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3-青いアイス

「はあ、はあ、はあ……」


 僕が標的になるのは最悪の事態ではあるけれど、想定の範囲内だった。


「おい、そっちにはいないか!?」

「あのガキ、どこへ逃げた!?」


 村人から追われることになっても、僕は子供しか知らない秘密の場所をいくつも知っている。沢へ通じる獣道とか、目立たない洞窟とか。


「大変だ! さっき、伊藤さんが陽一の部屋を家探ししたら、戸川の小説が何冊も出てきたとか!」

「本当か!? じゃあいよいよ黒だな……。絶対に東野のガキを捕まえるぞ!」


 甘く考えていた。村の大人たちだって、昔は子供だったのだ。僕が隠れるような秘密の場所くらい、彼らも子供の時に見付けていた。獣道へ逃げても、洞窟に隠れても、すぐに追手が来る。


「はあ、はあ、はあ……」


 小高い山の上まで逃げてきた。獣道を辿ってしか来れない場所だけど、大人たちに見付かるのは時間の問題だろう。


「はあ、はあ……」


 山の上から、夜の村を見下ろす。十以上の火の手が上がり、その中には僕の家もあった。両親はもしかしたら……。それに、僕が頑張って集めた戸川さんの小説も燃やされて……。


「おい、こっちだ! さっき、ガキの姿が少し見えた!」


 麓の方から追手の声がする。こんな狭い村で逃げ回るのはそろそろ限界だ……。崖沿いの道が通れたなら……。


「崖崩れ……。いや、でも……」


 崖崩れが起き、土砂が積もったから道が通れない──なんてのは先入観で、実はそんなことはないんじゃないか? 車で通るのは無理だとしても、怪我をするのを覚悟で土砂を登り、反対側へ行ければ……! 危険だけど、この村で逃げ隠れするよりも全然マシだ! 僕は追手に見付からないよう山を下り、崖崩れの道へ向かった。

 その途中、考えた。そもそものきっかけとなった、顔を潰された死体の女性は誰だったのか。そして、その死体を作った犯人は誰なのか……。



 ◆



 何とか誰にも見付からず、崖崩れの現場に辿り着いた。途中にあった谷山さんの家は燃えていた。


「やあ。土砂を登って逃げようとする人がいたら不意打ちしてやろうと思ってたんだけど、まさか君が来るとはね。覚えているかい? 何年か前に家に招いているんだけどね」


 道に積もった土砂を背に、戸川さんが幽鬼のように立っていた。右手には抜き身の日本刀を持っている。彼の小説内にやたら詳細な日本刀の描写があったけど、もしかしたら資料として本物を買っていたのかも。


「戸川さん……。生きて……。良かった……。でも、どうして?」


 戸川さんが生きていた嬉しさ、なぜ生きているのかという謎、そして僕自身の命の危機……。彼は村人たちに殺されかけている。村を恨んでいる。僕に復讐する理由が、充分にある……。


「火事になって窓から逃げようとした時、見えたんだ。村人たちが俺の家をぐるりと取り囲んでいるのを。すぐに放火だとわかったね。外に出ても殺される。だから命からがら、地下室に逃げて火を凌いだのさ」

「地下……? でも、半地下まで瓦礫に潰されて……」

「半地下の下に、さらに資料保管用の地下室があったんだよ。言ってなかったかい? 『地下を作った』って」


 数年前、戸川さんが村に引っ越してきた年の記憶を呼び起こす。怪我をして彼に助けられた時に交わした会話……。「調子に乗って地下を作ったのが痛かったなあ」と、確かに言っていた……。でも、その時言った「地下」とは、半地下のことだと思っていた……。半地下の下にも地下室があったのか……。

 放火、生存、死んだと思われていた、家を取り囲む村人たちを見ていた……。村長の家の電話線を切ったのは、警察の到着を遅らせて現場から証拠を取りにくくするためだとしたら……。


「村長を殺したのは、戸川さんですか……?」


 その質問をして、後悔した。戸川さんが肯定してしまうのが怖かった。


「そう、俺だよ。期を見て地下室から這い出し、村長の家に向かった。俺が家に侵入した時、あのジジイはぐっすりと寝ていたよ。夜通し、燃える俺の家を見張ってて疲れたんだろうなあ。叫ばないように猿轡をして、めった刺しにしてやった。枝やら包丁やら、いろいろな物を刺してやった」


 あっさりと肯定……。同時に、僕の命に手がかかった。真実を知った僕を、戸川さんは生かしてはおかないだろう……。


「俺じゃなくたって、誰だって同じことをするだろうさ。同じ立場だったらね。度重なる嫌がらせ……。いや、迫害、誹謗中傷……。今の司法じゃあ事件にされにくいけど、それらは立派な犯罪だよ!」


