表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

生存

「英雄が死んだ!」


戦場で誰かがそう叫ぶ


僕はその時、後列で戦の記録を付けていたが、報せを耳にした瞬間に遠眼鏡を片手で持つと、空いた手で羽ペンをインクに浸した


眼を()った先には槍を手にした5-6人の敵兵が、倒れ伏した黄金の鎧に殺到する様が視える

仮にまだ死んでいないとしても、この先の命運は確かなものだった


機織(はたお)りの機械が動くように、或いは蠱が蠢くように


幾つもの槍が斃れた英雄に幾度も襲い掛かる



自国の英雄の剣技について詳しいのと同じように、記録官の僕は蛮族の武技についても見識がある

彼らの鎧の隙を突いて刺す技術は、他国の追随を許さないものの筈だ


「それでも」と、視る者達が感じる(いとま)も無く、敵兵の群れの中、泉の様に真っ赤な血が拡がり始める

それは現実であり、総ての答え合わせだった



「撤退だ!」


最前の伝令が我々に叫ぶ

戦線は総崩れとなり、忠勇なる友軍は敵に背を向けて逃げ惑う


その背中に敵の矢が、剣が、生命を奪うべく襲い掛かった




率直に言って、これ程までに多く面識の有る人間が殺害されるのを、僕は生まれて初めて目撃した


心には、そこまで恐怖は無かった

僕は帳面等の記録道具を鞄に手早く片付けると、その場を急ぎ去ろうとした


しかし敵兵は既に目前に在り、眼前では既に追撃を食い止める為の剣戟が、散った赤い血の降りかかる程の距離で早くも始まっていた



僕に向けても刃が迫る

戦場に居る以上、これは仕方の無い事柄だ


副将を務める戦士が、それに対し盾を振り上げながら「記録官殿、早く逃げなさい!」と立ちはだかる

味方がこの様に僕を気遣うのであれば、確かにここに留まっているだけ足手まといなのは、言うまでもない様だった

僕は鞄を胸に抱くと、友軍の撤退方向へ走り出そうとした


実際には、僕がそうする事は無かった

許す事の出来ないものを視てしまった僕は、鞄を投げ出すと敵兵に向けて後ろから飛び付き、武器を奪おうと必死になっていた


「これは!」


「お前が持っていて良いものじゃない!!」


その敵兵は、先刻殺された我が国の英雄の剣を握り、僕達の仲間を後ろから続けざまに斬り殺していた



僕は、この剣を打った者を取材した事がある


それを輸送した商人も、剣に祝福を授けた神父も、もちろん英雄自身もだ


戦場に於いては、こういった無意味な感傷は多く人の生命を奪う

取材を通して、僕はそれを知識として()っていたが、気が付けば僕は飛び出してしまっていた


鍛え抜かれた敵兵は、片手で僕の全身を持ち上げると地面に叩き付ける

引く事の無い、呼吸が難しい程の痛みが背中に生まれた

何処かの骨が折れたようだったが、それが何処かのかさえ解らなかった


敵兵は息も出来ず倒れる僕にとどめを刺そうと迫ってきていたが、すんでの所で視知った兵士がそれを斬り伏せた


「記録官!何をしている!」


味方の叱責が耳に入る

総て聞こえていたが、理解は出来なかった


気付けば、僕は鎧も纏わぬ姿で剣を持ちながら、よろよろと立ち上がっていた



正面から迫る新しい敵兵が、一人

もしかすると死ぬかも知れないのに、僕は剣を構える

互いの剣が打ち合う瞬間、僕は相手の剣に自らの剣の刃を打ち込み、相手の斬撃を封じ込めた


鋭い刃同士がぶつかった時に発生する、刃の欠けを利用した技術だ


刀身の噛み合いによって、これで剣が僕に襲い掛かる事は無い

そのまま刃を滑らせると、二つの刃は鍔迫り合いの力のそのままに、敵兵に向け滑り始めた

この剣の持ち主だった英雄が、唯一僕に教えてくれた剣技だった



続けざまに敵兵が僕に殺到する

一人、また二人と、敵兵は同じ手で斬り伏せられていった


練度の低い兵士が迫って来たために偶然成立した、素人剣技だった



しかし、効果は大きかった


「英雄の剣」が一瞬にして数名を斬り伏せるのを視るや、敵兵は波が引いていくように撤退していった


合理的に考えるなら「既に勝っている戦いで、無用な犠牲を出さないための措置」なのだろう

だとしても、いま僕達の生命が続いた事は代え難い事実だった



「新しい英雄だ!!」


誰かが叫んだ


僕は一瞬遅れて、それが自分を指した言葉なのだと気付き、「ひっ」と声を上げた

気が付けば様々な感情が混ざり合い、涙すら零れ落ちていた



取材を通し、誰よりも識っているから解る

『僕は英雄なんかじゃない』



僕は幾つかの光景を思い出した


『真の英雄』自身ですら、自らを『強い』とは言っていなかった


いま自分を襲っている恐怖こそが、『英雄』なのだろうか



次に思い出したのは、先刻視た、英雄の死の瞬間だった


群がる槍先


そこから血が広がっていく



────僕は恐怖を抑え込みながら、無言で生存者達に英雄の剣を掲げた



歓声が上がる


僕はいつも猫背だった筈だが、気が付けば背筋は毅然とした姿勢を保っていた


間違いなく重症を負っている筈だが、恐らく決意が胸に宿った時、痛みは消えてしまっていた



僕達は友軍の拠点へ向け、歩き始めた

人々の表情は、こんな状況なのに明るかった


僕の心の中では、何時までも英雄の死の瞬間が繰り返され続けていた



それは、僕が生涯を終えるまで繰り返し続けた

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