絶望の渦
どうしてこうなってしまった?
今更考えても仕方のないことだとは頭ではわかっている。
なぜならば、状況は既に完結していてしまっているのだ。
『オークの群れ』が『国家』を自称し、領土を主張している森の中に外交官と騎士3人を伴って入ったのが3日前。オークの群れに出会うまでひたすら森を進み、ようやく奴らに出会ったのが今日の朝のこと。
それから、外交官が奴らの言葉を用いて交渉を開始して既に3時間は経過していた。
その間、俺はというと、オーク共の住処である木で作られた家屋の一室に押し込められていた。
部屋には人間サイズのテーブルと椅子が二つ。窓際にベットが容易されている他は何も無い味気の無い部屋だ。
どうしてこうなってしまった?
考えても仕方ないのだが、やはり考えてしまう。
なにせ他にすることがない。
俺に付き添ってくれていた騎士3人のうち、2人は外交官の方の護衛についている。
残った1人は俺と同じ部屋にいるのも苦痛とでもいいたげな顔をして部屋の隅に立っている。
彼に向けて何度か会話を試みたものの、4回目に振った話題で「もう話しかけないでいただいてよろしいですか?」と会話をバッサリと切り落とされてからは流石の俺も諦めることにした。
仮にも王子である自分に対してこの仕打ち。
皇位継承権が最下位の俺だが、城にいた時はもう少しマシな扱いをされていた。
いくら、産まれてここまで18年の人生の間に針の筵の上でしか生きてきたことのない俺でもこの状況は泣きたくなる。
だが、いくら涙を流して許しを請うと、幼子のように地団太を踏んで泣きわめこうとも状況が変わることはおそらくあり得ない。
俺はこのオークの生きる森の中に『婿養子』として放り込まれる。
つまり、俺は『オークの雌』と『結婚』するためにこの土地を訪れたのだ。
俺は無言で天井の木目を数える。
溜息も涙も既に枯れ果てて久しい。
この結婚話が決まってから、俺は自室で幾度となく枕を濡らした。
冗談やたとえ話ではなく、本気の本気で泣いた。
王族の血を引く以上、国の為に『結婚』をすることは理解していた。自分もいつか顔も見たこともない王女と結婚して子をなさなければならないことも覚悟していた。皇位継承権が最下位である以上、婿養子として外国に飛ばされることも察していた。
だが、いくらなんでもこれはあんまりじゃないか。
胸の奥から尽き果てたはずのため息が零れ落ちた。
どうしてこうなってしまったのか?
何が悪かったのかと言われれば、産まれが悪かったとしか言いようがなかった。
俺の血筋は確かに皇帝陛下の直系であり、『王子』の肩書も持っている。だが、母親の家系に問題があり、どれだけ手柄を立てようとも国の中枢に関わるのは絶望的で、皇位継承権の順番を上げることなど夢のまた夢であった。
俺はそういった自分の人生なんかに抵抗する気は無かった。革命など起こすつもりもなく、昇進も既に諦めていた。
このまま順当にいけば、地方で執政官でもするか、どこか近隣諸国で『人質』として生きる未来が訪れるであるはずだった。その為に、自力でもなんとか生き抜けるように勉学と武技の稽古には精を出してきたのだ。
その努力が顧みられることなど何もなかったが、それでも、不条理な程の何かを押し付けられるようなことは何もしてこなかったはずだ。
だが、そうやって18年を過ごしてきた結果は『オークの雌と結婚』である。
『オーク』といえば緑がかった茶褐色の肌をした8フィート(約250cm)を越える巨漢だ。髪の無い禿げ頭と豚のような潰れた鼻。目は細く、口はデカく、たるみきった頬からは常に涎が滴り落ちている。でっぷりと肥え太った腹をしているくせに、腕や足の筋肉は丸太のように太い。一枚の麻布を襤褸切れのように身体に巻きつけ、棍棒を握って森を荒らしまわる。肉しか食べないせいか体臭も酷く、オークがいれば1ヤード(約1.6km)先からでも臭いでわかるという。こちらの言葉は通じず『フゴフゴ、ブーブー』と彼等の言語で喋る様子は知性などまるで感じない。
雄も雌も似たような身体つきで見分けなどつかないし、ましてやそんな相手と夜を共にして子供を作れときたもんだ。