 戸川さんは日本刀で虚空を切り、声を張り上げた。


「俺が何をしたって言うんだ! 村で上手くやっていこうとしてたのに! なのに鎌で切り付けられるし、家の錦鯉は殺されるし……! 挙句の果てには、金まで要求して! 何が五百万円の負債だ! 負債って言葉の意味、わかっているのか!?」


 戸川さんは村に来た後、一冊の小説を出版していた。時期からして、執筆開始は引っ越してきた直後だろう。その小説の冒頭では、この村をモデルにした描写が書かれていたし、あとがきでも「自分が引っ越した村をモデルにして、風景を描写した」という旨の記述があった。それが不味かった。今は亡き村長は、「この村をモデルにしたなら、金を払え。肖像権の侵害だ。五百万円だ」と言い出したのだ。五百万円とは、村長からしたら安過ぎず高すぎずな金額だったのだろう。もちろん、そんな要求に法的拘束力は微塵も無いはずだ。


「そして俺を勝手に犯人扱いして、村に警察が来れないことをいいことに在宅放火かあ!? 終わってるなあ、この村!」


 一頻りの主張を終え、戸川さんは天を仰いで息を整える。

 「俺を勝手に犯人扱いして」と言うことは、やはり最初の死体を作ったのは戸川さんではないってことか。


「……僕も、殺しますか?」


 戸川さんは体力がない。村の草刈の時なんかも、すぐにばてて見学していた。とは言え、相手は大人だ。今踵を返して逃げた所で、すぐに追いつかれてあの日本刀でバッサリ斬られるだろう。

 恐怖と同時に、一種の安堵感もあった。僕だって戸川さんを追い詰めていた張本人だ。「仲良くしよう」と言ってくれた彼の手を、僕は振り払ったのだ。村での自分の体裁を気にし、道ですれ違った時も彼を無視していた。その罪悪感が晴れるなら……。


「いいよ、ここを通って」


 意外なことに、戸川さんは道を開けた。


「いいんですか? 僕を逃がして」

「ああ、逃げなよ。こんな村に居たら、危ないよ?」


 さっきの狂人めいた調子ではない。優しくも淡々とした口調だ。それが少し不気味だった。


「僕を逃がしたら、警察に戸川さんのことを話してしまうかもしれないですよ……?」

「君が話したところで、俺は捕まらないかもしれない。君が話さなくても、俺は捕まるかもしれない」


 今の戸川さんが何を考えているのか、よくわからない。本当に見逃してくれる? それとも、僕が土砂を登り始めたところで後ろから不意打ちしようと? 自暴自棄になって、全てを諦めてる?

 僕は底知れぬ恐怖心を抱えたまま、真っ直ぐ歩き出す。平坦な道の上を歩いているはずなのに、まるで綱渡りでもしているかのような緊張感だ……。狂気と凶器をもった戸川さんの目の前を横切る。積もった土砂の前に辿り着く。飛び出た倒木に手をかけて登ろうとした時、後ろから戸川さんが声をかけてきた。


「尖った木とか岩とかあるから、気を付けなよ」


 それは数年前に彼に助けられた時のような、優しい口調だった。僕は振り返らないまま、質問する。


「どうして僕を見逃してくれるんですか?」

「自分のファンを手にかける作家が、どこにいるんだい?」

「ファン……?」


 僕は所々擦りむきつつも、何とか土砂を登り切って道の反対側へ降りた。村人も戸川さんも、もうやすやすとは追ってこれないだろう。そして街灯も無い真っ暗な道を、下の村を目指して走った。そこまで行けば、駐在さんが居るはずだ。



 ◆



 駐在所に駆け込み、村で起きたことを駐在さんに話すと、すぐに麓の町の警察署に連絡が回された。夜間にも関わらず大勢の警官が派遣され、村を塞いでいた土砂の撤去に当たったらしい。そして、事態は鎮圧されたそうだ。

 村人62名。その内死者19名、行方不明者25名。その行方不明者の中には、戸川さんも含まれていた。また、事件後に逃亡し行方をくらました者もいるそうだ。生存者は僕と(実質、行方不明状態の)時太さん含めて18名だ。遠くの町へ出稼ぎに出ている若者を含めたら、生存者はもう少し多いことになる。

 小さな村で起きた集団ヒステリー。事件後、僕は警察やら記者やら、多くの大人たちに事情聴取を受けた。戸川さんは在宅放火で亡くなったことにして、村長殺害の件は話さなかった。


「『自分のファンを手にかける作家が、どこにいる』か……」


 戸川さんが最後に言った言葉の意味を、僕は理解できずにいた。そこで戸川さんのことは伏せ、「ファン」という言葉の意味を駐在さんに聞いてみた。


「ファンってのは、扇風機のことだよ」


 扇風機……。『自分の扇風機を手にかける作家が、どこにいるんだい?』か……。やっぱり意味が分からない。小説家らしい、洒落の利いた文句だったのだろうか。小説をもっと読んで頭がよくなったら、その言葉の意味がわかるようになるのだろうか。

