やっぱ無理だよ
オークの一撃は山を砕く。
流石にそんなことはなかったが、それでも腕がへし折れるかと思う程の衝撃が走ったのは確かだった。
オークの首魁との1合目。回避する手も受け流す術もあったが、俺は真正面から受け止めた。人間とオークの体格差からすれば悪手にも程があるが、これは『決闘』であり、『交渉』なのだ。そこで逃げに入るわけにはいかなかった。
だが、それはあくまでも自分の意志表明に過ぎない。
2合目もオークのパワーになど付き合ってられない。既に最初の1発で自分の握力が死にかかっているのが手の震えから伝わってきている。次も同じように打ち合えば、俺の剣は手の中から飛んでいくだろう。たった2発で敗北するわけにはいかない。俺はオークの次の攻撃に対して剣を斜めに構える。横薙ぎの棍棒の一撃を受けて流そうとする構えだ。
だが、剣の角度を合わせ損ねた。
衝撃の半分以上が手の中に伝わり、腕を通じて俺の身体を吹き飛ばした。
1ヤード(約0.9m)近く動かされ、体勢を崩される。そこに頭上から追撃が迫った。8フィート(約250cm)から繰り出される一撃。こんなもの、武器が木製だろうがなんだろうが直撃すれば間違いなく即死する。
俺は背中に走った怖気に従ってその場を大きく飛びのいた。その直後、先程まで俺の身体があった場所に棍棒が振り下ろされた。地面を抉る程の一撃。大地が揺れたんじゃないかという錯覚に陥る。
ただ、残念なことにそれは錯覚じゃなかった。
姿勢が崩れた状態で無理矢理飛んだせいで身体が流れていた。揺れたのは地面ではなく、自分の方であったのだ。
そこにすぐさま棍棒による突きが差し込まれる。体重の乗っていない腕だけで繰り出された突きであったが、それだけで騎馬の突撃を受けたような衝撃だった。幅の広い俺の剣でなんとか受けることはできたが、俺の身体は大きく仰け反らされた。そこに2度、3度と突きが繰り出され、俺は更に後退する。
そして、4度目に大きく踏み込んだ突きが放たれ、俺の身体がわずかに宙に浮いた。そこに、とどめの一撃がごとく強烈な横薙ぎが放たれた。万全の態勢でも十分に受け切れなかった一撃が容赦なく叩きつけられる。強引に剣を間に挟み込むことはできたが、衝撃を流すことなどできない。
俺の身体はオークの膂力をもろに受けた。
凄まじい程の衝撃だった。肺の中の空気が押し出され、胃の中が逆流して酸味が駆け上がる。痛いとか、苦しいとか感じる前に意識が一瞬飛びかけた。だが、むしろ完全に意識が飛んだ方が楽だったかもしれない。地面に叩きつけられた衝撃で呼吸が止まる。力の入らない四肢で身体を起こすも視界がグルグルと回る。嘔吐だけはすまいと口の中にせり上がってきた塊を無理矢理飲み込み、唾だけを口から吐き出した。
のたうち回って声をあげることができればいくらか楽であったろう。
『降参だ』『参った』と言ってしまえればどれだけ楽だったろう。
だが、それを許さぬジェレミアの言葉だ。
『無様だけは晒さないでください』
ああ、ほんと。あいつは優秀な外交官だよ……
優秀すぎて涙が出そうだ。
だが、泣いても状況は解決しない。俺は一度だけ深く深く深呼吸をして、もう一度剣を取って立ち上がった。
震える膝を叱咤し、力が抜けそうになる手に喝を入れる。士官学校の血反吐を吐くような訓練を思い出し、『あれよりはマシだ』と折れかかっている心に気合を入れなおす。
そして、俺は再び剣を構えてザクト=バルへと向き直った。
ザクトは『まぁ、こんなもんか』という顔をして俺を見下ろしていた。その中に嘲笑や侮蔑といった感情は乗っていない。ザクトの目はただ冷静に俺を品定めしているようであった。
だったらまだ、自分の評価を覆せるチャンスはあるってわけだ。
「もう一本だ!やろうぜ!!」
俺はそう言って剣を構え、切っ先を真っすぐにザクトの目へと合わせた。
ザクトには俺の言葉はわからないだろうが、俺の意思はわかったらしい。
ザクトはニヤリと笑い、肩に担いでいた武器を再び構えなおした。
「ヴァクトゥ!ヴァクトゥ!!」
