これは相手が悪かったと思うことにしよう
軽食を食べながら、俺はキルベ姫からオークの話を聞いていたが、その内容は俺は思った以上に興味深かった。
オークの経済状況や物流の状態、家畜を始めとした交易品や現在取り組んでいる資源の開拓、その他にも政治、経済、文化に至るまでキルベ姫は多くのことを教えてくれた。特に俺が注目したのはオークの宗教だった。主神は戦神キルイス、それと同時に森の神ティタノマルスを崇めている。だが、どの神を崇めているかなど正直言ってどうでもよい。大事だったのはオークがほぼ完璧な政教分離を実現させていたことだった。裁判において、被害者と加害者の関係が明確でない場合だけ『決闘による勝者こそ正しい』という決着方法が時々用いられることがある程度で、それを除けば政治の中に宗教がほとんど介在していない。それは帝国も学ぶべきところがあり、案外バカにできない話だった。
「ですから、我らオークは貴国と十分に理解しあえる土壌ができていると私は考えております。長年における確執を越えて、両国の発展の為によりよい時間を築きたいと我々は考えているのです」
「それは私も同じ考えです。それで、少し質問なんですが」
「し、質問!?……は、はい、えと、わたしが答える……なんでも、なんでもどうぞ」
「オークの幼少期の子供達の教育や仕事に関してはどうやって決めているのです?親の職業をそのまま引き継ぐのか、それともある程度自由があるんですか」
「あ、あ……子供……きょ……きょういく……きょういく……きょういくは、あの……」
キルベ姫はこちらが質問をすると途端にたどたどしくなった。先程までの話ではほとんど淀みなく喋り続けてたことを見ると、どうやら一連の話は練習した成果なのだろう。自国のアピールを頭に叩き込んでいるうちに、一言一句間違えない程に内容をほとんど暗唱できるようになってしまったのだ。どうやら、挨拶で色々台詞が飛んでいたのは極度の緊張のせいだったらしい。
甲斐甲斐しいというか、生真面目というか。呆れるほどに弱小国の態度そのもものだ。
だが、それは同時に彼女の継続力と記憶力があることの証明でもある。話の内容からも教養の高さが伺える。
俺は内心でため息をついた。
これはいよいよ俺も逃げ道がなくなってきていた。
「オークは、皆武器を持つ。皆訓練、そして戦えるようになる。そして戦士であると一緒に、畑や家畜や織物や鍛治など、仕事を選んで弟子入り、するです」
「それでは、職業はある程度自由に選べるんですね」
「う、うむ、だけど、親がパン屋なら、子もパン焼になることが多い、近くで見ていた仕事に興味を抱く、自然な流れ」
「なるほど……ん?では戦士はどういう扱いなんです?」
「それは……その時の長が……」
キルベ姫との時間は非常に楽しく、時間は瞬く間に過ぎていった。
そして、お互いの口が少し疲れてきたと思った、そんな時だった。
部屋の中ににドアノッカーの音が3度程連続して響き渡った。
そして、次に扉の向こうから聞こえてきたのはジェレミア外交官の声だった。キルベ姫が扉を開くと、ジェレミア外交官が丁寧にお辞儀をし、オーク語で何やら会話をしだした。
キルベ姫は真剣な顔でジェレミア外交官の話を聞き、そして小さく頷いて返事をする。
そして、オーク語でのやり取りが一通り終わると、今度はジェレミア外交官は帝国公用語で語り掛けてきた。
「それでは、ゴロニア王子。オークの首魁、ザトク=バル殿が王子の顔を見たいとおっしゃております。少し予定より早いですが、こちらの方に来ていただけますか?」
「ああ、わかった」
キルベ姫も同行するのかと思ったが、彼女は寂しそうな微笑を浮かべてその場に佇んでいた。
そういえば、先程キルベ姫の姿は『人間』に見せてはいけないと言われていた。
外交の場には騎士連中が護衛についているはずだ。その場に彼女を連れていくわけにはいかないだろう。
俺はそんな彼女に深く頭を下げた。
「キルベ姫、お茶とお菓子美味しかったです。そして、ここまでの数々の非礼。お詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」
「えっ、あ、そ、そんな!そんな頭、下げなくて、ください」
慌てて俺の身体を押しとどめようとするキルベ姫であるが、こちらとしてはどれだけ謝罪してもしきれなかった。
俺は最初から『オークであるから』と相手を見下し、対話すら成り立たないだろうと考えて相手との交流を最初から放棄していた。そんな俺に対して真摯に対応してくれただけでもありがたいのに、彼女は十分な気遣いの上で、もてなしてくれた。
もし、ここが公式の場であるなら俺の面目は完全に丸つぶれだっただろう。
本当にしょうもない王族もいたものだ。
俺は頬に浮かびそうになる自嘲の笑みをが消えるのを待ち、できるだけ紳士的な顔をして頭を上げた。
「ゴロ王子、そんな、やめて、私も、失礼、多かった。失礼した。だから、その」
「いえ、キルベ姫。あなたの気遣いには感謝しこそすれ、不快に思うことなどありませんでしたよ」
「そ、そうか?私……失礼、なかったか?」
自信がなさそうに俯くキルベ姫。
彼女の綺麗な前髪がハラリと目元にかかり、エメラルドグリーンの瞳がわずかに陰る。
俺はそんな彼女に向け、自分の作りうる最高の微笑を向けた。
「はい、キルベ姫との時間はとても楽しかったです」
「そ、そうか!良かった……」
安堵の息を吐くキルベ姫。そして、一息ついた彼女が顔をあげる。
頰と目尻が緩んだリラックスした表情。
それを見て、俺は彼女が随分と気を張り詰めていたことを悟った。
「また、おはなし、しよう、ください。今度は、ゴロ王子のこと、知りたい。ゴロ王子の好きなこと、嫌いなこと、知りたい」
その何気ない一言に俺の心臓がまた一段と高鳴る。
はい、もう諦めましたよ。俺の負けです。負けですからこれ以上追い打ちかけんでくれ。
だが、俺にだってこの土地を嫌いになる手段は残されているぞ。
なにせ、次のイベントはオークの首魁である彼女の父親との対談と食事会だ。相手は混じりっけのない完璧なオーク。しかも、今度は先程出されたような軽食ではない。どんなゲテモノが出てくるかわかったものではないのだ。礼儀作法の文化もない相手を目の前に、食えたもんじゃない料理を出されれば百年の恋も冷え切るに違いない。
「父上は難しい、でも、悪い人ではない。私、父上、尊敬してる」
「そうですか、それは、私もお会いするのが楽しみですよ」
俺は自分の顔に涼やかな笑みを貼り付ける。
次こそ間違いなく勝利を獲得できると心の底から俺は思っていた。