01 神越ヒミコは外道巫女である
「やめてくださいまし!」
月だけが燦然と輝く夏の夜。うら若き乙女の叫びが森に木霊した。
「やめてくださいまし! 後生でございますから、やめてくださいまし!」
乙女は黒き瞳をうるませ、一心不乱に許しを乞う。
だが哀しいかな。常であれば鈴を鳴らすように響くであろう白く繊細い首から絞り出た哀願は、彼女を囲う悪漢たちにとって、鬱屈とした欲情の火へ注がれる油に他ならない。
見るからにその筋の者と知れる禿頭の男が乙女の柔そうな手を荒縄できつく縛りだし、下卑た笑みを浮かべた。
「……運が悪かったな、お嬢ちゃん」
「何がです⁉ あなた様方は何故、このような惨い仕打ちをされるのですか⁉」
「だから言ってるじゃねえか……運が悪かった、って」
よく見れば男は妙にちぐはくな表情を浮かべていた。口と頬だけは如何にも猥雑に捻じ曲がっているものの、目の奥から幽かに覗く光は、乙女に深い同情と哀れみを投げかけている。
男自身はこうした下劣な行為に興味を失しているものの、部下たちの手前、こうせざるを得ない……そのような乾いた憐憫を感じさせる。
男の本質は戦いにこそあった。丸太のように太い腕と足、分厚い胸板、そして傷だらけの顔は、これまでに彼が歩んだ道が如何に険しく困難だったかを物語っている。
「お嬢ちゃん、もしかしてちょっとした冒険のつもりだったのかい? いけねえなぁ……実にいけない。こんな時間に、こんな場所へ一人で来るなんざ、ほとんど身投げみてえなもんだ」
「そんな――!」
乙女の顔からサッと血の色が引き、三日月のような薄い唇をフルフルと震わせる。
「な、なんなのですか、いったいこの場所は……⁉」
「……仕事場さ。ほら、あそこに山小屋が見えるだろ? 一見ちっぽけな山小屋だが……実は地下に続いててね。そこに俺らの賄う〝商品〟が大切に保管されてんだよ」
「しょ、商品……?」
「そう。ウチは手広くやっててね……お嬢ちゃんも今日からその一つ、ってことさ」
「……っ!」
禿頭の男は深い溜息を吐き、小さく首を横に振った。
「本当に、運が悪い……今日は新規の客と大口の取引があってね。ただでさえピリついてたんだ。そんな中、荷卸しを見られちまったとなりゃあ……こうするより他にねえ」
乙女の手を幾重にも縛り終えると、男はむくりと立ち上がり周囲の悪漢に一瞥をくれた。
「おい、いつものとこに運んどけ……手は出してもいいが壊すんじゃねえぞ」
彼らにとってそれは〝はじまり〟を意味し、彼女にとっては〝おわり〟を意味していた。
「――そうか。【じぇんとる】だな。アタシは手も出すし壊しもすんぞ。容赦しねえ」
ただし、その〝おわり〟は人生とか貞操といった悲観的なものでない。
一言で述べるならそう、〝演技〟の終わりだった。
「はぇ?」
禿頭の男から間の抜けた声が漏れる。
無理もない。いきなり〝ぶちぶちぶちん!〟と不穏な音がした。
何の音か? 至極単純である。乙女が力任せに荒縄を引き千切った音だ。
彼女はコキコキと首を鳴らし、さぞ嫌そうに、そして気だるげにつぶやく。
「かぁー、結局こっちがアタリって訳かよ……。アタシってホントいつも外れ籤を引いてばっかだな……【ふぁっく】」
乙女……? いや馬鹿な。こんな乙女がいてたまるか。
羅刹の如き人外じみた所業をこうも易々とやってのける存在……長年この稼業を務めた男の脳裏に最悪の可能性がよぎった。
「ん? どうしたぁ。こねーならこっちからいくぞぉ?」
乙女(深い疑惑)が手提鞄をまさぐり、金属製の短い棒を取り出したかと思うと――ジョキンジョキンジョキン! それは不穏な音を立て急速に伸びる。まるで伸縮式警棒のように。
悪夢は終わらない。いやさ始まったばかりだ。
彼女の瞳の色が変わる。夜のような漆黒から燃え盛る緋色へ。
三段階に伸びた金属棒が、燐光のような緋色の気を帯びる。すると鞄の中からいくつもの黒き鉄片が宙を飛び交い、金属棒から伸びる気で互いに繋がりだした。
できあがったのは所謂、お祓い棒――別名〝御幣〟である。
ただし、黒く、金属製で……とんでもなく禍々しい。
ジャラジャラと不穏な音を立て奇怪に律動する鉄垂は、まるで絡みつく二頭の蛇が牙を剥き出しに〝シャーッ!〟っと威嚇するかのようだ。
緋ノ国広しと言えど、こんな邪な武装を好む巫女は二人といない――。
禿頭の男が目を剥き、叫んだ!
「ゲエッ、お前まさか外道巫女ぉ⁉」
「誰が外道じゃこの【ふぁっきん】ハゲぇええええっ!」