俺はそんな結末を迎えるためにこの18年を生きてきたのだろうか。
今までの人生はこんな結末を迎える為の無駄な時間でしかなかったのだろうか。
俺はほとんど自決を決心する面持ちで窓の外を眺めた。
オークの森の中はこんな野獣共の巣窟には不釣り合いな程に綺麗だった。
空から降り注ぐ木漏れ日はおだやかで、鳥のさえずりや木々がざわめく音はなんとも心地よい。
このまま俺も風になっちまいたいなぁ……
そんなことを考えると自分の口元が自嘲気味に歪んだ。
椅子にだらしなく座り、窓の外を見て、品性の欠片もない笑みを浮かべる王子。
付き添ってくれている騎士の軽蔑度合が3割増しぐらいになった気がしたが、最早そんなことなどどうでもよかった。
最早、未来の展望どころか、明日の朝日すら見通せない。
特に、『この後』のことだけは考えたくもなかった。
一応、今日はお互いの顔合わせと同盟の交渉が主な役目で実際の『結婚』はまだまだ先なのだが、今日これから『花嫁』をこの目で見ることになる。その後、帝都に戻ったところで笑顔で生活できるとは思っていなかった。
ああ、ミリシャ、カイト……俺はもうだめだよ……
帝都に残してきた友人を想い、俺は全てを悟り切ったかのように顔の筋肉を緩めた。
絶望が訪れる時間が刻一刻と迫ってくる。
その時が近づくにつれ、思考回路が混乱し、今までは考えてもみなかった行動が頭に浮かんでくる。
いっそのこと、ここから逃げてしまおうか。
王族にあるまじき考えだった。
だが、そんなことを考えてしまう程に俺は疲弊しきっていた。
逃げ切れるだろうか?『オーク』との関係改善を目指している連中は俺を死に物狂いで追ってくるだろう。それに、例え逃げたとしてどこにいく?
そういえば、この森は『エルフ』が住む『霧の森』の近くだったはずだ。そこまで逃げ込めればもしかしたらなんとかなるのでは?そこに匿ってもらえれば、希望が見えてくる。
そうすりゃ俺が今まで培ってきたものも役に立つかもしれないし。上手くいけば『エルフ』の花婿になれるかも。
よし、そうだ。そうしよう。
そして、俺が自暴自棄を起こそうとした瞬間だった。
「ゴロニア様、時間です。オークの首魁がお会いになるそうです」
騎士が部屋に入ってきてそう告げた。
「はいよ……」
俺は今頭の中に展開されていた見ず知らずのエルフとの『アハハ』で『ウフフ』な馬鹿げた妄想を頭の中から消し去った。
全くもって無意味な時間だった。
俺は自分の全身の筋肉を引き締めた。背筋を伸ばし、首筋を引き締め、鼻筋を通す。ピシリと礼服の襟を立ててれば、どこに出しても恥ずかしくない若き王族の完成だ。
王家に産まれた以上、その命には権力と責任が伴う。
そこから逃げ出すことは、これまで俺のことを生かしてくれた国の民達に申し開きができない。
王家であるなら王家らしく。
最期までその姿であるように全霊を賭すべきだった。
『知ってるか?オークの雌って、1年たっても子供を作れなかったら雄をベッドの上で絞め殺すらしいぞ』
『それは大変だ!ゴロニア、俺のとっておきの裸婦像をプレゼントしてやるから頑張ってこいよ~』
『気をつけろよ~オークの雄は華奢な存在は全て女に見えるらしいぞ』
『良かったなゴロニア。騎士連中相手にケツを振ってたのは無駄にならなかったようだ』
「黙れ、クソ共……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、なんでもありません。行きましょう」
俺は長い間の王族生活で身に着けた100%爽やかさで構成された笑顔を保ちつつ、部屋を後にする。
頭の中ではつい1週間程前に帝都の城でぶつけられた嘲笑の声が残っていた。自分より皇位継承権が上の王子達。教会の強い推薦を受けた自称聖者。特権階級産まれで将来のポストが産まれながら決定している若き執政官。
奴らにとって目の上のたん瘤だった俺を送り出すのはさぞ快感であっただろう。彼等の笑顔を思い出し、俺は腹に力を込めた。このまま『オークの雌』に怯んでしまえば、俺は奴らに負けたことになる。
そんなことだけはするまいと俺は心に決めながら、人間用の簡素な宿泊施設を後にした。