第95話 リリィ、ぶっこわす
これは…………やっちまったな…………。
クリスタルと魔法が激突する衝撃の中に甲高い破砕音が混じっていることに気が付き、俺は諦観の境地に達し頭を下げた。頭の中では無数のゼニーが羽を生やして空に飛んでいく。コーラル・クリスタルの相場があの時より上がってなければいいんだが、魔石は全体的に高騰しているからな…………一体いくら弁償させられるか。
眼前に広がっているであろう景色を確信しながら恐る恐る顔を上げると、そこにはやはり俺の想像通りの景色が広がっていた。少し違うのは、粉々になったクリスタルの周りに、生徒を守るようにいくつもの魔法陣が敷いてあることだった。吹き飛んだクリスタルは先生が展開した防護壁にキャッチされ、無事に重力の下僕となった。
…………生徒たちに怪我がなくて良かった。咄嗟にあの枚数の防護壁を展開するとは、先生もまだまだ衰えていないな。
「わわっ、あわわわっ…………!」
リリィはクリスタルの前で腰を抜かし、ぺたんと床にお尻をつけていた。カラン、と音を立ててクリスタルの杖が床に転がる。
「り、りりー……こわしちゃった…………?」
リリィは顔を真っ青にしながら粉々になったクリスタルに目を向ける。驚いてしまったのか目の端には涙が浮かんでいた。今すぐ駆け寄ってやりたいが、流石にそれは出来ない。
周りの子供達は、何だかとんでもないことに遭遇してしまったぞ、とばかりにしーんと静まり返っている。コーラル・クリスタルが貴重だということに何となく気がついているんだろう。子供というのは意外と危機察知能力に優れている生き物だからな。誰も口を開かず、リリィとクリスタルの間で落ち着きなく視線を彷徨わせている。
「う…………ううっ…………」
「────っ」
沈黙に耐えきれなくなったリリィが、瞳から大粒の涙を零す。反射的にかかとが地面を蹴るのを理性で何とか押し止める。この場を何とか出来るのは先生しかいない。慌てて所在を確認すると、先生は丁度リリィの傍に腰を下ろす所だった。
「リリィちゃん、凄いじゃないか」
先生はリリィの頭を撫で、優しい声色で語りかける。リリィは拭けども拭けども溢れてくる涙を両手で必死に拭っている。はやく、はやくリリィを笑顔にさせてくれ!
「このクリスタルはね、強力な魔力を持っていないと壊せないんだよ。私だって本気でやっても壊せない代物さ。それを壊せるなんて、リリィちゃんにはきっと凄い才能があるに違いないねえ」
「……うっ……ひっく…………さいのー…………?」
「そうさ。立派な魔法使いになれる才能ってやつがね」
「…………でも……りりー……こわしちゃった…………」
「いいんだよ、こんなクリスタル。…………それにね、実はヴァイスも壊したことがあるんだよ。ここだけの話だがね」
「ぱぱ……?」
「そうだ。だからリリィちゃんが気にする必要はないんだよ。寧ろ誇るべきことさね」
「うぐっ……わかった…………」
リリィの頬を伝う涙を先生がそっと拭う。俺も壊したことがあると知って、リリィは何とか泣き止んでくれたようだ。ゴシゴシと目を擦って立ち上がる。
「ほら、忘れちゃいけないよ」
「わすれてた!」
先生が傍に落ちていた杖を拾いリリィに握らせる。瞳こそ赤く腫れていたものの、リリィの表情にはすっかり笑顔が戻っていた。
…………もう大丈夫そうだな。
俺はそっと修練室を後にした。
すれ違いざまに目に入ったレインの表情が、僅かに歪んでいたのが少し気になった。
◆
「…………ぱ、ぱぱ……?」
ソファで寛いでいると、学校から帰ってきたリリィが遠慮がちに傍に寄ってきた。その表情は暗く沈んでいる。
「リリィ、帰ってきたら?」
「ただいま!」
「はい、おかえり」
条件反射的に元気な挨拶が帰ってくるが、元気がなさそうなのは表情から明らかだった。俺はリリィの帽子とリュックを脱がせると、膝の上で抱きかかえることにした。リリィは体温が高いから、抱っこしているとぽかぽかして気持ちがいい。
「ぱぱ、きーて……?」
リリィは俺の膝の上でもぞもぞと反転して、俺と向き合うような姿勢になる。思い切り抱きしめてやると、リリィはむふーと気持ちよさそうな声をあげて俺の胸に顔を埋めた。
「どうしたんだ?」
何を言いたいのかは大体分かっていた。恐らくクリスタルという学校の備品を壊してしまったことを謝りたいんだろう。俺としては寧ろ良くやったと褒めてやりたいくらいなんだが、流石に教育上そういう訳にもいかないよな。
「きょーね、じゅぎょーでまほーつかったの…………それでね、りりー…………おっきないし…………こわしちゃった…………」
「壊しちゃった? 怪我はなかったのか?」
「うん…………」
「良かった。それで、先生は何て言ってたんだ?」
「なんかね、りりーにさいのーがあるってゆってた…………」
「褒められたのか。良くやったぞリリィ」
ダメだ、やっぱり褒めてしまった。
だって仕方ねえよ、壊れないって言われてたんだもんな。リリィは全く悪くない。気にする必要は全くないんだ。俺みたいに壊そうとして壊したわけでもないんだし。
「うん…………それでね、せんせーがぱぱにわたしてって……」
そう言って、リリィはポケットから一通の封筒を取り出した。受け取って開いてみる。
『コーラル・クリスタルの費用弁償として、以下のとおり請求します。ヴァイス、済まないねえ。
50,000,000ゼニー』
…………エスメラルダ先生、俺なら払えると思って思いっきり吹っ掛けやがったな。
事故なんだから払う必要もない気がするが、先生の監督不行き届きになってしまうのも可哀想ではある。払えない金額でもないし、今後も授業に忍び込むのを見逃してもらう賄賂としては決して高くはないか。
「ぱぱ、なんてかいてあった?」
「あなたの娘はとっても優秀です、って書いてあったぞ。流石リリィだ」
「ぱぱくすぐったい!」
わしわしと頭を撫でてやると、リリィはやっと笑顔になってくれた。やっぱり子供は笑顔が似合う。