2人っきり
お互いの自己紹介を終え、緊張も少しはほぐれてきた。
だが、その直後ジェレミア外交官が俺の背筋を凍らせることを言った。
「では、わたくしはこれで失礼します」
頭を下げて扉を閉めようとするジェレミア外交官に俺は慌てて待ったをかけた。
「待たないか、外交官殿」
口では冷静沈着な王子を演じてはいるが、胸の内では『俺を1人で置いてくなぁ!』と叫びをあげていた。
「いえ、待つことはできませぬな。私はこれよりオークの首魁。つまりは彼女の父君であるザトク=バル殿にお二人の様子を報告し、今後の同盟関係についての話を詰めなければならないのです。ゴロニア王子、彼女のお相手は王族たるあなたのお役目のはず。私はここには不要でございます」
この外交官が骨太なのは十分にわかったが、流石に王子に対する態度としてどうかと思えてくる。だが、皇位継承権最下位の王子に対する扱いなど、この程度でも十分なのかもしれなかった。
個人的にはちょっと泣きそうだが。
「ゴロニア王子はオークの文化に対して『不勉強』であるので、失礼な言動をとってしまった時のことを心配されているのですかな?そんな時、それをフォローできる私がこの場にいた方がよいともお考え。ですがそれは少々甘いかと。先程のキルベ姫を見たでしょう。王子が『案山子』のように突っ立っているから、彼女は失礼なことを言ったと勘違いして誤解を解こうと、自分で言葉を選んで気持ちを通じようとしておりました。そんな真摯な態度を取ってくれた姫に対して、よもや帝国の王子ともあろうお方が会話を人任せにするはずございませんよね?」
「外交官殿。少し言葉が過ぎないか?」
「おや?そうでしたか?それは失礼しました。ですが、私からすればまだまだ序の口ですがね」
そう言って好々爺とした態度を崩さないジェレミア外交官。
長らく対外政策の要を務めてきた外交官の舌先は剣よりも鋭いというが、ジェレミア外交官の切っ先はレイピア並みであった。
とにかく、ジェレミア外交官の言葉は俺の胸にしっかりと突き刺さった。
俺は血の涙をこらえながら、「わかった。では、外交努力を重ねてくれ」と言うしかできなかった。
「はい、そうさせていただきます。ああ、それと王子」
「なにか?」
俺は半ばうんざりしながら後ろを振り返る。
一応、まだまだ言葉の刃を耐えられるだけの精神力は持っているが、かといって痛みが消えるわけではない。できるだけお手柔らかに願いたかった。
そんな俺に対して、ジェレミア外交官は扉を半分程締め、小さな声で言った。
「姫の姿を他の者に決して見せないようにお願いします」
「……は?」
「特に同行していただいた3人の騎士……あの者達には決して彼女の姿を見せてはなりません」
「ちょっと待ってくれ。それはどういう……」
「理由はまた後程。ただ、それがゴロニア王子……ひいては皇帝陛下の為になるのです」
皇帝陛下の名前を出され、俺は言葉を失ってしまった。
そんな俺に対し、ジェレミア外交官は頭を下げ、扉から離れた。
「長居してしまいましたな。それでは、また後で私が迎えにあがります。王子、私以外の『人間』を決してここにいれないようにお願いしますぞ」
「あ、ああ……」
「キルベヴゴゴダヴュ」
ジェレミア外交官が最後に言ったオーク語の内容はやはりわからない。
だが、『キルベ』という発音があったので、キルベ姫に対する挨拶だったのだろう。
そうして、ジェレミア外交官は扉を閉め、この部屋には俺とキルベ姫だけが残される。
だが、俺の頭の中では先程のジェレミア外交官の言葉が渦巻いていた。
どういうことだ?なんでキルベ姫を他の『人間』に見せられない?
それに、ジェレミア外交官は『俺の為』そして『父上の為』になると言った。なぜ『帝国の為』と言わなかった?言葉の綾だろうか?いや、それはない。ジェレミアは歴戦の外交官だ。この場で誤解を招くような言い方はしない。ならば文字通り、キルベ姫の容姿を隠すことは俺と父上の利益にはなるが、国の利益にはならないということだ。
なぜ?どうして?わからない?
