。やはり目に正気の色はない。
男は短刀を手に走り出していた。
「やめ――」
ヒミコの方に――ではない。
そんなことをしても無駄だ。瞬く間に倒され終了である。それでは時間を稼げない。
だから女は……檻へ向けて男を放っていた。
そうすればヒミコがどう行動するか、よくよく理解した上で。
「やめろぉおおおおおおお!」
黒御幣は使えない。間違いなく檻の中にまで被害が及ぶ。
ヒミコにできることはただ一つ。男に追いつき、仕留める。それしかない。だが距離が開いていた。緋ノ巫女は通常、巫ノ気を体内に巡らせることで常人より遥かに優れた肉体能力を発揮できる。
それでもこの状況。完全に不意を打たれたこの有様。あまりに差が開いていた。
こうして韋駄天の如き走りを見せる今この瞬間にも、操られた男は短刀を高々とかざし、力の限り振り下ろそうとしている。
刃先が描く直線状には――虚ろな目をしたあの男児がいた。おそらくこの期に及んでもなお、己を取り巻く世界が理解できていない。
「~っ!」
ヒミコは、男児を突き飛ばした。
だがそれはまさに間一髪。
その瞬間、彼女はどうしようもない程の無防備を晒さざるを得ない。
襲い掛かる短刀は鈍く光る切っ先を彼女の右眼へと伸ばし――。
(チッ、まったく今日は………………ツイてねぇや)
ヒミコは粘りつくようにゆっくりと進む時の中、そう思考した。




