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挨拶だけでも一苦労

俺は頭の中で目の前の状況を整理しようと記憶を辿る。

俺とオークとの結婚が正式に言い渡されたのが2か月前。

とある事情で、俺の民からの人気が地に落ちて、冷たい視線に晒されながら仕事をしなければならない日々を過ごしていた俺を父上が呼んだのが始まりだった。


皇帝陛下との久々の対談。玉座の間で俺と向かい合った父上は『お前も今国内にいるのは辛かろう』という点から話を始めた。そして、『ちょっと行って政略結婚で挽回してこい』と繋げ、『ちなみに相手はオークだ』で締めくくって俺を絶望させた。


それが正式に発表されたのが1カ月前。そこから、数多くの嘲笑とほんの少しの憐憫の狭間を抜け、俺はこうしてオークが『生息』する『黒い森』に入ってきたのだ。


そして、俺は今日醜悪な見た目の『オークの雌』と顔合わせをするはずだった。

だが、今目の前には森の中の明るい木漏れ日に照らされた凛々しくも可愛らしい『オークの女性』だった。


うん、現状はこんなもんだ。いや、待て、全然わかんねぇよ!!


俺はパニックになった頭の中で必死に言葉を続けようとする。

だが、俺の口は半開きのまま言葉を忘れてしまったかのように固まってしまっていた。


「……あの……ゴロィア王子?」


無反応な俺に目の前の『オークの女性』が不安そうな顔をする。

俺に対して何か不躾なことをしたのではないかと不安になっているのだ。


そんな彼女に対して俺の後ろで成り行きを見守っていたジェレミア外交官が優し気な声で彼女に呼びかけた。


「ゴロニアキガド、デュルビュガゴルズド」


悪い。オーク語はさっぱりなんだ。


ジェレミアの言った言葉がまるで理解できない俺であったが、目の前の彼女の方は何と言ったのかわかる。その結果、彼女は少し驚いたように目を見開いた。


そして、ほんのりと頬を染めて、はにかむように笑ったのだ。


あまりにも可愛らしい笑顔に俺の心臓が不規則に跳ねた。


彼女の第一印象が『凛々しい女性』で固まりかけていた俺の観念が秒単位で塗り替えていく。

そのことに俺の頭の片隅に生き残っている王族としての理性が全力で警鐘を鳴らしていた。

やばい、本格的に一目惚れしそうだ。


ってか、ジェレミアは俺のことなんて言ったんだ!?

『ゴロニア』って単語があったから、間違いなく俺のことを何か言ったのはわかる。

だが、なんで彼女はここまでいい笑顔を見せたんだ!?後学の為に教えてくれ!!


俺は次々と襲い掛かってくる衝撃に頭も心もパンクしかかっていた。

普段なら大概の状況に感情を殺して笑顔を取り繕えてきた俺がさっきから素の表情のまま固まりっぱなしだ。


それほどまでに目の前の出来事は想定外だったのだ。


だが、いくらなんでもこのまま間抜け顔を晒し続けるわけにもいかない。

俺は震える唇で静かに息を吸いこむ。どこからか鼻腔に甘い蜜の匂いが流れ込んできて、俺はまたしてもギョッとした。

この部屋の中にいると、ここがオークの集落のど真ん中であることを忘れてしまいそうだった。


だが、俺はここに政略結婚をしにきた王族だ。

俺はここで婿入りして、オークとの関係を構築しつつ、その内側に入り込んで帝国にとって都合のいい条件を押し付けるための下準備をしに来たのだ。


相手が想定外の美人だったからなんだ?


目の前の相手に取り入り、主導権を握ってオークの中で発言力を手にすることが目的だというのは変わらないじゃないか!?気をしっかり持て、俺!!


俺はようやく自分の爽やかな笑顔を取り戻し、自分の胸に右手を置いた。


利き手である右手を相手に見せることで敵意がないことを示す。

それと同時に、心臓を示すことで心からの言葉であることをアピールする。


何処の文明に行っても変わらないジェスチャーの一つだ。


「私の名前は、ゴロニア=テッツベルク=ルン=サーズルス。我々の関係を今一歩前進させるためにこの地を訪れました。つきましては……」


俺はそのまま話を続けようとして、ふと俺の言葉の後に誰も追随してきていないことに気が付いた。

俺は後ろを振り返り、外交官を軽く睨む。


「外交官殿。どういうつもりだ?」

「なにか?」

「貴殿の役割はオークとの通訳も兼ねていただろ。私の言葉を通訳してくれないか?」


俺がそう言うと、ジェレミアは大道芸でも見物しているかのように笑い声をあげた。


「ほっほっほっほ、ゴロニア王子は冗談がお上手ですな」

「なに?」

「王子は自分の妻と通訳を介して生活するおつもりですかな?」

「なっ!!」


俺は言葉に詰まりかけたが、そこで黙ってしまっては負けを認めることになる。

名ばかりとはいえ仮にも王族が外交官程度に口で負けたとなれば沽券にかかわる。しかも、今は『オークの姫君』の目の前なのだ。恥をかくわけにはいかなかった。


「お言葉だが、外交官殿。ここは公の場であり、私生活の場ではない。私と彼女の間には確かに婚約の約束はあるが、それはまだあくまでも約束に過ぎず決定事項ですらない。そして、今日の私は外交的立場で訪れている。そういう冗談は婚姻の儀が終わった後、貴殿を夕食に招待した時に言ってもらえますかな」