 それとは別に、新たな謎も生まれた。警察が改めて村の山を調べたところ、土に埋もれた白骨死体がいくつも見つかったらしい。全て身元は不明。少なくとも村の者ではないと思うけど、警察は村人が手にかけたんじゃないかという方針で捜査を進めているようだ。



 ◆◆◆



 北条会三次団体、毒島組。水口村から麓へ降りた町に事務所を構える、小さなヤクザだ。その事務所の一室で、下っ端が若頭から説教を受けていた。その下っ端は時太だった。


「ったく、雑な仕事しやがって! 顔を潰すのはいい、身ぐるみ剥いで身元がわからなくするのもいい! だけどな、死体をそのまま山に捨ててくる馬鹿がどこにいんだぁ!? ぁあ!? 猫だってクソは砂に隠すよなあ!? てめえは猫以下か!?」

「すいやせん、すいやせん! 今後は、こんなことがないようにしますので!」


 リノリウムの床に土下座をし、額を擦り付ける時太。彼はうわさ通り、ヤクザになっていたのだ。


「今後も何もねえだろ! あの村はサツが入って、もう死体を埋めれなくなったんだからよぉ!」

「すいやせん! 本当にすいやせん!」

「謝るのはもういい。言い訳があるなら聞いてやる」

「言い訳って言うか、なぜああなってしまったかと言うと、時間が無かったんです。山に穴を掘る時間が……。俺一人じゃあ、人一人収まる穴を掘れなくって……。明け方近くなると、例の谷山って爺さんが起きちまいますし……」

「『言い訳って言うか』って……。さも言い訳じゃねえように言ってんじゃねえよ! 俺は言い訳を聞いてやるって言ったんだ!」


 若頭は革靴の先で時太の脇腹に蹴りを入れた。時太はその場にうずくまるも、すぐに土下座の姿勢に戻る。


「すいやせん、言い訳でした!」

「……今回の件、親父(組長のこと)には俺から言っとく。死体を野ざらしにするような、雑な仕事にも目をつむる。まるで死体埋めるのに一人で行かせた俺らが悪いような言い方にも目をつむる。死体埋めるのにお前の村が使えなくなったことにもな。今まで埋めた分も見つかっちまったが、うわさによるとサツは村人の犯行ってことで捜査を進めてるらしいしな……」

「ありがとうございます!」


 陽一が見つけた顔が潰された女性の死体は、毒島組長が攫って手を付けた女性だった。名前は岩倉美晴。借金による夜逃げや、素性を人に貸すなどして行方をくらます者は意外と多い。彼女もその一人として、警察に処理されていた。そうした方が、警察としては楽だからだ。

 岩倉は毒島組長に目を付けられ、夜道を一人で歩いているところを組の者によって攫われ、毒島組長に犯され、口封じに殺された。三十代という若さで組を立ち上げた毒島組長は盛んで、同業の間では「やり捨ての毒島」と揶揄されていた。

 死体の処理は時太とその兄弟分の仕事だった。時太は水口村の土地勘があり、人に見付からずに山へ入れる道を知っていた。村で唯一目に付く危険があるとすれば、道沿いの谷山家だけである。なので死体の運搬は深夜に行われた。当然、使うのはエンジン音のうるさい自分の車ではなく、組の物だ。

 しかし今回は兄弟分が警察に捕まっており、時太一人で死体を埋めることになったのだ。一人で死体を埋める穴を掘るのは重労働であり、掘り切る前に夜が明けて谷山さんが起きる時間になってしまったのだ。時太は急いで掘り途中の穴を埋め、顔を潰して身ぐるみを剥いだ死体を残して村を出たのだ。幸い、谷山さんには気付かれなかった。



 ◆◆◆



 駐在所は警官が住み込みで勤務するため、寝床や風呂が完備されていた。事件後の数日間、僕は駐在所でお世話になっている。


「陽一君、アイス、食べるかい?」

「いただきます」


 両親は行方不明だ。生き残った村人も、自分のことで手一杯。なので僕は数日後に、麓の町の施設に預けられることになった。それまでの間、駐在さんが僕の面倒を見てくれた。彼のことは嫌いだったけど、今ではそうでもない。よくお菓子もくれるし。現金な自分に、少し自己嫌悪を感じる。


 シャリ……。


 駐在さんから貰った青いアイスは、数年前に戸川屋敷で飲んだソーダの味がした。忘れられない味だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情報がないときほど「うわさ」に縋る人間の弱さと怖さがよく出ていました。 コロナのときもそうでしたよね。いや、あのときは、正論という名の抑圧で、もっと悪かったかも。
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