スイセン咲く頃
ご無沙汰しております!
今回はシュピネのお話です。短いですがお楽しみいただければ幸いです!
四月、ここレーレハウゼンの街も多くの花々で彩られる目に眩しいほどの色の宴。チューリップの赤、ヒヤシンスの青、マグノリアの白、ライラックの紫……そしてスイセンの黄。しかし、今年も咲いたかと覗き込む女が、どの花よりも周囲の視線を奪っていた。
刺繍の入ったコットの首元に銅の首飾りをぶら下げ、十字架で申し訳程度の敬虔さを装いながら己を飾り立てる女。過剰なまでに白い肌に浮かぶ形の良すぎる唇の紅は、血色だけで再現できるものではなかろう。豊かな黄金の巻き髪を布で覆いもせず風にはためかせる姿がその身分をより明確にしている。即ち娼婦である。
娼婦は卑賎の民だ。権利を持たず、守られもしない。故に人々は娼婦を憐れみ、蔑む。だがそんなものは美が破壊することを彼女は知っている。美こそは最大の武器。人は美の前に抗うことはできない。美は人の愚かさを露呈させる。知恵ある女を羨望に染め、力ある男を跪かせる。持てる者を強めるのみならず、持たざる者を弱める究極の武器だ。
それが故に、彼女の価値を解する者は本人だけではなかった。齢十五を迎える前にして既に芽吹いていたその美を、さる男が見出した。アルブレヒト・フォン・イェーガー、帝国の方伯である。並みの貴族であれば最高の贅として味わうその美を、彼は自ら味わうことをしなかった。彼女に「シュピネ(蜘蛛)」という名を与え、隠密として暗躍させることを選んだのである。
シュピネはスイセンの花弁を撫でながら己の身の上を想った。鮮やかな黄……ユダの色、服飾の上では疎まれる色が、こんなにも咲き誇り人を魅了する。その矛盾が自分を表すようで、彼女はこの花を妙に気に入っていた。飲めば毒となるところも、自らを愛し破滅したナルキッソスの伝説を背景に持つところも。この花はシュピネにとって年に一度出会える旧友だ。屈んだ時の姿勢の見栄えを気にしつつも、彼女は心から花との無言の語らいを楽しむ。毎年、初めて咲いたときに思い起こすのは、アルブレヒトとの思い出と決めていた。
笑わない男だった。食事に誘うときも、寝所に誘うときも、決して笑わない男だった。言葉は短く、沈黙は長い。表向き愛人として扱われていたことから二人きりになる時間は多かったものの、話を盛り上げることもせず、指一本触れてくることはなかった。それでいて、シュピネの話を嫌がりもしなかった。
首ひとつ動かさず憮然としたような顔で話を聞くアルブレヒトの姿を思い出し、シュピネは少し笑う。今思えばあの時間には二つの意図があったのだとわかる。どんな相手だろうと話し続けられるだけの会話力をシュピネに与えることと、あらゆる話題をひたすら吐き出させてそこから情報を拾うこと。その意図に気づいていなかった当時のシュピネにとって、聞き上手でもない無口な相手に一方的に話し続けるのは骨が折れる作業だったが、アルブレヒトと過ごす時間は不思議と嫌いではなかった。
おそらくそれが彼女の淡い初恋であったのだろう。誰にでも愛される彼女は、愛されぬからこそ彼を愛した。
これもまた愛しい矛盾である。スイセンの花が咲く度に彼女は思い出す。石壁に響き続ける自分の声と、無表情な主の顔に浮かぶ僅かばかりの優しさを。
子の短編集の1つ目のお話を考えると、笑顔のない方伯が好きだった彼女が笑顔ばかりのオイレと良き関係を築いているのも感慨深いですね……