「ふむ……確かにもっともではありますな。まぁ、ですが王子」

「なんだ?」

「言葉は選ばれた方がよろしいかと。あまりにも公的な態度を全面に押し出しますと、キルベ姫が悲しまれますぞ」


俺の頭は『キルベ』という名前を『オークの姫君』のことだと認識するのに時間がかかった。

最初の見た目の印象が衝撃すぎて、彼女の名前を正確に覚えていなかったのだ。

だが、俺の頭が次第にキルベ姫のことを認識するにしたがって、背中から嫌な汗が流れ落ちてきた。


そして、俺の爽やかフェイスが強張ったのを見計らい、ジェレミア外交官はダメ押しの一言を叩きつけてきた。


「キルベ様は帝国公用語をある程度理解されております。喋りに関してはまだ今一つですが、それでも鍛錬を重ねて『聞く耳』はよく鍛えているので、お言葉にはお気を付けください」


俺はゆっくりとキルベ姫の方へと顔を戻す。

前を向くときに首の骨が軋む音が聞こえた気がした。


再び視界にとらえた彼女の表情がわずかに変わっていた。


俺が外交官の方を振り返る前は『照れたようなはみかんだ笑顔』を浮かべていた


だが、今は……


「…………………」


キルベが浮かべていたのは『政略結婚』という現実を受け入れた者の笑顔。


俺はその顔を何度も目にしてきた。王族として国外の結婚式に顔を出した時に何度も見たものだ。自分の幸せを度外視し、国や民の幸せのことだけを考えて笑おうと努力する者の顔。


それは政略結婚の相手としては相応しい顔だった。


その時、俺の頭の中で『王族』として生きてきた18年の理性が声をあげた。


ちょうどいいじゃないか。ここできっぱりと突き放しちまえ。

俺達の結婚はあくまで同盟関係の一つだと。愛や恋を求められても迷惑だと。俺がオークとの関係を構築するための窓口になってくれればいいのだと。そう言ってしまえ。言ってしまえば俺の決心もつく。相手を利用するだけ利用し、帝国の為に生きる決心がつく。


そう、それが正しいはずだった。


正しい言葉のはずだった。


「その……」


だが、残念なことがあった。


俺は既に『政略結婚で最大のミス』という落とし穴を完璧に踏み抜いているのだった。


「も、申し訳ない……今のはその……『言葉の綾』だ!えぇと、これではわからないのか。だから……『ミス』だ……『間違い』だ……その、なんだ……」


俺は慌てふためき、自分の言葉を取り消そうと更に言葉を並べていく。

だが、彼女は困惑するばかりで俺の言いたいことが理解できてないようだった。


当たり前だった。俺自身も何を取り繕いたいのかいまいちわかっていないのだ。ただ、何か言わなければならないと思い、口走っているだけだ。

支離滅裂な帝国公用語をキルベ姫が理解できるはずもなく、俺はあたふたと無様を晒すことしかできない。


最終的にはそんな俺を見かねて、ジェレミアが助け舟を出してくれた。

彼がオーク語で何かを語りかけると、キルベは納得したように幾度か頷き、ほんの少しばかり表情を緩めてくれた。


やはり何と言ったのか俺には理解できなかったが。


俺はキルベとジェレミア外交官が話をしている間にこっそりと溜息を吐き出した。


それは、ここ一カ月の間何度も吐き出してきた未来に絶望したため息ではない。

自分に対する失望を含めたため息だ。


俺はこの一か月の間、何もしてこなかった。

オークの地に出かけることがわかっていながらも一切オーク語を覚えようとしてこなかった。

そんな自分の愚かさを呪うため息だ。


結婚相手が美人だったからオーク語を学びたいと思うなど現金なものだと自分でも思う。


だが、本気で同盟関係を構築するつもりであるなら、相手の言葉を学ぶのは初歩の初歩だ。

外交手段としては『我ら帝国がわざわざ貴様らの下賤な言葉を学ぶわけがないだろう。貴様等がむしろ帝国の公用語を学べ』という態度を取って上下関係をはっきりさせる手段もないことはない。

だが、俺がオーク語を学ばなかったのはそんな外交上の駆け引きの為などではないのだ。


単に気が乗らなかっただけ。


それではやはり王族として失格もいいところだ。


「……ジェレミア外交官」

「はい、なんでしょう?」

「申し訳なかった。私が間違っていたようだ」

「はい。その通りです」


ジェレミア外交官は俺を過度に持ち上げたりしなかったし、全肯定などもしてくれない。王族相手にいい度胸だと思う反面、こういった骨太な人間がまだ帝国内に残っていたことを俺は嬉しく思った。


俺はもう一度深呼吸をしてキルベ姫へと向き直った。

頬に微笑を乗せ、一切の邪念を排して笑顔を作る。

そして、俺はもう一度自己紹介をした。


「私の名前はゴロニア=テッツベルク=ルン=サーズルス。今回はあなたのような美しい姫君と婚約となったことを嬉しく思います」


俺はできるだけゆっくり、一語一語区切るようにして語り掛ける。

キルベ姫は俺の挨拶を聞き取るとその言葉を素直に受け取ったかのように笑顔で頷いた。


社交辞令って言葉を知らないのか?


俺は胸の内でやや苦笑気味にそう思う。

こういうところを見ると、相手がやはり田舎者なのだと感じる。

だが、今はそれでいいと思う。


これは『政略結婚』だ。


相手のことをきちんと知ることなしに結婚するのが当たり前。なんなら結婚の当日に顔を合わせることだってよくある話だ。


俺と彼女の関係はこれから作っていけばいい。


それがどんな着地点を迎えるかはまだ俺にもよくわかっていない。


だが、思うことが一つ。


「今日はよろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします!」


俺がほほ笑むと、キルベは大きな課題を終えた幼子のように華やかに笑ったのだった


この笑顔はできるだけ守りたいよな……


「ふぅ……」


やっぱり俺はこの政略結婚では敗北したらしい。

なにせ、帝国の利益を最優先にする『戦略目標』は既に達成できなくなりそうだからだ。

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