この婚約には一体どういう意図が……
「ゴ、ゴロ……ゴロィアン王子」
「あ、すまない。何かな?」
俺は思考の渦から自分の意識を引っ張り上げる。
そんな俺にキルベ姫は窓際に誂えてある切り株状の椅子を示した。
「ゴロニィア王子……椅子あるので座る……いいです」
良く見ればテーブルの上には木製の皿とコップが置いてある。皿の上には軽食が乗ってあり、ポットのような物も用意されていることから何かしら軽食の準備があるらしかった。
俺はジェレミア外交官の話は後回しにすることにして、とにかく彼女との関係性に集中しようとする。
『政略結婚』において最初の勝負では完全に敗北したわけだが、まだ逆転の目がないわけではない。
『政略結婚』に勝つ方法はいくつかある。
まず第一目標とされるのが相手を自分に惚れさせれることだ。
まぁ、社交界なんぞろくに行かなかった俺にそんな能力がないことは自分が一番わかっている。
それに、オークの女性がどんな男を好むかなんて全く知らないので、この勝負は最初から勝ち目などなさそうである。
ならば、別のアプローチを仕掛ける必要がある
つまり、俺の熱が冷めればいい。
相手は見た目こそ美しいが、その内面はオークであるはずだ。人は自己を形成する時に環境というものに影響を受けるという。俺が冷静に相手を観察することで、客観的に物事を捉え、キルベ姫に対する感情ももっと淡泊なものに変えるのだ。
よし、これでいこう。
俺は公的な顔である爽やか笑顔を維持することに全力を費やす。
「ありがとうございます。では、失礼して」
俺は部屋の主人である彼女に勧められるままに椅子に腰かける。エスコートする手際にあまり慣れていないのか、随分と固い動きであったがそれもまた俺の目には微笑ましく映る。
これが、他の国の王族であれば『作法の練習が足りない』と胸の内で相手に対する評価を改めるところであるが、キルベ姫の仕草を見ると逆の感情に働く。
やばい……これ……本格的に惚れてんのかもしんねぇ……
俺は頭を抱えたい気持ちになりながらも平静さを保つ。
キルベ姫はテーブルを挟んで反対側に座り、自分の服装が乱れていないかを確かめるように胸元を軽く払った。それだけで、彼女自身の香りが風に乗ってわずかに広がる。
彼女にはオークのような汗臭さは皆無かと思っていたが、やはりわずかばかりの酸味のある体臭があった。ただ、異臭という程でもなく、それが彼女の好感度を下げる要因にはなりそうもなかった。
いや……ほんと……どうしよ……
このままじゃまずい。早いところキルベ姫の欠点でもなんでも見つけて抵抗しねぇと本格的に『国の為』になんか行動できなくなる。
俺はどこか粗を探そうと机の上を見渡す。
机の上にあるのは意匠を施した皿とコップ。そしてその皿の上には焼き菓子のようなものが乗っていた。それは、帝国で作られているクッキーによく似ている。
それを見て俺はひとまず今後の方針を決めた。
よし、まずは食事だ。食事が合わなければこの場に居続けるのが苦痛になる。そうすれば、俺の帝国への帰属意識も少しは蘇ってくるだろう。
俺はそのクッキーに狙いを定め、軽食の準備が整うのを待つ。
ただ、ここでほんの少し予想外のことがあった。
「これ『ビィバァデ』という飲み物……良い匂い……身体を休める力ある」
キルベ姫はそういって自らの手でポットを手にとって俺のコップへと注いだのだ。
コップの中に薄緑色の液体が溜まっていくが、俺の視線は完全にキルベ姫の方へと固定されていた。
キルベ姫は自分のコップにも『ビィバァデ』を注ぎ込み、ようやく俺の視線に気が付いた。
「あ!あっ!ゴ、ゴロイャァン王子、何か失礼あったか!?」
「いや、そういうわけではなくて……自分でするのかと思いまして」
「ん?」
「あ、いや……」
俺は自分に渡されたコップを見下ろす。水面に自嘲するように笑っている自分の顔が写っていた。
こういった場では食事を用意したり、飲み物を注いだりするのは使用人の仕事だ。俺のような貴族の端くれにぶら下がっているだけの存在でも、数人の使用人があてがわれ、自分の身の回りのことを任せるのだ。それは、文化的伝統という理由ももちろんあるが、それ以上に他の貴族から非難されないようにするためでもあった。
自分で自分の仕事をするというのは使用人の仕事を奪うということ。
それが周囲に知られればどのような言葉が降ってくるかは自明の理だ。
『あいつは使用人を雇う金すらなくなったのか?』
『もしかして金の使いどころを知らないのか?』
『他人の仕事を奪う世間知らずめ』
城内では自分でコップに紅茶を注ぐという行為ですら、そういった噂の発生源になりかねない。
だが、ここではそんなことを気にする必要はないのかもしれない。
これじゃあ……まるで……
「あの頃に戻ったみたいだ……」
遠い記憶。
母と2人。小さな土地で過ごしていたあの頃のこと。
使用人なんか1人しかおらず、俺も家事手伝いに駆り出されていた思い出。
そんなことを思いだし、俺は小さく笑ったのだった。
そして、はたと気づく
いやちょっと待て!!なんで俺が懐柔されかかってんだよ!!?
俺はもう本当にダメなところまで堕ちているのかもしれなかった。