ザクトの掛け声に応じ、再び鐘が打ち鳴らされる。
今度は俺は自分から仕掛けた。一度でも守勢に回れば負けが確定するのだ、前に出るしかない。
ザクトの武器は木製の棍棒。ザクトの身長のせいで遠近感が狂いそうになるが、その長さは6フィート(約180cm)はある。一般的な騎士が持つ槍並の棍棒を片手剣のように振り回すザクトであるが、やはりその長さの為に取り回しが遅い。
俺に勝機があるとすればそこだった。
俺は一気に踏み込み、振り下ろすように斬撃を繰り出した。ザクトは素早く武器を持ち直して俺の剣を防ぐ。
「くそっ……」
俺は悪態をこぼしながら、剣を片手に持ち直して振り上げる。短い剣であるが故の素早い切り返しであったが、ザクトは身を翻して軽々と回避する。剣を両手に持ち替えて横薙ぎに振るが、それもやはり防がれる。そこから幾度と連撃を繰り出すが、俺の攻撃がザクトの皮膚に迫ることは一度たりともなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
俺は一度距離を取り、息を整えようとする。ザクトからの追撃はなかった。
俺も途中から気づいていたのだが、この一戦にザクトは俺の攻撃に反撃する気が無いようだった。
彼はずっと俺の動きを見定めるかのように静かな視線で俺を見ていた。
「やぁあああああ!!」
俺は雄叫びをあげてもう一度仕掛ける。だが、やはりザクトの防御を突破することはできない。
必死になって剣を振る俺と軽くいなし続けるザクト。時間が経つにつれ俺の動きは次第に鈍くなり、ザクトの防御の精度はあがっていく。
一方的にあしらわれるような展開に周囲のオーク達が囃し立てるように声を上げた。
もちろん、何と言っているかなどわからないが、少なくとも俺にはそういう内容に聞こえていた。
士官学校時代もそうだった。
剣技の訓練では誰にも勝つことができず、しまいには『特訓』と称して同期の奴らに滅多打ちにされる。それでも俺から訓練をやめることは許されず、嘲笑の中でボロボロの身体を引きずって剣を振る。俺の剣はいつも軽々とかわされ、すぐさまその倍の剣戟を叩き込まれる日々。
嫌なことを思い出し、俺は奥歯を噛み締めた。
その一瞬。俺の集中力が切れた。
それはザクトからして見れば度し難い隙に見えたのだろう。
ザクトは俺の剣を受け、見事なカウンターを俺の腹に叩き込んだ。
下から突き上げるような攻撃に俺の身体が浮きあがる。前のめりになっていたところに突き刺さったカウンターだ。衝撃を逃がすこともできず、棍棒は俺の身体に深く食い込んだ。
「かはっ……」
だが、一試合目と比べればその衝撃は軽かった。手加減してもらったのであろうが、それでも死にたくなるぐらいに苦しかった。俺は身体をくの字に曲げて地面に横たわる。最早剣など握ってはいられなかった。嗚咽を漏らし、唾液をまき散らしながら喘ぎ、肺に空気を必死に取り込む。
それでも無様は晒せないのだと自分に言い聞かせ、俺は数度の呼吸だけで息を整えようとする。
そんなもの無理に決まっていたが、それをなんとかするのが王族の意地であった。
息絶えそうな程の高熱でも、腹がねじ切れんばかりの腹痛でも、自分の死がかかっている裁判であろうと、民衆の前では平静を装うのが王族だ。
俺は自分の剣に寄り掛かって立ち上がり、再び剣をザクトに向けた。
ザクトの目に映る俺の顔は赤や青を通り越して白くなっていた。顔は引き攣り、目は落ち窪み、髪もバラバラに乱れていた。手は剣を握っていられないぐらいに震え、足腰は最早限界に達している。
それでも俺は戦意だけは切らすまいと目を血走らせていた。
そんな俺を静かに見下ろすザクト。周囲のオーク達から再び声があがったような気がしたが、最早それが自分の幻聴や耳鳴りなのかすら判別できていない。
ザクトは俺に向かって一歩踏み出し、そして無造作に棍棒を振った。
その一発で俺の手から剣が吹き飛び、闘技場の中を転がっていく。
「……あ……」
もはや、その剣を取りに行く力も残っていなかった。
俺は、負けたのだ。
心が苦痛に負けたのだ。