28 神越ヒミコは苦渋の決断をする
「あら?」
重い足取りで二四階へと来たヒミコを目にして、ミヅキは眉を上げた。
「あなた、もしかして少し年の離れたお兄様がいるのではなくて?」
「……いるよ。それがどーした」
「フフフ、やっぱりね。肌の色や目鼻立ちがそっくりですもの……あの人のおかげでね、気づいたのよ。あなたには仲間や守りたい人がいるんじゃないかってね」
「……っ」
ヒミコは唇を噛み締めた。敵の物言いからするに、既にノリトは殺されている。
そうではないかと薄々ヒミコも察していた。相変わらず鈴文の返事は来ないし、こんな状況であの兄が何もせぬはずがない。
ノリトが――兄が、殺された。
ヒミコはよく訓練された心の動力学でその事実を意識の内から締め出す。
死を悼むのは来週でもできることだ。
もっとも――今の自分に来週がくるとは、到底思えぬ状況だが。
(さっきの炸霊石の爆発はここか)
階段から離れた一画が滅茶苦茶に荒れていた。先ほどまでヒミコがいた二〇階と同じく、壁に大穴が開いている。
その穴の近くに敵の二人が立っていた。
そして、ミドリも。
(ミドリ……!)
彼女は猿轡を噛まされ、手を拘束されている。先ほどからじたばたと必死にもがいているが、犬のように首に縄を掛けられ、押さえつけられていた。
「良い夜ね、無謀な巫女さん。私は夜代ミヅキ、こっちは黒麻ヨウコ。あなたのお名前を教えてくれるかしら?」
「……神越ヒミコだ」
「カミコシ……? ああ、あの神越……なるほど、道理で――」
「……?」
ミヅキは納得がいったように何度か頷く。
どういうことだろう? 神越家は地方の一巫女に過ぎない。国家巫女局長の関心を引くとも思えぬが……。
「ということは、あなた個人巫女ね。確か外道巫女とかいう通り名がついている」
……単に悪名が広まっていただけらしい。
「……ああ、そうだよ」
「因果なことね……まあいいわ。それより本題に移りましょう。緋ノ目を返しなさい」
「待て。その前にミドリの解放が先だ」
「あなた、自分が交渉できる立場にあると思っているの?」
「こっちにはこうすることもできるんだぜ」
ヒミコは手提鞄から緋ノ目が入った硝子瓶を取り出し、高々と掲げた。
「あら怖い。言う通りにしないとそのまま握り潰す、ということかしら?」
「お前らもそうされたら困るんだろ? ……刻ノ楔を制御できなくて、さ」
「……へぇ。あなた、そんなことまで知ってたの。じゃあ、私たちの目的もお見通しということ?」
「でなきゃこうまでするもんかよ」
はったりである。ヒミコは刻ノ楔について〝世界を揺るがすような力を持つ〟としか聞いてない。ミヅキらが何をするつもりかは皆目見当もつかなかった。
それでも今は虚勢を張り、どうにか交渉を対等に持っていきたい。
ヒミコはそう目論んでいた。
しかし――ミヅキはまるで動じない。どころか、むしろ楽し気に目を細めた。
「フフフ……困ったわねえ。いったいどうしたらいいのかしら? ……ねえ神越さん、あなた〝右〟と〝左〟ならどちらが大事だと思う?」
「あ? なんの話だ」
「こういう話よ」
ミヅキはおもむろに御幣を取り出す。
そして幣串の先で、ミドリの右手と左手に一度ずつポン、ポンと触れた。
「大事な方を残してあげたいじゃない?」
「~~っ!」
「あら、そんな怖い顔をしないで。腕の一本くらい平気よ。最近の義肢は異ノ国の技術提供もあってとても質が高いのだから。本物より高機能だし、少し工夫すればまるで見分けもつかないわ」
無理だ、手札に差があり過ぎる――ヒミコは血が滲むほど唇を強く噛み締めた。
こちらは緋ノ目を潰したが最後、残る武器は何もない。敵は確実にミドリを殺害するだろう。
一方あちらにはいくらでも手の打ちようがあった。ミドリの命を奪わずにヒミコの心を折る無数の術が。
現に先ほどから黙っているヨウコという女など、むしろそうしたいという本音が露骨に顔に出ていた。
「さあ、どうするの神越さん? あなたの希望を言って頂戴。私たちはそれを尊重するわ」
ミヅキが柔らかな笑みを崩さず訊いてくる。
ヒミコは葛藤した。
兄の言葉を思い出す。ノリトは鈴文で〝絶対に緋ノ目を敵に渡すな〟と送ってきた。
でなければ最悪、世界が滅びるとも。
「……っ」
ヒミコの視線がミドリへと移る。彼女は目一杯に涙を溜め、必死に首を横に振っていた。
……かれこれ十数年も付き合いがある幼馴染である。ヒミコは彼女の目を見ただけで、何が言いたいかわかってしまった。
こっちに構うな、気にするな――そう言っているのだ。あの友人は。自分のことなど一切顧みずに。
昔から、そういうヤツなのだ。
(んなこと――――――できるはずねえだろっ⁉)
ヒミコは。
「……わかったよ。降参だ」
緋ノ目をミヅキの方へ放った。
優先順位は崩せない。それが彼女の答えである。
「フフ、フフフ、フフフフフフ……」
緋ノ目を手にしたミヅキは蕩けるような顔つきをし、隣に立つヨウコを一瞥する。
「じゃあ、私は刻ノ楔を打ちに行くわ……だから、後は好きにしていいわよ」
思う存分、恨みを晴らしなさい――最後にそう言い残して。
黒麻ヨウコは、にぃっと口が裂けたような笑みを浮かべた。




